2020-02-09

土地の価格で東京に等高線を描いてみる/『我が心はICにあらず』小田嶋隆


 ・洗練された妄想
 ・土地の価格で東京に等高線を描いてみる
 ・真実
 ・「お年寄り」という言葉の欺瞞
 ・ファミリーレストラン
 ・町は駅前を中心にして同心円状に発展していく
 ・人が人材になる過程は木が木材になる過程と似ている

『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
・[https://sessendo.blogspot.com/2022/01/blog-post_95.html:title=『コンピュータ妄語録』小田嶋隆]
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆
『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 この発想が天才的だ。オダジマンは企業の意向に沿って出来上がった町を嫌悪する。これぞ江戸っ子の心意気か。捏造されるのは歴史だけではない。町もそうなのだ。

私鉄不動産複合体財閥企業がつくった東京の山の手/『山手線膝栗毛』小田嶋隆

 で、土地の価格で東京に等高線を描くとどうなるか――

 現在の東京は大雑把に言えば西高東低の原則で構築されている。この西高東低の原則は、海抜高度、土地価格、住民の最終学歴、住民の平均年収、その地域にある学校の偏差値分布など、かなり広い範囲で適用できる。
 仮に土地の価格で等高線を描くとすれば、東京の地形は港区、千代田区、渋谷区といった中心部をピークにして西側に向かってなだらかなカーブで降りて行く。東急沿線、または小田急沿線の世田谷あたりはちょっとした尾根のようになっており、田園調布、等々力、成城学園あたりは峠になっている。
 東および北に向かう斜面は急であり、等高線の間隔はひどく狭い。そんな中で赤羽は川口市に向かってざっくりと落ちる崖っぷちの斜面に位置している。
 赤羽は国鉄とともに発展してきた町である。町の成立と発展を考える上で、このことは重要だ。国鉄の沿線と私鉄の沿線では全然違う町が出来上がる。つまり私鉄沿線(特に西側の私鉄)では都市計画の一部として線路を通すのだが、国鉄は単に線路を通すために線路を通すのだ。そのため国鉄の沿線では町は無秩序に、雨の後のタケノコのように自然発生してしまうのである。

【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】

 実に見事だ。実際に地図をつくるだけの価値すらある。地価格差地図。これを全国に広げれば、湖のように陥没した地域も数多く出現することだろう。現在は隅田川から東側を下町と呼ぶのが一般的となっている。古くから東京に住む人は「川向こう」と嘲っていた。

 私が青春時代を過ごした亀戸(かめいど)はゼロメートル地帯で昔は大雨が降るたびに川が溢れたという。小学校から渡し舟で家に帰ったことがあると後輩の父親が語っていた。深川から東京湾にかけては江戸時代の埋立地で、隅田川と旧中川を結ぶ小名木川(おなぎがわ)という運河は徳川家康が作った。家康が江戸入りした頃は雨が降れば各所が水浸しになっていたことだろう。

 私が北海道から上京したのは昭和61年(1986年)だが、まず貧富の差に驚いた。新玉川線と東武亀戸線の客層はブティックと洋品店ほどの差があった。しかもその差が老若男女に及んでいた。ま、今時は山の手も下町もユニクロっぽい服装になっているから昔ほどの大差はないことだろう。下町からは木造アパートも姿を消して鉄筋コンクリートのビルになっている。

 昨年の台風19号による水害を思えば、やはり低い土地には危険が伴う。東京に地の利があるのは確かだが、地のリスクも高いことを弁えるべきだろう。

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