2014-04-09

落語とは/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀編


・落語とは
浪花千栄子の美しい言葉づかい
死の恐怖

「こんど地所を買いましてね……」
 と、いかにも得意そうにいうやつが、あたしの仲間にいた。
 そもそも噺家(はなしか)てえものは、地所なんぞ買うという了簡(りょうけん)がまちがっている。噺家は地所なんか買わないで、地所をもっている人の長屋にすまっているもんだ。音羽屋(おとわや)がいったように、噺家はゼニがなくておもしろいよ、というところから噺になるんですよ。
 噺家が地所を買って長屋をたて、その長屋に人を住まわせたんじゃ、噺家てえものの味わいというものがなくなっちまう。ゼニのないところがおもしろい、ゼニがなくて貧乏(びんぼう)しているというところに、おかしみというものが浮(う)きでてくるんです。

【「空気草履」古今亭志ん生/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅〈もり・つよし〉、井上ひさし、安野光雅〈あんの・みつまさ〉、池内紀〈いけうち・おさむ〉編(筑摩書房、1990年/ちくま文庫、2011年)以下同】

 アンソロジーである。安野と池内の名前が目を引いた。冒頭に志ん生を持ってくるあたりが侮れない。他には斎藤隆介、浪花千栄子〈なにわ・ちえこ〉、W・サローヤンが面白かった。全体的にはまとまりを欠いた印象が強い。

 昭和の落語界を代表する人物だが実は遅咲きであった。40代でぼちぼち、50代で人気を博した。芸は磨くのに時間がかかる。昨今の「一発当てた」お笑いタレントを芸人とは言わない。

 しかし、もともと落語てえものは、おもしろいというものじゃなくて、粋(すい)なもの、【おつ】なものなんですよ。
 それが今では、落語てえものは、おもしろいもの、おかしいものということを人々がみんな頭においているんですが、元来そんなもんじゃないんですナ。

 志ん生が放つ言葉は一つひとつが立っている。私はどちらかというと落語よりも志ん生の江戸弁に耳を傾ける。キレのよいべらんめえ調、女言葉のイントネーション、そして端唄(はうた)。

 現代は豊かな言葉の響きを失った時代である。コンクリートやマイクなどが言葉の響きを不要としたのかもしれぬ。テレビが行き渡るようになってから方言も少なくなってきたように感じる。

 言葉が響かないのは身体を震わせないためだ。体格はよくなっても思いが弱まり、気持ちが小さくなっている。大太鼓を割り箸で叩くような状態だろう。声に生命の響きが表れる。生きることそのものにもっと貪欲であっていい。

ちくま哲学の森 1 生きる技術



キリスト教の問題点/『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』』ニーチェ:適菜収訳


 話が込み入ってまいりましたので、ここでキリスト教の問題点をまとめておきましょう。
 第一に、「神」「霊魂」「自我」「精神」「自由意志」などといった、ありもしないものに対して、本当に存在するかのような言葉を与えたこと。
 第二に、「罪」「救い」「神の恵み」「罰」「罪の許し」などといった空想的な物語を作ったこと。
 第三に、「神」「精霊」「霊魂」など、ありもしないものをでっちあげたこと。
 第四に、自然科学をゆがめたこと(彼らの世界観はいつでも人間が中心で、自然というものを少しも理解していなかった)。
 第五に、「悔い改め」「良心の呵責(かしゃく)」「悪魔の誘惑」「最後の審判」といったお芝居の世界の話を、現実の世界に持ち込んで、心理学をゆがめたこと。
 まだまだありますが、ざっとこのようになるのではないでしょうか。
 こうした空想の世界は、夢の世界とはまた別のものです。夢の世界は現実を反映していますが、彼らの空想は現実をねじ曲げ、価値をおとしめ、否定します。
 キリスト教の敵は「現実」です。なぜなら、彼らの思い描いている世界と現実はあまりにもかけ離れているからです。

【『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』』ニーチェ:適菜収〈てきな・おさむ〉訳(講談社+α新書、2005年)】

 既に7万部売れたらしい。買っているのは2ちゃんねらーとネトウヨだろうか(笑)。

 語尾に作為を感じる。その邪(よこしま)な意図に誑(たぶら)かされるほど私は若くない。やはり、『ニーチェ全集 14 偶像の黄昏 反キリスト者』を開くべきだ。適菜の超訳はイエロー哲学といってよい。哲学することよりも、むしろ扇情に目的があるのだろう。ニーチェは材料に過ぎない。

 私もアブラハムの宗教は邪教であると考えているが、彼の著作には与(くみ)しない。日本でキリスト教批判をするのであれば、欧米人の目を覚まさせるくらいの骨太さが必要だ。適菜収の言論はネット掲示板の臭いがする。

キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)ニーチェ全集〈14〉偶像の黄昏 反キリスト者 (ちくま学芸文庫)

