2015-04-28

日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平


 ・断章取義と日蓮思想
 ・日本における集団は共同体と化す

岸田 つまり日本というのは、あらゆる組織、あらゆる集団が、血縁を拡大した擬制血縁の原理で成り立っているわけですね。

【『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)以下同】

 ま、早い話が親分子分の世界だ。確かにそうだ。後進の育成を我々は「面倒を見る」と表現する。この時点でもう兄貴分だ(笑)。結局、日本の集団は「一家」のレベルに過ぎないのだろう。日本経済をバブル景気まで支えてきた終身雇用制は、まさしく「擬制血縁の原理」が機能していた。

山本 私はね、ヨーロッパが血縁幻想を持つための条件をなくしたとすれば、それは二つあると思っているんです。一つは奴隷制ですね、人間を買ってくる。もう一つは僧院制、これは独身主義です。血縁ができない。したがって、これらは真の意味の組織だけになってくるんです。
 奴隷制度はヨーロッパに唯一神が現れる前から、一種の組織だったんですね。あの時代の自由の概念はきわめてはっきりしていて、契約の対象か売買の対象かで自由民か奴隷かが決まるわけです。ひと口に奴隷といっても、いわゆる技能奴隷、学問奴隷などはムチでひっぱたいてもダメで、報酬を与えないと働かない。その結果、ずいぶん金持の奴隷もいたわけなんです。だけど、金を持っただけでは自由民になれない。奴隷は契約の対象じゃないんですから、いわば家畜が背中に貨幣でも積んでいるような形にすぎないんですね。

「民族的伝統と見られているものの大半が過去百数十年の間に『創られた伝統』に過ぎない」(『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優)としても、やはりヨーロッパには異なる宗教や言語が存在したわけだから「敵」が多かったことは確かだろう。第二次世界大戦に至るまで戦争に次ぐ戦争の歴史を経てきた。それゆえ集団内にあっても徹底的に主張をぶつけ合う。日本のように小異を捨てて大同につくなどということはあり得ない。

岸田 やはりヨーロッパは家畜文化であるというところに、根本の起源があるのかもしれませんね。

山本 そうかもしれません。

岸田 日本には奴隷制はなかったわけですからね。

山本 ないです。「貞永(じょうえい)式目」を見ると人身売買はありますが、ローマのような制度としての奴隷制というものはない。これははっきりしている。

 人間を家畜化したのが奴隷である。

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 日本に奴隷制がなかった事実が、ヨーロッパと日本の帝国主義の違いにつながる。イギリスやフランスは植民地を奴隷として扱った。日本は一度もそんな真似をしたことがない。朝鮮も併合したのであって植民地ではなかった。イングランドとスコットランドのようなものだ。

 ヨーロッパ人がアフリカ人やインディアンに為した仕打ちを見るがいい。キリスト教による宗教的正義がヨーロッパ人の残虐非道を可能とした。アメリカでは黒人奴隷が動産として扱われた(『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン)。

岸田 では、日本の集団はどういう原理で動いているでしょうかね。

山本 ただ一つ、言えるだろうと思う仮説をたてるとしますと、日本では何かの集団が機能すれば、それは「共同体」になってしまう。それを擬制の血縁集団のようにして統制するということじゃないでしょうか。ただ、機能しなくちゃいけないんです、絶対に。血縁集団というものは元来、機能しなくていいんですね。機能しなくても血縁は血縁。しかし、機能集団は別にある。しかし、日本の場合、それは即共同体に転化しちゃう。

 これは日本がもともと母系社会であったことと関係しているように思う。父は裁き、母は守るというのが親の機能であるが、日本のリーダーに求められるのは母親的な役回りである。親分・兄貴分も同様で父としての厳しさよりも、母親的な包容力が重視される。考えてみれば村というコミュニティや談合という文化も極めて女性的だ。

 ま、天照大神(あまてらすおおみかみ)は女神だし、卑弥呼(?-248年頃)という女性権力者がいたことを踏まえると、キリスト教ほどの男尊女卑感覚はなかったことだろう。

