・『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
・『大空のサムライ』坂井三郎
・『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
・『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
・『今日われ生きてあり』神坂次郎
・『月光の夏』毛利恒之
・読書日記
・フランス人ジャーナリストが描く特攻の精神
・仏教は神道という血管を通じて日本人の体内に入った
・特攻隊員は世界の英雄
・『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
実際にこれらの兵器で、戦果をあげ得る前にあえなく散華した多くの純粋な日本の若者たちには、彼らの驚嘆すべき祖国愛の高揚と、その比類ない勇気のゆえに、いっそういたましく、まことに胸えぐられる悲痛さを禁じ得ないものがある。
しかしこれらの武器が我々の眼にはいかに悪魔的と映り、それによってあたら命を捨てた若者たちの冷たい勇気と決意のほどがいかに我々を畏怖せしめようとも、それでもなおかつこれら日本の若者たちは、言葉の最も高貴な意味において英雄であり、未来永劫英雄として我々の心中に存在しつづけることはまちがいない。
【『神風』ベルナール・ミロー:内藤一郎〈ないとう・いちろう〉訳(ハヤカワ・ノンフィクション、1972年)以下同】
日本人の殆どが特攻隊を忘れていた時に異国の人物が丹念に軌跡を辿り英雄と仰いでいた。その落差に私は愕然とした。更に本書が絶版となっている出版状況に心底落胆した。フランスには敵国の軍人を「若き英雄」と讃(たた)えるほどの精神性があるのだ。全くもって羨ましい限りである。
日本は戦争に敗れたのだからどんな仕打ちをされようと致し方ない。だが問題はサンフランシスコ講和条約以降である。1951年(昭和26年)9月8日に署名され、翌1952年(昭和27年)4月28日、日本は主権を回復した。「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」も行った(1953年/昭和28年)。しかし憲法を破棄せず国軍を創設しなかった。吉田茂は経済の立て直しを優先して安全保障をアメリカに委ねた(『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行)。
中野好夫が“もはや「戦後」ではない”と書いたのは1956年の『文藝春秋』2月号であった(1956年度〈昭和31年度〉経済白書に引用され流行語となった/もはや戦後ではない―経済白書70年(2) | 小峰隆夫)。高度成長は1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月まで19年間も続き(Wikipedia)、その後経済成長率は鈍ったものの実質国民総生産は1997年まで増え続けた(戦後の日本経済の歩み 高度経済成長期:TERUO MATSUBARA)。
国家にとって最大事は安全保障である。外交は軍事力で決まる。その軍事力を日本はアメリカに委ね、外交はひたすらカネをばらまくことで対処してきた。経済発展を遂げてからも一度として国民が憲法改正を望んだことはなかった。それどころか左翼の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を許し、1989年の参院選ではマドンナブームの旋風が吹き荒れて社会党が大勝した(社会党46、自民党36議席)。その後、北朝鮮による拉致事件が発覚するが社会党は消え去ったものの立憲民主党という左翼政党が今でも野党第一党となって政治を混迷させている。
戦時下の日本はたしかに奇妙な国であった。近代技術社会に育ちながら中世的倫理を棄てようとしなかった日本人は、いわば稚すぎる翼であまりにも速く飛ぼうと焦りすぎる若鳥のようでもあった。彼らは国体の新価格化をぼやけさせてしまうようなあらゆるものを拒否した。そして個人主義に接することが最も遅かった。日本は人間精神の進展の流れの中での不毛の地を一時形成していたといってよく、日本人は近代社会の人間の特権のひとつである個人をかちとる闘争をすら行使しようとしなかった。そして工業化社会の中で伝統を保ち、伝説の中にとじこもろうとしていたのである。
この日本と日本人がアメリカのプラグマティズムと正面衝突をし、そして戦争末期の数カ月間にアメリカの圧倒的な物量と技術的優位の前に、決定的な優勢を敵に許してしまったとき、日本人は対抗手段を過去からひき出してきた。すなわち伝統的な国家への殉死、肉弾攻撃法である。
このことをしも、我々西欧人はわらったり、あわれんだりしていいものであろうか。むしろそれは偉大な純粋性の発露ではなかろうか。日本国民はそれをあえて実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた、世界で最後の国民となったと筆者は考える。
たしかに我々西欧人は戦術的自殺行動などという観念を認容することができない。しかしまた、日本のこれら特攻志願者の人間に、無感動のままでいることも到底できないのである。彼らを活気づけていた論理がどうであれ、彼らの勇気、決意、自己犠牲には、感嘆を禁じ得ないし、また禁ずべきではない。彼らは人間というものがそのようであり得ることの可能なことを、はっきりと我々に示してくれているのである。
国を超え、時代を超えて響き合い、通い合う何かがある。これこそが人間の出会いであろう。日本人が消費という幸福に酔い痴れ、戦争を忘れ去った時に特攻隊を讃えるフランス人が存在した。西洋の常識から完全にはみ出した特攻隊に感動を禁じ得ないとまで言い切る。
若き特攻隊員が命を賭して守ろうとしたものは何であったか? それを忘れた時に国は滅ぶのだろう。英霊の魂はどんな思いで現在の日本を見つめていることだろう。
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