2022-03-04
2022-03-02
老子の思想には民主政の萌芽が/『香乱記』宮城谷昌光
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・占いは未来への展望
・アウトサイダー
・シナの文化は滅んだ
・老子の思想には民主政の萌芽が
・君命をも受けざる所有り
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
この学者は法家(ほうか)といってよいが、その教学の根底には老荘思想がある。たとえば戦国時代の大儒である孟子(もうし)は、
――春秋に義戦(ぎせん)無し。
と、語ったように、孔子が著した『春秋』(しゅんじゅう)という歴史書のなかにひとつも義(ただ)しい戦いはなかったというのが儒者の共通する思想であり、要するに戦うことが悪であった。儒教は武術や兵略に関心をしめさず、それに長じた者を蔑視(べっし)した。したがって儒教を学んだ者から兵法家は出現せず、唯一(ゆいいつ)の例外は呉子(ごし)である。戦いにはひとつとしておなじ戦いはないと説く孫子(そんし)の兵法は、道の道とす可(べ)きは常の道に非(あら)ず、という老子の思想とかよいあうものがある。この老子の思想には支配をうける民衆こそがほんとうは主権者であるというひそかな主張をもち、民衆を守るための法という発想を胚胎(はいたい)していた。その法を支配者のための法に移しかえたのが商鞅(しょうおう)であり韓非子(かんぴし)でもあり、秦王朝の法治思想もそれであるが、法はもともと民衆のためにあり支配者のためにあるものではないことは忘れられた。
【『香乱記』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(毎日新聞社、2004年/新潮文庫、2006年)】
・戦いて勝つは易く、守りて勝つは難し/『呉子』尾崎秀樹訳
商鞅については『孟嘗君』を参照せよ。
道家(どうか)といえば仙人である。近頃、仙人本を読んでいるのだが、どうも食指が鈍い。気は何となく理解できる。しかし房中術や仙人となると、支那文化特有の実利に傾きすぎているような嫌いがある。
一方、儒家(じゅか)といえば礼であるが、形而下にとどまっていて人間の苦悩を解き放つほどの跳躍力がない。江戸時代の日本で論語が広く学ばれたのは語感のよさによるものだと私は考えている。更に官僚の道を説いた孔子の教えは、武士を制御するのに都合がよかった側面もあったことだろう。侍の語源は「従う」意味の「さぶらふ」(候ふ)である。つまりムスリムと変わらない。服従する相手が藩主か神かの違いがあるだけだ。
儒家が革命を起こすことはないが、道家は天命を掲げて王朝を倒すことがある。私が道家に惹かれる所以(ゆえん)である。
上と下の世界は異なる/『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング
・『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード
・『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
・『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン
・『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
・『あなたもきっと依存症 「快と不快」の病』原田隆之
・『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター
・『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン
・『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
・上と下の世界は異なる
下を見てほしい。何が見える? 自分の手、机、床、もしかしたら、コーヒーの入ったカップ、ノートパソコン、新聞もあるかもしれない。その共通点は何だろうか? どれも自分の手で触れられるものだ。下を見たときに目に入るものは、あなたの手の届く範囲になるもの、いますぐにコントロールできるもの、特に計画を立てたり努力をしたり考えたりしなくても、動かしたり操作したりすることのできるものだ。それはあなたの仕事の成果かもしれないし、他者の親切、あるいは単なる幸運の賜物かもしれない。いずれにしても、下を見たときに目に入るものは、あなたのものと言える。それはどれも、あなたの手のうちにあるものだ。
さて、次は上を見上げてほしい。何が見える? 天井、壁に掛かった絵もあるだろうか。あるいは窓の外にあるもの、木々、家々、ビル、空に浮かぶ雲――遠く離れたところにあるさまざまなもの。その共通点は何だろうか? それに手で触れるためには、計画を立て、思考し、計算しなければならない。ほんの少しかもしれないが、それでもやはり多少の調整と努力が求められる。下を見たときに目に入るものとは違い、【上】の世界が私たちに見せるものは、手に入れるためには思考や努力を要するものだ。
