2013-04-26

労働力の商品化/『人間の叡智』佐藤優


・労働力の商品化
読書人階級を再生せよ

 その論理(※『資本論』に書かれた資本主義発展の論理)のカギになる概念が、「労働力の商品化」です。人間が働く能力は、本来商品にされるものではなかったのに、商品にされたというのはどういうことか。労働者は働いて賃金をもらいますが、その賃金は三つの要素から成り立っている。
 一番目は、1カ月生活して、家を借りて、ご飯を食べ、服を買い、いくばくかのレジャーをする。それによってもう1カ月働くエネルギーが出て来る。そのための費用です。
 二番目の要素は、労働者階級の「再生産」。すなわち、子供を産み、育て、教育を受けさせ、労働者にして社会に送り出すまでの費用が賃金に入っていないといけないのです。独身者の場合は、将来のパートナーを見つけるためのデート代が入っていないといけない。そうでないと資本主義システムの再生産ができない。
 三番目は技術革新に対応するための教育の経費です。資本主義には科学技術の革新が常にある。労働者がそれに対応するための自己学習の費用が入っていないといけない。
 その三要素がないと資本主義はまともに回らないのです。ところが個別の資本は、少しでも搾取を強めようとする。だから二番目、三番目の要素は切られてしまいがちです。一番目の要素もどんどん切り詰めて行く。それによって搾取率を強化する。資本とは本来そういうものなのです。搾取は、不正なことではありません。労働者は嫌だったら契約しなければいいのだから、収奪ではない。収奪というのは、たとえば米を10トン作ったら地主が来て、そのうち6トンを持って行く。出さないと殺すと言う。これが収奪ですね。搾取は資本家と労働者の合意の上で成り立って、システムの中に階級闘争が埋め込まれている。だから自由平等といいながら自由でも平等でもない実態は、社会構造を見ないとわからないというのがマルクスの主張です。ちょっと難しい言い方でしょうか。要するに経営者がいい人、悪い人というのは別の話で、資本主義というシステムにおいては、労働者の取り分が減らされることは避けられないということです。

【『人間の叡智』佐藤優〈さとう・まさる〉(文春新書、2012年)】

 久し振りに佐藤本を読んだが、まあ凄いもんだ。語り下しでこれほどの内容なら、佐藤は執筆の時間を惜しんで語った方がよいかもしれぬ。

 著者の博覧強記は広く知られるところだが、飽くなき知への健啖(けんたん)ぶりが怪獣を思わせるほどだ。いかなる書籍であろうが佐藤にかかれば、鋼鉄製の歯で粉々に咀嚼され、野菜ジュースみたいにされてしまうのだ。まさに知の破砕機といったところ。

 具体的には次の通りだ。1ヶ月の読書量、平均150冊~200冊、うち熟読は5~6冊。書籍購入費は年間200万円、他に資料・データに200万円、勉強会に100万円。1日の読書時間、6時間。(※「東洋経済 特集/最強の「読書術」と佐藤優:e-徒然草」を参照した)

 実はまだ読み終えていない。あと20ページほど残っている。200ページあまりの新書が付箋だらけになってしまった。

 タイトルが『人間の叡智』となっているがミスマッチだと思う。内容からすると、「新・帝国主義ノススメ」「マルクスから読み解く21世紀の政治学」「新たなるエリート主義」といったところだ。佐藤が普及させたインテリジェンスという語は、私からすると叡智というよりは、むしろ戦略やリテラシー的色彩を帯びている。


 それでも尚、私は彼の著作を開かざるを得ない。学問のスタンダードを学ぶために。

 バブル経済が崩壊し、失われた10年を経て、労働者派遣事業の解禁が行われた。言い出しっぺはオリックスグループCEOを務める宮内義彦だ。この政策転換がデフレ化における格差拡大に拍車をかけた。

 売り上げから搾取するのではなくして、最初の賃金設定から既に搾取するわけだから、企業家としては利益を勘定しやすい。経団連はその後、ホワイトカラーエグゼンプションの導入を目論んだが実現しなかった。彼らは外国人労働者の輸入も再三にわたって推進しようとしている。

