寝たきりの病人や意識障害の人に聴かせてあげるとよい。
◎海の音、火の音、森の音を楽しむ
被災地で活動した芸能人表彰式は正に感動的だった。特に杉良太郎さんのスピーチには涙した。「ここにいる芸能者は、皆胸が潰れる思いで被災地に立った。にも関わらず売名という声を投げかけられる。そんな貧しい文化しか、我々の国は持ってないのです。しかし、我々は被災地に関わり続けるでしょう。」
— 駒崎弘樹:Hiroki Komazakiさん (@Hiroki_Komazaki) 5月 1, 2012
「時間と空間が完全に支離滅裂になった」と、彼は後に書いている。「わたしのまわりの動きが、最初はスピードを上げているように思えたのに、今度はスローモーションになった。現場はグロテスクな動きをする、混乱した悪夢さながらの幻影のようだった。目にするものはすべて歪んでいるように思えた。どの人も、どの物も、違って見えた」(ディエゴ・アセンシオ、米国大使)
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
生死にかかわる状況においては、人は何らかの能力を得る代わりにほかの能力を失う。アセンシオは突然、非常にはっきりと目が見えるようになったことに気づいた(実際、テロリストたちに包囲されたあとの数ヵ月間は、視力がそれまでよりよくなったままで、一時的にメガネの度数を下げてもらうことになった)。一方、多くの調査によると、大多数は視野狭窄(きょうさく)になっている。視野が70パーセントほど狭くなるので、場合によっては、鍵穴から覗いているように思えることもあり、周囲で起こっていることを見失ってしまう。たいていの人はまた一種の聴覚狭窄に陥る。不思議なことにある音が消え、ほかの音が実際よりも大きくなるのだ。
ストレス・ホルモンは、幻覚誘発薬に似ている。
「準備をすればするほど、制御できるという気持ちが強くなり、恐怖を覚えることが少なくなる」(『破壊的な力の衝突』アートウォール、ローレン・W・クリステンセン)
彼(ブルース・シッドル、セントルイスの警察学校指導教官)は、心拍数が毎分115回から145回のあいだに、人は最高の動きをすることを発見した(休んでいるときの心拍数はふつう約75回である)。【それ以上になると機能は低下する】
もっとも意外な戦術の一つは呼吸である。(中略)どうすれば恐怖に打ち勝つことができるのかを戦闘トレーナーに尋ねると、繰り返し彼らが語ってくれたのが呼吸法だった。(中略)警察官に教える一つの型は次のようになっている。四つ数える間に息を吸い込み、四つ数える間息を止め、四つ数える間にそれを吐き出し、四つ数える間息を止める。また最初から始める。それだけだ。
黙想をしている人たちは、黙想をしているときに使われる前頭葉前部の皮質の一部で、脳組織が5パーセント分厚くなっていたのである。そこは、そのどれもがストレスの制御を助ける、感情の統制や注意や作動記憶をつかさどる部位である。
オリナー(社会学者サミュエル・オリナーと妻パール・オリナー。400人以上の英雄にインタビュー調査)が発見したことは、いわく言いがたいものだった。「なぜ人々が英雄的行為をするのかについて説明することはできません。遺伝的なものでも文化的なものでも絶対にないのです」。だがまず、何が問題に【ならなかった】かについて考えてみよう。信仰は違いをもたらしていないように見えた。
政治も行動を予測する要素にはならない、ということがオリナーの研究でわかった。救助者も被救助者もそれほど政治に関心を持っているわけではなかった。しかしながら、救助者たちは概して民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向があった。
しかし両者の間には重要な違いがあった。救助者のほうが両親との関係がより健全で密接である傾向があり、そしてまたさまざまな宗教や階級の友人を持っている傾向も強かった。救助者のもっとも重要な特質は共感であるように思われた。どこから共感が生じるのかを言うのはむずかしいが、救助者は両親から平等主義や正義を学んだとオリナーは考えている。
英雄的行為をとる人々は、日常生活においても「助ける人」であることが非常に多い。
一方、傍観者は、制御できない力にもてあそばれているように感じがちである。
英雄たちは幾度となく自分がとった行動を「もしそうしなかったら、自分自身に我慢できなかったでしょう」という言い方で説明している。
「利他主義も一皮むけば、快楽主義者なのだ」とギャラップは言う。
爆弾ニュース。仏のサルコジ大統領がリビアのカダフィ大統領から政治資金5千万ユーロ〔約53億円〕を2007年の大統領選挙資金を受け取るという証拠書類が暴露された。これは現在地下に潜る旧リビア情報部員が公にしたもの。やはり本当の話だった。j.mp/JCbWxI
— TertuliaJapónさん (@TertuliaJapon) 4月 28, 2012
