インドやパキスタンの女性が行う皮膚装飾をメヘンディという。ヘナという植物でつくった染料を用いるためヘナタトゥーとも呼ばれる。一種のボディペイントといっていいだろう。あるいは簡易刺青。それにしても手の込んだ美しい意匠である。さながらマンダラの如し。
2011-10-21
メヘンディ(ヘナタトゥー、ヘナアート)
インドやパキスタンの女性が行う皮膚装飾をメヘンディという。ヘナという植物でつくった染料を用いるためヘナタトゥーとも呼ばれる。一種のボディペイントといっていいだろう。あるいは簡易刺青。それにしても手の込んだ美しい意匠である。さながらマンダラの如し。
2011-10-20
警察取り調べの実態「人生むちゃくちゃにしたるわ!」(大阪府警)
取り締まる側が法を蔑(ないがし)ろにしている。法が機能しないことは暴力の台頭を意味する。聴取に応じた人物がたまたまボイスレコーダーを持っていたことで明らかになった。泣き寝入りしている市民も多いことだろう。大阪のあちこちで小さな殺意が芽生えているに違いない。
国内企業の2/3は欠損法人(赤字経営)のため法人税を払っていない
国内企業の2/3は欠損法人(赤字経営)のため法人税を払っていない。所得税の最高税率は70%(1984年)から40%(2007年)に引き下げられた。明らかに企業と金持ちが優遇されている。国民は唯々諾々と年貢を納める小作人となってしまった。それでも尚、怒りとストレスに耐えている。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010年10月5日
自己と非自己を分かつのは胸腺
この(ウズラとのキメラ)ニワトリは、羽根を動かし、摂食し、正常に成長するが、生後3週から2ヵ月もすると、まず、羽根が麻痺してぶらさがり、歩行も摂食もできなくなる。やがて全身の麻痺が進行し、衰弱して死ぬ。
ニワトリの免疫系が、ウズラ由来の神経細胞を「非自己」の異物として認め、拒絶するからである。ウズラ由来の細胞からなる脊髄部分に、ニワトリの免疫細胞が入り込み、神経細胞は破壊され脱落しているものがみえる。すなわち、いままで「自己」のものとして使われていたウズラ由来の神経は、「非自己」と判断され排除されてしまうのである。自然が、「種」というものを厳密に区別する働きをいかに大切にしているかを示す好例である。
ところが、神経管移植の際に、免疫の中枢臓器である「胸腺」になる原基をウズラから取って、神経管と同時にニワトリ胚に移植しておくと、拒絶反応は起こらない。「胸腺」については、別の項で詳しく述べるが、ウズラの細胞を「自己」と認識するか、「非自己」と認識するかは、この「胸腺」が決めているわけである。ウズラの胸腺になる原基を同時に移植されたニワトリは、一生、ウズラ模様の羽根をつけたまま生き延びる。
【『免疫の意味論』多田富雄(青土社、1993年)】
2011-10-19
白リン弾に関する覚え書き
イスラエル軍に殺されたパレスチナ人の遺体が黒焦げとなっていた。むしろ炭化といった方がいいだろう。白骨が剥き出しになった遺体もあった。とあるウェブページに「人体を内側から破壊するような新兵器を使っている」と書かれていた。あちこち調べたところ、どうやら「白リン弾(白燐弾)」のようだ。
ところが再び行き詰まった。「白リン弾は通常兵器だ」という指摘もあったからだ。というわけで、今現在の私の認識は「炭化した遺体」「見たことのない悲惨なケロイド状態」は白リン弾によるもの、という前提で書いていることをご了承されたい。
以下に各所からの抜粋を示す。
白リン弾:運用に関する議論
2004年11月のイラク、ファルージャにおけるアメリカ軍の攻勢や、2009年のイスラエルによるガザ紛争に際して使用された白リン弾を「激しいやけどをもたらす非人道的兵器だとして規制を主張する意見、それに対する反論が現れた。 白リン弾に関する情報は誤報も多く、現在の白リン弾の威力はマスコミが威力や効果を著しく誇大化する誤まった情報を伝え、それがネットで増幅された物であるとする意見もある。
【Wikipedia】
私は対人地雷、クラスター爆弾、その次ぎに残忍な兵器が「白燐弾」だと思って「対人焼夷弾」の情報を集めている。無人偵察機と白燐弾を組み合わせることで、建物を破壊しないで、人間だけを殺せる残忍兵器になる。ナパーム弾のように広範囲でなくとも、迫撃砲なら路地の一角、建物の屋上など、ピンポイントで狙えることが可能になる。
最初にそのことに気がついたのは、イラクで反米武装勢力と米海兵隊が戦ったファルージャの市街戦であった。現地の写真を見ると、不思議なことに戦闘が終わったファルージャの街は、意外と建物が壊れていないのに、積雪を思わせる白い粉が積もっていた。最初は発煙弾か照明弾の燃えかすかと思っていた。しかし周囲に散乱する死体は骨が溶けるほどに燃焼していた。銃弾や砲弾で死傷した傷とは明らかに違うのだ。死体は体内で何かが高温で燃焼したからと考えた。それが白燐弾による対人焼夷攻撃を考えたきっけだった。
【神浦元彰】
アムネスティ「ガザへの白リン弾砲撃は戦争犯罪」
アムネスティ・インターナショナルでは「世界でも最も人口の密集した地域として知られるガザの一般市民居住区へイスラエル軍が白リン弾を砲撃した事実は、『戦争犯罪』である」と公式の糾弾声明を出した。一方イスラエル政府では、白リン弾を使用した事実を公式には認めていない。
しかしこうした (国連や人権擁護団体からの) 非難に応えて、イスラエル軍部は21日水曜次のような公式声明を発表した。「この件に関して事実関係を調査するために、特別捜査班が編成された」
【米流時評】
これを見た時は血が凍りついた。独特の不気味な白い航跡を描くのは、紛れもなく04年に米軍がイラクのファルージャで使用し、国際的に大問題となった「White Phosphorus」白燐弾である。ジュネーブ条約では市街戦では使用禁止となっている、極めて致死性の強い化学兵器であり、被爆すると皮膚や肉が溶解してしまう、とんでもない代物である。
【米流時評】
白燐弾は焼夷兵器禁止条約から漏れており、化学兵器禁止条約からも漏れている為、現状では違法兵器ではありません。つまり、「条約違反だ!」と声高に叫ぶ事は間違っています。それはデマを流す行為ですので、止めて下さい。デマでは無い、正しい、と言うのであれば、法的な根拠を指し示して下さい。しかし数年前にもこれと同じ流れになっており、白燐弾は条約違反だとする側は最終的に「条約に書かれていなくても国際慣習法のもとで不法であると論ずることができる」というアクロバット的な論法を繰り出しています。しかし白燐弾は問題化したのがつい最近の話であり、昔からの慣習であるとはとても認められません。
