2014-04-05

官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃


 ・官僚機構による社会資本の寡占

『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』リチャード・A・ヴェルナー
・『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃
国会で高橋洋一が「国の借金」の嘘を暴く 2018/02/21 衆議院予算委員会公聴会

 この国は【官僚機構と米国から重層的に搾取を受けている】わけです。【各種租税、新規国債、借換債、財投債により編成される370兆円規模の特別会計から推計70兆円が人件費、福利厚生、償還費、天下り、関連団体の補助金として公的部門へ吸収され、さらに外国為替特別会計を通じ既述のごとく莫大な金が米国に収奪されるという図式です】。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)以下同】

 ブログに大幅な加筆をした書籍である。全国紙系列の広告代理店で編集長を務めた人物で著者名はハンドルと思われる。ジャン・ボードリヤールを思わせる華麗な文体は意図的なもので正体を隠すためか。明らかにアジテーター的要素が強いが、傑出した説明能力の持ち主である。

【この国のエスタブリッシュメントが国民を殺戮している】わけです。経済産業省を頂点とする官僚機構が主導的に原発行政を推進し、電力企業関連会社に天下り、業界団体に公益法人を設立させ、さらに天下り、莫大な不労所得と引き換えに無軌道な運用管理を是認するという、監督者と被監督者による癒着(ゆちゃく)と共依存が利権の淵源(えんげん)となります。【文科省、国家公安委員、国土交通省などおおよそ主要官庁全てがこの腐敗構造に与(くみ)され、つまりは官僚機構】によるジェノサイド(大量虐殺)です。

 福島原発事故による被曝を声高に糾弾しているのは災害直後に書かれたためか。ただしここは吟味が必要なところで被曝の根拠が荒っぽい。国民が知るべきは原発利権であってエネルギー問題へと目を逸(そ)らしてはなるまい。

 国家システムのアルゴリズム(計算手順)とは、官僚機構の肥大化に他ならないわけです。繰り返しますが、【国税または地方税は全て官僚の給与、福利厚生および外郭団体の補助金として消えます。政府公表の公務員人件費総額には独立行政法人、特殊法人または特殊会社に属す「みなし公務員」の給与や補助金は含まれず、実際に租税から拠出される人件費または天下り団体の償還費等は年間70兆円に達すると推計されます】。

 官僚機構は癌細胞なのだろう。無限に増殖を繰り返し、肉体そのもの(国家)を滅ぼすまで蝕み続ける。著者は国家予算の中身を読めない者をB層と位置づけている。

【財政投融資とは、国民資産の不正流用】であり、【郵貯、年金、簡保の積立金が複雑な会計処理を経て特別会計予算に編入され国の外郭団体へ貸付けされ債権化】します。これまで400兆円規模の金が77の特殊法人や自治体などへ還流されながら、それらは統一されたバランスシート(貸借対照表)を持たず、財務内容も事業内容すらも不明瞭にいまだ跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しています。
 2002年に日医総研が年金積立金の調査を行ったところ、【147兆円あるべき運用資金が財政投融資による87兆円を毀損(きそん)している】実態が明らかとなりました。(中略)
【日本国の本質とは、官僚機構による社会資本の寡占(かせん)】であるわけです。【過剰な公債発行と国民資産の流用により370兆円規模の特別会計という裏予算を編成し独立行政法人、特殊法人、特殊会社さらに系列3000社のグループ企業へ還流させ、洗浄した社会資本を天下りにより合法的に収奪する】、これが利権構造の概観です。【国家予算とはすなわちブラックボックスであり、我々のイデオロギーとは旧ソビエトを凌ぐ官僚統制主義に他なりません】。

 複式簿記を導入しているのはたぶん東京都だけだ(石原慎太郎「こんなでたらめな会計制度、単式簿記でやっているのは、先進国で日本だけ」の真意。複式簿記とは何か。)。この国は国家予算のバランスシートさえ明らかにしていないのだ。驚愕の事実である。

