・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・言葉の正しさ
・正(まさ)しき道理
・「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の故事
・社稷を主とす
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
社稷(しゃしょく)というのは、もともと王朝の守護神のことで、社は夏王朝の、稷は穀物の神である。こまかなことをいえば、社は土地の神ではなく、じつは水の神であり、稷は穀物の神であるが、周王室が合祀して、地の実りの神にしてしまった。周王室が社稷を第一の神とするかぎり、周王室に属する国々の公室も社稷をあがめた。ということは国家の存立は社稷にかかっているといえなくはない。そこから社稷といえば国家を指すようになった。晏嬰〈あんえい〉のいう社稷もその意味である。
一国にとって最も大切なのは、君主であるのか、社稷であるのか。晏嬰はそれについて、
「君主というものは、民の上に立っているが、民をあなどるべきではなく、社稷に仕えるものである。臣下というものは、俸禄のために君主に仕えているわけではなく、社稷を養う者である」
と、ここで明言した。
さらに晏嬰は、君主が社稷のために死んだのであれば、臣下も社稷のために死ぬ。君主が社稷のために亡命すれば、臣下も社稷のために亡命する。と言葉を継いだ。
君主が自分のために死んだり、亡命したのであれば、君主に寵愛された臣でなければ、たれが行動をともにしよう。
【『晏子』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)】
老子(?/紀元前6世紀とされる)曰く「国の垢を受くる、是れを社稷の主と謂ふ。国の不祥を受くる、是れを天下の王と謂う」(語訳、解説)と。また『礼記』(らいき)には「社稷之臣」と。
人類の脳が一変した様子が見てとれる。重んじるべきは祭壇(宗教)からシステム(組織、国家)にスライドしたのだ。これ以降、物語の主役は政治となった。
晏嬰〈あんえい〉の言葉は「大文字の物語」(ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件 知・社会・言語ゲーム』)を紡ぎだした。人類の脳は家族や地域を超えてつながることが可能となった。だがその一方で人は権力を巡る動物と化した。
古代中国ではその後、呂不韋〈りょふい〉(?-紀元前235/『奇貨居くべし』)が登場し民主主義という壮大な理想に向かう。
軸の時代(紀元前800年頃-紀元前200年)は絢爛(けんらん)たる人材群を輩出し、人類の精神を調(ととの)えた。だがどうしたことか。スポーク(軸)はあるのに回転すべき車輪がない。人類史は停滞したまま淀(よど)んでいる。西洋では社稷が強大な権力を握るキリスト教会となってしまう。
軸の時代と比べればルネサンス(14-16世紀)やナポレオンも精彩を欠く。巨視的に見ればその後の最も大きな変化は科学と金融経済であろう。だが大きな物語は終焉した。残されたのは小人物のみだ。
あるいはこう考えることも可能だ。既に人類が一つになる鍋(インフラ)は整備された。あとは人類の存亡を揺るがす出来事が強火となって鍋のスープを完成させることだろう。末法やハルマゲドンの真意はそこにあるのかもしれない。
来たれ、人類の春秋時代よ。