2017-05-24

狙われた弱者/『淳』土師守


 ・狙われた弱者

『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件
神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」
元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って
『心にナイフをしのばせて』奥野修司
大阪産業大学付属高校同級生殺害事件
「感謝の心、忘れずに」=手記で彩花さん母-神戸連続児童殺傷事件

 わが家にとっていつもと変わらぬ土曜日の午後でした。
「おじいちゃんのとこ、いってくるわ」
 ソファーのうしろの6畳間から淳の声が聞こえました。いつの間にか居間のうしろの部屋でジグソーパズルを始めていたようです。
「寒いから、ジャンパー着ていきなさい」
 この日は比較的肌寒い日で、妻はいつも淳が着ているウィンドブレーカーを着ていくよう、声をかけました。
 まもなくバタンとドアの閉まる音がして、淳は家を出ていきました。
 私たち家族は、この時、誰も淳の姿を見てはいませんでした。
 これが、私たち家族と淳との永遠の別れになってしまいました。

【『淳』土師守〈はせ・まもる〉(新潮社、1998年/新潮文庫、2002年)】

 著者は酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件/1997年)で殺害された土師淳〈はせ・じゅん〉君(享年11歳)の父親である。もう一人の犠牲者・山下彩花ちゃん(享年10歳)の母親京子さんが1997年12月に手記を発表している。子供を持つ全ての親御さんに読んでもらいたい。

 土師守さんは医師だ。その珍しい苗字で著書を刊行することにはプライバシーを犠牲にする覚悟が必要であった。努めて冷静に書かれた文章の行間に悲しみが立ち込めている。

「いったい、あのAさんという人は何んやのん? みんなが心配して淳を捜しにいっているというのに、その家の留守番をしながら、たまごっちをふたつも持ち込んでたんよ」
「それを一生懸命に面倒みて、その上、口を利けば自分のとこの子供の自慢話ばっかりして、何んていう人や。あんまり腹が立ったから、姉の私がきましたから、もう結構ですというて、すぐに帰ってもらったわ」
 と姉は怒っていました。

 淳君が行方不明となりPTAや近隣の人々が駆けつけ、皆で捜索する。土師宅の留守番も入れ替わりで行われた。その時のエピソードである。このAさんが実は酒鬼薔薇の母親であった。他にも何度か登場するが明らかに非常識で社会性を欠いた振る舞いが目立つ。加害者の親については山下さんもその不誠実ぶりに苦言を呈している。

 遺体が発見され土師夫妻は須磨警察署に向かった。

 間もなく五十がらみの刑事さんが入ってきて、静かに私たちの前に座りました。
「淳が見つかったんですか」
 私は、刑事さんが口を開く前に、尋ねました。
 その人は、黙ってうなずきました。私が、
「どんな状態だったんですか?」
 とさらに聞くと、刑事さんは、自分の首を指さしながら、
「首から上が見つかりました」
 と、ひとこといいました。
 首から上? 一瞬にして少なくとも、淳がまともな状態にないということが頭を駆けめぐりました。
「ひどい! 怖い!」
「こんなところイヤ!」
 私より妻が先に叫びました。号泣。
 それから、ただ、妻は号泣しました。
 私は、言葉を発することもできませんでした。

 しかも後に判明することだが淳君の生首は中学の正門に置かれ、口は耳まで切り裂かれていた。そして口の中には「酒鬼薔薇聖斗」なる名前で犯行声明文が挟まれていた。


 淳君には知的発達障碍があった。以前、少年Aからいじめを受けていた。Aは「殺したい欲望」を自分より弱い者に向けた。淳君の死因は絞殺であるがあっさりと死んだわけではなかった。

第三の事件

 少年法の一番の問題は「『罪を犯したらそれに相応する罰が加えられる』という応報概念が現行法には全く見られない」(少年法に関する基礎知識)点にある。法の目的は社会秩序の維持にある。チンパンジーの群れは20~100頭(チンパンジーについて)でルールを破った者はその場で殺される。人類は近代以降、魔女狩りなどを経て私刑を禁じた。数千万人から数億人単位の国家というコミュニティを形成したヒトは法律に則って暮らすこととなる。

 異常者は法律を軽々と超え、コミュニティを崩壊する。社会から隔離するのは当然であり、日本国民の80%以上は死刑もやむなしと考えている。これに対して左翼系弁護士は声高に人権を唱え、反対運動を展開してきた。古くは永山則夫連続射殺事件(1968年)が知られる。酒鬼薔薇事件でも彼らは少年Aを擁護した。

