人物評価は難しい。自分の価値観や体験に照らして相手を判断するわけだが、実際は好き嫌いにとらわれているだけのような気もする。感情の後ろを理屈が追いかけている節がある。脳内では大脳辺縁系にスイッチが入った後で前頭葉が作動しているに違いない。根拠や理由というものは後出しジャンケンなのだ。
アン・モロー・リンドバーグはチャールズ・リンドバーグの夫人である。大西洋単独無着陸飛行(1927年)を成し遂げた、あのリンドバーグだ。
リンドバーグはヒトラーを「疑いなく偉大な人物」とたたえた。これにこたえて、ナチス・ドイツは1936、38、39年の3回リンドバーグを招いた。リンドバーグは、ドイツ空軍を視察して、その能力を高く評価した。
多くのアメリカ人は、
「リンドバーグはナチのシンパ」
と思っていた。
【『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男(共同通信社、2000年/新潮文庫、2003年)】
この件(くだり)を読んだ私は、リンドバーグを唾棄すべき人物と認定した。ところが数年後、菅原出〈すがわら・いずる〉によって蒙(もう)を啓(ひら)かれた。
・アメリカ経済界はファシズムを支持した/『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出
リンドバーグはただ自分に忠実な男であったのかもしれない。
アン・モローは駐メキシコ大使の子女で、その文章からは鋭敏な感受性と聡明さが窺える。リンドバーグ夫妻は1931年に調査飛行で来日している。
千島列島の海辺の葦の中で救出されたあと、リンドバーグ夫妻は東京で熱烈な歓迎をうけるが、いよいよ船で(どうして飛行機ではなかったのだろう。岸壁についた船とその船と送りに出た人たちをつなぐ無数のテープをえがいた挿絵をみた記憶があるのだが)横浜から出発するというとき、アン・リンドバーグは横浜の埠頭をぎっしり埋める見送りの人たちかが口々に甲高く叫ぶ、さようなら、という言葉の意味を知って、あたらしい感動につつまれる。
「さようなら、とこの国々の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のもとでの再会を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ」(※ 『翼よ、北に』アン・モロー・リンドバーグ著)
【『遠い朝の本たち』須賀敦子(筑摩書房、1998年/ちくま文庫、2001年)】
露のはかなさを思い、散る桜を愛でるのと同じメンタリティか。鮮やかな四季の冬が死の覚悟を促しているのか。潔さ、清らかさが日本人全体の自我を形成している。移ろいゆく時、墨絵の濃淡を味わうのが我々の流儀だ。谷崎は陰影を礼讃した。
のっとるべき理(ことわり)を法(のり)という。水(さんずい)が去ると書いて法。そこに循環する未来は映っていない。ただこの一瞬を味わいつつ惜しむ達観が諦観へと通じる。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。(『方丈記』鴨長明)
・リンドバーグ愛児誘拐事件(アガサ・クリスティの小説『オリエント急行の殺人』の序盤で登場する誘拐事件は本事件を参考にしているとされる)
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