2015-05-18

宮城谷昌光


 1冊読了。

 53冊目『他者が他者であること』宮城谷昌光(文藝春秋、2009年/文春文庫、2015年)/文庫化された。私は宮城谷の長篇は好むが、短篇やエッセイはそうでもない。カメラに関する部分は飛ばし読み。やはり創作にまつわるエピソードが面白い。中国古代史を想像力で補う作業の辛労が窺える。売れなかった時代に孤独の中で文体を模索したという。人気作家となった現在でも名文の書写を行っているそうだ。努力には終点がない。

2015-05-15

宮城谷昌光、ケン・フィッシャー、田嶋智太郎、三木成夫


 3冊挫折、2冊読了。

内臓とこころ』三木成夫〈みき・しげお〉(河出文庫、2013年/築地書館、1982年『内臓のはたらきと子どものこころ』改題)/話し言葉が肌に合わず。名著『胎児の世界 人類の生命記憶』を読んだのは四半世紀以上も前のこと。

きっちり儲けたい人のFXチャートの鉄人 必勝分析術』田嶋智太郎〈たじま・ともたろう〉(西東社、2010年)/初心者向けとしては良書。チャートは概念である。その意味で厳密さを求めるamazonレビューは誤っている。

チャートで見る株式市場200年の歴史』ケン・フィッシャー:長尾慎太郎監修、井田京子訳(パンローリング、2010年)/読む人を選ぶ本だ。タイトルに難あり。株式だけではなく米国経済を中心とした各種様々なチャートを網羅している。例えば「電力業界の売上とGNP」「GNPの割合で見た国防予算」「小麦の収穫面積で見る9.6年サイクル」など。チャートという時空が激しく脳を揺さぶる。これははっきり言って紙媒体ではなく、インターネットで行うべき仕事であると感じた。書籍代4104円を年会費とすればいくらでも需要があると思う。

 51、52冊目『天空の舟 小説・伊尹伝(上)』『天空の舟 小説・伊尹伝(下)』宮城谷昌光(海越出版社、1990年/文春文庫、1993年)/夏(か)の桀王と商の湯王の物語でもある。読み終えてから気づいたのだが関龍逢は竜蓬と同一人物だった。三顧の礼は孔明ではなく、伊尹に対して湯王が行ったのを嚆矢(こうし)とする。少々カタルシスが劣るのは時代の重力が強いためだ。「車」というイノベーションが見事に描かれている。

2015-05-14

デイヴィッド・マレル


 1冊読了。

 50冊目『石の結社』デイヴィッド・マレル:山本光伸訳(光文社、1987年/光文社文庫、1989年)/読んだのは三度目か。エピソード小説。過去の物語である。カットバックの多用が裏目に出ている。現在が中々進行しない。『ランボー』シリーズでは禅に筆の冴えを見せたマレルが、本書ではキリスト教の裏面史を綴る。「石の結社」とは「聖なるテロ」の実行部隊であった。十字軍の歴史を交えながら、ドルーは復讐の鬼と化す。出来は『ブラック・プリンス』の方がはるかに上だ。

2015-05-12

人民元はSDR構成通貨に、時期不明=IMF専務理事


 ・人民元はSDR構成通貨に、時期不明=IMF専務理事

ソロス氏:中国経済の衰退が悲劇を招く
ソロス氏、米国に「対中譲歩」を呼び掛け、ネットユーザーが動機を疑う中国人民元をSDR構成通貨に採用、IMF理事会が承認

[上海 20日 ロイター] - 国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は20日、訪問先の上海で、人民元が将来的に、IMFの特別引き出し権(SDR)の構成通貨に採用されるとの見解を示した。

 専務理事は復旦大学での講演後の質疑応答で、「採用されるかどうかの問題ではなく、いつ実現するかという問題だ」と述べた。「依然として多くの作業が必要とされており、これは誰もが認識していることだ」とした。

 IMFは今年中に5年ごとのSDR構成通貨の見直しを行う予定で、人民元の採用を決定する可能性があるとの見方が浮上している。SDRは現在、ドル、円、ポンド、ユーロの4通貨のバスケットで構成されている。

 ラガルド氏はまた、中国の目下の最大の課題は、先進国入りを前に成長が停滞する「中所得国のわな」を回避することだと指摘。経済成長のペースを落とし、質を高めるよう求めた。

 中国の昨年の経済成長率は7.4%と、24年ぶりの低水準に鈍化。IMFは今年は6.8%にさらに鈍化すると予想している。中国政府は7.0%の目標を掲げている。

ロイター 2015-03-21

人民元はIMFのSDRに採用されるのか

佐藤優、手嶋龍一


 1冊読了。

 49冊目『動乱のインテリジェンス』佐藤優、手嶋龍一(新潮新書、2012年)/国際情勢、国内政治を読み解く巧者はこの二人がやはり筆頭株か。沖縄を巡る問題や、鳩山由紀夫のイラン外交失敗がよくわかる。また手嶋龍一の言葉に対する類稀なセンスが光る。ただし「反東京裁判史観」(手嶋)という言葉づかいに二人の性根が透けて見える。テクニカルな点については詳細に及んでいるが、やはり菅沼光弘のような国士とは思えない。双方とも自分のことを時折「僕」と言うあたりに親密さが窺える。