2016-01-31

アメリカ兵の眼に映った神風特攻隊/『國破れてマッカーサー』西鋭夫


『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ


 ・憲法9条に埋葬された日本人の誇り
 ・アメリカ兵の眼に映った神風特攻隊

『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
・『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉

日本の近代史を学ぶ

 だが、時折、一機だけが幾(いく)ら機関銃を浴びせても落ちない。銃弾の波間を潜(くぐ)り、近づいてはきては逃げ、そしてまた突っこんでくる。日の丸の鉢巻が見える。祖国のために死を覚悟し、己(おのれ)の誇りと勇気に支えられ、横殴りの嵐のような機関銃の弾雨(だんう)を見事な操縦技術で避け、航空母艦に体当たりし撃沈しようとする恐るべき敵に、水兵たちは、深い畏敬と凍りつくような恐怖とが入り交じった「感動」に似た感情を持つ。命を懸けた死闘が続く。ついに、神風は燃料が尽き、突っ込(ママ)んでくる。その時、撃ち落とす。その瞬間、どっと大歓声が湧(ママ)き上がる。その直後、耳が裂けるような轟音(ごうおん)を発していた甲板上がシーンとした静寂に覆われる。
 水兵たちはその素晴らしい敵日本人に、「なぜ落ちたのだ!?」「なぜ死んだのだ!?」「これだけ見事に闘ったのだから、引き分けにして帰ってくれればよかったのに!!」と言う。
 アメリカ水兵たちの感情は、愛国心に燃えた一人の勇敢な戦士が、同じ心をも(ママ)って闘った戦士に感じる真(まこと)の「人間性」であろう。それは、悲惨な戦争の美化ではなく、激戦の後、生き残った者たちが心の奥深く感じる戦争への虚(むな)しさだ。あの静寂は、生きるため、殺さなければならない人間の性(さが)への「鎮魂の黙禱(もくとう)」であったのだ。

【『國破れてマッカーサー』西鋭夫〈にし・としお〉(中央公論社、1998年/中公文庫、2005年)】

 重い証言である。なぜなら神風特攻隊が突撃する現実の姿を日本人は誰も知らなかったのだから。米軍が撮影していなければ、あの壮絶な勇姿は永久に日の目を見ることはなかったに違いない。

 当然のことではあるが軍隊の指揮系統は命令というスタイルで維持される。そこに疑問を挟む余地はない。敗戦後、特攻は愚行であり、無駄死にと嘲笑された。米兵ですら目を瞠(みは)ったその最期を、同胞である日本人が小馬鹿にしたのだ。軍国主義という言葉が世の中を席巻し、戦前は忌むべき歴史とされた。

 高度経済成長を迎えた頃、既に右翼は暴力団紛(まが)いの徒党を指すようになり、愛国心という言葉は彼らの看板文句であった。大音量で流される軍歌は人々から嫌悪され、街宣が大衆の心をつかむことはなかった。左翼も右翼も暴力の尖鋭化によって国民から見放された。

 愛する祖国を守ろうとした先人を愚弄(ぐろう)した瞬間から、この国は国家という枠組みが融解したのだろう。敗戦という精神的真空状態の中で日本人は大事なものを見失った。忘れてはならないことを忘れた。そこへマッカーサーが東京裁判史観という価値観を吹き込んだ。日本人は日本人であることを恥じた。

 吉田茂は国体を守ることと引き換えに全てをGHQに差し出した。吉田は経済復興を最優先課題とし、軍備は米軍に肩代わりさせた。やがてその流れは朝鮮特需~高度成長~バブル景気へと引き継がれる。それでも日本人の精神性は変わらなかった。アメリカの核の傘の下でぬくぬくと平和を享受し続けた。朝鮮が分断され、ベトナムが戦火にさらされ、チベットが侵略され、ウイグルが弾圧されても、この国は平和である。なんと愚かな錯覚か。

國破れてマッカーサー (中公文庫)
西 鋭夫
中央公論新社
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林房雄


 1冊読了。

 14冊目『大東亜戦争肯定論』(中公文庫、2014年/番町書房:正編、1964年、続編、1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)/歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れて マッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。

2016-01-30

舞の海氏が新説「日本人力士の“甘さ”は前文に起因する」「反省しすぎて土俵際…」


 元小結の舞の海秀平氏が3日、東京・平河町の砂防会館別館で開かれた公開憲法フォーラム「憲法改正、待ったなし!」で提言を行った。昨今の日本人力士の「甘さ」は憲法前文の影響だと持論を展開し、会場の笑いを誘った。提言の要旨は次の通り。