【週刊オブイェクト】
まず白燐は化学兵器では有りません。化学兵器禁止条約(CWC)で規定されている毒性化学物質とその前駆物質の中に、白燐は含まれていないのです。
【週刊オブイェクト】
もちろん派手に燃えて飛び散っている白燐欠片を直接浴びれば火傷をするでしょう。しかしそれは、通常榴弾が炸裂した時に飛び散る弾殻破片の殺傷効果範囲よりも危害半径が狭いのです。そして、白燐が燃焼した時に発生する煙を浴びたところで、人体発火や骨まで溶けるというような奇怪な現象は発生しません。煙は広がるがこれでは人を殺せず、燃える白燐片は遠くまで届かない。それはつまり、白燐弾は通常榴弾よりも殺傷力で大きく劣るという事の証左です。(中略)このように白燐弾からの煙による死亡例は存在しません。
【週刊オブイェクト】
イスラエルもハマスも酷いのは確かですがその事実と白リン弾に関するデマを広げることで前者のイスラエルとハマスの非道が薄らいでしまうのはガザ地区の惨状を伝える阻害要因になり現在停戦(※更新時)しているにせよ恐らく今後も混乱が続くだろうこれらの紛争ないし平和に対し状況悪化を促す言論上の脅威とも捉えられかねず却って悪循環なのではないかと。いずれにせよ白リン弾デマにかけたリソースを他に振り分けた方が有益ですよ。
【『帝國』ブログ】
多少の知識がある人なら、白燐弾、いわゆる WP (ウィリー ピート) が目標マーキングや標定弾に使用する、発煙が主目的の弾だというのは常識。もちろん、化学反応によって燃焼して煙を出すわけだが、そもそも化学反応を起こすから化学兵器、という解釈からして大間違いだということに、このニュースに釣られた多くの人はまったく気付いていない。
【Kojii.net】
「高度300~400メートルの地点で白リン弾を破裂させると、親指大のリンが雨あられのごとく地上に降り注ぐ。人間に付着すると衣類や皮膚を貫通して体内に潜り込み、骨を溶かすほど激 しく燃え続ける。世界でもっ とも人口密度の高い地域であるガザでの使用は、人間を焼き打ちにするのと同じ効果があるのです」 国際条約で使用が禁止されてはいないものの、国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、白リン弾を焼 夷弾とみなし、「特定通常兵 器使用禁止制限条約(CCW)」の第3議定書に違反の疑いがあると問題にしている。
国際社会の批判が高まっても使い続けるイスラエルには当然、計算がある。
「建物の周囲に潜んでいる人間を簡単に殺傷できるのですが、体内から焼かれるため遺体はキレイなままで残虐性が薄れる。それに、鉄筋造りのビルなどには全く効果がないのでインフラを破壊するこ とがなく、占領後の統治がスムーズに運ぶ。人 間を焼き打ちにする使い方を始めたのは、04年にイラク中部ファルージャを攻撃した米軍です」(前出の神浦氏)
【自衛隊も所持…イスラエルが堂々と使っている「白リン弾」の恐怖 : ニュー投】
「死体を焼いたし、女も子供も焼いた……白リン弾で無差別に殺しました。(白リンが)直接肌に触れると、確実に致命傷になって、肉を焼き尽くすんです」――ファルージャで戦闘に参加した元米軍兵士ジェフ・アングルハートの証言
【ファルージャ虐殺映像・ボーイスカウト・日本?(編集委員レビュー・11月第4週)】
白燐弾は「科学兵器」でなく「通常兵器」だからこの使用については特に問題ないとの主張は、なにひとつポジティブな主張はしていない。そういう意味からすれば、むしろ意図的に現状を肯定するデマゴーグなのは白燐弾の使用肯定派になる。
今回のイタリアのテレビは、ファルージャがいかなる惨状に見舞われたか、そしてそこで使われた兵器がどのようなものだったかを明らかにしている。それは目撃証言・内部証言・さらに映像にて示されているものだ。
果たして、この映像を見てそれでも、白燐弾は「科学兵器」でなく「通常兵器」だからこの使用については特に問題ない、と言い切れるだろうか。
これは倫理の問題なのである。
【白燐弾は通常兵器なのか? 白燐弾をめぐる誤解について】
白燐は、体に付くと取れにくい、猛毒で燃焼性の高い物質で、微量でも体に付くと化学火傷を引き起こす性質も持ちます。白燐はその毒性や被害の残酷性から対人使用は禁止されています(煙幕や照明として使用する分には合法)。(中略)ちなみに米軍は黄燐焼夷弾(白燐弾)の対人使用はジュネーブ条約違反と兵士に教え込んでおり、米軍が白燐弾をジュネーブ条約違反の兵器と認識していることには間違いありません。
【白燐弾報道をデマとするデマに対して】
黄燐は焼夷剤の一種であり、焼夷兵器に分類されます。
焼夷兵器は現在では通常兵器という解釈が主流ですが、二昔程前までは化学兵器という解釈が主流でした。焼夷兵器は物理エネルギーによる破壊を目的としている点では通常兵器ですが、窒息死、中毒死等、その効果においては化学兵器であり、化学兵器と通常兵器の灰色領域の兵器です。
【黄燐弾(黄リン弾)または白燐弾(白リン弾)または燐酸弾】
ファルージャ戦において、アメリカ軍は、白燐弾が有用な兵器であることに気づいた。
「白燐弾は効果的で多用途に使える兵器であることが証明された。われわれは交差路での視界遮断作戦、その後の戦闘では、強力な心理的な兵器として使用した。前線や塹壕の武装勢力に対して、爆発では得られない効果をこれによって得ることができる。われわれは"shake and bake"(驚かせて焼く)作戦によって武装勢力を攻撃した。白燐弾によって敵を驚かせ、爆発によってそこから出てくるようにするのだ。HC煙幕がもっと効果的だとされていたので、白燐弾を最後まで保有していたため、この煙幕作戦に改良された白燐弾を使用したのだ」。
【燃える雨、白燐弾 米軍による白燐弾使用の実態についてのまとめサイト】
米国のイラク侵略と不法占領自体がそもそも国際法に違反した犯罪ですから、その枠組みの中で米軍が犯した犯罪を指摘することは屋上屋を重ねるようなものですが、とりあえず、国際法の専門家の協力を得て、多少官僚的に、法的な論点を整理しておきます。
【チェルシー・ブラウン&益岡賢】
以上で引用終了。ざっと目を通しただけで、きちんと読んだわけではない。ま、読むつもりもない。大体、戦争犯罪について議論するのは不毛だと思われる。「正しい殺し方」をああでもない、こうでもないと意見をぶつけ合ったところで死んだ人々は帰ってこない。
