2014-04-06

今日、ルワンダの悲劇から20年/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 そのとき私は、悪魔がこの世に存在することを知った。たった今、その瞳と視線を交わしたところだった。
 シボマナはまず、私に寄りかかっていたヴァランスに切りかかった。従弟の血が降りかかる。シボマナが再び鉈(なた)を振り上げる。私は反射的に左手で、頭の前、額の辺りを守った。まるで父親に平手打ちを食らわされる時のように。敵が襲いかかってくる。刃が振り下ろされ、私の手首をぱっさり切り落とす。左手が後ろに落ちた。温かい濃厚な液体がほとばしる。私はその場にくずおれた。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】

 20年前の今日、それは起こった。大虐殺に手を染めたのは警察でも軍人でもなかった。同じ町に住む隣人であった。ここにルワンダ大虐殺の恐ろしさがある。教会による断罪でもなければ、異人種による侵略でもなかった。迫害ですらなかった。かつて宗主国であったベルギーが分割統治するべく、身長や鼻の高さなどで二つの民族を創作した。それがツチ族とフツ族だった。ベルギーに続いてイギリスとフランスが手を突っ込む。80万人の大虐殺にはミッテラン大統領の子息も関与したとされる(『山刀で切り裂かれて ルワンダ大虐殺で地獄を見た少女の告白』アニック・カイテジ)。

 本書を読んだ時、私は45歳だった。「私を変えた本」は数あれど、この一書の衝撃に比するものはない。しばらくの間、精神的に立ち上がれなくなったほどだ。そして1年後にクリシュナムルティと邂逅(かいこう)する(クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ)。


 レヴェリアン・ルラングァは既に鼻を削がれ、左目を抉(えぐ)り取られていた。眼の前で家族を含む43人が殺された。シボマナは顔見知りの男だった。

 本書後半で地獄を見た男の内省は神への疑問と否定に向かう。同じように私は大衆部(大乗仏教)の因果応報思想と向き合わざるを得なくなった。ルラングァは養父と暮らすことになる。この養父の言葉がいぶし銀さながらの光を放っている。

「それは勇敢だな」
 ある晩、雪の小道で養父リュックにばったり出くわした。私が、この冷え切った暗闇を歩きながら幽霊を追い払おうとしていたのだと打ち明けると、リュックはこう言った。
「そうさ、怖がらないことが勇気なんかじゃない。恐怖に耐え、苦しみを受け入れることが勇気なんだよ」

 私にとってはパウル・ティリッヒ著『生きる勇気』1冊分以上の価値がある言葉だ。セネカ(『怒りについて 他一篇』)と同じ響きが感じ取れる。理解と寛容こそが本物の優しさなのだ。だがルラングァの懊悩(おうのう)は続いた。


 二人の間には敬意のこもった愛情が織り成された。私たちの間には、随分押し付けがましい物言いもあれば、歯に衣着せぬ言い争いもあったが、言葉と沈黙を通して私たちは一緒に歩んでいった。
 例えば今日の午後も、二人の対話は随分白熱した。彼には既に話したことがあるが、私は母が腹を切り裂かれるのを見た時から信仰を失っていた。だから、模範的な説教なんかして、あまり私をうんざりさせない方がいい。私たちに生を与えておきながら私たちを死に置き去りにした、わが少年時代の司祭たち。彼らの説教を思い出すと吐き気がする。

 白人の司祭(カトリックの指導者。プロテスタントは牧師)は真っ先に国外へ逃亡した。フツ族の司祭は教会の中でツチ族の少女たちを次から次へ強姦していた。神よ……。あんたはいつまで黙っているつもりなんだ?


「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる」
 精神科医ボリス・シリュルニックはこう答える。大戦当時子供だった彼は、両親が捕まった時見事に逃げ出すことに成功した(両親はアウシュヴィッツに送られて殺された)という経験の持ち主だ。
「服従によって、殺戮者は責任を免れる。彼らはある社会システムの一員であるに過ぎないからだ。そのシステムに服従して行う行為は全て許される」

 スタンレー・ミルグラムはアイヒマン実験を通してそれを証明してみせた(『服従の心理』スタンレー・ミルグラム/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス)。権威者に判断を委ねた無責任が罪の意識を軽くする。集団は人間を手段として扱い、矮小化する。アイヒマンは裁判で「命令に従っただけ」と答えた(Wikipedia)。