フランスでは2007の大統領選挙資金としてサルコジがこの53億円をカダフィから貰っていて、政治資金法に抵触し、今までの5年間の大統領は無効ではなかったか、などという議論も起きている。一体どう処理するつもりなんだろ?もう大統領やっちゃった訳だし。そりゃ、腹が立つだろうね。
— TertuliaJapónさん (@TertuliaJapon) 4月 28, 2012
9.11のあと、アメリカ人の多くは、飛行機の代わりに車で移動しようと決心した。車のほうが安全だと感じられたのだ。さらに空港での、突発的に設定された新しいセキュリティチェックのわずらわしさを考えれば、車のほうが楽なことは確かだった。9.11以後の数ヵ月間に、攻撃以前の同じ時期に比べると、飛行機の乗客数は約17パーセント減少した。一方、政府の概算によると、車の走行距離は約5パーセント増えた。
だが常識を覆(くつがえ)す恐ろしいことが起こった。9.11以降の2年間に、飛行機の代わりに車で移動していたために、2302人によけいに亡くなったと考えられるのだ。これはコーネル大学の3人の教授が2006年に行なったアメリカの自動車事故についての調査結果である。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
「アメリカン・サイエンティスト」誌に掲載された2003年の分析によると、1992年から2001年にかけて主要な民間の国内線飛行機で死ぬ可能性は、おおよそ1億分の8だった。それに比べて車で平均的なフライト区間で同じ距離を走れば、約65倍もの危険を伴うのである。
憲法を守らない国家、労基法を守らない世間、道交法を守らないお父さん、「本当の事を言えば許すわよ」と言ってるのに本当の事を言うとお尻を叩くお母さん、「大丈夫、痛くないよ」と約束して強引に歯を抜く歯医者さん、こんな嘘つきばかりの世の中で子供がまともに育つはずがないじゃないですかー
— リナ・フィード@>ヮ<さん (@iTerwtt) 4月 27, 2012
復興庁、先ほど、震災関連死者数発表しました。なんと、地震・津波の直接の死者・行方不明者では圧倒的に宮城県なんですが、震災後の過酷な生活を示す震災関連死数では、福島県がトップです。これほどはっきりでるのですよね。胸がひりひりしますね。 reconstruction.go.jp/topics/120427s…
— möbius-rebelliusさん (@MobiusRebellius) 4月 27, 2012
大化2年の薄葬令の影響もあってか、702年に崩御した女帝・持統が火葬に付されたのを嚆矢に、平安から近世にかけては仏教的な火葬が主流だった。巨大な陵墓に土葬する復古主義が始まったのは孝明天皇以来。このように幕末・明治以降、新政府の権威付けのための宮中儀礼の「捏造」が多くみられた。
— tetsuya kawamoto さん (@xxcalmo) 4月 26, 2012
わが国最初の火葬例は、公式記録によれば、文武4年(700)に死んだ元興寺(がんこうじ)の僧道昭(どうしょう)である。
【『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛(新潮社、1972年/新潮文庫、1981年)】
クリシュナムルティ●直観は、英知の極致、頂点、精髄なのです。
【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)以下同】
ストコフスキー●私はかねがね、芸術作品は無名であるべきだと思ってきました。私が気にかけていた問いはこうです。詩、ドラマ、絵あるいは交響曲は、その創造者の表現だろうか、それとも彼は、想像力の流れの通路となる媒介だろうか?
「創造的なものを解放するためには、正しく考えることが重要です。正しく考えるには、自分自身のことを知らなければなりません。自分自身を知るためには、無執着であること、絶対的に正直で、判断から自由でなければなりません。それは、自分自身の映画を見守るように、日中、受け入れも拒みもせずに、自分の思考と感情に連続的に気づくことを意味するのです」
「いったんはじめられ、正しい環境を与えられると、気づきは炎のようなものです」 クリシュナムルティの顔は生気と精神的活力で輝いた。「それは果てしなく育っていくことでしょう。困難は、その機能を活性化させることです」
ハリケーン「カトリーナ」の犠牲者たちは、人口の割合からいって、貧しい人たちではなく高齢者だったことが後に判明した。「ナイト・リッダー・ニュースペーパーズ」紙の分析によると、死者の4分の3は60歳以上で、半数は75歳を越えていた。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
つまり、重要なのは移動手段よりも動機づけだったのだ。
今日では、意思決定を研究しているほとんどの人々が、人間は理性的ではないということに同意している。
コーヒーとドーナツは合計で1ドル10セントである。コーヒーはドーナツより1ドル高い。ドーナツの値段はいくらか?
