2011-07-05

言葉にならぬ思い/『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー


 出稼ぎ目的でイラクからクウェートへ密入国する男たちを描いた短篇。ギラギラと情け容赦なく照りつける太陽。平等に降り注ぐ光の矢が、貧しき者の背中に突き刺さる。

 イスラム教国は法律と道徳と宗教とが完全に一致している。そのため他の国々と比べると厳罰が徹底している。石打ち、鞭打ちは当たり前だ。ちなみに不倫をするとこうなる。

LiVE JOURNAL(閲覧注意)

 違法行為は命懸けであった。鬱屈した思いが更に凝縮される。

 彼はなにか言おうと努めたが、湿り気をおびた胸のつかえが喉をからませ、一言も口にすることができなかった……彼はちょうどこれと同じ胸のつかえをバスラで味わった。バスラで彼は、クウェイトへの密入国を商売にしているデブ親爺の事務所を訪れ、一人の老いぼれ男が荷いうるかぎりの汚辱と希望を両の肩に背負いながらこの男の前に立っていた……(「太陽の男たち」1963年)

【『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー:黒田寿郎、奴田原睦明〈ぬたはら・のぶあき〉訳(河出書房新社、1978年〈『現代アラブ小説集 7』〉/新装新版、2009年/河出文庫、2017年)】

 言葉にならぬ思いがある。モヤモヤした不満とくすぶり続ける怒り。衣食に事欠くようになれば人は獣と化す。

『二重言語国家・日本』石川九楊

 理不尽に慣れると脳は考えることをやめる。いったん考え始めると自我を保てなくなるからだ。飲み込んだ言葉が情動を圧迫する。マグマと化した情動は脳の奥深くで今か今かとタイミングを計る。

 人々の怒りが沸点に達した時、歴史を塗り替える英雄が登場する。

歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 権力者は民の沈黙を恐れよ。言葉にならぬ思いをすくい取れ。さもなくば共同体に暴力の風が吹くことだろう。革命は血生臭さを伴う。

 病院で待たされ、金融機関で待たされ、ハローワークで待たされる人々。泣き止まぬ幼児の傍(かたわ)らで必死に虐待をこらえる若い母親。「ノルマが達成できないなら辞めてもらうまでだ」と上司から脅されるサラリーマン。面接に次ぐ面接で冷ややかな視線にさらされる学生。連れ合いの介護に疲れ果てた老婦人。家族を喪いながらも出口のない避難所生活を強いられる被災者。

 日本の至るところで不満が溜まっている。ファシズムの足音が聞こえやしないか?

パレスチナ人の叫び声が轟き渡る/『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー

ジョー・オダネル


 1冊読了。

 45冊目『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル、ジェニファー・オルドリッチ/平岡豊子訳(小学館、1995年)/ネット上で知った写真を見たくて購入。直立不動の姿勢で死んだ赤ん坊をおぶった少年だ。焦土と化した戦後の佐世保、福岡、神戸、そして広島、長崎が撮影されている。写真もさることながら、オダネル青年(当時23歳)の誠実さが胸を打つ。彼は鬼畜ではなかった。人々を撮影する際も必ず許可を求め、子供たちにはお菓子を与えている。彼と日本人との間には「戦争をする理由」が存在しなかった。カメラのファインダーはアメリカ人青年の清らかな瞳そのものであった。小学生にも読み聞かせたい名作だ。

党派性


「派」への依存は、自我の空白部分を“所属”で補う営みである。そして所属とは所有されることを意味する。

日本に宗教は必要ですか?/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