 今この本を読むと、意外なことに「日本はそれでいいんじゃないか」という思いが強い。自立した人格の欠如とか散々自分たちのことをボロクソに言ってきたが、寄り合い、もたれ合いながらも、奴隷制がなかった歴史的事実を誇るべきだろう。俺たちは『「甘え」の構造』(土居健郎)でゆこうぜ(笑)。今更、砂漠の宗教にカブれる必要はない。自然に恵まれた環境なんだから価値観が異なるのは当たり前だ。それゆえ私は今こそ日本のあらゆる集団が「確固たる共同体」を構築すべきだと提案したい。

日本人と「日本病」について (文春学藝ライブラリー)
山本 七平 岸田 秀
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会津藩の運命が日本の行く末を決めた/『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
シナの文化は滅んだ/『香乱記』宮城谷昌光

2015-04-27

宮城谷昌光


 3冊読了。

 37~39冊目『香乱記(一)』『香乱記(ニ)』『香乱記(三)』宮城谷昌光(新潮文庫、2006年/毎日新聞社、2004年)/秦の始皇帝の晩年から楚漢戦争までを描いた作品。毎日新聞連載。主役は田横〈でんおう〉という人物である。『遠野物語』のまえがきで柳田國男が名を上げた「陳勝呉広(ちんしょうごこう)」も登場する。そして項羽と劉邦も。少々取っ掛かりにくかったのだが、人相見が出てきた途端、物語が色めき立つ。その後はいつものように一気読みだ。寝る間も惜しみ丸一日で3冊を読んだ。趙高の奸計がやがて秦を亡ぼし、楚漢戦争にまで至る。悪人が時代を揺さぶり、歴史の舞台には次代を担う新しい人々が登場する。

2015-04-26

菅沼光弘、出口汪、福村国春、他


 9冊挫折、5冊読了。

心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』ロバート・ウィタカー:小野善郎監訳、門脇陽子、森田由美訳(福村出版、2012年)/良書。専門性が高すぎて挫折。難しいからではなく時間を惜しんだため。統合失調症に関する一級資料と思う。

抗うつ薬の功罪 SSRI論争と訴訟』デイヴィッド・ヒーリー:田島治監修、谷垣暁美訳(みすず書房、2005年)/読み物としてはこちらの方が面白い。こちらも同様で時間がないため放り投げた。目安としては『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』を読んで、更に前へ進みたい人はこの2冊に取り組むのがよい。

ヒトの見方』養老孟司(ちくま文庫、1991年/筑摩書房、1985年『ヒトの見方 形態学の目から』改題)/飛ばし読み。余計な一言が多く、せっかくの主張が台無しになっている。冷笑が養老の悪癖だ。それでも尚、養老の著書を開くのは、私がテーマにしている「見る」ことと鋭い時間論が展開されているためだ。

新薬ひとつに1000億円!? アメリカ医薬品研究開発の裏側』メリル・グーズナー:東京薬科大学医薬情報研究会訳(朝日選書、2009年)/フォントが小さい告発本にはロクなものがないと思ってよい。数ページで挫ける。

オーウェル評論集』ジョージ・オーウェル:小野寺健編訳(岩波文庫、1982年)/二度目の挫折。ディケンズの文学評論が長すぎる。

未知の次元』カルロス・カスタネダ:名谷一郎〈なたに・いちろう〉訳(講談社、1979年)/後回し。

世界史の極意』佐藤優(NHK出版新書、2015年)/後回し。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー:中山元〈なかやま・げん〉訳(日経BP社、2010年)/待望の新訳。読みやすい。が、一筋縄ではゆかず。これも後回し。

すべては1979年から始まった 21世紀を方向づけた反逆者たち』クリスチャン・カリル:北川知子訳(草思社、2015年)/文章がいい。翻訳も優れている。ただ人選を誤っているような気がする。世界的に新自由主義が否定されつつある時にサッチャーを取り上げるとはね。

 32冊目『世界経済の支配構造が崩壊する 反グローバリズムで日本復活!』菅沼光弘、藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(ビジネス社、2015年)/菅沼の新刊である。藤井厳喜が菅沼を師匠と呼んでいる。菅沼本は語り下ろしが多いが、これはしっかりした文章である。藤井の執筆部分も非常によい。

