2012-09-16

プラム・ビレッジ(フランス)のシスターが語る気づきと瞑想


 汚(けが)れなき瞳と慎ましい表情。そして美しい歌が信じられないほど心を揺さぶる。真の宗教性が宗派の差異を軽々と超える。プラム・ビレッジはティク・ナット・ハンを中心とするコミュニティである。シスターたちが10月に来日するようだ。


公式サイト
2012年10月シスター・ブラザー来日【総合】情報
ティク・ナット・ハンのきもち
歩く瞑想/『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
「100%今を味わう生き方」~歩く瞑想:ティク・ナット・ハン

鹿島圭介、高橋昌一郎


 1冊挫折、1冊読了。

警察庁長官を撃った男』鹿島圭介〈かしま・けいすけ〉(新潮社、2010年/新潮文庫、2012年)/文章に独特のキレがある。良書。ただし私には必要がないと判断した。「命を狙われた点は気の毒だったが、国松の責任は極めて重大というほかない」(単行本27ページ)。犯罪は未然に防ぐことができない。時折、文筆業者にありがちな軽薄な決めつけが見受けられる。

 54冊目『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、2012年)/限界シリーズ第三弾。偏った知識に全体観を与えてくれる好著。高校のテキストにするべきだと思う。若いうちに読んでおけば無駄な読書をしなくて済むことだろう。軽めの読み物でありながら軽薄に堕していないところがミソ。内容としては行動経済学、認知科学入門であり、意識と自由意志を辿り、カミュの形而上学的反抗にまで触れている。必読書に入れる予定。

中国長沙で日本車が群衆に襲われる動画


2012-09-15

偽りの画像が生む本物の迫真性


 flickrで見た一枚の画像に眼が釘づけとなった。反射的に画像のアカウントを辿った。私は息を呑み、眩暈(めまい)を覚えながら、震える指でクリックし続け、結局1000枚の画像を見る羽目となった。そして今再び1000枚の画像を見た。

 露出や露光を変えることで、現実にはあり得ない作品に仕上がっている。その意味では「偽りの画像」といってよい。だが実は単なるデフォルメではない。撮影対象を時間的・光学的に揺さぶることで視覚の本質に迫っている。

 私は小学生の時分に「なぜ眼が見えるのだろう?」とその不思議さに慄(おのの)いたことがあった。UFOや幽霊を見ることよりも、眼が見えること自体の方がはるかに不思議だ。

 その後、少なからず視覚に関する書籍を読んできた。現代科学はいまだ私の疑問に答えていない。それでも視覚のメカニズムは少しずつ判明している。実は我々の眼はそれほどよく見えてはいない。脳が多くの視覚情報を補正している。盲点は想像以上に大きいし、周辺視野は色を確認することができないのだ。

「見る」ということは、光の反射情報を受け取っていることだ。右耳と左耳との距離によって生じる時間差で方角を知るように、右眼と左眼の10cm足らずのズレによって我々は空間の奥行きを知覚する。

 昆虫は紫外線を見ることができる。また最近の研究によれば鳥類や魚類の多くも紫外線を認識することが明らかになっている。「目に映る世界」は決して一つではない。

 またモグラの眼は退化しているが困った様子はない。更に小型コウモリは超音波による反響定位で距離を測る。「耳で視ている」といってよい。

 長くなったので、もうやめる。一言でいえば視覚とは「脳内で像を結ぶ」知覚作用であろう。klikatu氏の写真は「イメージの原型」が持つ本物の迫真性に満ちている。

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bike

the reader

klikatu's photostream
迫真の肖像力

最も通俗なものと最も真実なものの接点



 政治にも通じる卓見だと思う。

文庫版『ちくま哲学の森』(全8冊)鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀編(ちくま文庫、2011年)


 このアンソロジーはお薦め。装丁・装画は安野光雅〈あんの・みつまさ〉。尚、理由は知らないが単行本と文庫本の巻数が異なっている。

ちくま哲学の森 1 生きる技術 ちくま哲学の森 2 世界を見る ちくま哲学の森 3 悪の哲学 ちくま哲学の森 4 いのちの書

ちくま哲学の森 5 詩と真実 ちくま哲学の森 6 驚くこころ ちくま哲学の森 7 恋の歌 ちくま哲学の森 8 自然と人生

筑摩書房