最初に出した答えが10セントなら、答えているのはあなたの直観システムだ。それから考え直して正しい答え(5セント)に到達したら、それはあなたの分析システムが直観を支配下に置いたのである。
女性は年を重ねるにつれ夫や恋人との会話が減り、わが子や孫に関心を向ける傾向があることが携帯電話の通話・メール記録から立証されたとする研究論文が19日、英オンライン科学誌サイエンティフィック・リポーツ(Scientific Reports)に掲載された。利己的遺伝子の観点からすれば当然である。女性は妊娠の可能性がなくなった時点でコピー済みの遺伝子を保護するということなのだろう。一方男性はといえば、死ぬまで子をつくれる可能性がある。男は終生にわたってコピー機で、女は途中からファイルキャビネットに変わる。
この研究は英国、フィンランド、米国、ハンガリーの国際研究チームが約320万人を対象に、携帯電話での通話やメール20億件余りを7か月にわたって追 跡調査したもの。データは欧州のある携帯電話事業会社が提供し、研究チームには対象者の年齢、性別、通話時間、送信メール数、郵便番号だけが明かされた。
その結果は、女性の遺伝子には子孫を残そうとする役割が備わっているとする進化論上の説を裏付けるものだった。
携帯電話の記録からは、男女それぞれの対人関係が時と共にどのように変化していくかが示された。研究に参加した英オックスフォード大学(University of Oxford)のロビン・ダンバー(Robin Dunbar)教授によれば、親密な人間関係は男性よりも、女性側の都合に左右される場合が多いという。
「男性にとっての社交とは気楽な付き合いだが、女性は自分の目的をはっきり把握しており、そのためなら迷わず真っすぐ進む」(ダンバー教授)
論文によれば、出産適齢期の女性は異性と交流する時間が長く、45歳を過ぎると女性の関心は娘や孫など若い世代に向く傾向がある。
一方、男性が携帯電話で最もコミュニケーションを取る相手は、生涯を通じて妻や恋人だった。ちなみに、電話やメールの回数は女性より少なかったという。
論文共著者のフィンランド・アアルト大学(Aalto University)のキモ・カスキ(Kimmo Kaski)教授はAFPの取材に、こうした結果は分かりきったことかもしれないが、実際にデータを用いて証明されたのは初めてだと説明した。
【AFP 2012-04-20】
刑務所には投獄者ひとりにつき連邦政府から1日122ドル支払われます。食事は色のついた砂糖水と硬くて食べられない古パンと熟していないオレンジ一個がプラスチック袋に詰められて渡される。多分一人につき原価1ドル以下@xxcalmo 「マーケティング」の対象が移民なのだということになれば
— 宮前ゆかりさん (@MiyamaeYukari) 4月 18, 2012
私営の牢獄がものすごい勢いで米国各地にこれでもか、という勢いで増設されています。牢獄産業とセキュリティ産業、軍事産業は三位一体。@xxcalmo 刑務所とて民間経営ともなれば市場原理にもとづく利潤追求の意識
— 宮前ゆかりさん (@MiyamaeYukari) 4月 18, 2012
先日、三人の敬虔な利己主義者が私のところにやってきた。一人は、〈サンニャーシ〉、世俗を断念した人物であった。二番目は、東洋学者(オリエンタリスト)であり、同朋愛の熱烈な支持者であった。三番目は、すばらしいユートピアの実現を確信している活動家であった。三者はそれぞれ、各自の仕事を熱心に務めていたが、他の二人の心的傾向や行動を見下(くだ)しており、各自の確信によって身を固めていた。いずれもその特定の信念形態に激しく執着しており、三人とも奇妙な具合に他人に対する思いやりが欠けていた。
【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)以下同】
かれら三人は――ユートピア主義者は殊にそうであったが――自分の信ずることのためであれば、自分自身だけでなく友愛をも犠牲にする覚悟がある、と私に言った。かれら三人は――同朋愛の士はとりわけそうであったが――温厚な様子であったが、そこには心の硬さと、優秀な人間特有の奇妙な偏狭さがあった。自分たちは選ばれた人間であり、他人に説明して聞かせる人間であった。かれらは知っており、確信を持っているのであった。
学者は「信じることを頑なに拒否する人」だから、「信じてる人」や「信じたい人」とは、必然的に対立する。
— 沼崎一郎さん (@Ichy_Numa) 4月 15, 2012
学者が提供するのは、「考える」材料であって、「信じる」対象ではない。
— 沼崎一郎さん (@Ichy_Numa) 4月 15, 2012
あなたが「確かだ」と思ってること全て。 RT @h_iitsu:その「信じる」とは具体的になにを指すでしょう?