 いじめも組織犯罪も大量虐殺も根っこは皆同じだ。「命令されたから」「皆がやってたから」という安易な姿勢が80万人を殺すに至ったのだ。たぶん人間には「社会の標準に位置すれば生存率が高まる」という本能があるのだろう。だが、そのまま何も考えずに進めば、やがて欲望に翻弄されて人類は滅びてしまう。現実に資本主義や新自由主義が発展途上国の貧困や餓死を支えているではないか。

 ルワンダも同様である。ジェノサイドの犯人はベルギーであり、イギリスであり、フランスだ。かの国の人々はルワンダを始めとするアフリカ諸国から奪うことで豊かな生活を享受した。このように考えると先進国の犯罪性を自覚せざるを得ない。日本の経済発展はそのすべてがアメリカの戦争に加担することで成し遂げられた。ま、戦争のおこぼれ経済といってよかろう。ツチ族を切り刻んだマチェーテ(大鉈〈おおなた〉)の大半は中国製であった。私の生活が実は何らかの形でルワンダにつながっているかもしれないのだ。


 35歳になったレヴェリアン・ルラングァの心には今どんな風が吹いているのだろうか。

 先ほどツイッターでルワンダの画層を紹介した。Bloggerには暴力表現の規制があるため貼りつけることができない。リンク先を参照せよ。

小野不一(@fuitsuono)/2014年04月06日 - Twilog



強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送
虐殺の光景
ルワンダ大虐殺の爪痕 - ジェームズ・ナクトウェイ
ルワンダの子供たち 1994年
ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る

2014-04-05

官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃


 ・官僚機構による社会資本の寡占

『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』リチャード・A・ヴェルナー
・『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃
国会で高橋洋一が「国の借金」の嘘を暴く 2018/02/21 衆議院予算委員会公聴会

 この国は【官僚機構と米国から重層的に搾取を受けている】わけです。【各種租税、新規国債、借換債、財投債により編成される370兆円規模の特別会計から推計70兆円が人件費、福利厚生、償還費、天下り、関連団体の補助金として公的部門へ吸収され、さらに外国為替特別会計を通じ既述のごとく莫大な金が米国に収奪されるという図式です】。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)以下同】

 ブログに大幅な加筆をした書籍である。全国紙系列の広告代理店で編集長を務めた人物で著者名はハンドルと思われる。ジャン・ボードリヤールを思わせる華麗な文体は意図的なもので正体を隠すためか。明らかにアジテーター的要素が強いが、傑出した説明能力の持ち主である。

【この国のエスタブリッシュメントが国民を殺戮している】わけです。経済産業省を頂点とする官僚機構が主導的に原発行政を推進し、電力企業関連会社に天下り、業界団体に公益法人を設立させ、さらに天下り、莫大な不労所得と引き換えに無軌道な運用管理を是認するという、監督者と被監督者による癒着(ゆちゃく)と共依存が利権の淵源(えんげん)となります。【文科省、国家公安委員、国土交通省などおおよそ主要官庁全てがこの腐敗構造に与(くみ)され、つまりは官僚機構】によるジェノサイド(大量虐殺)です。

 福島原発事故による被曝を声高に糾弾しているのは災害直後に書かれたためか。ただしここは吟味が必要なところで被曝の根拠が荒っぽい。国民が知るべきは原発利権であってエネルギー問題へと目を逸(そ)らしてはなるまい。

 国家システムのアルゴリズム(計算手順)とは、官僚機構の肥大化に他ならないわけです。繰り返しますが、【国税または地方税は全て官僚の給与、福利厚生および外郭団体の補助金として消えます。政府公表の公務員人件費総額には独立行政法人、特殊法人または特殊会社に属す「みなし公務員」の給与や補助金は含まれず、実際に租税から拠出される人件費または天下り団体の償還費等は年間70兆円に達すると推計されます】。

