2011-10-19

境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(下) 「判断妥当か」医師に重圧


境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(上) 「男子と女子、どっちがいい?」
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(中) 「自分でなくなる」投薬中止
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(下) 「判断妥当か」医師に重圧

年月経て、疑問持つ患者も 未解明な「脳の性分化」

「カルテを開示してほしい」。3年前、診察室で向き合った20代の患者に言われた時、独協医大の有阪治教授は「その時が来たか」と覚悟を決めた。患者は男性として育ってきたが、性染色体は女性型のXXだった。カルテには書かれていたが、患者自身は知らないはずだった。

 患者は極端に大きな陰核の外見から、男児と判定されて育てられた。体の発達に違和感を覚えた両親が3歳の時、東京都内の大学病院を受診させ、性分化疾患の一つ「先天性副腎過形成」と診断された。子宮や卵巣はあるが、男性ホルモンが過剰に分泌され外性器などが男性化することのある疾患だ。

 このまま男児として生きた方がいいのか。染色体や内性器に合わせ女児に変えるべきか。当時20代の駆け出しの研修医だった有阪医師は、師事していた主治医の教授が治療方針に悩み、海外の文献をひもといて似た症例を必死に探す姿を見ていた。「夜も眠れない」と漏らすのを聞いたこともある。

 最後は両親の意向を尊重し、引き続き男児として育てる方針が決まった。その後、子宮は摘出した。教授は「将来、この子が自分の体に疑問を持って訪ねてきた時、自分はもうこの世にいないはずだ。誰が答えてくれるのだろう」と懸念を口にしていた。

 年月がたち、予想は的中した。

 この患者を引き継ぎ主治医となっていた有阪医師は、「事実関係をきちんと説明しよう」と連絡を待った。開示されたカルテを見て、電話をかけてきた患者は「俺を実験材料にしたんだろう」と怒りをあらわにした。「包丁で切り刻んでやる」とメールで脅されたこともあった。「詳しい理由は分からないが、やはり生き苦しさがあったのかもしれない」。やがて攻撃的な言動は収まったが、有阪医師には苦い思いが残った。

 昨春、一人の新生児が性分化疾患と診断され、独協医大に転院してきた。有阪医師は主治医として初めて中心的に性別判定にかかわった。1カ月にわたりさまざまな検査を行い、結果が出る度にどんな治療をすべきか迷った。「同じ立場になってみて、あの時の教授の重圧が分かった」。両親の希望で、新生児は染色体の型を重視して男性として育てる方針が決まり、形成手術も行った。判断は妥当だったのか、年月がたたないと答えは出ない。



「性別の確定は戸籍法の期限である14日にとらわれず、生後1カ月までに」。日本小児内分泌学会と厚生労働省研究班は、性分化疾患の新生児を診る医師に慎重な対応を求める手引をまとめた。だが実は、1年かけたとしても真に適切な性別判定はできない。未解明の「脳の性分化」という課題があるからだ。

 昨年12月に大阪府立大が開いたシンポジウム。性分化疾患の研究で世界的に知られるハワイ大医学部のミルトン・ダイアモンド教授が変わった言い回しで訴えた。「性別を決定するのは、両足の間にあるものではなく、耳と耳の間にあるものです」。大切なのは、性器の状態ではなく、自分自身を男だと思うのか女だと思うのか、つまり心(脳)の性だ、という意味だった。

 70種以上ある性分化疾患の中には、性別判定の難しさから、育てられた性と心の性が食い違いやすいものがある。例えば男性器が未発達で女性と判定されがちな「5α還元酵素欠損症」。女性として育てられても心では男性だと自覚する確率が59%という海外のデータがある。男性として育てた場合は0%だ。疾患ごとにこうした傾向がつかめれば、出生時に性別を判定する重要なポイントになりうる。

 厚労省研究班は全国の小児内分泌医と小児泌尿器科医に昨年初めて実施した実態調査を基に、数種類の疾患にしぼり追跡調査した。8月に出そろったデータを分析している山梨大名誉教授の大山建司医師によると、最も患者が多い性分化疾患の一つ「21水酸化酵素欠損症」の場合、約150症例のうち子どもの性同一性障害(心と体の性の不一致)の診断基準に当てはまる患者が3~4%いた。大山医師は「児童精神科医の協力も得ながら、データを詳しく読み解きたい」と話す。



 92年に複数の診療科の医師とケースワーカーなどで性別判定委員会を作るなど先進的な取り組みをしてきた大阪府立母子保健総合医療センター。一昨年から本格的に、看護師が親子それぞれと面談する「看護支援」を始めた。

 親は子どもが性分化疾患だと知った段階からショックや自責の念を持つことがある。40組以上の親子と面談してきた石見(いわみ)和世看護師は、「親の愛情が形成されるのを手助けしていくことが、子どもの成長のために何より重要」と話す。

 面談では、学校生活での心配、結婚や出産はできるか、子どもに病気をどう説明するか、さまざまな質問が出る。じっくり話し合い、時間を共有するなかで、多くの親が涙を流し、病気に立ち向かう決断をしていく姿を目にしてきた。「この病気について心を開いて話せる場所なんて、今までどこにもなかった」。その言葉に、石見看護師は、患者家族の孤独と強さを思うばかりだ。



 性分化疾患はかつて医療界でもタブー視されていたが、患者の立場に沿った対応も進み始めている。日本小児内分泌学会の堀川玲子・性分化委員長はいう。

 「性分化疾患に『正しい答え』はなく、第三者が当事者の決断を批判することはできない。普通と違う人をどれだけ受け入れられるか、社会の成熟度が問われている」



◇脳の性分化

 心(脳)が自覚する性のこと。人はどんな仕組みで自分の性を認識するのか、決定的な研究はまだない。容姿や言動が男性的なことと、心が自覚する性が一致するとも限らない。人の性別は染色体や性腺、性器の性などで総合的に決められるが、本人の「生きやすさ」のためには最終的に「脳の性」まで解明されることが必要だ。

【毎日新聞 2011年10月19日 東京朝刊】

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