2011-08-19

どう見てもクリシュナムルティにしか見えないブロンズ像

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 でも多分違う。それにしても瓜二つだ。かなり時間をかけたのだがソースは以下しか見つからず。

Meditation Benefits May Include Bigger Brain
Image:7BrahmanMH.jpg - from the Schools Wikipedia

戦時中に構築された日本のシステム/『1940年体制 さらば戦時経済』野口悠紀雄


 構成に難あり。とにかく読みづらい。「これについては後ほど触れる」の連発だ。プレゼンテーション能力に問題がある。文章も硬くて面白みがない。着想のみの勝利といえよう。

 現在の日本経済の中核的な企業は、何らかの意味で戦時経済と深く結びついている。例えば、日本経済を代表する企業であるトヨタ自動車や日産自動車は、軍需産業として政府軍部の強い保護を受けて成長した。また、電力会社は、戦時経済改革の結果誕生した企業である。
 ただし、問題なのは、こうした誕生の経緯だけではない。企業経営理念の基本に、市場経済を否定する考えがあることだ。

【『1940年体制 さらば戦時経済』野口悠紀雄(東洋経済新報社、1995年/増補版、2010年)以下同】

 戦争を行うためには金がかかる。つまり戦争とは経済問題でもあるのだ。ナポレオン以降の戦争についてはロスチャイルド家を中心とするユダヤ資本が必ず絡んでいる。

明治維新は外資によって成し遂げられた/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
ロスチャイルド家がユダヤ人をパレスチナへ送り込んだ/『パレスチナ 新版』広河隆一

 あるいは徴税するか、国民の預金を運用するという選択肢しかない。

郵貯・簡保・厚生年金で戦費調達/『「お金」崩壊』青木秀和

 莫大な金額が動く以上、企業は必ず分け前に預かろうと動く。国家と基幹産業は持ちつ持たれつの関係だ。

 本書で描きたいと思うのは、この建物(※大蔵省本庁舎)に象徴される日本の姿である。つまり、「現在の日本経済を構成する主要な要素は、戦時期に作られた」という仮説である。私は、日本の経済体制はいまだに戦時体制であることを指摘し、それを「1940年体制」と名付ける。

 経済体制を国家体制と読み換えてもいいだろう。国家は言語や文化による共同体であるが、現実には経済的な関係性が強い。国家を賭場(とば)に例えればわかりやすい。外国人参政権の問題は、賭場に参加するのは構わないが運営には口を出す権利はないということだ。これは軍事的視点に立った考え方だ。

 制度の連続性は驚くべきものだが、さらに重要なのは、官僚や企業人の意識の連続性である。

 これがいわゆる「社内文化」だ。明文化されない不文律ほど支配性が強い。人々は暗黙の了解に束縛されやすい。エリート意識が更に「俺たちのルール」を強化することは容易に想像できる。

 歴史研究とは、実際に生じたことのみを取り上げ、「起こらなかったこと」は、研究の対象にしないもののようだ。戦後改革についてもそうである。農地改革や財閥解体など、実際になされたことについては多くのことが書かれてきた。その半面で、「何がなされなかったか」についての研究は、驚くほど少ないのである。
 しかし、戦後改革で最も重要なことは、そこで手をつけられなかったことなのである。とりわけ、官僚制度と金融制度の連続性が重要である。なぜなら、それらが現在の日本経済の中枢を構成しているからである。

 これは大事な視点だ。「何をしなかったのか」。人物を見る際にも必要である。

 他の7社においても、自動車生産は、戦時中の軍用機や戦車生産からのスピンオフであるケースが多い。(※ダワーの指摘)

 ダワーとはジョン・ダワーのことだと思われる。自動車メーカーが戦争で財をなしたのは気づかなかった。重工業ばかりかと思っていた。

 実際、戦前の自動車産業はきわめて弱体で、米国企業に支配されていた。(中略)乗用車の分野では、フォードとGMが組み立て工場をもち、ほぼ完全に市場を支配していたのである。

 戦前にタクシーを運転していた人が外車に乗っていたのはこういう理由だったのね。

 彼(※ダワー)はさらに、新聞においても戦時期の影響が無視できないことを指摘している。すなわち、読売、朝日、毎日の三大紙の起源は19世紀に遡れるものの、発行数と影響力を格段と増したのは戦時期の現象であるという。

 国家の意思を統一するためには当然ともいえる。それにしても大政翼賛の片棒を担いできた新聞社がジャーナリスト面(づら)するのだから忌々(いまいま)しい限りだ。

 1940年の税制改革で、世界ではじめて給与所得の源泉徴収制度が導入された。所得税そのものは以前からあったが、これによって給与所得の完全な捕捉が可能になった。また、法人税が導入され、直接税中心の規制が確立された。さらに、税財源が中央集権化され、それを特定補助金として地方に配るという仕組みが確立された。

 これにはびっくりした。日本人が大人しいとか馬鹿だとかいった問題ではあるまい。ファシズムそのものを示す証左と考えるべきではないか。「進め一億火の玉だ」、「欲しがりません勝つまでは」。

 企業、金融と並ぶ現代日本のいま一つの重要な構成要素は、官僚機構である。とくに、民間経済活動に対して広く官僚統制が行われていること、税財政が中央集権的なシステムとなっていることが特徴である。

