・『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正
・『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
・あなたが1日に使えるエネルギーの総量とその配分の仕方は法則により制限されている
・『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴
・『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
・『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ
・『データ資本主義 ビッグデータがもたらす新しい経済』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ
・『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓
・『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
・『アフターデジタル2 UXと自由』藤井保文
・『UXグロースモデル アフターデジタルを生き抜く実践方法論』藤井保文、小城崇、佐藤駿
・『アフターデジタルセッションズ 最先端の33人が語る、世界標準のコンセンサス』藤井保文監修
これらの方程式が自然法則の基本であり、それらがすべて保存則、とくに「エネルギーの保存則」から派生する式だとすれば、「エネルギー」の概念こそが、自然現象の科学的な理解の中心にあることは疑いない。
実は、このエネルギーの概念が、形を変えてあなたの今日の時間の使い方と関係があるのである。あなたが1日に使えるエネルギーの総量とその配分の仕方は、法則により制限されており、そのせいであなたは意思のままに時間を使うことができないのだ。
あなたのまわりで起きているあらゆる現象や変化には、エネルギーが必要である。エネルギーはいろいろな形態で蓄積され、あらゆる現象に関わっている。原子力のエネルギーもあれば、化学エネルギーもあれば、熱エネルギーもあれば、電気エネルギーもある。
エネルギーは形こそ変えるものの、トータルでは、増えもしなければ減りもしない。宇宙も地球も常に変化しているように見える。しかし、エネルギーは一定で増えも減りもしない。
それでは、なぜ世界は変化するのだろうか。目に見えるあらゆる変化は、実は、エネルギーが別のエネルギー形態に変わることで起こる。たとえば、リンゴが木から落ちるとき、リンゴの重力エネルギーがリンゴの運動エネルギーに変化している。しかし、合計は少しも変化しない。総量は変わらず、その「配分」が変わるのである。
逆に、配分を変えても実現できない変化は起きない。たとえば、低いところにある物体が、力を加えないのに自然に高いところに昇(ママ)ることはない。これはエネルギーを新たに生み出していることになるからだ。配分を変えることでは実現できない変化である。エネルギーの配分という見方が、科学的に起きうることと起きえないことを明らかにする。
この300年の物理科学の歴史は、突き詰めれば、あらゆる自然現象をこのように「エネルギーの配分」という統一原理によって説明することであった。
【『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』矢野和男〈やの・かずお〉(草思社、2014年/草思社文庫、2018年)】
ウェアラブル(wearable)は「着用できる、身につけられる」との意(著者は「ウエアラブル」と表記している)。
上記テキストは実験データに基づいている。矢野は自ら立ち上げたプロジェクトでリストバンド型ウェアラブルセンサを8年間にわたって装着。1秒間に20回も計測するこのデータによって、いつ寝返りを打ち、いつ作業に集中していたかが解析できる。つまり「左手の動き」という取るに足らないデータであってもビッグデータ化することで思わぬ人間行動や社会現象を探ることが可能になったのだ。
私は先週の金曜日まで休みなしで21日間働き詰めだった。金曜日はいくつかの予定をやり過ごし、昨日は修理したバイクでツーリングにでも行こうと考えていた。ところが2~3km進んだところで何となく引き返してきた。夜は久し振りにウォーキングをしようと家を出たものの、やはり2~3kmで戻った。何となく疲労の蓄積が霧のように体を取り巻いていた。昨夜は22時に寝た。4時に目が醒めた。再び寝転がった。時計を見ると8時だった。結局起きたのは13時のこと。15時間も寝てしまった。
私の場合、保存則は睡眠時間にはっきりと現れる。基本的に寝ないと駄目なタイプである。その代わり寝てしまえば、そこいらの男の3倍くらいのパワーを発揮する。
「エネルギーを使えばつかうほど時間が早く進む」という本川達雄の指摘とも重なる(『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』)。多分、竜宮城では時間がゆっくり進んでいたのだろう。浦島太郎が一瞬で老け込んだのもエネルギー量の違いに原因を求めることができよう。
一つ疑問に思ったことは、スポーツ選手の場合どうなるのか? マラソン選手が短命な事実は知られているが高々数年程度である。その運動量を思えば辻褄が合わないような気がする。