・川はどこにあるのか?
・月並会第1回 「時間」その一
・月並会第1回 「時間」その二
・時間とは記憶の残像である
・現象に関する覚え書き
・『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート
川を見る。次から次へと流れ去る水を見つめる。川はどこにあるのだろう? 川を自宅に持ち帰ることはできない。とすると川に実体はないのだろう。水が干上がれば、それは川ではない。つまり川が流れているのではなく、流れそのものが川なのだ。私の目の前にあるのは「川という現象」だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) August 30, 2010
打ち上げ花火を見る。一筋の光が天を目指し、爆発する。地面を揺るがす音と共に七色の炎が放射状に広がる。光の雫は重力に抗えず、垂れかかった涙のように闇の中へ消えてゆく。夜空に花火の残像が浮かぶ。花火もまた現象である。 RT @fuitsuono: 川を見る…
— 小野不一 (@fuitsuono) August 31, 2010
花を見る。やがて花は枯れる。遂に跡形もなくなる。花という現象。人を見る。人の一生を見る。やがて人は死ぬ。骨も消え去る。人という現象。私も川も現象である。実体はない。あるのは流動性だけ。変化こそ本質である。これを諸行無常という。
— 小野不一 (@fuitsuono) August 31, 2010
生命現象とは「時間的存在」なのだろう。 RT @krishnamurtibot: このように、時間の永続性があり、また最後には到達される真理という観念に対して思考が付与した永遠性がある。
— 小野不一 (@fuitsuono) August 14, 2010
私が在(あ)るのではなく、私という現象が在る。
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