 本当の「戦後レジーム」とは、米国の意向を受けた官報複合体の利権構造を意味する。つまり政治家から権力が剥奪されているのだ。立法府の役割は法整備と予算編成にあるわけだが完全に官僚が牛耳っている。この国では国会議員が起草する法案をわざわざ「議員立法」と呼称するほどで、可決される法案のうち20%にも満たない。

 日本をアメリカの属国にしているのは官僚とメディアだ。響堂雪乃の言葉は彼らを銃弾のように撃つ。



虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
マネーと民主主義の密接な関係/『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
マネーサプライ(マネーストック)とは/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
日本の原発はアメリカの核戦略の一環/『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
「物質-情報当量」
汚職追求の闘士/『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール
借金人間(ホモ・デビトル)の誕生/『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
力の強いもの、ずる賢いものが得をする税金/『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

母なる大地、アメリカ先住民族の想い


「わたしはこれまでただの一度も自らを『ネイティブ・アメリカン』だと名乗る『インディアン』と会ったことがない」(北山耕平)。尚、インディアンのグランドファザー、グランドマザーとは長老を意味する言葉である。

日本そして世界へ ホピ族からのメッセージ


 ホピとは「平和の人」を意味する。インディアの中でも最も神秘的な部族。

「或教授の退職の辞」/『西田幾多郎の思想』小坂国継


 西田幾多郎〈にしだ・きたろう〉の著作『続思索と体験』(昭和12年)のなかに、「或教授の退職の辞」という題の短編が収められている。この短いエッセイのなかで、西田は、停年になった老教授の口を借りて、彼自身の生涯を次のように回顧している。

 私は今日を以て私の何十年の公生涯を終ったのである。……回顧すれば、私の生涯はきわめて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後ろにして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼(く)べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思い出がなければならない。平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転(うた)た水の流れと人の行末という如き感慨に堪えない。

 西田の生涯、とくにその前半は波乱に富んだものであった。後年、西田は「哲学の動機は悲哀の意識である」ということを再々いっているが、この言葉は彼の実体験からでた切実な言葉であったといえよう。西田は学者としては本道を歩いた人ではなく、むしろ脇道を歩きつづけた人であった。そして、それがまた西田哲学の性格を形成しているといえる。

【『西田幾多郎の思想』小坂国継〈こさか・くにつぐ〉(講談社学術文庫、2002年)】

 山村修の『〈狐〉が選んだ入門書』にも紹介されている件(くだり)だ。「起きて半畳寝て一畳」に通じる味わいがある。功績や評価を誇ったところで人の人生における行動には大差などない。食べて、寝て、仕事をして、遊んで、学んで、死ぬだけだ。達観すれば単純なものだ。

 人の本質は振る舞いに現れる。言葉はいくらでも嘘をつけるものだ。仮に偽善的な行為があったとしても、見る人が見れば卑しい振る舞いとなって映る。作為や演技は決して長続きしない。心根から心掛けが生まれ、振る舞いにつながる。慇懃(いんぎん)でありながら無礼な人もいれば、粗暴の中に優しさが滲む人もいる。いにしえの中国ではそれを礼容(れいよう)といった。

 私は西田の哲学にはとんと興味がないのだが、人間には惹かれるものがある。

西田幾多郎の思想 (講談社学術文庫)

我が子の死/『思索と体験』西田幾多郎
他人によってつくられた「私」/『西田幾多郎の生命哲学 ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』檜垣立哉、『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人

『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会、新潮社編(新潮社、2014年)

学生との対話

「さあ、何でも聞いて下さい」と〈批評の神様〉は語りかけた。伝説の対話、初の公刊! 「僕ばかりに喋らさないで、諸君と少し対話しようじゃないか」――。昭和36年から53年にかけて、小林秀雄は真夏の九州の「学生合宿」に5回訪れた。そこで行われた火の出るような講義と真摯極まる質疑応答。〈人生の教室〉の全貌がいま明らかになる。小林秀雄はかくも親切で、熱く、面白く、分かりやすかった!