 私は少年Aに生きる資格はないと考える。もしも私が彼の親であれば迷うことなく自分の手で始末をつけるだろう。

 事件から20年が経過した。

【神戸連続児童殺傷20年】「生きている限り、償い…」加害男性の両親、連絡取っているが会ってない 書面で心境

 神戸市須磨区で平成9年に起きた連続児童殺傷事件で、小学6年だった土師(はせ)淳君=当時(11)=が殺害されてから24日で20年となるのを前に、加害男性(34)の両親が代理人の弁護士を通じ、報道各社に文書で現在の心境などを明らかにした。男性とは連絡を取り合っているが直接会ってはいないとみられ、「生活状況は分からない」という。遺族や被害者に対しては謝罪の言葉を繰り返し、将来的に男性から事件の真相を聞き取って遺族らに伝えたいとの希望も明かした。
 両親はこの20年を振り返り、「被害者遺族の方々には大変申し訳なく思っています。年月が流れるにつれ、怒り、悲しみ、憎悪は増していると思います」と改めて謝罪。「生きている限り、ご冥福を祈りながら償いをさせていただきたい」とした。
 男性とはたまに連絡を取り合っているが、生活状況については話してもらえないといい、「(男性が)心配をかけないようにしているのではないか」との見方を示した。会うことはできていないとみられ、「長い時間がかかると思いますが、少しずつ色々な話をしていきたい。本人自身が私たちに会いたいと思う気持ちになるまで待ち続けたい」とした。
 さらに、男性が平成27年6月に手記「絶歌」を出版したことについては「順序を間違えている」とする一方、「少年院を退院してからの様子など一部が分かった」と言及。「(男性から)まだ何も聞けていないという思いがある」と明かし、「何とか会って『絶歌』を出したことや事件の真相について聞きたい。それがかなえば、ご遺族にもお伝えしたいと考えております」とした。

【産経WEST 2017年5月23日】

 二人の児童を殺意満々で殺しても14歳というだけで死刑を免れるのが腑に落ちない。更生の可能性を考慮するのもおかしな話だ。飽くまでも犯した罪を見つめるのが筋ではないのか。

 脳が「なぜ?」という物語(因果)から自由になることはない。本当は幸福も不幸も幻想なのだろう。仏教では殺人といえばアングリマーラのエピソードが必ず引き合いに出されるが、サンガと国家を同列に論じることはできない。

 その後、佐世保小6女児同級生殺害事件(2004年)、佐世保女子高生殺害事件(2014年)などが起こっている。定期的に心理テストなどを行い、異常性を早期発見する手立てが必要ではないか。

2017-05-20

スマックボールの壁打ちに関する覚え書き


 ・バドミントン~自宅で壁打ちをする方法(スマックボール)
 ・スマックボールの壁打ちに関する覚え書き

 先日、初めて橋脚で壁打ちを行った。実際にシャトルを打ってみるとやはり勝手が違う。不規則なバウンドが多く、1時間ほど頑張ったのだが50回続けるのがやっとだった。スマックボールの欠点は何と言ってもインパクトの弱さにある。そしてガットが少しずつスマックボールを削ってゆく。意外と無視できないほどのゴミが生じる。

 あれこれと思案した結果、妙案が浮かんだ。素振り用のラケットカバーを着用するのだ。風の抵抗でインパクトの弱さをカバーできるしゴミも出ない。早速注文したのだが、やはり正解であった。カバーの風圧で恐ろしいほど変化する。100回くらい打っていると手首が疲れてくる。

 amazonは高いので楽天での購入を推奨する。

認知革命~虚構を語り信じる能力/『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ


物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・読書日記
 ・目次
 ・マクロ歴史学
 ・認知革命~虚構を語り信じる能力
 ・イスラエル人歴史学者の恐るべき仏教理解

・『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』ユヴァル・ノア・ハラリ
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