白リン弾を巡る議論は、宗教者が教義の正統性を争う姿と酷似している。
私の見た遺体の画像が白リン弾によるものであるとすれば、現在パレスチナに対して使用しているイスラエル軍は弾劾されて当然だ。
イスラエルこそは、国際社会で大手を振って歩くテロリスト国家であるというのが私の認識だ。
アメリカとイスラエルという世界最大の犯罪国家が、有色人種に対して白リン弾を使用したという事実を忘れてはならない。キリスト教やユダヤ教の人種差別思想は病的なレベルを軽々と超えている。
孤独になること
孤独になることと、批判の体裁をとった中傷に耳を傾けない強靭さがなければ、今の時代は何もつとまらんさ
— Naoki Matsuzawa 松沢直樹 (@naoki_ma) 2010, 11月 5
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(下) 「判断妥当か」医師に重圧
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(上) 「男子と女子、どっちがいい?」
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(中) 「自分でなくなる」投薬中止
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(下) 「判断妥当か」医師に重圧
年月経て、疑問持つ患者も 未解明な「脳の性分化」
「カルテを開示してほしい」。3年前、診察室で向き合った20代の患者に言われた時、独協医大の有阪治教授は「その時が来たか」と覚悟を決めた。患者は男性として育ってきたが、性染色体は女性型のXXだった。カルテには書かれていたが、患者自身は知らないはずだった。
患者は極端に大きな陰核の外見から、男児と判定されて育てられた。体の発達に違和感を覚えた両親が3歳の時、東京都内の大学病院を受診させ、性分化疾患の一つ「先天性副腎過形成」と診断された。子宮や卵巣はあるが、男性ホルモンが過剰に分泌され外性器などが男性化することのある疾患だ。
このまま男児として生きた方がいいのか。染色体や内性器に合わせ女児に変えるべきか。当時20代の駆け出しの研修医だった有阪医師は、師事していた主治医の教授が治療方針に悩み、海外の文献をひもといて似た症例を必死に探す姿を見ていた。「夜も眠れない」と漏らすのを聞いたこともある。
最後は両親の意向を尊重し、引き続き男児として育てる方針が決まった。その後、子宮は摘出した。教授は「将来、この子が自分の体に疑問を持って訪ねてきた時、自分はもうこの世にいないはずだ。誰が答えてくれるのだろう」と懸念を口にしていた。
年月がたち、予想は的中した。
この患者を引き継ぎ主治医となっていた有阪医師は、「事実関係をきちんと説明しよう」と連絡を待った。開示されたカルテを見て、電話をかけてきた患者は「俺を実験材料にしたんだろう」と怒りをあらわにした。「包丁で切り刻んでやる」とメールで脅されたこともあった。「詳しい理由は分からないが、やはり生き苦しさがあったのかもしれない」。やがて攻撃的な言動は収まったが、有阪医師には苦い思いが残った。
昨春、一人の新生児が性分化疾患と診断され、独協医大に転院してきた。有阪医師は主治医として初めて中心的に性別判定にかかわった。1カ月にわたりさまざまな検査を行い、結果が出る度にどんな治療をすべきか迷った。「同じ立場になってみて、あの時の教授の重圧が分かった」。両親の希望で、新生児は染色体の型を重視して男性として育てる方針が決まり、形成手術も行った。判断は妥当だったのか、年月がたたないと答えは出ない。
「性別の確定は戸籍法の期限である14日にとらわれず、生後1カ月までに」。日本小児内分泌学会と厚生労働省研究班は、性分化疾患の新生児を診る医師に慎重な対応を求める手引をまとめた。だが実は、1年かけたとしても真に適切な性別判定はできない。未解明の「脳の性分化」という課題があるからだ。
昨年12月に大阪府立大が開いたシンポジウム。性分化疾患の研究で世界的に知られるハワイ大医学部のミルトン・ダイアモンド教授が変わった言い回しで訴えた。「性別を決定するのは、両足の間にあるものではなく、耳と耳の間にあるものです」。大切なのは、性器の状態ではなく、自分自身を男だと思うのか女だと思うのか、つまり心(脳)の性だ、という意味だった。
70種以上ある性分化疾患の中には、性別判定の難しさから、育てられた性と心の性が食い違いやすいものがある。例えば男性器が未発達で女性と判定されがちな「5α還元酵素欠損症」。女性として育てられても心では男性だと自覚する確率が59%という海外のデータがある。男性として育てた場合は0%だ。疾患ごとにこうした傾向がつかめれば、出生時に性別を判定する重要なポイントになりうる。
厚労省研究班は全国の小児内分泌医と小児泌尿器科医に昨年初めて実施した実態調査を基に、数種類の疾患にしぼり追跡調査した。8月に出そろったデータを分析している山梨大名誉教授の大山建司医師によると、最も患者が多い性分化疾患の一つ「21水酸化酵素欠損症」の場合、約150症例のうち子どもの性同一性障害(心と体の性の不一致)の診断基準に当てはまる患者が3~4%いた。大山医師は「児童精神科医の協力も得ながら、データを詳しく読み解きたい」と話す。
92年に複数の診療科の医師とケースワーカーなどで性別判定委員会を作るなど先進的な取り組みをしてきた大阪府立母子保健総合医療センター。一昨年から本格的に、看護師が親子それぞれと面談する「看護支援」を始めた。
親は子どもが性分化疾患だと知った段階からショックや自責の念を持つことがある。40組以上の親子と面談してきた石見(いわみ)和世看護師は、「親の愛情が形成されるのを手助けしていくことが、子どもの成長のために何より重要」と話す。
面談では、学校生活での心配、結婚や出産はできるか、子どもに病気をどう説明するか、さまざまな質問が出る。じっくり話し合い、時間を共有するなかで、多くの親が涙を流し、病気に立ち向かう決断をしていく姿を目にしてきた。「この病気について心を開いて話せる場所なんて、今までどこにもなかった」。その言葉に、石見看護師は、患者家族の孤独と強さを思うばかりだ。
性分化疾患はかつて医療界でもタブー視されていたが、患者の立場に沿った対応も進み始めている。日本小児内分泌学会の堀川玲子・性分化委員長はいう。
