・『そうだったのか! 現代史』池上彰
・ソ連がアフガニスタンを侵攻するようにアメリカが誘導した
・分割統治
ヨーロッパの強国は、世界各地で植民地支配をする上で、「分割統治」の原則を貫いてきました。たとえばフランスは、カンボジアを植民地にしたときに、ベトナム人を使って間接統治しました。このため、カンボジア人の恨みはベトナム人に向けられ、いまでもカンボジア人のベトナム人嫌いの原因になっています。
ベルギーは、アフリカのルワンダを植民地にしたときに、ツチ族とフツ族という二つの民族を対立させて支配しました。この結果、二つの民族の間に憎悪が残り、1994年の内戦の遠因になりました。
イギリスは(インドの)「分割統治」を進めるために、間接統治と共に、「対立させて支配する」という方式を実行しました。
【『そうだったのか! 現代史 パート2』池上彰(ホーム社、2003年/集英社文庫、2008年)】
古代ローマにおける分割統治とは、広大なローマ帝国を築き上げるために支配下の都市に対して行った政策のことだ。分割統治はまた、大航海時代の15世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパ列強が植民地を支配するための基本的な戦略としても用いられた。
【山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!】
列強たちはそれぞれの取り分を、一つの国として統治したのか?というと全然違う。いくつもの国として統治。しかも、ここで編み出した知恵が分割統治。あえて、民族や宗教等が違う人たちを少しだけ入れるように工夫して線を引く。しかも、その反対側(隣の国)はその比率が逆になるように。
【世界地図を見てみよう:分割統治の怖さが見える:吉川由紀枝】
欧米の分割統治とは、少数の民族や華僑に特権を与えて大多数の現地人を支配させ、その上に欧米人が坐るという支配のしかたのことである。
【欧米の伝統「分割統治」】
支配される側を一級市民と二級市民に分けて、扱いに差をつけます。すると生活に不満があっても、一級市民は二級市民を見下すことで不満のはけ口にします。「自分はまだあいつらよりもマシだ」。とうぜん、二級市民は一級市民を敵視するようになります。支配される側の人々は仲たがいをし、小さな利害でも対立するようになるのです。
支配される側の人々は互いに争うので、支配階層に対する批判の矛先を逸らすことができるのです。分断統治は、人々が持つ差別意識や優越意識を利用しています。
【権力闘争「分断して統治せよ」】
スリランカでは、その分割統治の定石通りに植民地支配が行われて、インドから連れてこられたタミル人は土着のシンハラ人をよそに安定した仕事と富を得ることになった。
そして、イギリスの目論み通り、シンハラ人とタミル人は憎しみ合い、数十年にも渡る激しい闘争を繰り広げていたのである。
この構図は、香港でも、シンガポールでも使われた。そして、パレスチナでも分割統治の名残りとしてユダヤ人が植民されて、中東の火薬庫となっていった。
【セイロン茶葉の紅茶を飲みながら、イギリスの分割統治を思う:鈴木傾城〈すずき・けいせい〉】
本願寺側にとっては失礼な物言いになるかもしれませんが、秀吉と家康による本願寺の「分割統治」(ぶんかつとうち)が見事に成功し、それが未だに続いているといっても過言ではないのです。
【家康の政策 ~分割統治と権益による統制 その1】
戦後、日本本土はドイツのように分割されることなく、アメリカを中心とする連合国による占領統治が行われましたが、戦争中には、連合国が日本本土を分割して占領する「日本の分割統治計画」が存在しました。
【Divide and Rule: 分割し統治せよ】
・日本共産党はコミンテルンの日本支部/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎
・李承晩の反日政策はアメリカによる分割統治/『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