世界史の教科書
必読書リストその五

 今からおよそ135億年前、いわゆる「ビッグバン」によって、物質、エネルギー、時間、空間が誕生した。私たちの宇宙の根本を成すこれらの要素の物語を「物理学」という。
 物質とエネルギーは、この世に現れてから30万年ほど後に融合し始め、原子と呼ばれる複雑な構造体を成し、やがてその原子が統合して分子ができた。原子と分子とそれらの相互作用の物語を「化学」という。
 およそ38億年前、地球と呼ばれる惑星の上で特定の分子が結合し、格別大きく入り組んだ構造体、すなわち有機体(生物)を形作った。有機体の物語を「生物学」という。
 そしておよそ7万年前、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、なおさら精巧な構造体、すなわち文化を形成し始めた。そうした人間文化のその後の発展を「歴史」という。
 歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約7万年前に歴史を始動させた認知革命、約1万2000年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか500年前に始まった科学革命だ。三つ目の科学革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分ある。本書ではこれら三つの革命が、人類をはじめ、この地上の生きとし生けるものにどのような影響を与えてきたのかという物語を綴っていく。

【『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(上下)ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(河出書房新社、2016年)以下同】

 高い視点が抽象度を上げる(『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人)。しゃがんだ位置から見える世界と高層ビルから見下ろす世界は異なる。宇宙空間から俯瞰すれば全くの別世界が開ける。

 約7万年前から約3万年前にかけて、人類は舟やランプ、弓矢、針(暖かい服を縫うのに不可欠)を発明した。芸術と呼んで差し支えない最初の品々も、この時期にさかのぼるし、宗教や交易、社会的階層化の最初の明白な証拠にしても同じだ。
 ほとんどの研究者は、こられの前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起こった革命の産物だと考えている。(中略)
 このように7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを「認知革命」という。


 歴史の痕跡が人類における革命を物語っている。認知革命とは言葉の獲得によって虚構(フィクション)を想像し、虚構を共有することで集団の協力が可能となったことを意味する。言語-社会化という図式は誰もが何となく気づくことだが、実は言語そのものが虚構である。

 共同が協働に結びつき、その過程で表現する力が養われたのだろう。「見てくれる人」がいなければ表現という欲求は生まれない。そして新たな表現が言葉をより豊かに発展させ神話や宗教が生まれる。

 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。
 現実には存在しないものについて語り、『鏡の国のアリス』ではないけれど、ありえないことを朝食前に六つも信じられるのはホモ・サピエンスだけであるという点には、比較的容易に同意してもらえるだろう。(中略)
 だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、【集団】でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。

 たぶん宗教は天候不良や災害の説明から始まったのだろう。雷を「天(神)の怒り」と想像するのはそれほど難しいことではない。日本では稲妻(元は稲夫〈いなづま〉)が受精して米という実りをもたらすと考えられてきた。

 岸田秀が語った「共同幻想」をユヴァル・ノア・ハラリはより学術的に精緻な検証を試みる。信仰や政治、そして恋愛や戦争もフィクションなのだろうか? そうだとすれば我々が感じる幸不幸は妄想である可能性が高い。

 我々は何となく言葉の虚構性に気づいている。だからこそスポーツに熱狂し、歌詞のない音楽の虜(とりこ)となり、性行為に溺れるのだろう。本来であれば言葉はコミュニケーションの道具に過ぎないのだが、言葉以外のコミュニケーションを失ってしまった。

「理解というものは、私たち、つまり私とあなたが、同時に、同じレベルで出会うときに生まれてきます」(『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ)。人間と人間の出会いを言葉が妨げている。知識はあっても知性を欠き、語られる愛情は欲望に基づいている。

 虚構は国家という大きさにまで拡張した。更に大きな虚構を人類は手にすることができるのだろうか? それとも虚構を捨て去って全く新しい生き方に目覚めるのだろうか?



信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
現代の華厳経/『アファメーション』ルー・タイス
人種差別というバイアス/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

2017-05-19

侠気と詭弁/『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労


『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

 ・侠気と詭弁
 ・夢野京太郎とは

『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎

「自由な言論」はゆきつくところ、もの書く場を失っていく。

【『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労〈たけなか・ろう〉(幸洋出版、1983年)】

 コアなファンが多い竹中労だが元新左翼であることが見逃せない。左翼は元々暴力革命を標榜しているが、その既成左翼を批判し急進的な革命を目指すのが新左翼である。21世紀であれば立派なテロリストとして認定できる。その竹中が創価学会にエールを送る。創価学会が言論出版妨害事件(1960年代末-1970年代)や宮本顕治宅盗聴事件(1970年)を起こし、日蓮正宗宗門との紛争によって池田大作が会長辞任(1979年)に追い込まれた後のこと。創共協定(1974年)が事実上頓挫しこととも関係があるのかもしれない。