 日本の力士はとても正直に相撲をとる。「自分は真っ向勝負で戦うから相手も真っ向勝負で来てくれるだろう」と信じ込んでぶつかっていく。

 ところが相手は色々な戦略をしたたかに考えている。立ち会いからいきなり顔を張ってきたり、肘で相手の顎をめがけてノックダウンを奪いに来たり…。あまりにも今の日本の力士は相手を、人がいいのか信じすぎている。

「これは何かに似ている」と思って考えてみたら憲法の前文、「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」に行きついた。逆に「諸国民の信義」を疑わなければ勝てないのではないか。

 私たちは反省をさせられすぎて、いつの間にか思考が停止して、間違った歴史を世界に広められていって、気がつくとわが日本は国際社会という土俵の中でじりじり押されてもはや土俵際。俵に足がかかって、ギリギリの状態なのではないか。

 今こそしっかり踏ん張って、体勢を整え、足腰を鍛えて、色々な技を兼ね備えて、せめて土俵の中央までは押し返していかなければいけない。

 憲法改正を皆さんと一緒に考えて、いつかはわが国が強くて優しい、世界の中で真の勇者だといわれるような国になってほしいと願っている。

産経ニュース 2015年5月3日

泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず/『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典


 ・泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず

『幕末外交と開国』加藤祐三
『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

 ところで、あまり知られていないことだが、「情報」という語句そのものは、江戸時代にはなかった。もちろん、「情報」に代わる言葉はあった。例えば、当時「うわさ」とか「風聞」(ふうもん)とか「風説」といった言葉はよく使われていた。(中略)
 はじめて「情報」という言葉が使われたのは、明治9年(1876)に刊行された『仏国歩兵対中(ふつこくほへいたいちゅう) 要務(ようむ)実地演習軌典』であるという(仲本秀四郎『情報を考える』丸善ライブラリー)。「敵情を報告する」の簡略語として造語されたらしい。

【『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典(新書y、2006年)以下同】

 日本の近代史は黒船来航(嘉永6年/1853年)から始まる。当時の世相を詠んだのが下の狂歌である。

「泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず」

 宇治の高級茶「上喜撰」と黒船の蒸気船を掛けている。黒船は4杯(4隻)で訪れた(種類による船の数え方)。

 ともかく、この狂歌の出典は意外にも知られていない。

 確実な出典としては、昭和59年(1984)に東京堂出版より刊行された『江戸時代落書類聚(らくしょるいじゅう)』である。同署は、幕臣の後裔で、後備陸軍一等主計をつとめ、雑誌『江戸』などに投稿していた「江戸生き残りの故老」(小川恭一『柳営学』の人々(2)―堤朝風と矢嶋松軒『日本古書通信』第817号)こと矢嶋松軒(やじましょうけん/隆教)なる人物が、大正3年(1914)から4年をかけて編纂(へんさん)した書物である。
 松軒は、江戸時代に作られたとされる落書にたいへん興味を持ち、それを集めて『江戸時代落書類聚』として編纂した。
 落書とは、政治や世の中を風刺する匿名の文書で、「落とし文(ぶみ)」ともいう。政治権力の追求を免れるために路上に落としたり、門や塀に貼ったりした。あるていど事実を書いたものもあれば、ほとんど作り物であることも少なくない。しかし、いずれも時の政府や支配階級を風刺していて、当時の人々の注目を集めたものが多く、庶民の精神を知るうえで貴重な資料である(吉原健一郎『落書というメディア 江戸民衆の怒りとユーモア』教育出版、1999年)。

 何ということだ。私が中学で習った時点では「確実な出典」がなかったことになる。この歌で狂歌なるジャンルを知った人も多いのではあるまいか。もちろん私もその一人だ。

 落書の謂(いわ)れも初めて知った。送り仮名がないので「らくしょ」と読むのだろう。現代の落書きがメッセージ性を書いているのはメディア進化のゆえか。情報伝達の量が増えるに連れて、訴える力(発信力)が弱まっているのだろう。「檄(げき)を飛ばす」という言い回しは残っていても本物の檄文を見たことはない。

 少ない情報は豊かな想像力で補われる。句歌が千年を超えて嗜(たしな)まれてきたのは、そのイメージ喚起力にあるのだろう。

 当時実際に詠まれた歌として二首を挙げる。

「老若のねむりをさます上喜(じょうき)せん 茶うけの役にたらぬあめりか」
「毛唐人(けとうじん)などと茶ニして上きせん たつた四はひで夜は寝られず」
(いずれも『藤岡屋日記』藤岡由蔵〈ふじおか・よしぞう〉)

