2020-02-15

初期仏教の主旋律/『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿


『原始仏典』中村元
『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿

 ・小部は苦行者文学で結集仏典に非ず
 ・初期仏教の主旋律
 ・初期仏教は宗教の枠に収まらず

ブッダの教えを学ぶ

 このように、「成仏伝承」に説かれる「ブッダの悟り」の内容は、「律」の仏伝的記述において説かれる「ブッダの教え」の内容と、よく対応する。すなわち「四聖諦(ししょうたい)」「縁起」「五蘊六処」、および六処と構造を共有する「十二処十八界」は、諸部派の出家教団でともに中心的教理に位置づけられているのである。

【『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(岩波新書、2018年)以下同】

 六処以降は私もよく知らず。特に知る必要もないと考える。ブッダが説いた教理は四諦・縁起・五蘊と覚えておけばよろしい。

 テキストの成立という点では、こうして重要な点が不明なままである。しかし、思想の成立という点では、かなりの程度はっきりとしたことが言える。諸部派、少なくとも上座部大寺派化地部法蔵部説一切有部大衆部の結集仏典で共通して伝承される「布施」「」「四聖諦」「縁起」「五蘊」「六処」などの教えは、初期仏教の時代、すなわち遅くとも紀元前後までに成立していたといえる。
 というのは、紀元後1-2世紀のガンダーラ写本にも、2世紀に訳出された漢訳仏典にも、1-2世紀に著されたアシュヴァゴーシャ(馬鳴)の作品にも、これらの教えは広く説かれているからである。(中略)
 以上の事実をふまえると、諸部派がブッダの教えとして共有した「布施」「戒」「四聖諦」「縁起」「五蘊」「六処」などの教えは、紀元前に、かつ大乗仏教の興起以前に存在していたことがわかる。これらが初期仏教で広く伝承されていた思想であることは確実である。初期仏教の思想における「主旋律」があったとすれば、これらを措いて他にない。

 ガンダーラ写本については以下の記述がある。

 1990年代中頃に始まるガンダーラ写本の発見は、近代仏教学の歴史のなかでも衝撃的なものだった。なぜなら、ネパールや中央アジアのサンスクリット写本の作られた年代が古くともせいぜい紀元後7-8世紀なのに対し、ガンダーラ写本は紀元前後から紀元後3-4世紀のものと考えられ、それまでの年代をはるかに遡るものだったからである。

 ウーム。もしも古い写本が見つかるたびに教理が変わるとしたら、仏教は既に宗教ではなく歴史なのだろう。「教え」が与えた余韻は長く響き渡り、人々の心を震わせたはずだと私は考える。

 もう一つは北伝仏教をどう捉えるかという問題がある。ブッダの教えからどんどん乖離して変形していった背景にはまず気候の違いがある。文化を支配するのもまた気候である。仏教東漸の歴史を思えば日本仏教までの道程は進歩史観さながらである。

 問われるべきは「悟ったかどうか」であり「悟りの中味」である。そう考えると禅宗を除いた鎌倉仏教は悟りから離れていったように見えてならない。

 今後あるべき日本仏教の姿としては鎌倉仏教から密教要素を取り除くか、あるいはルネサンス運動として部派仏教に回帰するのが望ましいと思う。もちろん「密教の正当化」という方向性もあるが、これだとヒンドゥーイズムに取り込まれてしまうだろう。