2014-04-08

脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・脳は宇宙であり、宇宙は脳である

『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 脳はニューロンとグリアという細胞が何千億個も集まってできている。その細胞の一つひとつが、都市と同じくらい込み入っている。それぞれに全ヒトゲノムが入っていて、複雑な営みのなかで何十億という分子をやり取りする。一つひとつの細胞がほかの細胞に電気パルスを毎秒何百回も送る。脳内で生じる数十兆のパルスそれぞれを1個の光子で表わしたら、目がくらむような光になるだろう。
 その細胞どうしをつなぐネットワークは驚異的に複雑なので、人間の言語では表現できず、新種の数学が必要だ。典型的なニューロン1個は近隣のニューロンと約1万個の結合部をもっている。何十億というニューロンがあることを考えると、脳組織わずか1立方センチに銀河系の星と同じ数の結合部があることになる。
 あなたの頭蓋骨のなかにある1300グラムのピンク色でゼリー状の器官は、異質な、計算する物質だ。小さな自己設定型のパーツで構成され、私たちがつくろうと志したことのあるどんなものもはるかに超えている。だから、自分が怠け者だとか鈍いと思っている人も、安心してほしい。あなたは地球上で最も活発で、最も鋭い生きものなのだ。
 それにしても、うそのような話だ。私たちはおそらく地球上で唯一、向こうみずにも自らのプログラミング言語を解読するゲームに打ち込むほど高度なシステムである。あなたのデスクトップコンピューターが、周辺装置を操作し始め、勝手にカバーをはずし、ウェブカメラを自分の回路に向けるところを想像してみてほしい。それが私たちだ。

【『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン:大田直子訳(早川書房、2012年『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』改題)】

 今気づいたのだが著者は、リチャード・E・サイトウィック(リチャード・E・シトーウィック改め)『脳のなかの万華鏡 「共感覚」のめくるめく世界』の共著者であるデイヴィッド・M・イーグルマンとたぶん同一人物だろう。

 意識三部作としては、『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ→『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ→本書の順番で読むことを勧める。次にアントニオ・R・ダマシオへ進み、更に『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム、『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ、『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロースを読めば理解が深まる。たぶん天才になっていることだろう。

 宇宙に匹敵する広大な領域。それが脳である。脳が宇宙であるならば、宇宙が脳である可能性も高い(『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック/『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル)。


 ニューロン(神経細胞)の数は「大脳で数百億個、小脳で1000億個、脳全体では千数百億個にもなる」(理化学研究所 脳科学総合研究センター)。大脳よりも小脳に多かったとは露知らず。そしてニューロンとニューロンをつなぐシナプスは1個につき1万箇所ある(生理学研究所)。ただし脳の状態をいくら調べたところで意識が解明されるわけではない。

何を意識の発生とするか


 私は意識発生のメカニズムを解く鍵は自己鏡像認知にあると考える。既に何度か書いてきたが、自己鏡像認知とは「相手の瞳に映る自分を理解する能力」と定義したい。「私」だけでは意識たり得ない。「私」を客観的かつ抽象的に捉える視点(メタ認知)こそが意識なのだ。

 しかしながら我々の日常生活は無意識で運転されている。

 車でいえば、教習所にいたときには、クラッチを踏んでギアをローに入れて……、と、順番に逐次的に学びます。
 けれども、実際の運転はこれでは危ないのです。同時に様々なことをしなくてはなりません。あるとき、それができるようになりますが、それは無意識化されるからです。
 意識というのは気がつくことだと書きましたが、今気がついているところはひとつしかフォーカスを持てないのです。無意識にすれば、心臓と肺が勝手に同時に動きます。
 同時に二つのことをするのはすごく大変です。けれどもそれは、車の運転と同じで慣れです。何度もやっていると、いつの間にかその作業が無意識化されるようになってくるのです。
 無意識化された瞬間に、超並列に一気に変わります。

【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)】

論理の限界/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 例えば旅行に行くとしよう。行き先は意識的に選択するが、現地で何を見るかは条件反射的に行われる。すなわち何を見るかを我々は意識的に選べないのだ。五感は外界への反応に基いており、五感情報は一方的に受け取る性質を帯びている。

 意識が発生するのは違和感を覚える場合が多い。他者や世界を自分の外側に強く意識した時、自我意識が立ち上がってくるのではあるまいか。その意味で疎外感を知らない幼児が鏡像認知をできないのは当然である。もちろん国家意識も自我意識から芽生えたものだろう。

 瞑想が諸法無我の実践であるならば、シナプスの発火は止(や)み、自我は解体され宇宙に溶け込むのだろう。ジル・ボルト・テイラーがそう語っている。

あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)心の操縦術 (PHP文庫)


