2014-03-06

敗れざる者たちへ/『「ありがとう」のゴルフ 感謝の気持ちで強くなる、壁を破る』古市忠夫


 震災前の私は、ごく普通のゴルフ好きの写真屋のおっちゃんでした。震災から復興して、またゴルフができるようになったとき、私は自然にコースに向かって一礼するようになりました。生き残って大自然のコースに立ち、球が打てる。その幸せに自然と頭が下がるようになったのです。もともとの積極的な心に、感謝の心が加わった瞬間です。ラウンドしていると、ときどき自分の実力以上のエネルギーを感じることがあります。20代のエリートに勝ち、プロテストに合格したときもそうですし、シニアツアーのシード選手になれたときもそうです。これは「ありがとう」の気持ちの賜や、と思っています。

【『「ありがとう」のゴルフ 感謝の気持ちで強くなる、壁を破る』古市忠夫〈ふるいち・ただお〉(ゴルフダイジェスト新書、2006年)以下同】

 ソチ・オリンピックは見ていない。ただし男子フィギュアの100点超えと浅田真央のフリーだけは動画で視聴した。17歳の期待の星・高梨沙羅もメダルには手が届かなかった。マスメディアの調子はメダルを巡る悲喜こもごもが中心で戦争の戦果を報じる昔の新聞を思わせた。勝負は時の運である。敗北の味を知らぬ者がアスリートとして大成することはないし、人間の幅を広げることもできない。「 尺蠖(せっかく/シャクトリムシ)の屈するは伸びんがため」と故事にある通りだ。

 古市忠夫は60歳でプロゴルファーになった人物だ。

『還暦ルーキー 60歳でプロゴルファー』平山譲

 人は「失ったもの」が多ければ多いほど、「当たり前であること」や「ありのままであること」に感謝できるのだろう。古市が「コースに向かって一礼する」ようになったのはプレイスタイルなどといった表面的なことではない。生きる姿勢が変わった証拠だ。人間が本当に変わる時は「自(おの)ずから改まる」ものである。そこに他人の言葉や生きざまがあったとしても、それは触媒に過ぎない。

「ありがとう」の気持ちとは、「有り難い」現実への感謝である。復興に奔走した古市の偽らざる本音であろう。生それ自体に感謝できれば人は自由であり、人生は幸福といえる。

 しかし、私は思います。重要なのは、「どれだけ頑張ったか」ではないんとちゃうのかいなと。オリンピックに出場するような選手は、誰かて頑張っているでしょう。誰かて人知れず努力しとると思います。もちろん、頑張ることも大切ですが、それより肝心なのは、頑張れる環境そのものに対して「どれだけ感謝しとるか」ということではないでしょうか。
 同じ努力をして、同じ才能や技術を持っている選手が、僅差で勝ったり、負けたりするケースがたくさんあります。私には、金メダルと銀メダルの差は、そのまま心の差であるように思えてなりません。頑張らせてくれた社会、コミュニティ、家族があってこその自分と、心から思えたかどうか。勝利の女神は「頑張りました」という選手ではなく、「頑張らせてもろて、ありがとうございます」という選手に、微笑むような気がします。そやから、これからも私は、感謝の気持ちで闘わせてもらおうと思うとります。

 勝って奢(おご)る者がいる。敗れて腐る人も多い。勝ち負けで変わるのは商品価値であって人間ではない。五輪は終わった。過ぎてしまえばもう過去のことだ。もう次の戦いが始まっている。敗れても敗れても尚、起ち上がる精神にアスリートの魂がある。そして深き感謝の心が必ずや人生の勝利を決定づけることであろう。敗れざる者たちへ。今、万感の思いを込めて伝えよう。「ありがとう」と。

「ありがとう」のゴルフ―感謝の気持ちで強くなる、壁を破る (ゴルフダイジェスト新書)

「薯粥」(『一人ならじ』所収)山本周五郎

ロシアを罵倒したケリー米国務長官の背後には国有財産を私有化し、国民をIMFへ差し出す富豪たち


 ある国の反政府勢力を経済的に支援し、その国のファシスト集団を軍事訓練、さらに国外から傭兵を送り込んで争乱を演出、選挙で成立した政権を倒し、自分たちに都合の良い「暫定政権」を作ること、つまりクーデターを容認、しかもそのクーデターに対抗するために軍隊を使おうとする国に「軍事介入の中止」を求める人たちがいる。

櫻井ジャーナル

2014-03-05

文庫化『SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか』スティーヴン・ストロガッツ:蔵本由紀監修、長尾力訳(早川書房、2005年/ハヤカワ文庫、2014年)

SYNC: なぜ自然はシンクロしたがるのか (ハヤカワ文庫 NF 403 〈数理を愉しむ〉シリーズ)

 完璧にシンクロして光る無数のホタルは、どこかに指揮者がいるわけではない。心臓のペースメーカー細胞と同じで、無数の生物・無生物はひとりでにタイミングを合わせることができるのだ。この、同期という現象は、最新のネットワーク科学とも密接にかかわりをもち、そこでは思いもよらぬ別々の現象が、「非線形科学」という橋で結ばれている。数学のもつ驚くべき力を絶妙の比喩を駆使して紹介する、現代数理科学の最前線。

 スティーヴン・ストロガッツはスモール・ワールド現象の権威。

『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン

2014-03-04

目撃された人々 55

ラットにもメタ認知能力が/『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ


 過去何百年もの間に、数え切れないほど多くの科学者や哲学者がこの私たちのユニークさをあるいは認め、あるいは否定してあらゆる種類の人間らしさの前例をほかの動物に求めてきた。近年、独創的な科学者たちが、純粋に人間だけのものとばかり思われていた多種多様の事例の前例を見つけている。私たちは、自らの思考について考える(これを「メタ認知」という)能力を持つのは人間だけだと思っていた。だが、考え直したほうがよさそうだ。ジョージア大学の二人の神経科学者が、ラットにもその能力があることを立証した。ラットは自分が何を知らないかを知っていることがわかったのだ。

【『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ:柴田裕之訳(インターシフト、2010年)】

 メタには「高次な」「超」といった意味がある。ヒトは五感情報を統合し、更にもう一段高いレベルで自分の思考や感情を客観的に捉えることができる。これをメタ認知という。脳にダメージを受けると高次脳機能障害となる。メタ認知機能の崩壊といってよい。

病気になると“世界が変わる”/『壊れた脳 生存する知』山田規畝子〈やまだ・きくこ〉

 以下、関連リンク。

脳とネットワーク/The Swingy Brain:「我思う」ラット
どっちにする?考え中!: 感性でつづる日記

 ってことは、マウスに思考があることを示唆する。あいつらにはあいつらの「考え」があるのだ。すると「意志」があっても不思議ではない。ただし言語が発達しているようには見えないから、たぶん視覚情報を言語化しているのだろう(『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン)。

 サルは非辺縁系の感覚を二つ、連合させることができない。人間はそれができる。そしてそれが、ものに名前をつけ、より上位の抽象化のレベルを進んでいく能力の基盤となっているのだ。

【『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック(リチャード・E・サイトウィック):山下篤子訳(草思社、2002年)】

 名前を付け(名詞化)、カテゴライズ(類推→アナロジー〈『カミとヒトの解剖学』養老孟司〉)することができるのは実は凄い能力なのだ。結びつける認知能力といってもよいだろう。

 それにしては人間と人間を結ぶ能力が発達しないのはどういうわけか? 個人的には人間の知性よりもラットの本能の方が優れていると思う(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。