— 沼崎一郎さん (@Ichy_Numa) 4月 15, 2012
1983年から2000年の間に起こった重大な事故に巻き込まれた乗客のうち、56パーセントが生き残った(「重大な」というのは、国家運輸安全委員会の定義によると、火災、重症、【そして】かなりの航空機の損傷を含む事故である)。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
「技術者が自分の設計しているもののことを知りたければ、それに強いストレスを与えてみればいい」と、米軍で20年あまり人間行動を研究してきたピーター・ハンコックは述べている。「それは人間についても同じである。普通の状況下で物事がどのように機能するのかを知りたいと思えば、わたしたちがストレス下でどう機能するのかをつまびらかにしてみると、興味深い結果が得られるだろう」。
いったん否認段階の最初のショックを通り抜けたら、生存への第2段階である「思考」に移ってゆく。何か異常事態が発生しているとわかっているのだが、それをどうしたらいいのかわからない。どのように決断を下すべきだろう? 最初に理解しておくべきことは、何一つとして正常ではないということだ。わたしたちは平時とは異なった考え方や受け取り方をする。
(※世界貿易センター爆破事件、1993年)人々は異常なほどのろのろと動いた。爆発から10時間たっても、まだオフィスから避難していない人たちを消防士は発見していた。
カナダの国立研究協議会のギレーヌ・プルーは、1993年と2001年の両年に、世界貿易センターでの行動を広範囲にわたって分析した数少ない研究者の一人だ。彼女が目撃したものは、ゼデーニョの記憶と合致する。「火災時における実際の人間の行動は、“パニック”になるという筋書きとは、いくぶん異なっている。一様に見られるのは、のろい反応である」と、雑誌「火災予防工学」に掲載された2002年の論文に彼女は書いた。「人々は火事の間、よく無関心な態度をとり、知らないふりをしたり、なかなか反応しなかったりした」
笑い――あるいは沈黙――は、立ち遅れと同様に、典型的な否認の徴候である。
なぜわたしたちは避難を先延ばしするのだろうか? 否認の段階では、現実を認めようとせず不信の念を抱いている。我が身の不運を受け入れるのにしばらく時間がかかる。ローリーはそれをこう表現している。「火事に遭うのは他人だけ」と。わたしたちはすべてが平穏無事だと信じがちなのだ。なぜなら、これまでほとんどいつもそうだったからである。心理学者はこの傾向を「正常性バイアス」と読んでいる。
(※9.11テロの)攻撃後の1444人の生存者に調査したところ、40パーセントが脱出する前に私物をまとめたと答えている。
実際に災害に直面すると群集は概してとても物静かで従順になる。
次の文は、災難は自分のすぐそばでしか起きていないという強い思い込みについて、ゼデーニョが述べているものである。このような思い込みを、心理学者は「求心性の錯覚」と呼んでいる。
以下は人間の心がとてつもない危機をいかに処理するかについて述べたものである。
わたしの足は動きが鈍くなっていた。というのも、自分が目にしているのは瓦礫だけではないことに気づきはじめたからだ。わたしの頭はこう言っている。「おかしな色だ」。それが最初に思ったことだった。それから口に出して言いはじめる。「おかしな形だ」。何度も何度も頭のなかで言う。「おかしな形だ」。まるでその情報を閉め出そうとしているかのようだった。わたしの目は理解することを拒んだ。そんな余裕はなかった。だからわたしは、「いや、そんなはずはない」と思うような状態だった。やがて、おかしな色やおかしな形を目にしたことの意味するところがついにわかったとき、そのとき、わたしが目にしているのは死体だと気づいたのだ。凍りついたのは、そのときだった。
そのとき、ゼデーニョはまったく何も見えなくなった。「煙のせいだったの?」とわたしはゼデーニョに尋ねる。「いえ、いえ、そうじゃないわ。あそこには煙はなかった。でも、まったく何も見えなかったの」