・『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
・神を討つメッセージ
・都市革命から枢軸文明が生まれた
・『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治
イスラエルのヘブライ大学の日本研究者であるS・N・アイゼンシュタットは、超越的秩序と現世的秩序の大な水の中で、日本文明の特質を解明しようと試みた(『日本比較文明論的考察』梅津〈うめつ〉順一、柏岡富英訳、岩波書店、2004年)。アイゼンシュタットは日本文明の歴史的経験の大きな特徴は、「現在にいたるまで持続的・自律的に波瀾に満ちた歴史をもつ」ことだという。
カール・ヤスパース(1883-1969)は、文明と呼べるのは超越的秩序としての巨大宗教や哲学をもった「枢軸文明」だけであると指摘した(『歴史の起源と目標』ヤスパース選集9、重田英世〈しげた・えいせい〉訳、理想社、1964年)。その代表がユダヤ・キリスト教のイスラエル文明、ギリシャ哲学のギリシャ文明、仏教のインド文明、儒教の中国文明だ。それは伊東俊太郎氏(『比較文明』東京大学出版会、1985年)のいう精神革命を成しとげたところでもある。
伊東氏は、こうした精神革命をな(ママ)しとげたところは古代の都市革命の誕生地に相当しており、これらの超越的秩序は、都市文明の成熟を背景として成立したと指摘した。したがって、伊東氏の説を逆に解釈すれば、超越的秩序を生み出す精神革命を体験しなかったところでは、都市文明は誕生しなかったことになる。
【『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲〈やすだ・よしのり〉(ちくま新書、2006年)】
日本を独自文明とするかシナの衛星文明とする二つの見方がある。尚、今後当ブログでは社会主義化以降を中国、それ以前をシナと表記する。理由については以下のリンクを参照されたい。
・シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由
・支那呼称問題・「中華」「中国」は差別語、「支那」「シナ」が正しい・「支那」は世界の共通語・【私の正名論】評論家の呉智英・「中華主義」と「華夷秩序」という差別文明観を込めた「中国」を日本にだけ強要
中華思想は「世界の中心地」を意味するゆえ、日本人が安易に「中国」と呼べば、精神的・文化的に属国となりかねない。
・「シナ」と「中国」の区別/『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
シナ文明が中国共産党によって途絶えたことと、日本の200年以上に及ぶ鎖国(1639-1854)の歴史を踏まえると「独自文明」の色合いが強まる。
このテキストについては元々紹介するつもりはなかったのだが、馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉著『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』『世界を操る支配者の正体』を補強する内容であることに気づいた。馬渕はソ連をつくったのはユダヤ人であり、建国当初からアメリカ国内に左翼勢力がうごめいていた事実を指摘。そこから国際主義者=左翼であることを示し、思想的な背景にユダヤ教の影響があると考察する。つまり世界各地に離散(ディアスポラ)したユダヤ人がユダヤ的価値観に基いて国際主義を鼓吹(こすい)した結果が現在のグローバリゼーションに至るわけだ。
儒教が都市から生まれたことは養老孟司〈ようろう・たけし〉がよく指摘するところである(『養老孟司の人間科学講義』)。「子、怪力乱神(かいりきらんしん)を語らず」とは孔子が自然を相手にしなかったことを意味すると。
都市革命という視点を私は欠いていた。郷村から人々が自由に移動を始め、ある地域に集まった時、ローカル(地方)を超えた概念が必要となる。つまり「脱民俗」というベクトルが結果的に世界へと向かったわけだ。ヒト社会における群れから都市への革命は脳内をも一変させたことであろう。言葉も書き換えられたことは容易に想像がつく。
思想的に捉えると日本の都市化が始まったのは日本仏教が花開いた鎌倉時代とするのが妥当かもしれない。
・シナの文化は滅んだ/『香乱記』宮城谷昌光