科学も宗教も突きつめると時間に行き当たる。人間が一生という時間に支配されている以上、それも当然か。ただ時間というのは概念であって実体はない。昨日の8時を持ってこいと言われても無理だ。
・月並会第1回 「時間」その一
・月並会第1回 「時間」その二
とすると時間をどう解釈するかが問われる。人生の幸不幸は多くの場合錯覚であるといってよい。例えば「努力が実る」という言葉があるが、実際は実らない人の方が多い。成功者の発言が一人歩きしていると見ていいだろう。
人間の脳は時系列に沿って因果という物語を仕立て上げる。我々にはよき出来事を必然と捉える癖がある。つまり「必然という物語」だ。
「起きたことだけのリストを見れば、まるで起こりそうもない一連の出来事のように思えます。でも、それは数霊術の世界の話。人は同じことだけを捜して、異なることをすべて無視する。(中略)
こんなふうに類似性を探して、それについて想像を膨らませ、似ていることだけを数えあげるなら、誰であれ地球上の二人の間には、驚くほどたくさんの共通点を見つけられるでしょう」(イアン・スチュアート教授、イギリス)
【『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング:有沢善樹、他訳(アスペクト、2004年)以下同】
このあたりについては既に検証されつつある。
・人間は偶然を物語化する/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
・脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
その意味で体験はおしなべて擬似相関だといってよい。相関関係を因果関係と認識する誤謬(ごびゅう)だ。必然病。「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」(上杉鷹山)。その意気込みやよし。だが人生や社会における出来事の因果を特定することは不可能だ。経済ですら予測が当たらない。
本書では偶然と必然を天秤に載せ、これでもかと言わんばかりに偶然とは決して思えないエピソードを次々と紹介している。
イギリス騎兵隊の将校メジャー・サマーフォードは、第一次世界大戦最後の年、フランドルの戦場において、稲妻に打たれて落馬した。それ以降、彼は腰から下がマヒしてしまう。6年後、メジャーはカナダのバンクーバーに移住する。そして、川釣りをしているときに、ふたたび落雷に遭い、右半身がマヒしてしまう。
2年後、彼は地元の公園で散歩できるようにまでなった。ところが、1930年のある日、みたび稲妻が彼を襲った。それにより、彼の体は全身マヒになった。彼が死んだのは、それから2年後である。
ゼウスはそれでもメジャー・サマーフォードを許さなかった。4年後、稲妻が彼の墓を直撃したのである。
雷の祟(たた)りだ。人は不幸が続くと高価な壷を買わされる羽目になる。先祖の祟りも金次第。
世界の人口からすれば三度も落雷に撃たれる人は存在しないに等しい。だが撃たれた人がいるとなると、今度は「なぜ撃たれたのか?」という理由探しを脳が始める。「原因は何か」と。
起こってしまった出来事は書き換え不可能だ。必然志向の問題は別の可能性を封じてしまうところにある。メジャー・サマーフォードに雷が落ちたことは必然か偶然か? 例えばこう人もいる。
・6回目の雷直撃も無事回復、なぜか数年の間に撃たれ続ける米国の男性
・1分間で二度も雷に撃たれた人
病気も同様である。遺伝要因と環境要因を特定するのは極めて困難だ。他にも進化医学では進化要因という見方がある。一つの事象には様々なことが複雑に絡み合っている。
脳は退屈や平凡を嫌う。このため珍しいことや不思議なことに遭遇すると脳は活性化する。超並列で動く脳は色々な情報を結び合わせる。結果から起承転結を導き出すのは最も得意とするところだ。
デレク・シャープはイギリス空軍のパイロットという職業柄、一般人より死の危険に直面する確率が高いが、それにしても多すぎる死の危険にこれまで直面してきた。しかも、ふつうなら死んで当然という状況から必ず生還した。これを単なる偶然の結果と片づけるのは無理というものだろう。(中略)
彼が死と一戦まじえた経験は何度もあるが、最初のがいちばん劇的だったと言えるだろう。あれは1983年2月に起こった事故だった。レズ・ピアースという訓練中の航空士を同乗させ、ケンブリッジシャーの町や村の上空を時速1000キロで飛んでいたとき、二人が乗っていたイギリス空軍のホーク戦闘機にマガモが激突したのである。
マガモは飛行機の風防を突き破り、デレクの顔を直撃した。衝撃で彼の左目が眼窩から飛び出し、首の骨が折れ、顔の骨と神経が大きな損傷を受けた。機上の二人にとって、死は確実かつ差しせまったものに思えた。
シャープが覚えているのは「ドン!」という感じの衝撃だけである。「頭部全体を誰かに濡れた毛布で引っぱたかれた感じでした。ぼくは本能的に操縦桿を引き戻したんです。低空で緊急事態に陥ったときにはそうしろと訓練されていたからですよ。そうすれば、高度が上がって考える時間ができますからね」
「次の瞬間、意識を失いました。ぼくが意識を失っている間に飛行機がどこまで行ったか、誰にもわかりません。でも、最低2~3分は意識を失っていたはずです。気がついたときには、高度が1500メートルにまで堕ちていましたからね」
しかも、恐ろしいことに目が見えない。「最初は、目に風防の破片が入ったのだと思いました……顔を拭ってそれを取り除こうとしたんですが、指にべたべたしたものが付着するじゃありませんか。じつのところ、私が拭い取ろうとしていたのは、自分の顔の〈破片〉だったんですよ。痛みはまったく感じませんでしたが、左目が眼窩から飛び出していたんです」
飛行機はその後、管制官の指示で無事着陸できたという。まったく身の毛もよだつ話である。さすがに著者も脱帽している。
9.11テロ以降この手の研究も進んでおり、危機的状況で英雄的行為をする人や生き延びる人(サバイバー)に共通性があることがわかりつつある。(英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー)
必然という観点からみれば運命と宿命は同じものだ。過去が現在と未来を支配する構造になっている。必然は何となく自己実現と同じ匂いがする。自分という存在の正当化を図る目的がありそうだ。
偶然主義になればニヒリズムとシニシズムの罠にはまり、必然主義になれば強い思い込みが他の可能性を見失わせる。とすれば、偶然からも必然からも離れて中道をゆくしかない。人生の出来事は「ただある」のだ。そして私も「ただある」というのが本質なのだろう。
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