「性分化疾患に『正しい答え』はなく、第三者が当事者の決断を批判することはできない。普通と違う人をどれだけ受け入れられるか、社会の成熟度が問われている」
◇脳の性分化
心(脳)が自覚する性のこと。人はどんな仕組みで自分の性を認識するのか、決定的な研究はまだない。容姿や言動が男性的なことと、心が自覚する性が一致するとも限らない。人の性別は染色体や性腺、性器の性などで総合的に決められるが、本人の「生きやすさ」のためには最終的に「脳の性」まで解明されることが必要だ。
【毎日新聞 2011年10月19日 東京朝刊】
2011-10-18
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(中) 「自分でなくなる」投薬中止
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(上) 「男子と女子、どっちがいい?」
「普通の男性」望んだが 成人後始める治療、継続困難
大学1年の冬、サークルの合宿で仲間と風呂に入るのが急に恥ずかしくなった。21歳になっていたが、陰毛はなく、声も小学生のままだった。新潟大歯学部5年の大田篤さん(24)は人目をはばかり民間病院を受診したが、結局自ら通う大学に紹介され、2年の夏に性分化疾患の一つ「低ゴナドトロピン性性腺機能低下症」と診断された。ホルモンの異常で2次性徴が起きない疾患だった。
「原因があったんだ。治療すれば治るんだ」。ショックはなく、むしろ肯定的に受け止めた。
週1回、腹部に自己注射するホルモン治療を始めると、数カ月で変化が表れた。声が低くなり、ひげや陰毛が生え、初めて射精した。「なよなよした体」は筋肉質に変わり、鏡を見るのが楽しくなった。初めて経験する性欲には戸惑った。「無意識のうちに視線が女性の胸元に行くなんて、思ってもみなかった」
しかしある時、ふと疑問がわいた。「これは望んでいたことか」。治療は「普通の男性」になるためだったのに、まるで飢えた獣にでもなってしまった感覚だった。大田さんは「それこそが思春期なのかもしれないが、僕の場合は薬で人工的に変化したので、何かが違うと感じた」。
治療を始めて1年9カ月後の昨冬、すっぱりと治療をやめた。ホルモンが足りず不健康になるだろうし、子どもを作ることもできなくなるが、それでもよかった。主治医に告げると「最近、中性がはやってるからね」と笑い、反対もしなかった。「自分は男」という認識が揺らいだことは一度もない。医師の言葉にカチンときたが「そうじゃない。自分が自分でなくなるのが嫌なんだ」という心の叫びはぐっとのみ込んだ。
こうした疾患を診ることが多い池田クリニック(熊本県合志市)の池田稔院長は、治療が持続するかどうかは開始した年齢と深く関係すると感じている。不妊をきっかけに結婚後に治療を始めた患者は、男性ホルモンの重要性を理解はしても、妻が妊娠するとほとんど来なくなる。一方、10代で始めた患者は今も全員が治療を継続しているという。
池田院長は「思春期に男性ホルモンが低い状態で自己を確立した人は、成人後に治療でホルモンを平常値にしても、自分でないような感覚になるのではないか」との仮説を立てる。
ホルモン治療をした大田さんは、後悔の念にさいなまれている。「注射を打つたび男らしくなっていくのが、あれほどうれしかったのに」。太くなった声や筋肉質の体は元に戻らない。ひげや体毛にも嫌悪感がある。一度は劣等感から解放してくれた治療が今は恨めしい。下宿の隅に積んでいた未使用のアンプルは、捨てた。
「娘の人生を私が決めてしまった」「いいえ、選んだのは私」。神奈川県在住の佐藤真紀さん(45)と長女(24)には互いを思いやるやさしさがあふれている。
89年正月、帰省先の福島県で長女は脱腸を起こし、緊急手術を受けた。手術中に廊下に出てきた医師の言葉に佐藤さんは耳を疑った。「睾丸(こうがん)が見つかりました。腸と絡み合っているので切り取ります。おなかを開いたままなので時間がありません。いいですね」。長女は出生時に膣口(ちつこう)が開いていなかったが、染色体をはじめ10日ほどかけてじっくり調べ、女性で間違いないと診断されていた。
東京にいる夫とは連絡がつかない。「娘は男だったんだ。でも、私の一存で男として生きる可能性を断ち切ることになる」。そんな思いが頭を駆け巡ったが、医師は「お母さん、どうしますか」と迫ってくる。「じゃあ、切ってください」と言うしかなかった。手術室のドアがしまると、義母の前で号泣した。すべてが終わった後、ようやくつながった電話で夫は「そばにいてあげられなくてごめん。一人で大変な決断をさせてしまったね」と謝った。
東京の大学病院で再検査を受けると、女性としての発達が不十分になる「ターナー症候群」だが、性染色体に男性化とかかわりが深いY染色体のかけらがある特殊な例だと分かった。
佐藤さんには他に3人の子がいる。「弟や妹と比べると違いがよく分かる。男女どっちでもないというか、どっちでもあるというか……」という。
小学4年のとき、学校での性教育が近いと知り、佐藤さんは長女に初めて詳しい話をした。「おなかの中にあるはずの赤ちゃんの部屋がないかもしれないんだ」
長女は答えた。「他の子と違うみたいだと、何となく思っていた。赤ちゃんを産むのは怖いからいいよ」。しかし「本当はショックだった」と今、打ち明ける。
中学生になると、骨粗しょう症の防止などでホルモン治療が必要になった。幼少時の手術の決断を十字架のように背負っている佐藤さんは「男女どっちを選んでもいいんだよ」と言ったが、長女は女性ホルモンを選んだ。「あまり女性的にはなりたくない」と生理が来ない程度の量にした。17歳のときには「簡単な手術で膣口も作れる」と医師から勧められたが、断った。
「本人の意思を尊重しているが、決まった道を行くのと違い自己責任がある。可哀そうな面がある」。佐藤さんはいう。
長女はいま税理士事務所で働く。一人でも生きていけるようにと、税理士を目指している。「両親はずっと『どんな道を選んでも、あなたが好きなことに変わりはない。味方だからね』と言い続けてくれた。それが私を支えている」。長女は穏やかな表情でふり返る。
「男性ならこう生きるべきだ」「女性ならこんな治療を受けるべきだ」。性分化疾患の当事者たちは、男女に二分された社会でプレッシャーを受けながら、自分らしい生き方を模索している。
◇低ゴナドトロピン性性腺機能低下症
