・『国家の品格』藤原正彦
・『日本人の誇り』藤原正彦
・『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
・左翼と保守の顛倒
・米ソ冷戦後、左右の構図が変わった
・民主政の欺瞞
・『反・幸福論』佐伯啓思 2012年
・『さらば、資本主義』佐伯啓思 2015年
・『さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす』佐伯啓思 2017年
・『「脱」戦後のすすめ』佐伯啓思 2017年
・『「保守」のゆくえ』佐伯啓思 2018年
・『死と生』佐伯啓思 2018年
・『死にかた論』佐伯啓思 2021年
・日本の近代史を学ぶ
この図式が意味することは何なのでしょうか。
憲法にせよ、教育基本法や戦後教育システムによせ、戦後日本の体制の基軸です。戦後日本の国の柱は、公式的に言えば、国民主権、基本的人権、平和主義を三本柱とする憲法、そして、自由と平等、個性尊重を掲げる戦後教育です。
「左翼」は、この戦後体制を守ろう、もしくは、その理念をもっと実現しようと言っている。戦後の認識について言えば、左翼は徹底して「体制派」です。いわば「戦後体制」の優等生が「左翼」ということになります。
これに対して、むしろ、「保守」のほうが「反体制的」と言えます。少なくとも心情的には、戦後社会に強い違和感を持ち、憲法や戦後教育に対して批判的です。
左翼=反体制派、保守=体制べったり、と多くの人が思っています。だが、これはかつての話、冷戦体制時代のことです。冷戦体制のもとでは、確かに、左翼は、あわよくば革命でも起こして社会主義を実現したい、と考えていた。これは確かに反体制的でしょう。これに対して、保守のほうは、自由主義的な資本主義陣営を守りたい、と考えている。その意味では、体制派でした。
しかし、冷戦は終わりました。すなわち、もうこのような図式は成り立たない、ということです。実際、「左翼」が「サヨク」に変わったとき、進歩主義運動は、もはや、体制を変革して、社会主義のような新たな社会をつくり出すのではなく、自由や民主主義、人権、平和主義などを謳(うた)った戦後日本を全面的に肯定し、ともかくも、戦後日本というその枠組みを守っていくという体制的なものへと変わってしまったのです。
それに比べ、冷戦以降、いわゆる「保守」の側からこそ、戦後日本を変えていこうという様々な問題が提示されてきました。近年、もっとも真正面から「保守」と唱えた安倍元首相の掲げたテーマからして、「戦後レジームからの脱却」だったのです。
これは、「戦後体制」の根本的変革、ということです。これほどまでに正面から、「現体制」の変革を唱えた政治家はいません。しかも政権政党の党首で、一国の首相が、「現体制」の変革を訴えるという、驚くべき提案です。
しかし、「左翼」はこれに反対した。ある左翼のコメンテーターが、テレビで「いったい、体制を変える、などということをしてもいいのでしょうか」などというコメントをしていました。左翼と言えば「反体制」の代名詞だった時代を思うと、冗談のような話です。
【『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思〈さえき・けいし〉(幻冬舎新書、2008年)】
テキストは前回の続き。戦後教育は「日本を嫌いにするための教育」だった。特に愛国心はタブーであった。愛国は右翼の看板だった。で、右翼とは街宣右翼を意味した。民族派の台頭も功を奏したとは言い難い。
GHQによる占領期間が日本史の空白期間であったとしても、それだけで戦後の動きを全部GHQにするのはお門違いだ。戦前に大いなる嘘があったのだろう。そう考えなければ平仄(ひょうそく)が合わない。「戦後体制」を敷いたのはGHQだが、それをよしとしたのは戦後の日本人である。
政府与党は、日教組や日弁連、あるいは新聞社やテレビ局を長らく放置してきた。竹島も放置し、尖閣諸島も放置しつつある。極めつけは拉致被害者の放置だ。そして今、虐殺され、生きながら臓器を抜かれるウイグル人をも放置しようとしている。