 33冊目『ブラック・プリンス』デイヴィッド・マレル:山本光伸訳(光文社、1985年/光文社文庫、1989年)/これは4度目くらいだと思った。やはり山本訳はいいね。マレルの作品では『ランボー』よりもこちらがオススメ。『モンテ・クリスト伯』や『スカラムーシュ』に連なる系譜の復讐譚である。文章も素晴らしい。

 34冊目『歴史の見方がわかる世界史入門』福村国春(ベレ出版、2014年)/一気読み。これはオススメ。世界史全体の流れがよくつかめる。気になる箇所がいくつかあったが、ま、細かいことは言うまい。2~3回続けて読めば、西洋史の時間軸を構築できそうだ。

 35冊目『出口式ロジカル・リーディング 読書で論理思考を手に入れよう』出口汪〈でぐち・ひろし〉(インデックスコミュニケーションズ、2009年)/小論文のカリスマ講師らしい。変わった名前でピンと来た人もいるかもしれないが、何と出口王仁三郎の曾孫。粗製乱造気味と見えて、一冊の本としては締まりに欠ける。

 36冊目『神国日本八つ裂きの超シナリオ』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄(ヒカルランド、2013年)/おしゃべり本。大した内容ではないが菅沼ファンは読んでしまう。3人でトークショーも行っていたとはね。

2015-04-25

アブラハムの宗教入門/『まんが パレスチナ問題』山井教雄


神様:
ユダヤ教のヤハベ(エホバ)、キリスト教の神、イスラム教のアラー、みな同一の神様で、何を隠そう、私のことなんじゃ。でも、その頃は小さな部族集団だったユダヤ人の部族神でしかなかったんじゃ。「部族」というのは「民族」より小さい単位で、血がつながっていることを信じている人の集団じゃよ。

その頃は、各部族はそれぞれの部族神を持っていて、その部族神は土地や子孫の繁栄など、現世利益(りやく)を部族に約束するんじゃ。当然、土地をめぐって部族間で争いが起こり、負けた部族やその部族神は亡びるか、勝った部族に統合された。

キリスト教やイスラム教のような世界宗教の神としては、人類全体のことを考えなければいけないんだが、当時のユダヤ教の神としては、自分が選んだ民、ユダヤ人のことだけを考えていればよかったのじゃ。

【『まんが パレスチナ問題』山井教雄〈やまのい・のりお〉(講談社現代新書、2005年)以下同】

 アブラハムの宗教入門としてオススメである。「まんが」と題しているが、実際は「大きなイラスト」で、文章の殆どが科白(せりふ)として書かれている。

 もともと部族宗教であったユダヤ教から、キリスト教・イスラム教という世界宗教が生まれた。宗教人口はキリスト教が22.54億人(33.4%)でイスラム教が15億人(22.2%)、ユダヤ教が1509万人(0.2%)となっている(百科事典『ブリタニカ』年鑑2009年版)。米調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年になるとイスラム教徒が最大勢力になると予測している(日本経済新聞 2015-04-06)。


 こうして一覧表にしてもらうと実にわかりやすい。日本人からすれば殆ど差はないように見えるが、それぞれの宗教が無数に分派している現実を思えば、教義に対する解釈論争の厳しさが浮かんでくる。

 アブラハムの宗教は啓典宗教である(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。神よりも言葉が重い。そしてその言葉の解釈を巡って争いが起こる。世界とは聖書世界を意味しており、神の存在証明を目指して西洋では学問が発展してきた。

 テキストを重んじることで宗教の機能は命令と禁止に転落した。複雑を極めたユダヤ律法に異を唱えたのがイエスであった。そしてイエスの弟子たちは同じ過ちを繰り返している。

まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)

2015-04-24

イラク日本人人質事件の「自己責任」論/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

 ・瀬島龍三はソ連のスパイ
 ・イラク日本人人質事件の「自己責任」論

『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 私が意見具申したのは、この事件は周囲の人が止めるのも振り切ってバクダッド陥落1周年というもっとも危険なときに、無謀にも現地入りをした本人たちの「自己責任」の問題であるということを前提に、
(1)善意のNGOを人質にするのは許しがたいとの日本政府の怒りの表明
(2)すぐ解放せよという要求
(3)自衛隊はイラク復興のためにサマワに派遣されたのであって、1発も撃っていない。老幼婦女子を殺しているという犯行グループによる非難は、まったく当たらないという、強い否定。
(4)したがって、撤退はしない
(5)だが日本政府は、人名尊重の見地からアメリカ特殊部隊の力を借りてでも人質は必ず救出する

