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『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
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『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス
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『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
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『うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる!』藤川徳美
・現実の虚構化
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『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁
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『大豆毒が病気をつくる 欧米の最新研究でわかった!』松原秀樹
コレステロールとスタチン(訳注:世界中でもっとも売られているコレステロール低下薬、総称名)の問題は、どう見ても、途方もない医学的・科学的詐欺である。しかも現代社会、ポストモダン社会で前例のない詐欺である。これが私の結論だ。
大多数の専門家や一般大衆に非常識な考えを認めさせるために、恐ろしく手の込んだプロパガンダと情報操作が行われたのである。(序文)
【『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル:浜崎智仁〈はまざき・ともひと〉訳(篠原出版新社、2009年)以下同】
コレステロール値が低ければ低いほどよいとする考えを支持する科学的データはないという。つまりコレステロールという名の悪魔を作り出すことに製薬会社は成功したわけだ。当たり前のことだが薬はもともと毒である。健康な人が服用することはない。毒をもって毒を制すのが薬の役割だ。著者の指摘が正しければ副作用を避けられないことだろう。
20世紀末には、もっと手の込んだプロパガンダが登場した。これはコレステロール学説の不合理な成功を理解するうえでも興味深い。このプロパガンダのテクニックを用いた新たなマーケティングは【ストーリーテリング】と呼ばれる。この悪夢を理論的に解明しているクリスティアン・サーモンは以下のように説明している。
「人間の想像力に対してピストルを突きつけることであり、合理的理性に取って代わるしゃべる機械である…この新たな『語りの秩序』は、思考を罠にかけるメディア的ニュースピーク(訳注:新語法ともいう。ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』に描かれた架空の言語。作中の全体主義体制国家が英語を基に作っている新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、党のイデオロギーに反する思想を抱かないようにして、支配を盤石なものにすることである)の創造以上のものとなるだろう。つまり、この『語りの秩序』が画一化しようとする個人とは、架空の世界に呪いをかけられ、そこに埋没した人たちなのだ。その世界では知覚は検閲され、感情は刺激され、行動や思考は枠に嵌められている」
コレステロールの問題、およびその問題が消費者ばかりか医師の側にも引き起こした行動は――私たちの社会で今日観察される行動――この「現実の虚構化」に対する顕著な反応である。「現実の虚構化」は私たちの日常のいたるところで、日々発生している事態だ。ホワイト・ハウスの【スピン・ドクター】たちは戦争を正当化するためにイラクの大量破壊兵器をでっち上げた。一方、製薬業界の【スピン・ドクター】たちも彼らの戦争を正当化するためにコレステロールを不倶戴天の敵としてでっち上げた。バーチャル・リアリティを創り上げ、疑う能力を停止させること、これが【ストーリーテリング】によるプロパガンダの真骨頂である。
製薬会社は「患者を消費者」に変えるマシンだ。そのために「投薬=治療」という物語を編み出す。更には病気という不安をこれでもかと煽り立て、溺れる者に藁(わら)を示すのだ。患者が望むのは治癒であるが消費者が求めるのは購入に過ぎない。しかも薬には一定のプラシーボ(偽薬)効果が認められる。恐ろしいことに高価な薬になればなるほどプラシーボ効果は高まる。つまり効果は高価というわけだ。
『一九八四年』は全体主義を戯画化した傑作だが、我々が生きる社会(群れ)は大なり小なり全体主義化を避けることができない。民主政は少数の犠牲の上に多数の幸福を築くシステムである。日本の安全保障のためには沖縄県民に我慢してもらう必要があるというわけだ。政治がわかりにくいのは政治家が「国民」を語りながら、特定の利益団体のために働いているからだ。彼らもまた「現実の虚構化」を試み、一部の問題があたかも全体の問題であるかのように絵を描き、言葉巧みに飾り立てた政策を喧伝する。財務省にとっては増税こそ正義であり、大企業にとっては安価な労働力としての移民政策が理想となる。
政治・経済・学術・教育のありとあらゆる社会で「現実の虚構化」が繰り広げられる。最もわかりやすいのは宗教であろう。そして罪と罰を規定し幸福と恩寵を与える彼らが望むのもまたカネである。布施・寄付・賽銭・喜捨を不要とする宗教は存在しない。
一切は経済化する。そこに流通する最大の情報は「マネー」である(『
浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード)。我々が普段考える情報はマネーにとっての付加価値でしかない。ここに「現実の虚構化」=プロパガンダの目的がある。我々は「カネがなければ生きてゆけない」と信じて疑うことがない。もはや完全なマネー教徒である。とすれば騙される度合いの問題であって、被害の大小が幸福のバロメーターと化すことだろう。