桶谷秀昭、福田逸、富岡幸一郎、西部邁
・日本の近代史を学ぶ
人は5000年以上前に電気というものを知って以来、畏怖と恐怖を抱いてきた。電気(electricity)の語源はギリシャ語の“琥珀”(こはく)だ。古代人は、樹脂の化石である琥珀をこすって静電気を起こしていたからだ。エジプトやギリシャ、ローマの川や沿岸地域に生息するうなぎや魚が発する電気に触れると体が痺れる現象は、西暦紀元のはるか以前に著された科学文献にもすでに詳しく説明されている。
【『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2012年/文春文庫、2015年)以下同】
「人を死なせるには、何アンペア必要だと思いますか。交流電流で100ミリアンペア。それだけであなたの心臓は細動を起こす。あなたは死んでしまうんです。100ミリアンペアは、1アンペアのたった10分の1ですよ。電気店で売ってるごく一般的なヘアドライヤーは10アンペア消費する」
「10アンペア?」サックスはかすれた声で訊き返した。
「そうです。ヘアドライヤーの一つで。10アンペア。ちなみに、電気椅子も10アンペアで職務を果たします」
「気」が精神と物質との双方を包摂した概念であり、「気」は純度に応じ「精」「気」「神」に細分され「精」においては物質的、「神」においては精神作用も行うとされる。
【Wikipedia - 精神】
もし暗殺が決行され、木村が東條とともに死んでも、牛島も間違いなく逮捕されて死刑になっていただろう。だから牛島は木村に仕事を押しつけたわけではない。決行するには若い木村の方が成功率が高くなると考えていたのだ。天覧試合時にも木村だけにきつい思いをさせることは絶対になかった牛島だ。全国民を守るため弟子の木村もろとも玉砕の覚悟だったのだ。
勝負師牛島は、国の大事に、絶対に成功させなければならない計画に、自身が最も信頼する超高性能の“最終兵器”木村政彦を選んだのだ。もし内閣総辞職があと数日遅れれば、木村が東條暗殺を決行し、人間離れした身体能力と精神力で間違いなくそれを成功させたであろう。日本史は大きく塗り替っていたに違いない。
【『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也〈ますだ・としなり〉(新潮社、2011年/新潮文庫、2014年)】
では、その「物語」はどこから来るのか。近代の小説が「著者」という起源によって創出されるのに対し、「物語」は作者不詳だ。その起源は定かではない。物語はつねに、かつて誰かから聴いた話だ。そして、その誰かは別の誰かからその物語を聴いたにちがいない。(※アントン・シャンマース著『アラベスク』で)「ぼく」が語る物語が、かつてユースフ叔父さんが「ぼくたち」に語ってくれた物語であるように、幼いユースフ叔父さんもまた、別の誰かからそれらの物語を聴いたにちがいない。物語は、時と場合に応じて変幻自在に語られる。同じ物語がいつも同じように物語られるとは限らない。「ぼく」もまた、やがてそれらの物語を「ぼく」流にアレンジしながら、誰かに語り直すだろう。語られる物語のなかに、その物語を聴き、語り継いできた複数の語り手、複数の声が存在し、一つの物語には無数の物語が存在するのだ。
【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年/新装版、2015年)】