精巣の働きに深く関係する脳の視床下部や下垂体からのホルモン分泌が悪いために2次性徴や精子形成ができなくなる疾患。陰茎の発達も悪く、陰毛や脇毛が生えない、においを感じにくい、といった症状が出ることもある。若年では見過ごされることも多く、不妊をきっかけに見つかるケースが少なくない。
【毎日新聞 2011年10月18日 東京朝刊】
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(下) 「判断妥当か」医師に重圧
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(上) 「男子と女子、どっちがいい?」
思春期に男性化する疾患の長女、小4で告知受け混乱
染色体やホルモンの異常により男性か女性かの区別がはっきりしない「性分化疾患」。医学的には未解明な部分が残り、男性と女性の枠組みしかない社会で生きる難しさも伴う。性の選択を迫られた時、治療方針を決める時――。当事者と家族、医療者のそれぞれの決断の場面を追った。
昨年7月、大阪市の大阪警察病院。夏休みに入った小学4年の長女(当時9歳)に付き添い、関西地方の夫婦が小児科を受診した。「そろそろ私から本人に説明しましょうか」と切り出した望月貴博医師に、夫婦は顔を見合わせ黙ってうなずいた。病気のこと、受けることになるかもしれない性器の手術のことを話した後、医師は長女に尋ねた。
「男の子にもなれるし、今のまま女の子を選ぶこともできる。どっちがいい?」。しばし流れる沈黙。父は「男と言ってくれ」と祈ったが、長女は消え入るような声で「女の子がいい」と答え、しくしく泣いた。
父が「男」を願ったのには理由がある。
夫婦には2人の子がいる。いずれも女の子と思っていたが5年前、陰核(クリトリス)の肥大などをきっかけに性分化疾患の一つ「5α還元酵素欠損症」とそろって診断された。性染色体はXYの男性型だが、ホルモンの異常が原因で男性器が発達せず生まれ、大半が出生時に女性と判定される。しかし2次性徴期になると、程度の差はあれ確実に男性化する特徴がある。
日本では下腹部に隠れている精巣を摘出して女性ホルモン剤を服用する治療が行われてきたが、欧米では女性として育った人の多くが性別の違和感に悩み、約6割が男性に性別変更したとのデータもある。
長女が思春期を迎えた時、声も体形も男性化し、小さめの陰茎(ペニス)ほどに陰核が育っていったら……。本人の驚きと戸惑いを想像すると胸が痛んだ。
病気がわかったとき、望月医師から「将来、妊娠はできない。男性としてなら子を作れる可能性はある」と言われた。小学校入学が目前に迫り、ピカピカの赤いランドセルも準備していた。夫婦は入学を心待ちする長女を男の子に変える気持ちにはなれなかった。
翌年、今度は次女の幼稚園入園が迫った。望月医師は「性別を変えるなら、新しい社会に入り人間関係も変わる今のタイミングがいい」と促した。1年前から悩み抜いてきた夫婦は、長女の時とは逆の決断をした。「出生時の性別判定は間違い」との診断書を家庭裁判所に提出し、入園直前に次女の戸籍は「長男」となり、名前も変わった。
男の子になった弟はとても陰茎が小さく、立ち小便ができないため個室トイレしか使えない不便はあるが、学校生活を楽しんでいる。夫婦の心配は長女だ。制服以外はスカートをはかず、野球やサッカーが大好きで、遊び相手も男の子だ。
父は「男性化が進んでも女の子でいたいというなら、人格を無視してまで性別を変えることなどできない。男の子を望むなら、誰も何も知らない町に転居して、再スタートする覚悟はできている」と唇をかむ。
主治医の望月医師にとっても、治療方針の決定は容易ではない。
次女の入園が迫った時、性別をどうすべきかを症例の豊富な医師たちに尋ねたが、男の子に変えるのは反対だというメールが次々返ってきた。「ちんちんがあまりに小さく、将来コンプレックスになる」という率直な意見もあった。診断にかかわった藤田敬之助・大阪市立総合医療センター元副院長も「思春期にどれだけ男性化するかは個人差がある。本人に性別を選ばせたいので、留保してはどうかと伝えた」と振り返る。
望月医師は「絶対的な答えがあるわけではないが、私はより新しい国際的な知見を重視した。時代は変わってきているのです」と胸を張る。長女については、男性的な2次性徴が始まったら薬でいったん止め、本人に考える猶予を与える治療法を検討している。
「どちらの性別で育てますか?」
東海地方の主婦(28)は2年前に長男を出産してから医師に「選択」を迫られ続けてきた。性器の発達が不十分だった。産院を退院してすぐ、大学病院にかかりさまざまな検査を受けた。「断定はできないが、染色体は男性型だから男で大丈夫では」。あいまいな言葉でも医師を信じるしかなく、2週間の期限ぎりぎりに長男として役所に届けた。性別を保留できることは当時は知らなかった。
その後、別の医師からは「精巣がなく、子宮がある可能性がある。女の子として生きる方がいいのでは」と言われた。迷い続けてたどり着いた小児専門病院でも、男性の外性器の形成手術が難しいことを理由に、女の子を勧められた。「心も女の子になるんですか」と尋ねても明確な答えはなかった。
この春、詳しい検査で子宮や卵巣のないことが分かり、男の子として育てていく気持ちがやっと固まった。まずは陰茎を大きくする。将来子どもを持つのは難しいが、声も体も大人の男性になれるよう、定期的に男性ホルモンを注射していく。
「来年はスカートかも」。少し前は子ども服を買うのもためらったが、いま、性別そのものへの迷いは晴れた。
関西地方の夫婦が次女の性別選択で考慮した点(望月医師の説明による)
◇女性の場合
・子宮と卵巣はなく膣(ちつ)も不完全
・外陰部や膣の形成は男児にする場合より容易
・妊娠できない
・精巣を放置すれば思春期に男性化する可能性
・乳房の発達などのため女性ホルモンの内服が生涯必要
◇男性の場合
・精巣はある
・外陰部の形成は女児にする場合より難しい
・子どもが作れる可能性
・思春期に自然に男性化する可能性
・陰茎が小さいままの可能性
「境界を生きる」とは
連載「境界を生きる」は09年9月にスタート。近年まで医療界でさえタブー視されてきた性分化疾患や、心と体の性別が一致しない性同一性障害の子どもたちの苦悩を追い、社会の無理解などを問いかけてきた。
【毎日新聞 2011年10月17日 東京朝刊】
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(中) 「自分でなくなる」投薬中止
2011-10-17
ブラック・ムスリムの過激派ルイス・ファラカン