 竹中はその後『聞書・庶民烈伝 牧口常三郎とその時代』(全4冊、潮出版社、1983〜1987年)を月刊誌『潮』で連載するが、編集部の方針と相容れず中途半端な形で終わってしまった。

 読んでから10年近く経過しているためテキストを見ても文脈が思い出せない。どんどん紹介してしまおう。

 一方的な敵意をエスカレートさせるのみで、問題の本質に迫る論争が不在であるこのような力関係で、“勝敗”をきめるのは結局、物量の差でしかあるまい。
 ――「言論の自由」は、多数派工作で獲得される。それが、民主主義である。世論によって人々は判断し、善と悪とを弁別する。だが、その世論をつくるのはマス・コミュニケーション、大衆操作の力学である。圧殺されるマイノリティ、「自由な言論」は、ついに抵抗の手段を持たないのだ。

 更にこう続ける。

 中立公正を守ろうとすれば、そうした客観主義にジャーナリズムは純化していく。【そこに陥穽がある】。言論・思想の統制は、強権によるものとは限らない。言論と言論・思想と思想とが火花を散らして闘い、黒白を争うことを“表現の自由”というのだ。事実に是(これ)を求めて(実事求是)、主張を読者大衆に問うのが、ジャーナリズムの仕事(使命などとあえて言うまい)である。論理を失った感情のせめぎあい、根拠を持たぬ醜聞の氾【乱】と等しく、死灰のような自主規制は報道の頽廃である。

 旧ブログ(はてなダイアリー)に抜き書きをアップしていたのだが、『折伏 創価学会の思想と行動』との関連を考慮してこちらに移動した次第である。

 今読むともっともらしい詭弁に思える。また当時はインターネットがなかったことを考慮する必要があるだろう。1980年代には週刊誌が執拗に創価学会バッシングを繰り返していた。竹中の侠気(おとこぎ)は称賛に値するが、政党を有する750万世帯のマンモス教団を「マイノリティ」と同列に扱うのは無理がある。

 1980年代から90年代にかけての創価学会を巡る言論については以下のページが詳しい。

創価学会のこと(「創価学会批判」論序章)1

 時折、ジャーナリストが自虐的に売文業と自称することがある。新聞といえども商業ジャーナリズムであり、テキストは広告や金銭と交換される商品となったのが現実である。ゆえにジャーナリストは「書きたいこと」と「売れる商品」の間で揺れ、自分なりの折り合いをつけるしかない。

 ま、「ジャーナリズムは既に死んだ」と言っても差し支えないだろう。小さな範囲で取材をして、でかい顔をするのが連中の生態だ。

2017-05-17

大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし


『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎

 ・恵まれた地位につく者すべてに定数がある
 ・大衆運動という接点

『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労
『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』矢野絢也
『「黒い手帖」裁判全記録』矢野絢也
『乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也

 学会の用いる折伏は、単なる説得ではない。一個の人格を社会的、経済的、心理的諸要素、それも主として弱点から攻撃し、批判し、いわば逆さにふって血も出ないところまで追いつめる激しさと執拗さをもっている。背後には確固とした対話の技術を準備している。
 このことは、伝統的に対話の習慣に馴れていない、“ものいわぬ”日本の民衆を、驚愕させ、呆れさせ、果ては反発させる。人生の途上に現れた異質の体験なのだ。(柳田邦夫)

【『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし(産報ノンフィクション、1963年4月15日)以下同】

 古い書籍で――因みに私が生まれる3ヶ月前に刊行されている――創価学会員ですら読んでいる者が少ない。少し前まで入手困難であったため地元図書館にリクエストを申請し取り寄せてもらった。

 書き手の中心にいる鶴見俊輔(1922-2015年)は谷沢永一が「『ソ連はすべて善、日本はすべて悪』の扇動者(デマゴーグ)」と批判した(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』)進歩的文化人の一人だ。

「鶴見氏は一九三七年に、一五歳でアメリカに留学して都留氏に出会って以来、『世界史の中の日本の動きについて、この七○年、時代の区切り目ごとに、私は都留重人から示唆を得てきた』」(季刊誌『考える人』二○○六年夏号)との文章を今見つけた。都留重人(1912-2006年)の妻は木戸幸一(1889-1977年)の姪(めい)で、木戸の戦争責任を回避するために暗躍したマルクス主義者である。