単純に聞こえるのは、実際に単純だからだ。だが脳にとって、この区別は大きく異るふたつの思考様式――まったく違うふたつの世界の扱い方の分岐点になる。あなたの脳のなかで、【下】の世界はいくつかの化学物質――神経伝達物質と呼ばれる――に統制されている。あなたが満足感を覚え、いまここにあるものを楽しめるのは、その化学物質のおかげだ。だが、あなたの目を【上】の世界に向けたときに脳が頼るのは、それとは別の化学物質――たったひとつの分子だ。その分子は、指先にあるものの世界の向こうへあなたを連れて行くのみならず、すぐにつかめる領域の外にある世界を追いかけ、支配し、所有したいという欲求を生み出している。実体のある物だけではない。知識、愛、権力。そうした遠くにあるものを追い求める意欲を、その分子はかきたてている。テーブルの反対側にある塩入れに手を伸ばすときも、宇宙船で月へ飛行するときも、空間と時間を超越した神を崇拝するときも、その化学物質の出す命令が、地理的なものであれ知的なものであれ、あらゆる隔たりを私たちに乗り越えさせているのだ。
【下】の化学物質――「ヒア&ナウ(いまここ:H&N)」と呼ぶことにしよう――は、目前にあるものをあなたに体験させてくれる。そのはたらきのおかげで、あなたはいますぐに味わったり楽しんだり、あるいは闘ったり逃げたりすることができる。【上】の化学物質は、それとは違う。その化学物資(ママ)は、まだ手にしていないものをあなたにほしがらせ、新しいものを追い求めたいと思わせる。そして、あなたがそれに従って行動したときには報酬を、従わなかったときには苦しみを与える。それは創造性の源であり、さらに進めば狂気の源にもなる。依存症の鍵を握り、そこからの回復の道となるものでもある。成功を追求する野心的な企業幹部があらゆるものを犠牲にするのも、出世した俳優や起業家や芸術家が夢に描いた富と名声をすべて手に入れてもなおたゆまぬ努力を続けるのも、満たされた夫や妻がほかの人を求めるスリルと引き換えに何もかもをなげうつのも、すべてその化学物質のちょっとした生物学的現象のなせるわざだ。それが生み出す打ち消しようのない切望のうずきが、科学者を学説の追求へと駆り立て、哲学者に秩序と理(ことわり)と意味を探し求める意欲を与えている。
私たちが救いを求めて空を見上げるのは、そのせいだ。天国が上にあり、現世が下にあるのも、そのせいだ。それは私たちの夢を動かすモーターの燃料であり、失敗したときには絶望の源にもなる。私たちが努力して成功する理由であり、発見して繁栄する理由でもある。
そして、幸せがけっして長くは続かない理由でもある。
あなたの脳にとって、このただひとつの分子は、究極の多目的デバイスだ。それが無数の神経化学プロセスをつうじて私たちを駆り立て、いまここにある喜びの【もっと】先へ進めと絵背中を押し、想像から生まれる可能性の宇宙を探索させている。哺乳類、爬虫類、鳥類、魚類の脳内には例外なくこの化学物質が見られるが、ヒト以上に大量に持つ生物は存在しない。それは幸いでも禍(わざわい)でもある。モチベーションでも報酬でもある。炭素、水素、酸素、それにひとつの窒素原子――構造は単純だが、それが生み出す結果は複雑だ。その化学物質の名は、ドーパミン。
【『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング:梅田智世〈うめだ・ちせい〉訳(インターシフト、2020年)】
依存症の決定版と言ってよい。脳神経科学の視点から依存症を機能的に捉えている。仏教が説く業(ごう)を化学で読み解くことが可能となる。
冒頭の一文であるが実に興味深い指摘である。脳内物質も宗教も人間の眼の位置が基準になっているのだ。仏教の場合は眼と同様に耳に重きを置くが、いずれにせよ「脳の位置」と考えてよさそうだ。背景にあるのは重力か。
ドーパミンとは一言でいえば「やる気物質」である。前向き、積極性、意欲を支えている。ところが不思議なことに過剰に分泌されると統合失調症となり、減少するとパーキンソン病となる。あまり単純に考えない方がいいだろう。
食欲や性欲が満たされるとドーパミンが増えることは広く知られているが、実は瞑想でも増えることがわかっている。初期段階の瞑想は脳がストレッチや筋トレを行っているような状態と推察される。そしてドーパミンが不安やストレスを軽減する。
「だったら、最初っから薬でドーパミンを増やしたらどうだ?」という声が聞こえてきそうだ。私もそう思う。ただ、この論法を極端に推し進めてゆくと、モルヒネ投与で安楽死という結論に落ち着く。欧米でドラッグ中毒が深刻な社会問題となっているのも、そうした生き方を選んでしまう人々が多いのだろう。一昔前なら彼らを刹那主義と呼んだ。
ポスト・ヒューマンは人間とテクノロジーの合体を意味するが、テクノロジーに傾きすぎると、脳以外の人体が見落とされてしまうような気がする。私はむしろ、身体操作から脳を活性化すべきだと考える。
2022-02-25