アメリカのネーション・オブ・イスラムはマルコムXが所属したことで広く知られている。ルイス・ファラカンは過激派を率いて分派を立ち上げた。彼の団体がブラック・ムスリムなのかどうかはわからない。では早速、彼のアジテーターぶりをご覧いただこう。
激しいパフォーマンスから彼のタレント性が窺える。ただし、ルイス・ファラカンの長広舌は筋が通っている。決して好きなタイプの人物ではないが、ファラカンやデイヴィッド・デューク(KKK)の存在は豊かな言論空間に貢献していると思われる。これは何も私が反シオニズムだから言うわけではない。彼らの合理性に耳を傾けた方が世界の情況がよくなると考えるからだ。
よく考えて欲しい。記者クラブ制度による自主規制・自主検閲が働いている以上、日本にまともな言論かあるかどうかを。
・ルイス・ファラカンとスパイク・リー 『ゲット・オン・ザ・バス』
・ネイション・オブ・イスラムとプリンス・アキーム
・アメリカ/ブラック・ムスリムの蠢動(しゅんどう)~マルコムXとルイス・ファラカン
・Nation of Islamリーダー ルイス・ファラカンのスピーチ
・アメリカのムスリム、ヨーロッパのムスリム
・イスラム指導者ルイス・ファラカン師、100万人行進、統一教会の祝福
・「ホロコーストとイスラエル」マフムード・アフマディーネジャード(イラン大統領)
【閲覧注意】異形とされるパレスチナ人
人間がこんな扱いをされていいのだろうか? それともイスラエル人はパレスチナ人が人間ではないとでも言うのだろうか? 顔面を潰された男性は内蔵を摘出されたことが明らかだ。ただ殺すだけでは飽き足りないのだろう。遺体から根こそぎ尊厳を奪っている。イスラエルの残虐ぶりを知ればヒトラーの行為が可愛く思えてくるほどだ。ナチスによるホロコーストは戦時であったが、イスラエルは平時において60年以上にもわたってパレスチナ人を虐殺している。家族の亡き骸(がら)がこんな姿で戻ってきたら、あなたはどうするだろうか? 「遠い異国の出来事だから自分には関係ない」と言うことは不可能だ。既に私が事実を示したのだから。最近では人体を内側から破壊するような新兵器を使っていると囁かれている(後で調べたところ白リン弾であることが判明した)。
・【閲覧注意】白リン弾の被害と思われるパレスチナ人の画像
・瓦礫の山のガザ:地表で燃え続ける白リン弾 国連がイスラエル軍の戦争犯罪を追求
・「ホロコーストとイスラエル」マフムード・アフマディーネジャード(イラン大統領)
・「貧しいユダヤ人」だけがナチスに殺された/『新版 リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス
・自爆せざるを得ないパレスチナの情況/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理 ・シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫
人格攻撃と信頼性
原発事故については、いろいろな情報がネットを中心に発信されていますが、発信者が「専門(この分類が難しいが)かどうか」より、そこに書かれたことが「まともで真面目で前向き」かどうかが問題で、その発信内容で判別する方法を書きました。
原則としては、「そこに書かれたことの背景、歴史、経緯、根拠、データなどをしっかり説明し、全体像を明らかにしながら述べているもの」はOK。相手の人格の批判が中心だったり、相手の意図を憶測したり、言葉使いが普通には使わないほど汚なかったり、そして文章があまりにも激しい……などは信用できないと言ってよいでしょう。
【武田邦彦「科学的な間違いに振り回されないように 2 人格攻撃と信頼性」】
上場企業の3割しか税金を払っていない。メガバンクは一円も税金を払っていない
国民新党・新党日本の両院議員総会から。『上場企業の3割しか税金を払っていない。メガバンクは一円も税金を払っていない。』こんな驚愕の事実をマスゴミは書かずに、一方で経団連のボスの減税談話を垂れ流す。もうこの国は終わっているよ。真っ当な事を言う政党が殆どいなくなっちゃったからな。
— mcadachi (@seattlemylove) 2011年10月15日
人間の生きる営みのすべては問題解決の試みである
人間の生きる営みのすべては問題解決の試みである。患者の運動機能回復もまた問題解決の試みである。そう定義すれば、リハビリテーション治療が患者にとっては「学習」であり、それを援助しようとする者にとっては「教育」であると規定できる。学ぶものと教えられるものとの相互関係の構築。これによってリハビリテーション専門家には「教師」としての立場が与えられる。セラピストは自らの治療が教育的であることを自覚しなければならなくなるのである。
【『リハビリテーション・ルネサンス 心と脳と身体の回復 認知運動療法の挑戦』宮本省三〈みやもと・しょうぞう〉(春秋社、2006年)】
ソフトバンクでつながるのは打線だけ
@euroseller
EURO SELLER 「ソフトバンクでつながるのは打線だけ」に続く標語募集。iPhone4Sでauに完敗。http://t.co/LK0FePjY
Oct 14 via yubitterFavoriteRetweetReply
2011-10-16
奥谷禮子の週刊東洋経済インタビュー騒動
週刊東洋経済2007年1月13日号で、「格差社会と言いますけれど、格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう、能力には差があるのだから」と発言し、インターネット上などで波紋が広がっている。
記事では、「下流社会だの何だの、言葉遊びですよ。そう言って甘やかすのはいかがなものか」と持論を展開。過労死については「だいたい経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。ボクシングの選手と一緒」とした上で、「自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない。揚げ句、会社が悪い、上司が悪いと他人のせい。ハッキリ言って、何でもお上に決めてもらわないとできないという、今までの風土がおかしい」と経営者側よりも労働者側の意識が問題との認識を示した。
2007年2月7日の衆議院予算委員会で、川内博史議員(民主党)が「あまりの暴論なので提示させてもらった。柳澤伯夫厚生労働大臣の諮問委員に日本国憲法を無視している人がいて、ホワイトカラーエグゼンプションを推進しようとしている」と詰問し、奥谷の当該発言を読み上げた。この質問に対し、柳澤厚生労働大臣は「まったく、私どもの考え方ではない」と答弁している。