死の恐怖/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀編

2014-04-07

大虐殺を見守るしかなかったPKO司令官/『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール


 以下は、1994年ルワンダで起こったことをめぐる私の物語である。それは裏切り、失敗、愚直、無関心、憎悪、ジェノサイド、戦争、非人間性、そして悪に関する物語だ。強い人間関係が作られ、道徳的で倫理的かつ勇敢な行動がしばしば描かれるものの、それらは近年の歴史の中で最も迅速におこなわれ、最も効率的で、最も明白なジェノサイドには太刀打ちできない。80万人以上の罪のないルワンダの男たち、女たち、子供たちが情け容赦なく殺されるのにちょうど100日が費やされたが、その間、先進世界は平然と、また明らかに落ち着き払って、黙示録が繰り広げられているのを傍観するか、そうでなければただテレビのチャンネルを変えただけのことだった。私の父や妻の父はヨーロッパの解放に手を貸した――その時、絶滅収容所の存在が暴き出され、声を一つにして人類は「二度とこんなことはさせない」と叫んだ。それからほぼ50年たって、私たちは、この言葉にできない惨事が起こるのをふたたび手をこまねいて見ていたのだ。私たちはこれをやめさせる政治的意志もリソースも見出せなかった。以来、ルワンダを主題にして多くのことが書かれ、つい最近に起こったこのカタストロフはすでに忘れられつつあり、その教訓は無知と無関心に埋もれている、そのように私は感じている。ルワンダのジェノサイドは人類の失敗であり、それはまた疑いなく繰り返される可能性があるのだ。

【『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール:金田耕一〈かなだ・こういち〉訳(風行社、2012年)】

武装解除 紛争屋が見た世界』で伊勢崎賢治を知った。伊勢崎の著作を数冊読み、ロメオ・ダレールを知った。

「私たちは大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきた」/『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治

 何と、映画『ホテル・ルワンダ』に登場した国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)の司令官であった。



 それから直ぐに以下の動画を見つけた。

ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る

 ロメオ・ダレールは元カナダ軍中将であった。その彼が帰国後、自殺未遂をした。ダレールはルワンダという地獄に身を置きながら、国連の政治に翻弄された。彼は虐殺を見守るしかなかった。真の地獄は目撃者をも間接的に殺するのだろう。ダレールは生還した。ルワンダからも、自殺からも。タフという言葉はこの男のためにある。


 当時、第8代国連難民高等弁務官を務めたのは緒方貞子であった。

ルワンダ: Strings Of Life
特別対談 | 池上彰と考える!ビジネスパーソンの「国際貢献」入門 - JICA

 緒方に反省と悔恨が見えないのはどうしたことか。緒方もダレールを見捨てた一人ではなかったか?

 信じられるのは見捨てられ、傷ついた人間である。安全な位置や快適な空間にいる連中は信用ならない。戦争決定者が戦地へ赴くことはないのだ。紛争を支えるのは大国の無関心だ。彼らは原油やゴールドが埋蔵されていない地域には目もくれない。有色人種がいくら殺し合おうと知ったことではないのだ。

 この世界を肯定することは虐殺に加担する可能性がある。

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記
ロメオ ダレール
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ストーリー展開と主人公の造形が雑/『流刑の街』チャック・ホーガン


 残金すべてでチップをはずむと、ブーツの紐をきつく締め、ナップザックをかついで、家までの長い道のりを走る。
 家はボストン南東のクインシーにあった。13キロ離れている。
 走ることは浄化であり、瞑想だった。物騒な地区のひび割れた通りに、厚いブーツの重い足音が響く。

【『流刑の街』チャック・ホーガン:加賀山拓朗訳(ヴィレッジブックス、2011年)】

 走る描写が好きだ。私が走らないせいかもしれない。飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉の『汝ふたたび故郷へ帰れず』に名場面がある。歩くことが一本足で前へ進むことなら、走ることは跳ぶ行為だ。

 主人公はイラクからの帰還兵だ。不如意な生活、うだつの上がらぬ日々が続いた。暴漢に襲われ、仮借のない反撃を加える。その後、見知らぬ男からオファーがある。男も元軍人であった。仕事内容は麻薬組織の襲撃で、軍隊時代を彷彿(ほうふつ)とさせる生き生きした生活が蘇った。ドン・ウィンズロウ著『犬の力』と似ているが、私はプロパガンダ臭がない分、本書に軍配を上げる。

 ただ、文章は素晴らしいのだがストーリー展開と主人公の造形が雑だ。実にもったいないと思う。序盤の硬質な緊張感が中盤からダレ始める。で、最終的には安っぽいパルプ小説になってしまった。主人公のニール・メイヴンにリーダーとしての資質はなくても構わないが、あまりにもヒーロー的な要素に欠けている。復讐も中途半端だ。ボスのロイスと麻薬捜査官のラッシュも見分けがつかない。

 などと散々文句を並べておいたが、警句を思わせる文章を味わうだけでも損はない。最近のミステリ作品挫折率を思えば、そこそこ良作だと思う。

流刑の街 (ヴィレッジブックス)