伊原吉之助教授の読書室:木戸幸一の保身

 上記論文で挙げられた書籍を私は一通り読んだ。確証を欠くのは確かだが状況証拠は揃っているように思われる。

 日本の近代史が今尚モヤモヤとしているのは左翼が果たした役割がまだ明らかになっていないためだ。GHQ内部の左翼は大半がニューディーラーであった。そもそもフランクリン・ルーズベルト(1882-1945年)大統領がソ連建国にエールを送り、スターリン(1878-1953年)と親しい間柄であった。ルーズベルトの周辺はコミンテルンのスパイだらけで、日本を戦争に追い込んだハル・ノートを起草したハリー・デクスター・ホワイト(1892-1948年)もその一人である。第二次世界大戦は左翼スパイが世界各国で暗躍した事実を忘れてはならない。

ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた/『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 一方、創価学会は元々保守主義・民族主義的色彩が強かった。


 牧口常三郎(初代会長/1871-1944年)と戸田城聖(二代会長/1900-1958年)は大日本皇道立教会(1911年創立)に参加している。上の画像の後列左端が牧口で、後列の右から二人目が児玉誉士夫(1911-1984年)である。創価学会は戦時中に治安維持法と不敬罪で弾圧されたが、決して反天皇制というわけではなく学会員の行き過ぎた折伏が招いた結果であった。

 ところが池田大作(三代会長/1928-)の時代になると左方向に大きく旋回した。平和主義・国際主義を前面に打ち出し、共産主義と全く同じ手法で組織拡張に成功した。池田は卓越したオルガナイザーであった。

グローバリズムと共産主義は同根/『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

 本書刊行が1963年で、松本清張(1909-1992年)の仲介による創共協定(日本共産党と創価学会との合意についての協定)が結ばれるのは1974年のこと。松本清張は偶然の産物としているが、とてもそうは思えない。

 わたしはあるチンドン屋の娘を知っている。チンドン屋夫婦の子として生れ育ったかの女には大きな劣等感が渦巻いていた。頭もいいほうではない。学校にも行けなかった。貧困が家庭を破壊していたのだ。くわえてかの女は弱身で蓄膿症をはじめいくつかの病気をかかえていた。わたしはそんなかの女と、ときおりあう。かの女は女中のごとく家の中のこまごまとした仕事やチンドン屋仲間の飯づくりに多忙であったが、映画や小説が好きで暇さえあれば楽しんでいた。
 わたしがそういう映画の感想をきいても、批評はおろか感想もいえなかった。ただ読み観るというだけの話だった。強い意見があるわけでもないかの女にはそれが、他のふつうのひとたちと同様、とうぜんのことであった。
 しばらくわたしはかの女と会わないでいた。わたしはかの女の存在を忘却していた。ふつうの、平凡な、ありきたりの娘だったので、軽い同情があっても、忘れるのがあたりまえだ。ところがしばらく会わないでいると、かの女のほうから訪ねてきた。顔がいきいきとしている。さては、恋人でもできて劣等感から解放されたのかな、と思った。映画の帰りだという。そうしてペラペラと、その映画の批評をする。わたしはあっけにとられる思いでかの女をみつめた。かの女は、その映画の主人公の生き方を痛罵しているのである。わたしは愉快になって、ひとつふたつ反問すると、まえにはわたしの説明を素直にきいた娘なのにむきになって、反論して、自説を固く守る。それでいて、つっけんどんな調子はまったくなく、柔軟な口調である。わたしはますます驚いた。劣等感で口もきけなかったあの娘が、いま面前で、にこやかに微笑してい、自信をもって、映画批評をしている。ひらかれた瞳は、まっすぐにわたしの眼に注がれ、まばたきもしないのだ。
 かの女は、やがて平和であるとか、ふつうの日本人のまず口にしない言葉を平気で使いだした。使命というようなききなれぬ言葉も使った。そのときはそれでかの女は去っていった。わたしは間もなく、かの女が創価学会にすでに入会している信者であることを知った。入会前のかの女と、入会後のかの女の、その見事な変貌ぶりに、わたしはあらためて創価学会のちからを知った。まさにかの女は、ふつうの人から、信念の人に、かわったのである。
 自殺でもしなければよいが、とわたしは思っていた。そんなかの女が、見事に、自分を回復したのである。あの暗い、蔭のような存在であった日本の娘が、平和を説き、仏法を説くのである。わたしには仏法のことなど、どうでもいい、一人の日本の娘が、自分でちゃんと大地に立った、という事実が感動をあたえるのだ。(森秀人)