この後、奥谷はマスコミの取材に対し「発言の一部分だけをとらえた質問は遺憾」と反論したが、2007年2月19日の衆議院予算委員会で、枝野幸男議員(民主党)が「十分釈明を聞きたい」と述べ、参考人招致を要求した。結局、与党側が3月2日に委員長職権で審議を打ち切り予算案が衆議院を通過したので野党側が要求していた奥谷の参考人招致は実現しなかったが『週刊ポスト』『女性セブン』(以上、小学館)や『サンデー毎日』(毎日新聞社)でも奥谷発言が取り上げられた。
この発言に関して奥谷は2007年4月2日付の朝日新聞におけるインタビューで、「真意が伝わっていない。工業化社会から知的創造の時代に移り、長く働けば生産性が上がる時代では無い。自分で労働時間を管理し、生産性が上がるよう働けばいいという意味だった」とコメントしている。
2007年5月22日の参議院厚生労働委員会で櫻井充議員は奥谷について「この方が労働政策審議会のメンバーですね、ホワイトカラーエグゼンプションをどんどん進めていって、やられている方ですね。この方は、規制改革会議のメンバーでしたね。過労死は自己責任と言った人ですよ。こういう人が本当に有識者ですか」「何回も、いつもこの委員会で問題になっていますけれども、過労死は自己責任だとか、そういうことをおっしゃっている方が(労働政策審議会の委員として)適切なのかということです」と批判している。
【Wikipedia】
エリザベス・エックフォードを罵ったヘイゼル・ブライアント
(※1957年)9月4日の初登校日、黒人生徒たちはNAACP(全国黒人地位向上協会)役員や白人司祭等と共に団体行動で登校することになったのですが、家が貧しく電話のないElizabeth Eckford(エリザベス・エックフォード、15歳)には連絡がつかず、彼女だけは単独で登校しました。彼女は少しでも可愛く見えるようにと、この日のために手製のスカートを作り、アイロンも念入りにかけていました。バスを下り学校に近づくと、並んでいる州兵が「あっちへ行け」という仕草をしました。彼女は素直に通りの反対側へ移り、学校の正面玄関に向います。Elizabeth Eckfordを発見した白人生徒を含む群衆はゾロゾロと彼女について歩き、口々に"Nigger!"(クロンボめ!)、"Go back to Africa!"(アフリカへ帰れ!)などと罵りました。このワン・ブロックは彼女にとって生涯で一番長い距離だったそうです。正面玄関へと続く小道の近くの州兵たちは冷たい目付きで彼女を睨み、銃剣をかざして通せん坊しました。彼女はTV報道で州兵がいることは知っていましたが、「州兵は黒人の生徒を守ってくれる役目」だと思い込んでいたので愕然とします。Elizabeth Eckfordは途方に暮れ、ふと目に入ったバス停のベンチを目指します。罵声や憎しみの目に囲まれ、彼女の膝はガクガクし、やっとの思いでベンチに到達。数人の親切な白人の助けでバスに乗り、母の職場へ駆け込んで泣き崩れたそうです。
【リトル・ロック(アーカンソー州)セントラル高校の人種統合(1957)】
高校生のヘイゼル・ブライアントが獰猛(どうもう)な野獣のような顔つきで、エリザベス・エックフォードを罵倒している。10代半ばの少女が差別という狂気に取りつかれたのは、そのように教育されてきたためだろう。
ところが、この写真を撮影されてしまったことでヘイゼル・ブライアントは長年にわたって苦しむ羽目となる。「天に向かって吐いた唾(つば)が顔に掛かるのは当然だ」という思いもする。しかし誰にでも過ちはあるものだ。
ヘイゼル・ブライアントがエリザベス・エックフォードと再会し、謝罪することができたのは、実に40年後のことであった。誤った価値観はかくも恐ろしい。
・パレスチナ人女性を中傷するイスラエルの若者たち
・公民権運動の母ローザ・パークスとバス
・クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義
国連総会のテロ非難決議に反対したアメリカとイスラエル(1987年)
第一次対テロ戦争は大きな支持を得た。レーガンがテロリズムを弾劾してから2ヶ月後、国連総会は国際テロリズムを非難し、1987年には、再び、さらに強くはっきりと国際テロリズムを非難した〔国連総会決議第40/61、1985年12月9日及び決議42/159、1987年12月7日〕。けれども、これらの決議は満場一致ではなかった。1987年の決議は賛成153、反対2で採択された。ホンジュラスは棄権した。米国とイスラエルは、反対票を投じた理由を説明して、決議には致命的欠陥があったと述べた。すなわち、「本決議のいかなる部分もいかなるかたちでも、国連憲章で保障された自決の権利、自由の権利、独立の権利を強制的に剥奪された人々……特に植民地体制下および人種主義体制下、そして外国による占領下の人々……がこれら権利を備えていることに偏見を与えるものではない」という文言である。この部分は、南アフリカのアパルトヘイト政権(米国の同盟者。一方、米国政府はANCを公式に「テロリスト組織」としていた)に対するアフリカ民族会議(ANC)の闘争、及び、米国一国が事実上国際的に孤立しながら続けた軍事・外交支援により20年にわたり維持されていたイスラエルによる軍事占領に適用されるものと理解されていた。恐らくは米国の反対のため、このテロリズムに反対する国連決議は無視された。
【「誰がグローバル・テロリストか?」ノーム・チョムスキー】
アフリカ民族会議(ANC)のシンボルがネルソン・マンデラであった。彼がアメリカのテロ監視リストから除外されたのは2008年のことである。
・マンデラがテロ監視リストの大恥
ただし一度はびこった暴力の根は複雑に絡む。
・写真館 20 南アフリカ部族対立
驚くべきことだが以下の写真は、スパイの疑いをかけられたズールー族の男性がアフリカ民族会議の支持者によって殺害された写真である(1991年)。
・人間は人間を拷問にかけ、火あぶりに処し、殺害してきた
いずれにせよ、世界平和の足を引っ張っている最大の犯人がアメリカとイスラエルであることは確かだ。
・アメリカとイスラエルの共通点
・パレスチナ人女性を中傷するイスラエルの若者たち
・ノーム・チョムスキー
flickrから削除された画像もtumblrには保存されているって知ってた?