 官僚機構は癌細胞なのだろう。無限に増殖を繰り返し、肉体そのもの(国家)を滅ぼすまで蝕み続ける。著者は国家予算の中身を読めない者をB層と位置づけている。

【財政投融資とは、国民資産の不正流用】であり、【郵貯、年金、簡保の積立金が複雑な会計処理を経て特別会計予算に編入され国の外郭団体へ貸付けされ債権化】します。これまで400兆円規模の金が77の特殊法人や自治体などへ還流されながら、それらは統一されたバランスシート(貸借対照表)を持たず、財務内容も事業内容すらも不明瞭にいまだ跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しています。
 2002年に日医総研が年金積立金の調査を行ったところ、【147兆円あるべき運用資金が財政投融資による87兆円を毀損(きそん)している】実態が明らかとなりました。(中略)
【日本国の本質とは、官僚機構による社会資本の寡占(かせん)】であるわけです。【過剰な公債発行と国民資産の流用により370兆円規模の特別会計という裏予算を編成し独立行政法人、特殊法人、特殊会社さらに系列3000社のグループ企業へ還流させ、洗浄した社会資本を天下りにより合法的に収奪する】、これが利権構造の概観です。【国家予算とはすなわちブラックボックスであり、我々のイデオロギーとは旧ソビエトを凌ぐ官僚統制主義に他なりません】。

 複式簿記を導入しているのはたぶん東京都だけだ(石原慎太郎「こんなでたらめな会計制度、単式簿記でやっているのは、先進国で日本だけ」の真意。複式簿記とは何か。)。この国は国家予算のバランスシートさえ明らかにしていないのだ。驚愕の事実である。

 本当の「戦後レジーム」とは、米国の意向を受けた官報複合体の利権構造を意味する。つまり政治家から権力が剥奪されているのだ。立法府の役割は法整備と予算編成にあるわけだが完全に官僚が牛耳っている。この国では国会議員が起草する法案をわざわざ「議員立法」と呼称するほどで、可決される法案のうち20%にも満たない。

 日本をアメリカの属国にしているのは官僚とメディアだ。響堂雪乃の言葉は彼らを銃弾のように撃つ。



虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
マネーと民主主義の密接な関係/『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
マネーサプライ(マネーストック)とは/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
日本の原発はアメリカの核戦略の一環/『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
「物質-情報当量」
汚職追求の闘士/『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール
借金人間(ホモ・デビトル)の誕生/『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
力の強いもの、ずる賢いものが得をする税金/『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎

母なる大地、アメリカ先住民族の想い


「わたしはこれまでただの一度も自らを『ネイティブ・アメリカン』だと名乗る『インディアン』と会ったことがない」(北山耕平)。尚、インディアンのグランドファザー、グランドマザーとは長老を意味する言葉である。

日本そして世界へ ホピ族からのメッセージ


 ホピとは「平和の人」を意味する。インディアの中でも最も神秘的な部族。

「或教授の退職の辞」/『西田幾多郎の思想』小坂国継


 西田幾多郎〈にしだ・きたろう〉の著作『続思索と体験』(昭和12年)のなかに、「或教授の退職の辞」という題の短編が収められている。この短いエッセイのなかで、西田は、停年になった老教授の口を借りて、彼自身の生涯を次のように回顧している。

 私は今日を以て私の何十年の公生涯を終ったのである。……回顧すれば、私の生涯はきわめて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後ろにして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼(く)べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思い出がなければならない。平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転(うた)た水の流れと人の行末という如き感慨に堪えない。

 西田の生涯、とくにその前半は波乱に富んだものであった。後年、西田は「哲学の動機は悲哀の意識である」ということを再々いっているが、この言葉は彼の実体験からでた切実な言葉であったといえよう。西田は学者としては本道を歩いた人ではなく、むしろ脇道を歩きつづけた人であった。そして、それがまた西田哲学の性格を形成しているといえる。

【『西田幾多郎の思想』小坂国継〈こさか・くにつぐ〉(講談社学術文庫、2002年)】

 山村修の『〈狐〉が選んだ入門書』にも紹介されている件(くだり)だ。「起きて半畳寝て一畳」に通じる味わいがある。功績や評価を誇ったところで人の人生における行動には大差などない。食べて、寝て、仕事をして、遊んで、学んで、死ぬだけだ。達観すれば単純なものだ。

 人の本質は振る舞いに現れる。言葉はいくらでも嘘をつけるものだ。仮に偽善的な行為があったとしても、見る人が見れば卑しい振る舞いとなって映る。作為や演技は決して長続きしない。心根から心掛けが生まれ、振る舞いにつながる。慇懃(いんぎん)でありながら無礼な人もいれば、粗暴の中に優しさが滲む人もいる。いにしえの中国ではそれを礼容(れいよう)といった。

 私は西田の哲学にはとんと興味がないのだが、人間には惹かれるものがある。

西田幾多郎の思想 (講談社学術文庫)

我が子の死/『思索と体験』西田幾多郎
他人によってつくられた「私」/『西田幾多郎の生命哲学 ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』檜垣立哉、『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人