 ワーキングプアとは奴隷の異名であろう。貧困とは「ゆっくりと殺される」ことだ。とすると人口減少下での格差拡大はこの国を滅ぼす可能性が高い。



甘やかして、世界で勝てるのか ファーストリテイリング・柳井正会長が若手教育について語る


 今後私は「しまむら」へ行くことに決めた。

 柳井正は開き直っているにようにしか見えない。金持ち特有の傲慢さが脂(あぶら)のように滴り落ちる。

 お金は人々をだめにします。富者特有の傲慢さがあります。どの国でも、ごくわずかの例外を除いて、富者にはあらゆるものを──神々すらをも──ひねりつぶすことができるというあの特有の尊大な雰囲気があり、そして彼らは神々をも買うことができるのです。豊かさは金銭的な貯えによってだけではなく、能力の持ち主はまた、自分は他の人々より勝っている、彼らとは違うと感じます。このすべてが彼に一種の優越感を与えます。彼は、どっかりと腰かけて、他の人々が身もだえしているのを見守るのです。彼は、自分自身の無知、自分自身の精神の暗さに気づかないのです。お金と能力はこの暗さからの格好の逃げ口を提供します。結局、逃避は一種の抵抗であり、それはそれ自身の問題を生み出すのです。人生とは不思議なものです。無である人は幸いなるかな!

【『しなやかに生きるために 若い女性への手紙』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2005年)】

 富者は所有物の重みで必ず転落してゆく。っていうか転落して欲しいもんだね(笑)。いや実際は転落しているんだよ。所有への飽くなき欲望が常に恐怖を生むからだ。巨大な建築物は完成した瞬間から崩壊へと向かっている事実を忘れてはなるまい。

もっとも、けた外れに巨大な建造物は、往々にして人間の不安の度をなによりも如実に写しているものなのです

 巨大企業も一緒だ。


 少し前にこう呟いたのだが、本書を読んで更にその思いを深くした。

目撃された人々 35


常不軽菩薩

目撃された人々 34

2013-04-24

ジェイムズ・グリック


 1冊読了。

 12冊目『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(新潮社、2013年)/昨夜読了。532ページというボリュームだが一気読み。チャールズ・バベッジ~クロード・シャノン~アラン・チューリングが織りなす情報理論の系譜を文明史の一大絵巻にまでしてみせた。強いて文句をつけるなら最終章で、Wikipediaよりも宗教を取り上げるべきだった。ま、これは私の志向の問題ではあるが。本書を読んでから併読書籍に取り組むのがいいだろう。21世紀の教養として必ず読まれるべき一書である。

「100%今を味わう生き方」~歩く瞑想:ティク・ナット・ハン


歩く瞑想/『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
等身大のブッダ/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
プラム・ビレッジ(フランス)のシスターが語る気づきと瞑想
ティク・ナット・ハン「食べる瞑想」

2013-04-23

新刊『伝統と革命 J・クリシュナムルティとの対話』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2013年)

伝統と革命―J・クリシュナムルティとの対話

インドの知識人たちとの30回にわたる対話録

「偉大な教師にまみえたからには、学びにいそしめ」(カタ・ウパニシャッド)という真摯な学びの精神でクリシュナムルティのまわりに参集したインドの知識人が、彼らの背景にあるインドの伝統的知識を引き合いに出しながら、様々なテーマについて話し合い、それぞれの意識とその中身である過去、心理的記憶、思考、悲しみ、死の恐怖、等々を徹底的に検証し直し、重荷としてのしかかっている「伝統」からの出口と、古い意識(脳)から抜け出し、新しい意識(脳)を生み出すこととしての「革命」の可能性を模索している。

 1947年以来、J ・クリシュナムルティは、インドにいる間、さまざまな文化・教養的背景から集まった一群の人々──知識人、政治家、芸術家、サンニャーシなど──と定期的に会い、対話してきた。この年月の間に、探究の方法論が熟し、具体的になった。本書の対話には、あたかも顕微鏡を通して見るかのように、クリシュナムルティの並外れて流動的で、広大でかつ精妙な精神と、知覚の働く過程が現れている。これらの対話は、しかしながら、単なる問答ではない。それらは意識の構造と性質への探索であり、精神とその運動、その境界、そしてそれを超越するものへの探究である。それはまた、変容の道の模索でもある。
 これらの対話にはいくつかのまったく多彩でまた条件づけられた精神の結集があった。そこには、クリシュナムルティの精神からの深い問いかけ、人間の心の深みを開示する容赦ない尋究があった。人は、〈限りなきもの〉(the limitless)の拡大と深化の目撃者であるのみならず、限られた精神へのその衝撃の目撃者でもある。そしてまさにこの探究が精神を柔軟にし、それをその即座の過去および幾世紀にもわたる条件づけの溝から解放する。(「緒言」より)

クリシュナムルティ著作リスト