2017-08-17

ジドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)著作リスト 1


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・『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一(コスモス・ライブラリー、2000年)
 ・『グルジェフとクリシュナムルティ エソテリック心理学入門』ハリー・ベンジャミン:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)
・『自己の変容 クリシュナムルティ対話集』クリシュナムルティ:松本恵一訳(めるくまーる、2000年)
 ・『神秘主義への扉 現代オカルティズムはどこから来たか』ピーター ワシントン:白幡節子、門田俊夫訳(中央公論新社、1999年)
・『キッチン日記 J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』マイケル・クローネン:高橋重敏訳(コスモス・ライブラリー、1999年)
・『クリシュナムルティ・水晶の革命家』高岡光(創栄出版、1998年)
・『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ:竹渕智子訳(UNIO、1998年)
・『学校への手紙』J・クリシュナムルティ:古庄高訳(UNIO、1997年)
・『クリシュナムルティの世界』大野純一編訳(コスモス・ライブラリー、1997年)
・『恐怖なしに生きる』J・クリシュナムルティ:有為エンジェル訳(平河出版社、1997年)
 ・『仏教を貫くもの』玉城康四郎(大蔵出版、1997年)
 ・『死海文書と義の教師』石川道子(シェア・ジャパン出版、1996年)
 ・『やすらぎの瞑想さがし そこはか不安症候群とオウム』大沢悠(第三書館、1996年)
 ・『情念がまばゆく白い砂となる時』金子淳人(新風舎、1996年)
・『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、1996年)
・『瞑想』J・クリシュナムルティ:中川吉晴訳(UNIO、1995年)
 ・『生のアート』津田広志(れんが書房新社、1994年)
・『自由とは何か』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1994年)
・『ザーネンのクリシュナムルティ』J・クリシュナムルティ:ギーブル恭子訳(平河出版社、1994年)
・『人類の未来 クリシュナムルティVSデビッド・ボーム対話集』J・クリシュナムルティ、デビッド・ボーム:渡部充訳(JCA出版、1993年)
・『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1993年)
・『生の全変容』J・クリシュナムルティ、アラン・W・アンダーソン:大野純一訳(春秋社、1993年)
・『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ:大野純一訳(めるくまーる、1993年)
・『クリシュナムルティ 人と教え』クリシュナムルティ・センター(クリシュナムルティ・センター、1993年)
・『最後の日記』J・クリシュナムルティ:高橋重敏訳(平河出版社、1992年)
・『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司訳(平河出版社、1992年)
・『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ:松本恵一訳(めるくまーる、1992年)
・『真理を求めて』J.Krishnamurti:山口圭三郎、根木宏編注(篠崎書林、1992年)
・『学びと英知の始まり』ジッドウ・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1991年)
・『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス:高橋重敏訳(めるくまーる、1990年)
 ・『存在光 ティンクトゥーラ』(阿含宗総本山出版局、1989年)
・『未来の生』ジッドゥ・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1989年)
・『クリシュナムルティ・懐疑の炎』ルネ・フェレ:大野純一訳(瞑想社、1989年)
・『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス:高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)
・『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス:高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)
 ・『非常の知 カプラ対話篇』フリッチョフ・カプラ:吉福伸逸、星川淳、田中三彦、上野圭一訳(工作舎、1988年)
・『英知の教育』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1988年)
 ・『マイトレーヤと覚者方の再臨』ベンジャミン・クレーム:石川道子訳(エイト社、1987年)
 ・『東洋における人間観 インド思想と仏教を中心として』前田専学編(東京大学出版会、1987年)
 ・『グローバル・トレンド―ポスト産業化社会を実践する人間・科学・文化のガイド・ブック』C+Fコミュニケーションズ(TBSブリタニカ、1986年)
・『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ:大野純一、聖真一郎訳(平河出版社、1986年)
・『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ:おおえまさのり監訳、中田周作訳(めるくまーる、1985年)
・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)
・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)
・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)
・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)
・『真理の種子 クリシュナムルティ対話集 Truth And Actuality』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(めるくまーる、1984年)
・『クリシュナムルティの日記』J・クリシュナムルティ:宮内勝典訳(めるくまーる、1983年)
・『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(平河出版社、1982年)
・『暴力からの解放』J・クリシュナムーティー:勝又俊明訳(たま出版、1982年)
・『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムルティ:根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)
・『英知の探求 人生問題の根元的知覚』J・クリシュナムルティ:勝又俊明訳(たま出版、1980年)
・『道徳教育を超えて』クリシュナムーティ:菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)
・『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ:田中恵美子編・訳(竜王文庫、1974年)
・『自由への道 空かける鳳のように』クリシュナムーティ:菊川忠夫訳(霞ケ関書房、1974年)
・『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ著、メリー・ルーチェンス編:菱珠樹訳(霞ケ関書房、1970年)
・『ヘンリー・ミラー全集 11 わが読書』ヘンリー・ミラー:田中西二郎訳(新潮社、1966年)
・『阿羅漢道』クリシナムルテ:今武平訳(文党社、1925年) ※後に田中恵美子が新訳で発行『大師のみ足のもとに』

