2015-04-10

Adrien M / Claire B



2015-04-09

草間彌生











唯識における意識/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

2015-04-08

自己犠牲/『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー


『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー

 ・沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し
 ・自己犠牲

 最も利己的な情熱にさえ、自己犠牲の要素が多分に含まれている。驚くべきことに、極端な利己主義でさえ、実際には一種の自己放棄にほかならない。守銭奴、健康中毒者、栄光亡者たちは、自分を犠牲にする無私の修練において人後に落ちるものではない。
 あらゆる極端な態度は、自己からの逃避なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)以下同】

 間もなく読み終える『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ:阿部宏美訳(紀伊國屋書店、2013年)につながる内容を見つけた。恐るべき偶然である。私のようなタイプは記憶が当てにならないので、やはり本を開くに限る(正確には画像ファイルをめくったわけだが)。

 エリック・ホッファーの抽象度の高さは「学歴がない」位置から生まれたように見える。つまり知識や学説に依存するのではなくして、ひとりの人間として学問に向き合う真摯な姿勢が独自性にまで高められているのだ。本書を開けば立ちどころに理解できる。ここにあるのは「誰かの言葉」ではなく「彼自身の言葉」なのだ。

 過剰な筋肉をまとったボディビルダーや完璧なコスチュームプレイも「極端な態度」である。自己表現というよりは、むしろ表現によって自己を規定する顛倒(てんとう)が窺える。一種のフェティシズム(手段と目的の倒錯)なのだろう。その自己放棄は暴走族と似ている。放棄が「損なう」ベクトルを描く。

 放蕩は、形を変えた一種の自己犠牲である。活力の無謀な浪費は、好ましからざる自己を「清算」しようとする盲目的な努力にほかならない。しかも当然予想されるように、放蕩が別の形の自己犠牲へと向かうことは、決して珍しいことではない。情熱的な罪の積み重ねが、聖者への道を準備することも稀ではない。聖者のもつ洞察は、多くの場合、罪人としての彼の経験に負っている。

 頭の中でライトが灯(とも)った。マルチ商法のセールスや新興宗教の布教はまさしく「放蕩」という言葉が相応(ふさわ)しい。そこには下水のようなエネルギーが溢(あふ)れている。彼らはただ単に洗脳されて動いているわけではなく、自らを罰する(「清算」)ためにより活動的にならざるを得ないのだ。Q&A集に基づくセールストークは「他人の言葉」だ。

「活力の無謀な浪費」で想起するのは、アルコール・ギャンブル・ドラッグなどの依存症だ。共産主義の流行や学生運動の広がりも実際は「放蕩」であったことだろう。

 ある情熱から別の情熱への転位は、それがたとえまったく逆方向であると、人びとが考えるほど困難なものではない。あらゆる情熱的な精神は、基本的に類似した構造をもっている。罪人から聖者への変身は、好色家から禁欲主義者への変身に劣らず容易である。

 信者は教団を変えても尚、信者である。依存対象を変えた依存症患者と同じだ。往々にして情熱は盲目を意味する。走っている人に足下(あしもと)は見えない。自己犠牲という欺瞞は何らかの取り引きなのだ。それゆえブッダは苦行を捨てたのだろう。

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2015-04-07

イーサン・ウォッターズ、町山智浩


 2冊読了。

 30冊目『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』町山智浩(文藝春秋、2008年/文春文庫、2012年)/待望の文庫化。映画評論家として知られる町山はもともと編集者であった。やや砕けた調子なのは若者を想定したためか。日本人が抱く「アメリカ」という幻想を木っ端微塵にしてくれる。またかの国が福音派を中心とするキリスト教原理主義である実態を見事に伝える。「キリスト教を知るための書籍」に追加。因みに宮崎哲弥の最初の編集者が町山であった。年齢も同じ。

 31冊目『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ:阿部宏美訳(紀伊國屋書店、2013年)/期せずしてアメリカ本が2冊並んだ。どちらも収穫が大きかった。4章で構成されているが、第4章が「メガマーケット化する日本のうつ病」となっている。拒食症やうつ病など、病名が広く知られることによって病人が増大する傾向がある。しかもその背景には医師が無意識のうちに患者製造に加担している可能性がある。そして一方には流行の病に冒されることで自己主張をする人々が存在する。これは十分あり得ることである。私流に言えば「脳内情報の上書き更新」である。ひとたび精神疾患という物語が構成されれば、脳や身体(しんたい)は物語に沿って動き出す。文章の行方が時々危うくなるのは英語本文のせいか。もっと思い切った意訳を試みてもよかったのではないか。傑作『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタインとは角度が異なり、社会科学的色彩が強い。そして本書もまた製薬会社の薄汚い手口を暴いている。こちらは近々書評を書く予定だ。

2015-04-04

ラ・ロシュフコーの素描/『月曜閑談』サント=ブーヴ


 ・ラ・ロシュフコーの素描
 ・恐るべき未来予測

 自尊心という家の2階に住んでいる者たちは、階下に住んでいる者たちとは何の関係もないと主張する。したがって彼らは、2階に昇る秘密の階段があることを人に知らせたという点で、ラ・ロシュフコーを許さないのだ。

【『月曜閑談』サント=ブーヴ:土居寛之〈どい・ひろゆき〉訳(冨山房百科文庫、1978年)】

 シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ(1804年12月23日-1869年10月13日)は近代批評の父と呼ばれる作家である。ユゴーやバルザックと同世代。さしずめフランス文学界の三銃士といったところだ。

 まあ見事なアフォリズムである。わずか3行(本文)でラ・ロシュフコーの素描(スケッチ)を描いている。『ラ・ロシュフコー箴言集』(二宮フサ訳、岩波文庫、1989年)は『書斎のポ・ト・フ 』(潮出版社、1981年/潮文庫、1984年/ちくま文庫、2012年)で開高健、谷沢永一、向井敏の3人が絶賛しており、直ぐに読んだのだが二十歳前後ということもあってあまりピンと来なかった。ちょっと調べてみたところ、吉川浩の新訳(角川文庫、1999年)の方がよさそうだ。

 日本の文芸批評を確立した第一人者は小林秀雄で、小林ももちろんサント=ブーヴの影響を受けている。『我が毒』は小林の翻訳。

 フランスは文化の宗主国を自認しているが、ま、連中が図に乗るのも仕方がない。だってこんな名文があるのだから。

 尚、出版社は「ふざんぼう」(冨山房)と読む。硬派の良書を数多く発行している会社だ。『緑雨警語』斎藤緑雨、中野三敏編や『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編など。

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運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)
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小林秀雄全作品〈12〉我が毒
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