 我が国は三権が分立していない。立法と行政を官僚が担っているためだ。本来であれば法律をつくるのは国会議員の仕事であるが、あまりにも稀(まれ)なため「議員立法」という言葉があるほどだ。新しい首相や大臣は必ず官僚からレクチャーを受ける。こうして官僚が全ての情報をコントロールしているわけだ。

 カレル・ヴァン・ウォルフレンが名づけた「システム」は1940年に構築されたとするのが野口悠紀雄の主張だ。それなりに説得力があると思う。

 新たなシステムを築くには、東大法学部を頂点とする選抜システムにメスを入れるしかない。また企業の競争原理を蘇らせるには電通と東京電力の解体が必要だ。

1940年体制(増補版) ―さらば戦時経済

2011-08-17

「岸壁の母」菊池章子


 昭和29年(1954年)9月、テイチクレコードから発売された菊池章子のレコード『岸壁の母』が大流行(100万枚以上)した。

 作詞した藤田まさとは、上記の端野(はしの)いせのインタビューを聞いているうちに身につまされ、母親の愛の執念への感動と、戦争へのいいようのない憤りを感じてすぐにペンを取り、高まる激情を抑えつつ詞を書き上げた。歌詞を読んだ平川浪竜は、これが単なるお涙頂戴式の母ものでないと確信し、徹夜で作曲、翌日持参した。さっそく視聴室でピアノを演奏し、重役・文芸部長・藤田まさとに聴いてもらった。聞いてもらったはいいが、何も返事がなかった。3人は感動に涙していたのであった。そして、これはいけると確信を得、早速レコード作りへ動き出した。

 歌手には専属の菊池章子が選ばれた。早速、レコーディングが始まったが、演奏が始まると菊池は泣き出した。何度しても同じであった。放送や舞台で披露する際も、ずっと涙が止まらなかった。菊池曰く「事前に発表される復員名簿に名前がなくても、「もしやもしやにひかされて」という歌詞通り、生死不明のわが子を生きて帰ってくると信じて、東京から遠く舞鶴まで通い続けた母の悲劇を想ったら、涙がこぼれますよ」と語っている。

 昭和29年9月、発売と同時に、その感動は日本中を感動の渦に巻き込んだ。菊池はレコードが発売されたとき、「婦人倶楽部」の記者に端野いせの住所を探し出してもらい、「私のレコードを差し上げたい」と手紙を送った。しかし、端野の返事は「もらっても、家にはそれをかけるプレーヤーもないので、息子の新二が帰ってきたら買うからそれまで預かって欲しい」というものであった。菊池はみずから小型プレーヤーを購入し、端野に寄贈した。

Wikipedia

動画検索:「岸壁の母」菊池章子



星の流れに/岸壁の母

端野いせさん・岸壁の母について
岸壁の母のモデル、端野いせと息子新二
「星の流れに」菊池章子、ちあきなおみ、谷真酉美
「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』~「ペシミストの勇気について」
石原吉郎と寿福寺/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治

hasino

2011-08-16

杉浦明平、吉田敦彦、内村剛介


 3冊挫折。

レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』杉浦明平〈すぎうら・みんぺい〉訳(岩波文庫、1954年)/旧漢字が読めない。

面白いほどよくわかるギリシャ神話 天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて』吉田敦彦(日本文芸社、2005年)/近親相姦の歴史。妻にした、子供を食べた、戦ったという話ばかりだ。

失語と断念 石原吉郎論』内村剛介(思潮社、1979年)/内村は己の自我を保つために石原を餌食にする必要があったのだろう。勇ましく見えるが卑劣なだけの人物だと思う。最初の姿勢が誤っているため全ての論理が破綻している。彼自身の破綻を表すものだ。この小人物を持ち上げるのは左翼だけだろう。

初めに聖書ありき


 科学的な証拠が自分たちの聖書の理解に反するとき、彼らは証拠がまちがっていると考える――聖書の解釈がまちがっているかもしれない、ではなく。

【『黒体と量子猫』ジェニファー・ウーレット:尾之上俊彦〈おのうえ・としひこ〉、飯泉恵美子〈いいずみ・えみこ〉、福田実訳(ハヤカワ文庫、2007年)】

黒体と量子猫〈1〉ワンダフルな物理史 古典篇 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)黒体と量子猫〈2〉ワンダフルな物理史 現代篇 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

2011-08-15

アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン


 1冊読了。

 51冊目『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン:上原裕美子訳(英治出版、2010年)/実は批判しようと思って読んだ。集合知が発揮されるのは平均値の計測などであって、パラダイムシフトを促す英知は個人から生まれているからだ。ところが私の前提が誤っていた。本書でいうところの集合知とは、コミュニティや集団の内部で機能し得る問題解決の知性を意味する。これは良書。読んでいる途中で「厳選120冊」に入れたほどだ。翻訳も素晴らしい。本書そのものが集合知を結集したものといってよい。英治出版は本作りも丁寧で好感がもてる。

水上を往く人


 インドネシアの点景。主役は飽くまでも空間だ。思い切って下へ持っていったアングルが素晴らしい。常識人であれば3分の1にするところだ。二次元の中でどう奥行きを表現するか。芸術は永遠を象(かたど)る。見る者は声を掛けずにいられない。「オーイ」と声を発したら、水上を往く人は手を振ってくれるだろうか? それとも私の声は見えない水平線の彼方に吸い込まれて消えるだろうか? 眼を凝らすと右側の小屋には椅子が二つあるようだ。彼と私はそこで談笑するのだ。そんな想像を巡らすと、空間はゆったりと流れる時間をも表していることに気づく。

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