知的飛翔を欠く解説本/『あなたもきっと依存症 「快と不快」の病』原田隆之
・『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード
・『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
・『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン
・『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
・知的飛翔を欠く解説本
・『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター
・『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン
・『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
・『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング
人はなぜ、このように依存症になってしまうのだろうか。それは、人間というものは、依存症になりやすくできているからである。より正確に言えば、進化の過程で、依存症になりやすい遺伝的基盤を持っている人が生き残ってきたからである。
【『あなたもきっと依存症 「快と不快」の病』原田隆之(文春新書、2021年)以下同】
文章はいいのだが、直ぐにどんよりした気分になってくる。たぶん有能な人物にありがちな常識信仰にあるのだろう。著者は典型的な官僚タイプの人物と見た。
しかし、ときにはその装置が暴走して、「快」のためには、日常生活や人生などどうでもよいという状態にまでなってしまう。つまり、【人間の生き残りを目的とした戦略としての「快」であったはずが、「快」そのものが目的化してしまうのだ。これが依存症である】。
解説は巧みなのだが、知的飛翔を欠いている。アイディアの乏しい能吏か。私は人間の価値をユニークさに求めるので、こういう人物にはあまり近寄りたくないというのが本音である。
依存症の教科書本/『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン
・『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード
・『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
・『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン
・『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
・『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター
・依存症の教科書本
・『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
・『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング
人間と快感との関係は、複雑かつ微妙なものだ。私たちは、快感を追い求めることに、とてつもない時間と費用と労力を注ぎ込んでいる。私たちが何かをしようとするとき、その動機づけの鍵となるのは快感である。たとえば学習に際しては、快感が中心的な役割を果たす。そもそも人類が生存し、遺伝物質を次世代に伝えていくためには、食べ物、水、セックスが〈報酬〉的なものと感じられなければならない。
快感の中には、私たちにとって特別な種類のものもある。とくに重要な儀式には、祈りや音楽や舞踏や瞑想が伴い、多くは超越的な快感を生み出す。そのような快感は、人間の文化活動の奥底に深く根付いている。
いっぽう、これほどまでに影響力の強い快感を前に、私たちはそれをコントロールしようとする。快楽について明確に定義された概念や規則は世界中の文化で見られるし、それは人類の歴史を通じて実にさまざまな表現で語られてきた。
【『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン:岩坂彰訳(河出書房新社、2012年/河出文庫、2014年)】
依存症の本はあまりいいものがない。部分や過剰に重きを置くあまり他人事に感じてしまう。「業」(ごう)を解く鍵があるように思ったが、私の志向を満足させる書籍は今のところ一冊もない。その中でも本書は教科書本としてお勧めできる。
「情報と刺戟」は今後一大テーマになると思われるが、薬物摂取以外の方法で脳を溺れさせることが可能となれば、人類が滅ぶまでの時間は大幅に短縮されることだろう。生き延びるための快楽システムが既に暴走しつつある。
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