 結論はこうだ。

 考えてみると「泰平の」という語句には、江戸時代を「ペリーの『黒船』に腰を抜かすような情けない弱腰の江戸の武士たちが、まさに惰眠をむさぼっていた『泰平の世の中』だったのだ」という評価が込められているように思う。いかにも江戸を遅れた時代だと批判した名人時代人の歴史認識を示す表現ではないだろうか。つまり「泰平の」は、江戸時代をだめなものと思い込もうとした明治人によってアレンジされた狂歌なのではないかとも思われる。
 明治は江戸を否定した時代だった。だからこそ、この狂歌は人々の言の葉にのぼり有名になったのだろう。いや、いささかなり過ぎたと思う。
 要するにペリー来航当時、この狂歌は謳われていなかった可能性が高い。

 ところがどっこい話はそう簡単に収まらない。

たった四はいで夜も…黒船来航直後の作

 黒船来航(1853年6月)にあわてふためく江戸幕府の様子を風刺した狂歌「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)(お茶の銘柄。蒸気船とかけている) たった四はいで夜も寝られず」が、ペリーが浦賀沖(神奈川県横須賀市)に来航した直後に詠まれていたことを示す書簡が東京・世田谷の静嘉堂(せいかどう)文庫で見つかった。

 この狂歌は、1878年(明治11年)の史料で確認されるのが最初で、後世の作との説も出てきたことから、現在は、多くの教科書が記載を見送っている。新資料の発見で旧来の説が裏付けられた形となった。

 発見したのは、専修大学元講師の斎藤純さん(62)。常陸土浦(茨城県)の薬種商で国学者だった色川三中(みなか)(1801~55年)あての書簡を集めた「色川三中来翰集(らいかんしゅう)」のうち、江戸の書店主、山城屋左兵衛からの書簡にこの狂歌が記されているのを確認した。

 書簡は53年6月30日付で、異国船が来て騒動になり、狂歌や落首が色々作られたと説明した上で、「太平之ねむけをさます上喜撰(蒸気船と添え書き) たつた四はいて夜るもねられす」の狂歌も記している。

 これまで「眠り」とされていた部分が、今回の狂歌では「ねむけ」となっており、岩下哲典・明海大教授(日本近世・近代史)は「最初に詠まれた時すでに、『眠け』と『眠り』の異なった狂歌があったのか、もともと『眠け』と表現されていたのか。今後、さらに研究が必要だ」と話している。

【YOMIURI ONLINE 2010年3月8日】

 歴史も法廷も証拠ひとつで引っくり返る。コンクリートがなかった時代の火事の多さを思えば、既に焼失してしまった証拠も数多くあるに違いない。歴史の難しさと面白さが相争う場面でもある。

 著者の視点はよいのだが文章がすっきりとせず、やたらと「後述する」を連発する悪癖が見られる。説明能力に問題あり。

予告されていたペリー来航と幕末情報戦争 (新書y)
岩下 哲典
洋泉社
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2016-01-26

矢部宏治、他


 2冊挫折、1冊読了。

北のまほろば 街道をゆく 41』司馬遼太郎(朝日新聞社、1995年/朝日文芸文庫、1997年/朝日文庫、2009年)/まほろばとは古語で「すばらしい場所」の意。司馬は青森を敢えて「北のまほろば」と呼ぶ。少し前に見かけた青森県の児童が書いた詩を読むために開いた。結局、最後のページに掲載されていた。私はあまりこの人の文章が好きではない。改行も多すぎる。斗南(となみ)の件(くだり)で柴五郎に触れている。

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門』高橋洋一(あさ出版、2015年)/手抜き本。出だしはいいのだが途中から単なる世界史本になってしまっている。ちょうど半分ほどで挫ける。

 13冊目『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治〈やべ・こうじ〉(集英社インターナショナル、2014年)/矢部は創元社の「知の再発見」双書「戦後再発見」双書を手掛けた人物。amazonの評価が頗(すこぶ)る高いので取り寄せた。米軍基地と原発を結ぶのは安全保障である。大東亜戦争敗戦以降、日本という国家が独立し得ていない情況を巧みに解説する。砂川裁判によって日本国憲法はアメリカとの条約よりも下位に位置づけられた。つまり占領体制が続行しているということだ。また国連憲章の敵国条項は知っていたが、実にわかりやすく説明されている。というわけで大変勉強になった。にもかかわらず、私は本書を「クソ本」と評価する。詳細は書評にて。読書会などには打って付けのテキストだと思う。