2014-05-26

上座部を体系化したブッダゴーサ/『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿


 上座部仏教では、「ブッダの言葉」として認められた三蔵が〈正典〉とされ、パーリ語が〈正典の言葉〉である。パーリ語は、サンスクリット語と同様、インド=ヨーロッパ語族に分類される古代インド語の一つだが、上座部仏教の拡大にしたがって、スリランカと東南アジアに伝えられ、正典の言葉として当該地域に多大な影響を与えた。

【『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(春秋社、2008年)以下同】

 馬場紀寿の博士論文を改稿したもの。気魄がこもっている。ただし読みにくい。相応の知識も必要だ。小乗というネーミングは大乗側がつけた貶称(へんしょう)で上座部とするのが正しい。大乗は大衆部(だいしゅぶ)という。ブッダが死去して100年後に仏教教団は二つに分かれた。これを根本分裂と称する。

 上座部仏教が他の仏教とは異なる固有の性格を帯びて、その〈原型〉を形成したのは、5世紀前半の上座部大寺派においてなのである。

 大寺はスリランカの僧院でマハーヴィハーラともいう。スリランカ上座部の総本山と考えてよかろう。

 因みに龍樹が2世紀に、無著が4世紀に登場する。

 大寺では、紀元前後から三蔵に対する註釈が作成されるなど、思想活動が続けられていたと考えられるが、5世紀初頭にブッダゴーサという学僧が登場し、これらの古資料を踏まえて、上座部大寺派の教学を体系化した。現存資料を見る限り、「上座部」や「大寺」の伝統を掲げて作品を著し、思想を体系化したのは、ブッダゴーサが初めてであって、彼以前に遡ることはできない。

 私はブッダゴーサ(仏音〈ぶっとん〉、覚音)の名を本書で初めて知った。「5世紀初頭」というタイミングを見れば、初期大乗経典への対抗意識があったと考えてよさそうだ。

初期大乗
初期大乗仏教 (広済寺ホームページ)

 根本分裂が「大衆部離脱」であったとすれば、上座部は律に傾きすぎていたことだろう。そしてその流れは5世紀にまで及んだに違いない。しかもちょうどインドで仏教が弾圧された時期と重なっている。インド仏教は13世紀に滅ぶ。

 上座部大寺派の成仏伝承は、経典では主に四諦型三明説だったが、遅くとも5世紀初頭までには縁起型三明説に変化した(本篇第一章)。インドにおける諸部派の成仏伝承にも同様の変化が確認できた。経典や律蔵では四諦型三明説だったが、独立した仏伝作品では三明説に縁起を組み込み、縁起型三明説が成立している(本篇第二章)。縁起型三明説は上座部大寺派に固有の伝承なのではなく、部派を超えて、南アジアに広く流布した成仏伝承なのである。
 縁起型三明説の成立は、遅くとも、上座部大寺派では5世紀初頭なのに対し、北伝の仏伝作品では2世紀である。下限年代から見る限り、縁起型三明説の形成は、上座部大寺派よりも他部派がはるかに古い。おそらく、上座部大寺派は縁起型三明説をインド本土から導入したと考えられる。

三明知の持つ意味と四聖諦
「三明説の伝承史的研究 部派仏教における仏伝の変容と修行論の成立」馬場紀寿
ブッダゴーサについて 『上座部仏教の思想形成』を読んで:曽我逸郎

 曽我逸郎さんが既に書いていたとはね。詳細については曽我サイトに譲る(笑)。書く気が失せた。

 ひとつお詫びをしておこう。ずっと勘違いしていたのだが、ここに書かれているのは大寺派の教学体系化における時系列が四諦型から縁起型になったというだけで仏教史の時系列を意味したものではない。

「永遠不滅の存在(無為法)に対してあれだけ正しく警戒することのできたブッダゴーサが、縁起については輪廻転生と直結した形で解釈していたことは、私にとって困惑することである」(曽我逸郎)。三明に関する疑問は私も同感だ。ヒントが一つある。

 インドの社会では宗教に励む人が精神的な修行をして、認識の範囲をものすごく広げてみたのです。(中略)そういう人々が初めて、死後の世界、というよりは過去の世界について語り始めた。それはほとんど自分自身の過去のことなのです。「自分は過去世でこんなふうに生きていました」と。そこで過去世があるのだから、推測によって未来世もあるだろうと言い出したのです。

【『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ(角川文庫、2012年)】

 始めに過去世ありき、というわけだ。これは輪廻転生を説いたヒンドゥー教の影響だろう。過去世と認識された情報は現在の脳に収まっている。そして記憶は当てにならない。つまりこうしたインド文化に受け入れられやすい形でブッダの悟りを展開したのだろう。仮にブッダ本人が説いたとしても、相手が過去世を信じる人々であれば過去世というアンカーを利用したとしても別におかしな話ではない。

 仏の別名の一つに善逝(ぜんぜい)とある。「善く逝く」とは輪廻からの解脱を意味する言葉で、二度と生まれ変わらないことである。数学的視点に立って時系列を逆転させれば、過去世がないことは明らかだ。過去世や来世があろうがなかろうが、そもそもブッダの教えは「現在を生きよ」という一点に尽きる。

上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ死後はどうなるの? (角川文庫)

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