いやあ、たまげた。よそ様のflickrからアップした画像の一枚が表示されていなかったので、ジャンプしてみるとアカウントを削除したようだった。仕方がないので私は画像のコードを削除した。ところが自分のtumblrを眺めていたところ、件(くだん)の写真が残っているではないか!
flickrからtumblrへのアップロードはボタン一つで可能なわけだが、どういう仕組みになっているかは知らなかった。tumblrは画像URLの指定も可能なため、直リンクを貼っているのだろうとばかり思い込んでいた。ところが違ったようだ。真相についてはいまだ藪(やぶ)の中だ。
私はブログで紹介したflickr画像については、速攻でtumblrにアップしていたので助かった。こうなりゃ、flickrのお気に入りに登録してある数百枚の画像もtumblrに上げた方がよさそうだ。
霊験(れいげん)あらたかなtumblrであった。
2011-10-15
島田紳助監督『風、スローダウン』/主題歌「季節のない季節」BORO
僕と島田紳助が出逢ったのは、1979年の冬である。僕たちは大阪の大学の学園祭に出演していた。その大学の仮設楽屋で二人は出逢った。体育系大学のその控え室は、青春をやり始めたばかりの男子生徒の汗と土の匂いでむせかえるようだった。紳助は相棒の竜介と漫才をやっていた。それはツッパリ漫才と呼ばれ、その大学に通う連中達のような若い層に、絶対的な支持を受けていた。僕はバンドのメンバーとその年の夏に発表した「大阪で生まれた女」をひっさげ、全国をツアーしていた。その曲はその冬の、その大学祭の時期には、大ヒットの兆しが見え始めていた。楽屋で年かっこうの似た二人が、打ち解けるのは早かった。僕が鏡の前でポマードをぬっていると、横で紳助もポマードをぬっている。お互いのポマードを見せ合い、どこのメーカーなのか、そんなことを話したのが一番最初の会話だった。島田紳助にとっても、僕にとっても、芸能界が、この世のすべてだった頃の話である。
その日のステージも熱狂的な、夢と愛と希望と、そして幸せに満ちたステージだった。ステージ終了後の、仮設楽屋は狂喜に満ちていた。学生スタッフ達のキラキラ輝く瞳には熱い青春の涙がいっぱい溢れていて、口々にそれぞれの夢を語っていた。戦い続ける男達は、今も変わらないでいてくれるだろうか……。そして、あの日の、涙や汗や土の匂いは、今も僕の体にしみついて離れない。
紳助と竜介と僕は、大阪のABCラジオのDJをやり始めた。その番組は一年半続いた。番組での3人のテーマは、青春と夢だった。大阪中のラジオのスピーカーに向かって僕達はアジテートしていた。「夢をもて」「勇気を出せ」「強く生きろ」「あの"うさんくさい権力"にだまされるな」言いたい放題のあの番組が、一年半も続いたのは、奇跡だったのかも知れない。その番組の中で、紳助はリスナーに叫んだ。「僕たちは映画を作るぞ。これが本当の青春映画と言うものを作るぞ。小手先やない。魂からほとばしる青春映画を……」
そして、僕もスピーカーの前のリスナー達に誓った。「その映画は、俺が音楽を作る、感動のあまり、泣けて泣けてしょうがないような歌を、俺が歌う」。オーバーに表現しているのではなく、本当に、そんなふうに話すDJだった。そして、10年が過ぎ、多くの夢のひとつが叶った。紳助と僕が朝まで語り明かした、夢の一つが叶った。1991.7.6、本当の正しい青春映画『風スローダウン』は、完成した。
「季節のない季節」の詩は、紳助が納得するまで書き変えた。レコードに録音された歌詞は、その中の5コーラスで、本当は11コーラス作った。あの歌は紳助が僕に、創造させてくれたと思っている。だからあの歌は、彼だけの為に作ったのかも知れない。(BORO)
基本的に動画は「斧チャン」で紹介しているが、どうしてもこれはというものについてはアップせざるを得ない。このアルバム(『季節のない季節』)が最後に買ったBOROのCDだった。全体の出来はよくなかった。この曲も音域が狭いため山場がないように聴こえる。だが、それでも尚、彼の声が発するビブラートは長い余韻を残す。若き日に抱いた理想を生涯堅持することは難しい。だからこそ道を誤った時には友が必要となる。二人の友情が続いていることを信じたい。
・歌詞
パスカルはできの悪い形而上学者となった
2011-10-14
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