 これが「人間革命」の姿である。1960年代という時代背景を思えば左翼のオルグ活動と創価学会の折伏がぶつかることは珍しくなかったに違いない。例えば石牟礼道子のこんな証言がある。

石牟礼●国も行政も地域社会も担いませんから、全部引き受け直して自覚的になって、もうゆるす境地になられました。未曽有な体験をなさいましたが、もう恨まず、ゆるす。ゆるさないとおもうと、きつい。もうきつい。いっそう担い直す。人間の罪をみなすべて引き受ける。こう言われるようになったのです。これは大変なことなのです。今まで水俣にいて考えるかぎり、宗教も力を持ちませんでした。創価学会のほかは、患者さんに係わることができなかった。

【『石牟礼道子対談集 魂の言葉を紡ぐ』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(河出書房新社、2000年)】

 水俣病は1952年から1960年代にかけて被害者を出した公害病である。石牟礼は心情左翼あるいは同調者である。デビュー作『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)が傑作であることは確かだが、石牟礼は後にフィクションを盛り込んでいることを白状している。「必読書」に入れてないのもそのためだ。チッソ株式会社が当時の法律を遵守していた事実を見失ってはならない。

 創価学会はその進軍の度合いにおいて既に左翼を凌駕していた。学会員も貧病争を克服するために必死であったのだろう。だが単なるご利益信仰ではなく、教学を通した人材育成が強靭な組織を築き上げた。左翼が親近感を抱いたのは大衆運動という接点によるものだ。

 邪教であろうとなんであろうと、創価学会のいうとおり信心すれば人間とその社会が幸福になるものならば、それはいいことだ。商人の口車にのって買った品物がよいものならばそれはそれでいい。そうして、現実に、創価学会に入って自信をもち、明るく、幸福そうになった多くの人間がいるのである。すくなくとも創価学会は、自殺王国の日本にあって、自殺者の数をできるかぎりすくなくした第一の団体であることに間違いはない。学会がファシズムにおもむくことを恐れるまえに、われわれは、われわれの喪失した人間の原理について、もう一度ふかく反省しなければならない。果してわれわれは、あの信者たち以上に生きているのであろうか。あの信者たちのように自信をもって、感動し、欲求し、行動しているのであろうか。人間としてどちらが、解放されているのであろうか。戸田城聖ではないが、勝負してみなければならぬだろう。そうして負けたと思ったら一度は創価学会に入るべきである。負けぬと思った者は、自分の考える〈創価学会〉を創るべきである。どちらでもない者は、黙って沈黙していればいい。それが自然の掟なのである。(森秀人)

 こういう視点が侮れない。知性とは事実をありのままに見つめることだ。激しい折伏は世間から反発を買い、創価学会は白い目で見られていた。実際の姿を見たとしても簡単に先入観を払拭できるものではない。学生運動は血なまぐさい暴力闘争に向かうが、創価学会には確かな明るさがあった。これほどの理解を示すところに左翼の懐の深さを感じる。

 なぜ日蓮宗(※北一輝、石原莞爾、宮沢賢治、妹尾義郎、立正佼成会、創価学会、日本山妙法寺など)だけが近代日本において、思想としての活力を保ち得たのか。その答えは、ほかの仏教諸流派とちがって、日蓮宗が、外国人であるシャカから日本人である日蓮に、崇拝の対象を移し、日本の問題を宗教的関心の中心にすえたことにある。日本をどうやって救うか、それが宗教としてのもっとも重要な問題とされた。正しい方向から政府がそれた時には、政府をいさめ正さなければならぬ。国家をいさめ正すことを宗教者の任務とし、そのことに命をかけたところに、日蓮の本領があった。そしてこれは、近代の市民の政治的権利の自覚ときわめて近しいものなのだ。(鶴見俊輔)

 私は「市民」という言葉を見掛けたら眉に唾をつけることにしている。鶴見の文章は典型的なプロパガンダで日蓮を左翼的視線で眺めているだけのことだ。森秀人の率直さが鶴見にはない。

 その後、創価学会が作った公明党が先導して日中国交回復(1972年)が実現する。池田大作の民間外交は緊張関係にあったソ連と中国をも融和させた。日本共産党がやりたくても出来なかったことを果たしたのだ。一方的な礼賛でもなく、浅はかな誹謗中傷でもなく、きちんとした評価と批判を行うべきだろう。

折伏―創価学会の思想と行動 (1963年) (産報ノンフィクション)
鶴見 俊輔
産報
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