2017-08-16

嘘つき左翼の真っ赤な真実/『打ちのめされるようなすごい本』米原万里


『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万里

 ・嘘つき左翼の真っ赤な真実

『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優
・『ジェノサイド』高野和明

 生物とは何か、という命題を、自然界と意識と表現における同一性と時間の関係から見つめ直そうとする池田清彦著『生命の形式 同一性と時間』(哲学書院)を読みながらのこと。「普通の人は、それぞれ少しずつ異なるイヌを見て、それらをみなイヌと同定することができる。ということはイヌをイヌたらしめる何らかの同一性を知っているわけだ」というくだりで、おあつらえ向きのニュースが聞こえてきた。

【『打ちのめされるようなすごい本』米原万里〈よねはら・まり〉(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)以下同】

 文章が巧みだ。ページを開くと直ぐに引き込まれる。本書を手掛かりに数冊の本を読んだが、「これは!」と目を瞠(みは)ったのは池田清彦一冊のみであった(後に文庫化『生物にとって時間とは何か』〈角川ソフィア文庫、2013年〉)。

 米原の父親は日本共産党の幹部で衆議院議員を務めた米原昶〈よねはら・いたる〉で、姉のユリは井上ひさしの後妻である。ま、筋金入りの左翼と見ていいだろう。そして見逃せないのは米原万里と井上ひさしが佐藤優の背中を押して作家デビューさせたことだ。『国家の罠』が刊行されると米原は「外務省は、途轍(とてつ)もなく優秀な情報分析官を失った。おかげで読書界は類(たぐ)い希(まれ)なる作家を得た。退官した外交官がよく出すノー天気な自画自賛本が100冊かかっても敵(かな)わない密度の濃さと面白さ」(読売新聞 2005年4月18日)と絶賛した。既に名エッセイストとして名を馳せていた米原の影響力は大きかった。

 ってなわけで私は最初から眉に唾をつけて読み始めた。説明能力の高さと人格は必ずしも一致しない。世間では説明能力が高い嘘つきを詐欺師と呼ぶ。

 遅ればせながら、ついに買ってしまった。「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校用歴史教科書、西尾幹二著『新しい歴史教科書―市販本』(扶桑社)。
 実は、ちょっと期待していた。中学2年の時に帰国し、近くの公立中学に編入した私は、歴史のみならず、あらゆる教科書の絶望的退屈さ加減にショックを受けた経験がある。

 一旦持ち上げてから落としているのだろうか? 違うね。落とすためにわざわざ持ち上げているのだ。しかもこのあと引用する大江健三郎の批判を引っ張り出すところに本当の狙いが隠されている。実に巧妙だ。

お笑い創価学会 信じる者は救われない』(知恵の森文庫)は、辛口な皮肉屋のテリー伊藤との対談形式で創価学会に関する論文やルポなどを紹介していく、意外に真面目な本だ。

 佐高信〈さたか・まこと〉という人物は他人の悪口で飯を食っている左翼である。こんな本を肯定的に評価するのも過去に共産党を裏切った創価学会(創共協定)を貶めるところに本意があるのだろう。

 すなわち本書は「左方向へ緩やかに誘(いざな)う書評本」というべき書物で、私に言わせれば「嘘つき左翼の真っ赤な真実」ということになる。同工異曲に佐藤優著『「知的野蛮人」になるための本棚』がある。左翼の策謀を知るためには格好の入門書といってよい。

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)
米原 万里
文藝春秋
売り上げランキング: 6,747

2017-08-15

動燃の裏工作/『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』今西憲之+週刊朝日取材班


『東京電力 暗黒の帝国』恩田勝亘

 ・動燃の裏工作

『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩

 取材班が手に入れた資料の山の中に、ピンク色の表紙に太いサインペンで大きく「K」と記された、謎めいたファイルがあった。厚さは3センチほどもあり、ずしりと重い。茶色に変色した書類は時系列順に丁寧にファイリングされ、あちこちに蛍光ペンで線が引いてある。西村氏が、かかわらざるを得なかった「秘密業務」の一端だ。
 そこには、思わず目を疑うようなこんな記述が連なっていた。
〈K機関で所掌しているタレントとの会食を通じて洗脳〉
〈広義な話題を提供し、問題を希釈させる〉
〈中小信用公庫等財界ラインの利用 笹川系ドン「○○氏(原文は実名、以下同)」を動かす〉
〈3月中に本社作戦、津山拠点の確保を終了 3月末から4月上旬に県南戦火 津山圏は水面下でゲリラ戦とする〉
「K機関」「洗脳」「財界のドン」「ゲリラ戦」……もはやわれわれの理解を超えた、スパイ小説のようなフレーズが飛び交っているではないか。

【『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』今西憲之+週刊朝日取材班(朝日新聞出版、2013年)】

 西村成生〈にしむら・しげお〉は動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構〈JAEA〉)の総務部次長を務めた人物で、高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故の内部調査を行う渦中で自殺をした。尚、警察は自殺と断定したが遺族は謀殺を疑っている。今西らは「西村ファイル」を独占入手し原子力産業の舞台裏を暴いた。

 上記テキストは、人形峠のウラン濃縮施設(岡山県と鳥取県の県境)にまつわる動燃の裏工作の一端である。これほど具体性の高い戦術を考えつくのは、やはりその道のプロがいるのだろう。例えば陸軍中野学校、日本共産党、あるいは電通や外資系のマーケティング・コンサルタントなど。オペレーションズ・リサーチも駆使していることだろう。

「アクションプログラム骨子」の中で見過ごせないのは、〈新聞の活用〉の項目にこんな記述があったことだ。
〈意見広告(山陽43万部、津山朝日2万部)――継続〉
〈津山朝日記事掲載 原稿は事業団作成……掲載は記者の取材方式――準備中〉
〈新聞折りこみ 津山朝日のみ実施(山陽新聞系は拒絶)――準備中〉
 そして、驚くべきは次の記述である。
〈投書 朝日……「論壇」 山陽……一般投書(500字)――準備中〉
 なんと、地元紙などに一般市民を装って「やらせ投書」せよ、という指令なのだ。それを裏付けるのが92年3月13日に作成された〈投書原稿作成のポイント〉と題された、社内への指示文書だ。
〈1.立場 (1)一般市民の立場で (2)人形峠事業所に働く者として (3)原子力の開発に携わる者として〉
〈2.内容 (1)身近な出来事について (2)エネルギー問題に関して (3)その他〉
 などと、詳細な「投稿マニュアル」まである。さらに、投書は各部署に「ノルマ」が課せられていたようだ。
〈3.手順 (1)各課3通作成 (2)3月18日までに総務課(○○)まで〉
 そして、この通達から10日後の3月23日、本社から各課長に送られたファックスでは、
〈山陽新聞「ちまた〉欄への投書 依頼の各課3通が出ていないところがありますので、総務課○○まで提出願います
 と督促までしていた。

 メディア・コントロール(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー)は世論を誘導する目的で行われる。ただし、この程度のことは資金の豊富な日本共産党や創価学会などが日常的に行う手口でさほど目新しいものではない。

 民主政が機能するためには情報公開が前提となる。情報を操作・誘導する者がいれば集合知(『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン)が働くことはない。

 いみじくもタイトルに「原子力ムラ」とあるが、我々がムラを作るのは集団に進化的優位性があるためだ。既得権益が強固なのも同じ理由による。どの集団にも公開された理想と隠された謀(はかりごと)が存在することだろう。「ここだけの話」は耳に心地がよく、集団エリートの結束を強める。

 あの手この手を尽くして嘘を流すのは「彼らの都合」であり何らかの政治目的が透けて見える。原子力産業には多大な税も投入されている。原子力発電は段階的になくすことが望ましい。人類はまだ核分裂の力を制御できる技術を手に入れていないからだ。安全保障という側面から原発を保有する欺瞞はそろそろやめて、核保有を正面から議論すべきではないか。

原子力ムラの陰謀: 機密ファイルが暴く闇
今西憲之+週刊朝日編集部
朝日新聞出版 (2013-08-20)
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2017-08-14

観照が創造とむすびつく/『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治


『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

 ・観照が創造とむすびつく

『カミとヒトの解剖学』養老孟司
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

 そこに不思議の場所がある。
 眼を閉じておのれの内部を凝視すると、そこに淡い灰色の空間がひろがっているのを感ずるが、その空間の背後に、不思議な場所があるように思われるのである。不用意にそこに近づいてそれを見ようとすると、その場所は急ぎ足に遠ざかってしまう。しかし、おのれを忘れ、その場所の存在をも忘れていると、それが意外に近いところにやってきて何事かを告げる。そういう不思議の場所が、すべてのひとの魂の内部から、身体の境をこえて外部に、どこまでもひろがっているように思われるのである。
 その場所、その未知の領域をさぐってみたい。

【『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治〈いわた・けいじ〉(講談社、1979年/講談社文庫、1985年)以下同】

 真の学問は独創に向かう。それは何らかの領域に一人踏み込んでゆく時の必然的なスタイルなのだろう。岩田慶治の場合、独創が文体にまで及んでいる。文化人類学という水脈を掘り下げ、真理という鉱脈を探る営みに圧倒される。

 アニミズム(精霊信仰)は「不思議の場所」から生まれたのだろう。自然の営為に神の意志を読み取ることでヒトは共生してきた。天神地祇(てんじんちぎ)を信ずればこそ人々は地鎮祭を行い、力士は土俵で塩をまくのだ。太陽をお天道様と呼び、その眼差しを感じれば、悪行にブレーキがかかる。

 その場所にたどり着いてみると、この世界が違って見える。おのれ自身が違って見える。そういう予感がしたのである。そこでは、木々の緑がより濃く、より鮮やかにみえるのではないか。生きものたちがより生き生きと活動し、おのれの生を超えたやすらぎをえているのではないか。われわれの尊敬してやまない古人の言葉が、単に観念として知的に理解されるだけではなく、現実に、ありありと、たしかな存在感をともなって聞こえてくるのではないか。その意味で、そこはわれわれにとってもっとも根源的な創造の場なのではないか。
 そこでは見ることが形づくることであり、観照が創造とむすびついている。

「観照が創造とむすびつく」との指摘がクリシュナムルティと重なる。岩田には『木が人になり、人が木になる。 アニミズムと今日』(人文書館、2005年)という著作もある。「私たちはけっして木を見つめない」(『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ)。

 この文章を読んではたと気づくのは、人類の原始的な宗教感情が言葉以前に生まれた可能性である。それはフィクションの原形といっていいだろう。

カミの人類学―不思議の場所をめぐって (1979年)
岩田 慶治
講談社
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2017-08-13

無投票の権利/『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆


『我が心はICにあらず』小田嶋隆
『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆

 ・愛国心への疑問
 ・ギネス認定はインチキ
 ・個性は伸ばすものではなく、勝手に伸びるものだ
 ・無投票の権利
 ・勝ち上がってくる力士
 ・長時間睡眠自慢

『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 何かをする権利は、その裏に何かをしない権利を含んでいる。そうでなければ十全な権利とは言えない。信教の自由は、宗教を信じない自由を含んでいるし、集会の自由は、ひきこもりの自由を包摂している。また、表現の自由は沈黙の権利を保障しているはずだし、職業選択の自由は同時にプー太郎たることの自由でもある。であるからして、投票権は自動的に無投票権を含んでいなければならず、そうである以上、無投票という選択にも、投票行動と同等な重みが持たされねばならない。で、提案がある。議員の定数を投票率に連動させるというのはどうだろう。たとえば投票率が50%なら、議会の議席そのものが半減するわけだ。どうだ? 良さそうじゃないか。
 首長選の場合は、人気を投票率に反映させても良い。得票数をそのまま給与に換算するのも面白いかもしれない。いずれにしても、こういうことになればオレの無投票にも若干の意味が出てくる。

【『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆(朝日新聞社、2005年)以下同】

 小田嶋がラジオ番組で「生まれて初めて投票に行った」と語った時、私の心を風が吹き抜けた。ちょっとした衝撃を受けたものだ。また「新聞には編集作業があるがネット情報にはそれがない」との主張にも驚かされた。まるで「普通の大人」が言いそうなことではないか。

 本書はアル中が極まった頃の作品であるにもかかわらず決して魅力が色褪せていない。転落しながらも社会に向かって唾を吐く小田嶋の矜持(きょうじ)があるように思う。

 無投票については諸手を挙げて賛成する。既に何度も書いてきた通り私は民主政(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)を支持していない。ワイドショー情報を鵜呑みにするオバサンの1票と私の1票を同列に扱われるのは大いに困る。国民全員が投票を棄権し、オレの1票で国政が決まればこんな嬉しいことはないのだが(笑)。

イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド
小田嶋 隆
朝日新聞社
売り上げランキング: 709,960