2014-07-22

マレーシア機撃墜を巡ってロシアがウクライナへ質問状







ミツバチ大量死、原因は害虫用殺虫剤 分析で成分検出


 夏に北海道などの北日本で多発しているミツバチの大量死現象は、害虫のカメムシを駆除するため水田に散布される殺虫剤が原因の可能性が高いとする調査結果を18日、農研機構畜産草地研究所(茨城県つくば市)などの研究チームがまとめた。

 研究チームは2012年夏、北日本の水田地帯に養蜂家がミツバチの巣箱を置いた8地点(計415箱)を調査。1カ月間に5地点で、巣箱の近くで死んだミツバチが山のように積み重なっているのを確認した。

 死んだミツバチを分析したところ、全てからネオニコチノイド系を中心に2種類以上の殺虫剤成分が検出された。ウイルスによる病気やスズメバチの襲来などはなく、カメムシ用の殺虫剤が原因の可能性が高いと結論づけた。

朝日新聞デジタル 2014-07-19

2014-07-21

信用貨幣と複式簿記/『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治


「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演
30分で判る 経済の仕組み
「Money As Debt」(負債としてのお金)
武田邦彦『現代のコペルニクス』 日本の重大問題(2)国の借金
『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康

 ・信用貨幣と複式簿記

『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
・『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン

株式の資本主義を作った複式簿記

 金属貨幣から離脱した信用貨幣(紙幣)は、株として資本を集めて使う資本主義における(貸借関係を記録する)複式簿記のような大きな発明です。複式簿記も、14世紀から15世紀にベネチア商人の帳簿から生まれています。資本主義は【信用による資本調達の制度】と言っていいものです。信用貨幣と資本主義の複式簿記の発生は、ベネチアで同時でした。

【『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治〈よしだ・しげはる〉(ビジネス社、2012年)以下同】

 現金の流れだけを追うのが単式簿記(家計簿や小遣い帳)で、複式簿記は貸方・借方というバランスシート方式で資産は負債+資本と必ず一致する。このため複式簿記の方がインチキをしにくい。実は初心者用の複式簿記本しか読んでいないので、その程度しか理解できておらず(涙)。それでも資本主義が借金で回っている事実がよく見えてくる。

ベネチアの複式簿記の記録法によって証券と株が発生

 負債を示す証券と株式は複式簿記から生まれています。複式簿記は、会社が所有する資産を左側に、負債と資本を右側に書きます。実感からは変ですが「資産=負債(簿記の基本)」という構造をもつものです。
 資本主義をつくった株式は、出資した株主にとっては資本という資産です。
 発行した会社にとっては、株主に対し、事業を行った結果の利益を配当する義務がある負債です。
 資本は会社が預かってはいますが会社のものではありません。株主が所有権をもちます。
 株が譲渡可能になって、売買の株式市場ができた理由は、会社の、1.資産・負債の対照構造(バランス・シート)と、2.事業の結果(損益計算書)を真正に公開するということからです。
 株主が、株券という証券を受け取って資本(マネー)を出すのは、銀行預金よりは高い利益配当があるだろうという会社への将来信用からです。こうした「信用」が資本主義をつくったものです。金細工師のバランス・シートに、信用(物的には空洞です)から生まれた株式資本主義の原型が見えます。金利は、貸付金の、未来の不確実性(リスク)をカバーするために生まれたものです。

「資産=負債」という原理に資本主義の本質がある。眼から鱗が50枚くらい落ちたよ。そして株式会社が株主のものであることもよく理解できよう。株主が会社に投資し、会社が事業に投資をする。投資→利益→投資というサイクルが企業活動に運命づけられているのだ。

 現在、主要国の金利が下がっている。その先頭を走っているのが我が日本だ。先進国でいち早くデフレに陥ったためだ。ゼロ金利でもデフレを脱却できないため量的緩和まで行っている。アメリカのQE3(第三次量的緩和)は年内に終了する予定で、FRBは既にテーパリング(量的緩和の縮小)を開始した。FRBが市場に放出した資金を回収すれば、当然のようにドル高圧力がかかる。そこで思いも寄らぬ事態が待ち受けていることだろう。

 金利は「貨幣の時間的価値と信用リスクの対価としての性質を有するもの」(Wikipedia)と考えられているが、それにしても不思議である。マネーの将来価値が低くなることを織り込んでいるわけだから。マネーは金利によって増殖し、増刷されることで価値を下げる。世界各国がインフレターゲット政策を掲げ、健全なインフレ率(2~3%)を設定するのも、金利の為せる業(わざ)なのだろう。

 経済政策が上手くゆかないのはマネーが国境を軽々と超えるためだ。インターネットが普及した現在では一般人の資産すら海外へ移動することはたやすい。マネーはリターンを求めてリスクに向かいバブルを形成し、バブルが弾けるや否や安全な場所へ回避する。逃げ足の速い投機マネーが世界経済を混乱へと招く。

 サブプライム・ショック(2007年)、リーマン・ショック(2008年)を経て、資本主義崩壊が囁かれ始めた。新しい形の世界はまったく見えてこない。だが、やがて人類は必ずカネ以外の価値を見つけることだろう。

マネーの正体

2014-07-19

ビスマルクとロスチャイルド家/『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵


『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン
『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵

 ・ビスマルクとロスチャイルド家

 前著刊行後、5000万字の資料を参考にし、1日5万文字を1000日にわたって閲覧して書かれたのが本書である。

 若きビスマルクは勤勉で、勉強好きで、権力と叡智に極端なほどの憧れを抱いていた。彼の政治的野心と抱負はすぐにアムシェルとその養子のマイヤーの気に入るところとなった。ロスチャイルド家はとにかく政治的に有望な青年を育てるのが好きで、伯楽であることを自負していた。彼らはビスマルクが投資する価値のある優良株であると判断した。欧州の近代史上、若いころにロスチャイルド家に援助され、後に世界史において傑出した政治家になった人物には、ビスマルクのほかに、後のイギリス首相、ベンジャミン・ディズレーリ、そしてダービー競馬に勝つこと、資産家の令嬢を嫁にすること、イギリスの首相になること、この3つの夢をすべてかなえたロスチャイルド家の婿のローズベリー、そしてイギリスの名物首相、チャーチルがいた。
 ネイサン・ロスチャイルドは「大英帝国の通貨の発行権を握っている」と公言していた。欧州の名門貴族たちは、彼の金銭的な権勢に屈服せざるを得なかったにもかかわらず、ロスチャイルド家のような新興ユダヤ人「成金」を内心では軽蔑していた。ビスマルクも同じであった。ユダヤ銀行家たちを利用しながら軽蔑していたのである。

【『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉: 橋本碩也〈はしもと・せきや〉監訳、河本佳世〈かわもと・かよ〉訳(武田ランダムハウスジャパン、2010年)以下同】

 資本主義は近代以降、政治とカネを切っても切れないものへと変えた。つまり「政治とカネの問題」というテーマは資本主義の否定につながる矛盾を抱えている。民主主義はカネで動くと理解した方がよさそうだ。政治が国家予算(税金)の分捕り合戦である一面を思えば腑に落ちる。

 驚くべき真実であるが、政治も文化も宗教もマネーを制した者が勝つ。「先立つものは金」というわけだ。そして潤沢な資金はプロパガンダ(広告)に費やされ、マネー獲得の目的に向かって直進する。こうしてあらゆる組織が資本増強を目指す。

 ロスチャイルド家は金融の本質を誰よりも早く知悉(ちしつ)していた。欧州貴族の軽蔑すら彼らの目には好機と映ったことだろう。名誉よりも実利が重いのだから。

 そして近代からアメリカが生まれ、そのアメリカからプラグマティズムが産声(うぶごえ)を上げたのも偶然ではあるまい。教会の権威を嫌い、信仰の実を選んだピルグリム・ファーザーズも宗教上の実利を志向している。



 戦争を通じてビスマルクは金銭の重要性を認識した。特に、大事な時に政治家は往々にして銀行家に屈服せざるを得なかった。デンマーク戦争とほぼ同時期に発生したアメリカの南北戦争リンカーン暗殺について、ビスマルクは次のように述べている。

「アメリカを南北の二つの弱い連邦に分けることは、内戦勃発前から欧州の金融権力者によって決められていたことである」

 カネがなければ戦争もできない。すなわちマネーを制する者は戦争をもコントロールできるのだ。

 20世紀末になりインターネットの普及がマネーの移動を自由自在にした。増殖するマネーはバブルとなって膨らんでは弾ける。バブル-バブル崩壊を繰り返しながらマネーはウイルスのように襲いかかる。バブルは富める者を更に富ませ、中産階級を貧困化する。極端な富の集中が資本主義そのものを崩壊させるのも時間の問題だ。

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将は将を知る/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 孟嘗君〈もうしょうくん〉が楽毅〈がっき〉の家を訪ねる。

 もっとも広い部屋に孟嘗君と従者をみちびきいれた楽毅は、躍(おど)る胸をおさえながら、言辞において喜びをあらわした。
 それにいちいちうなずいた孟嘗君は、ふと淡愁(たんしゅう)をみせ、
「わしが斉(せい)にいるあいだ、将軍は中山(ちゅうざん)で戦っていた。中山王は斃死(へいし)せず、中山の民は熄滅(そくめつ)しなかった。それが中山をあずかっていた将軍の愛の表現であると、わしは臨■(りんし)にいて考えていた。将軍は、まことによくなされた。みごとであったとたれも褒めぬのであれば、ここでわしが天にとどくほどの声で褒めよう」
 と、いった。いつのまにか孟嘗君の目が濡(ぬ)れている。その目をみた楽毅は、自分を囲んでいたものが音をたてて崩れはじめたように感じられた。
 ――ああ、このかたは、人の深奥(しんおう)がわかるのだ。
 と、おもいあたるや、どっと涙があふれた。楽毅はめずらしく泣いた。孟嘗君のまえにいるから泣けたともいえる。孟嘗君も泣いている。このふたりをみて室内にいるすべての者が、涙ぐみ、とくに楽毅の手足となって生死の境を走りぬけ、苦難をしのぎにしのいできた丹冬(たんとう)と趙写(ちょうしゃ)は、背をふるわせて欷歔(ききょ)した。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

 楽毅が孟嘗君とまみえるのは留学していた時以来で二度目のこと。中山は小国であったがゆえに楽毅は将軍となってからも順風満帆とはいえぬ苦境の連続を凌(しの)いできた。将は将を知る。孟嘗君は楽毅の孤独をすくい上げるように自らの思いを述べた。美しい名場面である。

 人は年を重ねるにつれて妥協を余儀なくされ、いつしか腐臭の中に身を置くようになる。自分で自分に言いわけをしながら、やがて他人に言いわけを強いるような存在に変わってゆく。戦うことをやめた瞬間から人は老いる。老いとは成長を失った姿だ。

 孟嘗君と楽毅は勇猛で知られた人物だが、彼らが戦ったのは戦場だけではなかった。将は王ではない。駒(こま)のように扱われることもあった。その中で配下や民を思いやり、大義を追求した。二人は常に風雪にさらされる山頂のごとき高みにいた。

 孟嘗君は楽毅の饗応に対し、細やかな配慮を見過ごすことなく応じた。これが人間と人間の出会いというものなのだろう。心浅くして人を知ることはできない。