信ずることと知ること/『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編
超能力に対する態度/『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ

2014-04-04

紳士服「AOKI」の詐欺商法発覚

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AOKI 詐欺行為発覚の顛末

 ニュースサイト HUNTER(ハンター)は実によい仕事をしている。

他人によってつくられた「私」/『西田幾多郎の生命哲学 ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』檜垣立哉、『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人


 それに、「私」が経験していることとは、それが何かの意味を持つ以上、実は「誰か」の経験であることのたどり返しであるという部分も大きい。
 そもそもが、本当に、「私」に独自のものとして見ていることなどあるのだろうか。「私」が何かを感じていても、その感じ方自身、「他人」にょってどうしようもなく刷り込まれたものでしかないのではないか。また「私」の経験とは、ある意味で「他人」の経験である「過去」の「私」によって感じられた事柄が、いかんともしがたく介在している、そうしたものではないか。その意味で見ることや感じることは、「私」のコントロールを、はじめから外れているのではないか。
 こうした事態を、哲学はさまざまな仕方で論じている。西田と同時代のいくつもの思考が、「私」以前に作動しているような、こうした場面を解き放っている。

【『西田幾多郎の生命哲学 ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』檜垣立哉〈ひがき・たつや〉(講談社現代新書、2005年)】

 このくどい文章も西田の影響を受けているのだろう。「その感じ方自身」は自体とすべきだ。苫米地英人がもっと明快に書いている。

 つまり、あなたが見ているのは【過去の自分にとって価値のあるもの】だけであり、それは【他人によってつくられた世界】なのです。
 あなたの生きている世界は、すべて【他人によってつくられた世界】なのです。あなたの見ているもの、あなたの行動、あなたの思考は他人によってつくられている可能性が高いのです。
 これは、たいへん怖ろしいことです。もしも、ある一部の権力者によってメディアがコントロールされてしまえば、あなたは【他人によってつくられた人生】を生きるしかないのです。「自由」は完全に奪われてしまいます。

【『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト出版、2011年)】

 檜垣の文章が同じ場所をグルグル回っているのに対して、苫米地はどんどん前へ進んでいる。哲学が考えることであるなら、考えすぎた挙げ句に足がもつれて転んでしまう。更に決定的なことは哲学によって救われた人を私は見たことがない。ま、私の知能レベルだと澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉のエッセイくらいしか理解できない(『「自分で考える」ということ』)。

 私が半世紀前に誕生した時、私は何ひとつ「つくっていない」。確かに「他人によってつくられた世界」だ。そして価値観は親を始めとする大人たちの態度(教育や言動ではない)によって形成された。子は親の顔色を窺う。褒められたり叱られたり貶(けな)されたり無視されたりする中で我々は社会のルールを学んだ。ま、くそ下らないルールではあるが。

 私とは私の過去である。過去と同じ一貫性のある反応を我々は個性と呼ぶ。各人が「私」という物語を編んでいるわけだ。諸法無我とは「私」という幻想に鉄槌(てっつい)を下した言葉である。「私」とは私の欲望の異名でもあった。「私」に固執するから喧嘩となり、戦争に至る。私のもの、私の考え、私の神こそが争いの原因だ。

 よく考えてみよう。ただ、「私」という受信機があるだけだ。それゆえ反応の仕方を少しずらしたり変えたりすることで世界は別の顔を現す。世界が退屈なのは君が退屈なせいだ。世界がつまらないのはお前がつまらない人間だからだ。厳密にいえば世界とは「私の世界」に他ならない。だから、あんたの世界と俺の世界は別物だ。俺の世界は満更でもないよ。

 ただ、愚かな政治によって私の世界が侵食されているのは確かだ。

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欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
我が子の死/『思索と体験』西田幾多郎
「或教授の退職の辞」/『西田幾多郎の思想』小坂国継