 という5点だった。
 この意見具申の電話は、家内が後ろで聞いていた。また、私はすぐさま佐々事務所の石井事務局長にも内容を伝え、「官房長官はハト派だから、たぶんこのノー・バットの強硬な意見はボツだろうね」と話し合っていたところ、驚いたことに、この意見具申の12分後、福田官房長官が緊急記者会見を行い、順番まで私の言った通りに政府声明をテレビで発表したのである。

【『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(海竜社、2013年)以下同】


(1分30秒から福田官房長官)

 佐々が伝えた相手は自民党国対委員長をしていた中川秀直だった。国家の危機管理という視点から見事なアドバイスが為されていると思う。だが佐々が提案した「自己責任」論は直ぐさま暴走を始め、人質となった3人に対して昂然とバッシングが行われた。まざまざと記憶が甦る。私も自己責任との言葉に乗せられた一人だ。テレビカメラ越しに見た彼らの印象がよくなかった。人質の一人(共産主義者であると自ら表明)が日本の空港で出迎えた両親と口論する様子まで報じられた(下の動画2分53秒から)。


 イラク日本人人質事件(2004年)はまず4月に高遠菜穂子〈たかとお・なほこ〉ら3人が解放され、同月さらに2人が解放された。しかし10月に1人が殺害された。インターネット上には斬首動画が出回った。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」との声明を発表した。

 後に高遠菜穂子がこう語っている。

 ちょうど新潟県中越地震が起きたばかりのときだったんですけど、「新潟の被災者とか、日本にも困ってる人はいっぱいいるのに、それを放っておいて外国で何をやってる」ということだったみたいです。でも、最初は意味がわからなくて。「うーん、でも私の身体は一個しかないし、今はイラクのことで忙しいので、じゃあすいませんけどあなたが新潟に行ってもらえますか」とか、真面目だけどかなりとんちんかんな返事をしてました(笑)。
 事件前から同じようなことは言われてたんだけど、私は「日本の中も外も同じ」みたいに思っていたから。事件後にものすごい剣幕でそう言われたときは、本当に意味がわからなかったです。

高遠菜穂子さんに聞いた その2

 当初から「これがアメリカであれば彼らは英雄として迎えられたことだろう」と言われた。日本のマスコミは彼らを袋叩きにした。「解放された人質3人の帰国を待っていたのは温かな抱擁ではなく、国家や市民からの冷たい視線だった」(ニューヨーク・タイムズ)。

 日本の共同体を維持してきた村意識にはリスクを嫌う性質がある。「出過ぎた真似をするな」というわけだ。善悪の問題ではなくして、こういうやり方で日本の秩序は保たれてきたのだろう。また「遠くの親戚より近くの他人」という俚諺(りげん)が人質となった彼らには不利に働く。日本人に深く根づく「内と外」意識は単純な理屈で引っくり返せるような代物ではない。

 もちろん自己責任は自業自得と同義ではない。自国民の救出・保護に全力を尽くすのは国家の責務である。日本政府としては、何としても人質を救出するぞという確固たる決意があった。

 国家の危機管理を行う立場からすれば、佐々が示した対応はほぼ完璧に近い。ただし自己責任論が予想以上の広がりを見せたことに苦い思いがあったのだろう。

 今年の1月、イスラム国で二人の日本人が殺害された。そして、またぞろ自己責任論がまかり通った。日本の民族的遺伝子には元々モンロー主義的要素があるような気がする。「君子危うきに近寄らず」「触らぬ神に祟りなし」と。

 佐々淳行や菅沼光弘の目の黒いうちに中央情報機関の設置を強く望む。特に最近、中国や韓国による歴史捏造は目に余るものがあり、日本にとって最大の危機といっても過言ではない。正確な情報できちんと反撃しておく必要がある。