 鎌倉仏教が日本思想の精華であるのは確かだが、当時の情報量の少なさを思えば現代の仏教徒はもっともっと知的格闘を行う必要があろう。

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2020-02-14

小部は苦行者文学で結集仏典に非ず/『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿


『原始仏典』中村元
『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿

 ・小部は苦行者文学で結集仏典に非ず
 ・初期仏教の主旋律
 ・初期仏教は宗教の枠に収まらず

ブッダの教えを学ぶ

 このように五部派で一致して、結集仏典の「法」に位置づけられる四阿含(四部)が成立した後に、「小蔵」(または「小部」「小阿含」)という集成が「法」に追加されたということは、「小蔵」に収録されている仏典がもともと結集仏典に位置づけられていなかったことを示している。実際、この集成に収録されているのは、基本的に韻文仏典であり、経蔵の「四阿含」の諸経典が用いる定型表現を用いていない。まったく異なる様式のものなのである。
 以下に説明するように、韻文仏典のなかには紀元前に成立したものが含まれているが、元来、結集仏典としての権威をもたず、その外部で伝承されていたのである。
 このことは、かつて中村元らの仏教学者が想定していた、韻文仏典から散文仏典(三蔵)へ発展したという単線的な図式が成り立たないことを意味する。韻文仏典に三蔵の起源を見出すことには、方法論的な誤りがあるのである。

【『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(岩波新書、2018年)以下同】

犀の角のようにただ独り歩め
ただ独り歩め/『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳

 馬場紀寿が「初期仏教」としたのは「原始仏教」に対する批判が込められている。更に小部(しょうぶ/パーリ五部のうち半分以上の量がある)は苦行者文学で結集(けつじゅう)仏典に非ずとの指摘は『ブッダのことば スッタニパータ』が「ブッダの言葉ではない」と断言したもので、少なからず中村元〈なかむら・はじめ〉に学んだ者であれば大地が揺らぐような衝撃を覚えるだろう。

 『犀角』も、『経集』と同様に「小部」に収録されている『義釈』において『到彼岸』とともに注釈されており、『経集』のなかでも成立の古い偈である。おそらく紀元後1世紀頃に書写されたと考えられるガンダーラ写本が見つかっているから、その成立は紀元前に遡ると考えてよい。
 しかし、これらの仏典には、仏教特有の語句がほとんどなく、むしろジャイナ教聖典や『マハーバーラタ』などの叙事詩と共通の詩や表現を多く含む。仏教の出家教団に言及することもなく、たとえば『犀角』は「犀の角のようにただ一人歩め」と繰り返す。多くの研究者が指摘してきたように、これらの仏典は、仏教外の苦行者文学を取り入れて成立したものである。

 古いから正しいわけではない。これは「小乗非仏説」といってよい。小部には「スッタニパータ」以外にも「ダンマパダ」「テーラガーター」「テーリーガーター」を含む。

「いやあ参ったなー」と思うのは私だけではないだろう。困惑のあまり不可知論に陥りそうだ。

 ま、言われてみれば「犀の角のようにただ一人歩め」というのは単なる姿勢であって教理ではない。「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」(『孟子』公孫丑篇)と同工異曲だ。クリシュナムルティの仏教批判は正当なものであった(『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ)。

毀誉褒貶に動かされるな/『原始仏典』中村元


『ブッダの 真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元
『ブッダ入門』中村元
『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集

 ・毀誉褒貶(きよほうへん)に動かされるな

『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿

「比丘たちよ、他の人たちがわたしを誹謗しようとも、あるいは法を誹謗しようとも、あるいは僧団を誹謗しようとも、それに対してあなたたちは怒ったり、不機嫌になったり、心を不快にしてはいけあい。比丘たちよ、他の人たちがわたしを誹謗し、あるいは法を誹謗し、あるいは僧団を誹謗して、あなたたちがそれに対して怒り、あるいは快く思わないなら、それはあなたたちの障害となるであろう。(中略)
 比丘たちよ、他の人たちがわたしを賞賛しようとも、あるいは法を賞賛しようとも、あるいは僧団を賞賛しようとも、それに対してあなたたちは喜んだり、うれしく思ったり、心に得意に思ったりしてはならない。比丘たちよ、他の人たちがわたしを賞賛し、あるいは法を賞賛し、あるいは僧団を賞賛して、あなたたちがそれに対して歓び、うれしく思い、得意に思うなら、それはあなたたちの障害となるであろう。

