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『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
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『奴隷船の世界史』布留川正博
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『奴隷とは』ジュリアス・レスター
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『砂糖の世界史』川北稔
・ラス・カサスの立ち位置
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スペイン人開拓者によるインディアン惨殺
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天然痘と大虐殺
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『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
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『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
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『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
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キリスト教を知るための書籍
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必読書リスト その四
カスティーリャの国王が神とその教会からあの大きな数々の王国、すなわち、インディアスという広大無辺な新世界を委ねられましたのは、その地に済む人びとを導き、治め、改宗させ、現世においても来世においても彼らに幸福な生活を送らせるためにほかなりません。しかるに、それらの王国に済む人びとは同じ人間が手を下したとは想像もつかないような悪事、圧迫、搾取、虐待を蒙ってまいりました。いと強き主君、私は50年以上にわたりその地でそれらを目撃してまいりました。それゆえ、とりわけそのうちのいくつかの行為を申し上げれば殿下は必ず陛下に対し、無法者たちが策略を弄してたえず行いつづけているいわゆる征服(コンキスタ)という企てを今後いっさい許可されないよう懇請していただけるものと確信しております。
【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年/改訂版、2013年)】
キーが重い。気安く書くわけにはいかないためだ。私がもたもたしているうちに改訳版が刊行されていた。タイトルが広く知られていると、「ま、いつでも読めるよな」とか「今更俺が読んでも……」などと思いがちだ。挙げ句の果てには「読んでしまった」ような錯覚に至ることもある。ソクラテス、トルストイ、ドストエフスキー、夏目漱石……そして岩波文庫だ。
インディアンの言葉を編んだものを数冊読み、その散漫極まりない編集に業を煮やし、「そろそろ本気を出すか」と意気込んで本書を開いた。寝しなに読むのは避けるべきだ。悪夢にうなされたくなければ。
ルワンダを軽々と凌駕する大虐殺の歴史だ。アメリカに巣食う暴力の根は「アメリカ大陸発見」の時から地中に深く分け入ったのだ。ヨーロッパ人は元々「
魔女狩り」と称して同胞を焼き殺すような連中である。世界の果て(※ヨーロッパから見た世界観)に存在した異邦人は化け物と変わりがなかった。
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コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
しかもキリスト教の狭い世界観にインディアン(中国を始めとするアジア人も)は含まれていなかった。
話はいささかそれるかもしれませんが、ここで日本人がいつから奴隷になったのか、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
近代の奴隷制は、東インド会社の設立にその起源を求めることができます。ことは非常に単純で、奴隷制はもともと、人間とは何かという定義から始まりました。その経緯はおおよそ次のようなものです。
現在ではカトリックといえば博愛主義の代名詞で、バチカンは世界の戦争や差別をなくす中心的な役割を果たす機関となっています。ところが中世の頃のバチカンはそうではなかったのです。
1600年、インドに渡ったヨーロッパの貿易商は肌の黒いインド人を見て、同行した神父にこう訊ねました。「この肌の黒い人は人間ですか?」。その神父はその場で答えを出さず、バチカンにその回答を求める質問状を送るのですが、ずいぶんして戻ってきた返書には「人間ではない」としたためてありました。その理由は“キリスト教徒ではないから”というものです。
アフリカに渡ったときも、同じ手続きが踏まれました。商人から同じことを訊かれた神父が、やはりバチカンに、人間かどうかの判断を仰ぐ質問状を送っているのです。すると、こちらも「人間ではない」という回答がきちんと送ってきました。そういう記録が残っているというのです。
こうした当時のバチカンの判断によって、奴隷制が始まったと言われています。魔女狩りや異端審問がピークの時代です。東インド会社が行った最大の交易は、人身売買ですが、その背景にはキリスト教徒でない者は人間ではなく奴隷であるという判断があったわけです。
このことは、日本の場合にも当てはまると思います。
戦国時代、日本は海外から鉄砲の調達を始めました。織田信長がその近代兵器を駆使して勝利を収めたことは有名ですが、そのためには高性能の火薬、つまりガンパウダーが必要になります。当時のガンパウダーの値段はどのようにつけられていたかというと、一樽につき、娘50人です。織田信長の時代から戊辰戦争の時代まで、鉄砲隊のガンパウダーは、日本人の若い女性を海外に売ることで調達したのです。
この事実は、裏を返せば、日本人の人身売買を行うにあたり、日本人は「人間ではない」というお墨付きがあったということになります。もし、人間を売買したとなると、キリスト教の教義に違反し、たいへんなことになります。しかし人間ではないから、鉄砲を求める戦国武将との間で、売買が成立したわけです。そのため、当時、大量の日本人の娘がヨーロッパに売り渡されたという記録が残されています。
つまり日本における奴隷制は、鉄砲隊がその引き金を引くと同時に始まったと考えることができるわけです。
【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(ビジネス社、2008年)】
これが近代の現実である。ヨーロッパにとって世界とは聖書に書かれたことがすべてだった。そして聖書の解釈権はヴァチカンが握っていた。神に従うことはヴァチカンに従うことであった。インディアンと中国人(なかんずく中国文化)の存在がヨーロッパを揺るがした。全知全能の神もふらついたことだろう。
「インディアス」とはインドのことだ。
クリストファー・コロンブスの第二次航海に参加したラス・カサスは、当然コロンブス同様アメリカ大陸をインドだと思い込んでいた。「新大陸」であることに気づいたのは
アメリゴ・ヴェスプッチであった。で、彼の名前から「アメリカ」と命名されたわけだ。
バルトロメ・デ・ラス・カサスはカトリックの司祭であった。しかもインディアンの奴隷を所有していた。彼は宣教目的でアメリカに渡ったわけだから、インディアンを布教対象としてしか考えてなかったことだろう。そうでありながらも彼はインディアン虐殺をじっと見ているわけにはいかなかった。ここに彼の自由な魂がある。
時代の流れを自覚することは難しい。地球の自転や公転を意識できないのと一緒だ。時代の常識に逆らうことは勇気を必要とする。激しい毀誉褒貶(きよほうへん)を覚悟しなくてはならない。元々コミュニティには進化的な優位性がある。「皆と同じ」にすることで生存率が高まるのだ。ゆえに勇気をもって異を唱えることは時に死を意味した。諫言。
一読後、私は思った。「ラス・カサスの名を冠した人道賞を設けるべきだ」と。彼こそは
善きサマリア人であった。そして虐殺者の一員であることを断固として拒んだのだ。
ラス・カサスは68歳で大著『インディアス史』を書き始める。
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ラス・カサスとフランシスコ・デ・ビトリア(サラマンカ大学の神学部教授)/『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤
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侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
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虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
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米軍による原爆投下は人体実験だった/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
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欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
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集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
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残酷極まりないキリスト教/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル