2018-06-11

×踏み絵 ○絵踏み


 絵踏み(踏絵というのは踏まれる絵や浮彫像のこと、踏む行為は絵踏みという)

【『みじかい命』竹山道雄(新潮社、1975年)】

みじかい命 (1975年)
みじかい命 (1975年)
posted with amazlet at 18.06.11
竹山 道雄
新潮社
売り上げランキング: 634,783

2018-06-10

虐待死した5歳女児のメモ


「ママ遅いよ」
三郷幼児放置死事件 男児なお「ママ悪くない」

 ・虐待死した5歳女児のメモ

両親逮捕、暴行死の女児「パパ、ママゆるして」 メモ残す

 東京・目黒区で5歳の女の子が父親に暴行を受けた後に死亡した事件で、女の子の両親が警視庁に逮捕されました。自宅からは「パパ、ママごめんなさい。ゆるして」という女の子の悲痛なメモが見つかりました。

 保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されたのは船戸雄大容疑者(33)と妻の優里容疑者(25)です。

 2人は今年1月下旬から、目黒区の自宅で長女で5歳の結愛ちゃんに対して、十分な食事を与えなかったうえ、体を殴ったり水を浴びせたりする暴行を加えた後、病院に連れて行かず、死亡させた疑いが持たれています。5歳児の平均体重は20キロですが、結愛ちゃんは亡くなった際、およそ12キロしかなかったということです。

 また、結愛ちゃんは「しつけ」と称して午前4時ごろに起床させられ、体重測定やひらがなの書き取りをさせられていたということです。

 自宅には、結愛ちゃんが両親に宛てたメモが残されていました。

「もうパパとママにいわれなくても しっかりと じぶんから きょうできないことも あすはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします パパママごめんなさい ほんとうにもう おなじことしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまで まいにちやってきたことをなおします これまでにどれだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめるので もうぜったい ぜったい ぜったい やらないからね ぜったい ぜったい やくそくします」(結愛ちゃんの両親へのメモ)

 絵を描くのが好きだったという結愛ちゃん。

「あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて いっしょうけんめいやるんだ あしたはぜったいやるんだ」(結愛ちゃんの両親へのメモ)

 取り調べに対し、2人は容疑を認め、優里容疑者は「虐待の発覚が怖くて見過ごしてしまった」と供述しているということです。

TBS NEWS 2018年6月6日

 5歳の女の子が敬語を使用している。それは生き延びるための必死の叫びだった。脳が十分に発達していない子供は、虐待されているという事実から原因を自分に見出してしまう。無論逃げることも難しい。「逃げる」という発想ができないのだ。彼女の「約束」も「決意」も虐待する両親の耳には届かなかった。

 私は悲しみよりも、腸が捻(ね)じ切れるような怒りに駆られる。同じ目に遭わせるだけではまだまだ足りない。生まれてきたことを後悔するほどの制裁が必要だろう。

 私が既成仏教に抜き難い胡散臭さを感じるのは五逆罪に子殺しがないためだ。そこに「恩」の思想があることは理解している。例えば20歳になるまで虐待されてきた息子が満を持して親を殺した場合はどうなるのだろう? 私なら可とする。正当防衛だ。むしろそんな親は殺されるべきではないのか。

 中部経典には「アングリマーラ経」というのがあって、99人もの殺人に手を染めたアングリマーラという男がブッダと出会い、更生する様が劇的に描かれている。これもまた腑に落ちない。アングリマーラが本当に悟ったのであれば、自分の指を全て切り落とし、自殺するのが当然ではないか。ぬくぬくとブッダの傍で修行をしている場合ではないだろう。

 更に付け加えると私は少年犯罪に対しても殺人は厳正に処分するべきだと考える。チンパンジー社会でルールを無視した者はその場で撲殺される。これは群れ全体が崩壊することを避けるためのブレーキなのだろう。すなわち法の目的は社会を維持するところにあり、厳正かつ公正に行うのは当然だ。1969年、神奈川県川崎市のミッション系高校に通う学生が首切り殺人を犯した。被害者家族は音を立てるように崩壊した。一方、加害者の高校生はその後弁護士となって優雅な生活を送る(『心にナイフをしのばせて』奥野修司)。その上本人には悔悟の念が全くない。我々の社会はこれを許すのだろうか? 私は許さない。更生後の人生は被害家族のために捧げるべきだろう。

2018-06-09

鋸の復原を通して古代人と対話/『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一


『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『仕事の話 日本のスペシャリスト32人が語る「やり直し、繰り返し」』木村俊介

 ・鋸の復原を通して古代人と対話

『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏
『手業(てわざ)に学べ 天の巻』塩野米松
『日本鍛冶紀行 鉄の匠を訪ね歩く』文:かくまつとむ、写真:大𣘺弘

吉川金次●そんななかで、いまから30年ほど前、いやもっと以前かな、古社寺展というのが盛んにおこなわれ、私もかならず見にいきました。そしたらね、おもしろいものを発見しちゃったんですよ。描かれている絵の鋸が、私たちがつくるような鋸とは違う。これは丹念に調べてみたら、鋸の進化が分かるにちがいない。よし、調べてやろう、という気になったんです。43歳の暮れでした。
 鋸を調べるには、まず、日本鋼(はがね)で鋸をつくる技術を正しく記録しておく必要があると気づいたわけです。それで家内に話したら、やってみたらというんです。乞食(こじき)になってもいいから、やってみようじゃないか、ノートに書いておけば、みなさんが読んで使ってくださる。それだけでもいいからやってみよう、とはじめたんです。

【『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一〈もり・こういち〉(小学館、1987年/小学館ライブラリー、1994年)以下同】


 言葉には責任が伴う。というわけで責任を果たしておこう。「鋸喩経」(こゆきょう)を調べて辿り着いた一冊。鋸(のこぎり)以外は飛ばし読み。サンケイ新聞大阪版に昭和58年(1983年)9月~60年(1985年)12月まで連載された「対談シリーズ 古代は語る」28回分のうち14回分を増補・加筆したもの。ネット上に書誌情報が少ないので対談者を挙げておく。永留久恵、松岡史、日下雅義、森博達、江守五夫、嶋倉巳三郎、布目順郎、久野雄一郎、清水欣吾、安田博幸、後藤和民、中尾佐助、吉川金次、三輪茂雄。

 吉川は絵巻物に描(か)かれていた鋸(のこぎり)を「見た」。何をどのように見るかで人生は変わる。我々には「見えていないもの」が多すぎるのだろう。奥方の反応はいかにも東京の下町らしい味わいがある。背中の押し方が絶妙だ。吉川は栃木県氏家(うじいえ/現在のさくら市)で鍛冶職人の家に生まれ、幼い頃から鋸鍛冶を手伝っていた。21歳で上京し、鋸の歯を直す目立て屋を始める。後に収集した鋸や製作した鋸をさくら市ミュージアムに寄贈し、「のこぎり館」として展示されている。また彼は俳人でもあった

 職人だから思い立ったら行動するのが早い。兄と弟に手伝ってくれと頼むと二人は協力すると応じる。

吉川●古代の鋸をつくるのは、その構造を理解するためです。(中略)
 古代の鋸を、いまの鋸みたいに解釈している人が多いんですが、いまの鋸のように使える道具じゃぜったいない。どうやってつくったかということを調べていくと、どういうところに使ったかも、はっきり分かってくるんです。

 構造に概念がある。

森●黄金塚古墳のころの鋸は、何を切っていたんですか。

吉川●いまの鋸のように使える道具じゃありませんね。歯を見ると、アセリもナゲシもない。

森●アセリですか。

吉川●ええ、アセリがない。アセリというのは、歯を互い違いに曲げることです。アセリがないと木質は切れません。

森●歯を互い違いに曲げるのをアセリというんですか。

吉川●齟齬(そご)という人もいるんですが、齟齬という言葉を使うのはやめてもらいたいですね。齟齬というと、くいちがいでしょう。ところが、鋸の歯はくいちがいじゃないんですよ。間に釘1本を通すとスーッと通るくらい整然としているんです。齟齬なんてことを言ったら、大工に頭を張り倒されちゃいますよ。齟齬だったら、家が建てられるはずがない。材木というのは、断面が非常に重要なんです。断面がきれいでなかったら、日本の木材建築なんてできない。その断面をきれいにするために、日本の鋸は工夫されているんです。

 思わず大笑いした箇所だ。「同志社大学の顔」と呼ばれた名物教授の森が職人の吉川に教えを請う姿も実に清々(すがすが)しい。

吉川●それから、鋸の歯はヤスリで立てたと思うでしょう。ぜんぜん違いますね。4世紀や5世紀の鋸はヤスリで歯を立てていません。タガネで立てたんです。その証拠もちゃんとつくってあります。実験してみましたから。そうすると、ヤスリと鋸は、タガネを母とし、槌(つち)を父とする同じ兄弟だったということになってくるんですよ。使い方も非常に近縁なんです。さっきも言ったように、黄金塚古墳の鋸なんか、使い方がヤスリとそっくりでした。

 頭ではなく体でわかった知識には理論をこねくり回すような無駄がない。まったく鋸みたいな人だよ、あんたは(笑)。

吉川●まあ、こうやって復原してみると、古代人たちがどんなに苦労したかということが、よく分かりますね。いまの人ならすぐにでもできるようなものでも、古代人にとっては、とんでもないことだったんでしょうね。でも、それはやっぱり、おもしろかったんでしょうね。古代人と話しているような気になるのも、そのためなんです。苦しいばっかりじゃない。ものをつくるのは、なんでもそうでしょう。そうそう、いま鍬(くわ)をつくっているんですよ。鍬なんか、考古学者は軽蔑しているみたでね。しかし、鍬は大切ですぜ。

「でも、それはやっぱり、おもしろかったんでしょうね」の一言に千鈞の重みがある。興味を追求するところに人生は開け、技術も花開く。吉川の生き様は孔子の言葉を髣髴(ほうふつ)とさせる。「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず」(『論語』)。

 森浩一は吉川との対談を振り返ってこう締め括る。

「復原をして、すっかり貧乏になりました」
 と、屈託なく笑われる吉川さんの研究を、私は、文部省の研究費を受けて“研究”している大学人や研究所などのいわゆる専門家の研究なるものと、どうしても比較せざるをえなかった。研究費をもらうどころか、生活費をさいてまでつぎこんで、学問に役立つ研究が、下町の職人の家から生まれたのである。
 対談が終わって、帰りぎわ、1回分の土量を知るために鍬をつくっていると、吉川さんが述べたとき、横から奥さんが、つぎのように言ったものである。
「いやだね、また実験だとかいって、土掘りをやらされるね。前は木こりをやらされたけど」
 どうもこれは、吉川ご夫妻の研究とでもいうべきものである。(1983年10月18日)

 人と人との出会いが誠実さに彩られていると必ず何らかのスパークを放つ。互いの脳内でシナプスが発火する様が見えるようだ。

原丈人〈はら・じょうじ〉の父と祖父


鉄オタ父子鷹と思いきや……原丈人が描く壮大な日本の未来図

 ・原丈人〈はら・じょうじ〉の父と祖父

『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人

 対談動画では凝り性の鉄オタ親父みたいに紹介されているが実は博物館ができている。

Wikipedia
原鉄道模型博物館公式サイト
空前絶後の趣味人生の集大成!原信太郎と「原鉄道模型博物館」

 父親は元コクヨ専務。そして母方の祖父がコクヨの創業者・黒田善太郎である。

Wikipedia
コクヨ:「創業」の時代
コクヨ創業者・黒田善太郎の珠玉の人生訓
「商売には、いろいろな「おかげ」というものがあるものだ。商人ならこのことを絶対に忘れてはならない。」コクヨ 創業者 黒田善太郎
黒田家(大阪府): 閨閥学
原家(東京都): 閨閥学

【父の教え】ベンチャーキャピタリスト・原丈人さん 従業員への配慮、会社に返る

2018-06-08

鉄オタ父子鷹と思いきや……原丈人が描く壮大な日本の未来図


 ・鉄オタ父子鷹と思いきや……原丈人が描く壮大な日本の未来図

原丈人〈はら・じょうじ〉の父と祖父
『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人

 偶然見つけた動画である。いやあたまげた。凄い人物がいるものだ。父、祖父のエピソードもドラマチックで味わい深い。原の風貌および声、挙措は現代に生きる武士(もののふ)を思わせる。もしもかなうものなら工藤美代子中丸美繪に評伝を書いてもらいたい。関連リンクは後日紹介する。