【『原始仏典』中村元〈なかむら・はじめ〉(ちくま学芸文庫、2011年)】

 感情の相対性理論である。ブッダが示すのは中道の生き方だ。瞑想とは怒りや喜びを見る行為である。見るためには離れる必要が生じる。毀誉褒貶(きよほうへん)に動かされるなとの指針は心理的テクニックを教えるものではなく、自身の反応を静かに見つめる内省的な次元でそのメカニズムを解体するとことに目的がある。

 ブッダはかつて存在した。しかしブッダの教えは変遷に変遷を重ねて仏教各種を生んだ。そこにブッダの面影を偲ぶことは可能だろうか? 私が想うブッダはインドを闊歩したブッダと同じであろうか? ひょっとすると脚色を施されたブッダという名のキャラクターを勝手に妄想しているのかもしれない。

 中村元が編んだ仏典シリーズは『ジャータカ全集』(全10巻、春秋社)~『原始仏典』(全7巻、春秋社)~『原始仏典Ⅱ』(全6巻、春秋社)と続く。

2020-02-13

宇宙開闢(かいびゃく)の歌/『はじめてのインド哲学』立川武蔵


『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集
『ウパニシャッド』辻直四郎

 ・宗教とは「聖なるもの」と「俗なるもの」との相違を意識した合目的的な行為
 ・宇宙開闢(かいびゃく)の歌
 ・タントリズムは全てをシンボルに置き換える

『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
『仏教とはなにか その思想を検証する』大正大学仏教学科編
『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵、1992年
『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵、2003年

リグ・ヴェーダ』に含まれる10点近い宇宙創造に関する讃歌(紀元前10-9世紀の成立)のうち、「宇宙開闢(かいびゃく)の歌」(10・129)は次のようにうたう。

 一、そのとき(宇宙始原のとき)無もなく、有もなかった。空界もなく、その上の天もなかった。(中略)深く測ることのできない水は存在していたのか。
 二、その時、死も不死もなかった。夜と昼のしるしもなかった。かの唯一物は自力によって風なく呼吸していた。これより他の何も存在しなかった。
 三、始原の時、暗黒は暗黒におおわれた、この一切はしるしのない水波だった。空虚におおわれて現れつつあるもの、かの唯一物は、熱の力によって生まれ出た。
 四、最初にかの唯一物に意欲が現われた。これは思考の第一の種子だった。詩人たちは心に探し求めて、有の始原を無に見つけた。(以下略)

【『はじめてのインド哲学』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】

「リグ」は「讃歌」、「ヴェーダ」は「知識」を表す。紀元前1000~500年に編まれた。ブッダ以前の聖典である。後期仏教(大乗)では善知識・悪知識など知識を「友」の意で使うがヴェーダとの関連性は不明にしてわからず。

 個人的には旧約聖書の天地創造より好みである。一読して感じるのは宇宙開闢が胎児の意識に酷似している点である。あるいは目覚めの瞬間を詳しく捉えたようにも読める。

 カンブリア紀の大爆発(5.42~5.3億年前)で眼が完成したと考えられている(アンドリュー・パーカー)。生命の起源はまだはっきりしていないが約40~30億年前のこと。つまり眼ができたのは最近のことだ。長い暗黒時代が続いたわけである。

 光りを感知できるようになったことは認識のビッグバンといっても過言ではない。それまで世界は手(感覚)の届く範囲内に限られた。ところが眼の誕生によって生命の感覚は宇宙にまで広がったのである。仏道では真理を覚知することを「開眼」(かいげん)と表現する。眼は開(あ)いていても節穴レベルである。見えているようで見えない何かがある。今まで見えなかったものが見えるようになれば生きてる価値があると言えよう。



