2022-02-09

アリストテレスとキリスト教会/『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史


『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで』松田卓也、中沢清
『科学と宗教との闘争』ホワイト

 ・『バッハバスターズ』ドン・ドーシー
 ・時間の矢の宇宙論学派
 ・アリストテレスとキリスト教会

『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也
・『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』ブライアン・グリーン

時間論
必読書リスト その三

 宗教、政治的権威から離れ、実利的目的からすら離れた自然現象や天文学の研究は、紀元前6世紀にイオニアの自然哲学者とよばれる一群の思索者達の出現を待たなければならなかった。有名なとこでは自然哲学の祖とされ、万物の根源は水としたターレス、後に南イタリアに移った数学のピタゴラス、原子論を唱えたデモクリトスなどがいる。ターレスは紀元前585年5月28日に小アジアで起こった日食を予言したと伝えられている。またピタゴラスは地球が丸くかつ自転しており、天体の運動は円運動であると唱えた。宗教あるいは政治的権威に支えられることなく、無為無用の哲学者が存在できたのは、オリエント社会にはなかった自由な精神といったものがギリシャのポリス社会にあったからだろう。もっとも奴隷の存在の上にたった自由ではあるが。
 その後プラトン、アリストテレスが現れ、ギリシャの自然哲学は完成されていく。

【『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也〈まつだ・たくや〉、二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉(丸善フロンティア・サイエンス・シリーズ、1987年)以下同】

「奴隷の存在」をきちんと指摘しているところを見逃してはなるまい。我々日本人だけがストレートに批判できる資格があるのだ。国家という枠組みで見れば、奴隷がいなかったのは日本くらいなものだろう。天皇陛下を中心とする一君万民思想があったればこそである。江戸時代の士農工商は職能に重きを置いた身分であったが、ヨーロッパのような階級社会となることはなかった。

 アリストテレスによると宇宙は有限であり、地球を中心とする九つの球面があり、太陽、月そして火星や木星といった惑星が一つ一つの球面にくっつき、一番遠くの球面に恒星がくっついているという。今日のわれわれから見れば滑稽なモデルであるが、観測技術が未熟で精密な観測ができず、また観測そのものにあまり価値をおかない当時にあってはモデルの論理的な無矛盾性と美しさが最も重要であった。その点からみるならアリストテレスの宇宙論はうまくできている。たとえば、一番外側の球面が有限の距離にあるのは次のように説明できる。地球から見て恒星は24時間で一回りしている。したがって一番外側の球面も24時間で一回りする。その球面の距離が遠ければ遠いほど速度は大きくなっていく。もし無限のかなたにあれば無限大の速度で回らねばならず、無限大などはナンセンスだから宇宙は有限である。その外は無である。それなりに説得力があるではないか。
 このアリストテレスの説が権威となって、それが後にキリスト教会の権威と結び付き、ヨーロッパの科学は16世紀まで続く暗黒時代に入っていくのである。(中略)
 特にアリスタルコスは太陽の大きさが地球より遥かに大きいことを示し、大きな太陽が小さな地球のまわりを回っているのは不自然であることを主張したのであるが、アリストテレスの権威の前に無神論者という汚名まできせられたという。



 あまりにも偉大であったためにアリストテレスの学説は後世の人々の思考を束縛し続けた。中世の暗黒を支えたのが教会の権威とアリストテレスの権威であった。具体的には魔女狩りと帝国主義〈「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)〉という形で表出する。内外で殺戮を繰り返しながらヨーロッパは世界を征服する。

 アリストテレスとキリスト教会の絶大なる権威も15世紀ルネサンスにいたって衰えていき、まず空間観が天体の精密な観測からくずれていく。一方、時間についてインドでは輪廻の思想があり、一定の周期で無限に繰り返していくと考えられたが、そのような思想はヨーロッパにはなかったようである。

 古代ギリシャにはあったはずだが、キリスト教によって滅ぼされてしまったのだろう。生と死を繰り返す自然の摂理や、周期がある星の運行などを考えれば、輪廻(りんね)こそが自然である。地球を巡る水の循環もまた輪廻といってよい。

 数千年の未来から振り返れば、私はまだ中世暗黒の時代は終わっていないように思う。一神教がなくならない限りは。

2022-02-06

時間の矢の宇宙論学派/『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史


『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで』松田卓也、中沢清
『科学と宗教との闘争』ホワイト

 ・『バッハバスターズ』ドン・ドーシー
 ・時間の矢の宇宙論学派
 ・アリストテレスとキリスト教会

『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也
・『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』ブライアン・グリーン

時間論
必読書リスト その三

 時間・空間とはひとつの巨大な容器であると述べたが、まず容器があって、それから物がそのなかに入れられるのか。あるいは物が容器の形を決めるといったことがあるのか。伝統的な考えかたでは前者、つまり時間・空間がまず存在するという立場であった。ところが20世紀にはいってアインシュタインにより展開された一般相対論では、物が容器を決定するという立場をとる。また時間と空間は、それまではいちおう別々のものと考えられていたが、アインシュタインにより時空という一つの実体の二つの側面であることが明らかにされた。
 とはいえ時間と空間は完全に同質というわけではない。時間は一次元、空間は三次元ということのほかに、それらの間には重大な差が存在する。空間はあらゆる方向に対して対称である。つまり右に行くことができれば、左にい(ママ)くことも可能である。しかし時間についてはそうではない。過去と未来は非対称である。われわれに過去の記憶はあっても未来の記憶はないことは自明だ。時間は過去から未来に向かって一直線に流れているように見える。「光陰矢の如し」というように、時間の進行は矢に例えられる。だから時間の一方向性のことを【時間の矢】とよぶ。
 時間の矢の存在を物理学的に説明しようとすると、ぜんぜん自明のことではない。19世紀のボルツマン以来多くの学者がその答を求めてきた。本書では時間の矢の存在が宇宙論と深く関わっていることを示す。そして時間の矢が宇宙の初期条件によって規定されることを主張する。こういった立場を「時間の矢の宇宙論学派」とよぶ。われわれはその立場にたつ。

【『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也〈まつだ・たくや〉、二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉(丸善フロンティア・サイエンス・シリーズ、1987年)】

 何とはなしに「宇宙開闢(かいびゃく)の歌」を思った。立川武蔵〈たちかわ・むさし〉も似たようなことを書いていた(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』)。

 時空の面白さは存在論と逆方向へ向かうところにあると勝手に考えている。西洋哲学は「神 vs. 自分」という思考の枠組みに束縛されて存在を希求する。「我思う、故に我あり」なんてのはキリスト教史においては事件かもしれないが、東洋人にとっては唯識(ゆいしき)の入り口でしかない。

 確か物理的には時間を逆方向にしても問題がないはずだと思った。しかし我々は逆転させた動画を見れば直ちにそれに気づく。私の理解では時間の矢を支えるのはエントロピー増大則である。名前の挙がっているボルツマンがエントロピーを解明した(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。

 少しばかり読み返したのだが滅法面白い。というわけで必読書に入れた。本書を読んだのは2016年のこと。松田卓也と二間瀬敏史を読み直す必要あり。

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