時間の矢の宇宙論学派/『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史

2020-02-12

口と手の形は、その主食の種類によって決められる/『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三


『好きなものを食っても呑んでも一生太らず健康でいられる寝かせ玄米生活』荻野芳隆

 ・口と手の形は、その主食の種類によって決められる

『人類史のなかの定住革命』西田正規
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

 マダガスカルのそのほかの原猿(げんえん)類を調べるにつれて、指と歯の形が主食と関連するという視点は、霊長類一般に通用すると思うようになった。このアイデアを「口と手の形は、その主食の種類によって決められる」とまとめると、人類にも適用できるのではないかと、ある日私は考えついた。人類の主食は、その口と手によって決められている、と。マダガスカルの原野を行く長い単調な旅のあいだのことである。それは、身震いをするような経験だった。

【『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三〈しま・たいぞう〉(中公新書、2003年)】

 推理小説の趣がある。生きる姿勢で私が一番大切だと考えるのは「問う」ことである。学ぶ行為の奥に問うという自主性が働いている。島泰三の問いは単純にして深い。同じ霊長類でも手の形は実に様々だ。




 これを適応の結果(=進化)と考えることは自然だろう。ホモ・サピエンスの手は棒状の物を握るように構成されている。ヒトの骨格は立つようにできていて足の構造は走るようにできている(不自然な姿勢が健康を損なう/『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード)。

 ホモ・サピエンスの技術開発はハンド・アックス(握斧〈あくふ〉)に始まる。以降、手斧~槍~弓と進化するわけだが、いずれも「握る」機能が中心となっている。運動量が少ない野球に人気があるのはピッチャー=槍投げ、バッター=薪割り斧を想起させるためだろう。

 そう考えるとドアノブも握り玉式よりもレバー式の方が人体構造にしっくりくる。日常生活の自然な動作で「ひねる」ことは殆どないからだ。


 優れた問いは答えよりも重要だ。むしろ問いの中に答えがあるといっても過言ではない。



炭水化物抜きダイエットをすると死亡率が高まる/『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』吉田たかよし

「出る杭は打たれる」日本文化/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール


『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠
『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー

 ・“思いやり”も本能である
 ・他者の苦痛に対するラットの情動的反応
 ・「出る杭は打たれる」日本文化

『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
フランス・ドゥ・ヴァール「良識ある行動をとる動物たち」
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博

必読書リスト その三

 アメリカでは「きしむ車輪ほど油を差してもらえる(声が大きいほど得をする)」のに対し、日本では「出る杭は打たれる」のだ。

【『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール:藤井留美〈ふじい・るみ〉訳(早川書房、2005年)】

 出る杭は打たれ、打たれなければ出る悔い。12年前に読んだのだが当時とは受け止め方が違う。他民族の距離が近く、戦争に明け暮れてきたヨーロッパの歴史を踏まえれば自己主張するのが自然である。一方、日本のような同質社会では言葉を介さぬ阿吽(あうん)の呼吸が空気を支配する。日本男児には長らく多弁を嫌う伝統があった。「男は黙ってサッポロビール」(1970年)というわけだ。

 日本人は感性を解き放つ道具としては言葉を大切にしてきたが、他人を説得するための理窟を忌避してきたように見える。「理窟じゃない」「口先だけなら何とでも言える」「生意気を言うな」などといった表現には言葉を低い価値と捉える日本的な感覚が表出している。言葉とは「言(こと)の端(は)」で言(こと)は事(こと)に通じる。言葉が「事の端」を示し幹や根ではないことに留意すれば日本人の達観が理解できよう。

 村八分(火事と葬式で二分)は稲作の水利権を巡って始まったとする説がある。水の管理は村(集落)全体で行う必要がある。そこで勝手な真似をする輩が出てくれば皆が迷惑を被る。出る杭が打たれるのは当然で、むしろ積極的に打つ必要さえあったのだろう。ところがコミュニティが町や都市、はたまた国家へと拡大する中で同様のメンタリティが働けば新しい産業の創出が阻まれる。天才も登場しにくい。イノベーションを成し遂げるのはいつの時代も型破りな人間なのだ。ここに大東亜戦争以降、変わらることのない日本の行き詰まりがあるのだろう。