2018-09-21

ギリシア人の主体性/『木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット


『勝者の条件』会田雄次

 ・ギリシア人の主体性

 ギリシアのエピダウロスには、1万4000人収容の古代劇場が残っている。丘陵の中腹に建てられたこの劇場からは、松の木々と山並に囲まれた壮観な景色を望むことができる。音響効果も完璧で、舞台上で1枚の紙をくしゃくしゃと丸める音が客席のどの場所からも聞こえるほどである。紀元前6世紀から紀元前3世紀ごろのギリシア人は、エピダウロスで上演される演劇を観たり朗読を聴いたりするために、朝から晩まで何日も旅を続けて、やっとの思いでこの地を訪れた。
 ギリシア以外の当時の文明人たちは、概して独裁的な社会に生きていた。王の意思が法であって、それに逆らえば死が待っていた。人々はひとつの土地に縛られ、来る日も来る日も同じ農作業を繰り返していた。たとえ長旅に出て余暇を楽しんでみたいと思っても、統治者は国民が地方をうろうろと旅するのを認めることはなかっただろう。

【『木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット:村本由紀子訳(ダイヤモンド社、2004年)以下同】


 読み掛けの本だがタイミングがいいので紹介しよう。長文なので分けて引用する。エピダウロスの劇場がある種の衝撃を現代人に与えるのは、壮麗な建築物を脳の中で思い浮かべ、多くの人々を組織して工事を行った古代人の能力が我々の大半よりも優れているためだろう。私ならまず発想すらできない。まして設計には数学・物理学・工学的知識が不可欠だ。実際の工事に当たったのが奴隷だとしても事故やトラブルに対処する政治力も必要だ。しかもその建築物は穏やかな美しい佇(たたず)まいで完璧な音響効果を有するいうのだ。古代人恐るべし。

 演劇はメタ思考から生まれる。提示するフィクションが人々の感情をどのように動かすかを理解するのは極めて抽象性の高い思考能力の為す業(わざ)である。騙すためには相手の思考や感情を読む知的作業が前提となる。もちろんそのフィクションを楽しめるのも想像力があるからだ。たぶん芸能は歌や踊りから始まったと思われるが、物真似などと演劇はやはり次元が異なる。

 ギリシアには、戦闘中の都市国家をも一時休戦させるほどの国民的行事もあった。オリュンピア祭古代オリンピック)である。国中の人々が武器を置き、選手や観客となってこれに興じたという話には、さすがに今日のわれわれも驚かされる。
 ギリシア人には他のどんな古代人たちよりも、そして実際のところほとんどの現代人よりも明確に、個人の「主体性」の観念をもっていた。それはすなわち、自分の人生を自分で選択したままに生きるという考え方である。ギリシア人の幸福の定義には、制約から解き放たれた人生を謳歌するという意味が含まれていた。

 娯楽は余暇とセットになっている。日本の江戸時代が文化の彩りに満ちているのは労働時間が短かったためだ。きっと現代人の方が奴隷に近い扱いを受けているのだろう。アニメやゲームなど一部の人が作って多くの人々に与える文化はあっても、皆が楽しむ文化はほぼ見られない。

「主体性」という観念は「環境は変えることができる」という信念に基づく。スポーツの喜びも「今までできなかったことができるようになる」ところにある。

 ギリシア人がもっていた主体性の観念は、「自分とは何者か」についての強い信念(アイデンティティ)と連動していた。個人主義という概念を生み出したのがギリシア人かヘブライ人かは議論の分かれるところだが、いずれにせよ、ギリシア人が、自らを他人とは違った特徴や目標をもった「ユニークな(唯一の)」個人だと考えていたことは確かである。このことは、少なくとも紀元前8世紀ないし9世紀のギリシア詩人ホメロスの時代には動かしがたいものとなっていた。ホメロスが書いた『オデュッセイア』と『イリアス』では、神々も人間も、一人ずつ完全な個性を有していた。また、ギリシアの哲学者にとって個人は極めて重要な問題だった。
 ギリシア人の主体性の観念はまた、討論(ディベート)の伝統を盛りあげる刺激にもなった。ホメロスは、人間の評価は戦士としての力強さと討論の能力で決まると明言している。一介の平民が君主に討論を挑むことさえ可能だったし、単に話をさせてもらえるというだけでなく、ときには聴衆を自分の側になびかせることもできたのである。討論は市場でも政治集会でも行われ、戦時下に討論がなされることさえあった。
 日常的な問題のみならず、国家の重要事項であっても、しばしば権威者の布告ではなく公の場での論戦によって決定された。専制的な圧政はギリシアでは一般的ではなかったし、専制政治が始まっても、多くの場合は複数の実力者による寡頭制に取って代わられた。さらに紀元前5世紀の初頭には、民主政治が台頭した。都市によっては、役人が専制君主になるのを防ぐシステムを憲法に盛り込んだところもあった。たとえばクレタ島の都市ドレラスでは、行政のトップを務めた人間はその後10年間再任を禁じられた。

 専制政治や全体主義は一度の戦争であれば有利に働くことがあっても、連続する戦争を勝ち続けることはできない。なぜなら「新しい発想」が生まれないためだ。社会は無気力に覆われ必ず澱(よど)んでゆく。民主政は自治体レベルの単位であれば有効だろうが国家に相応(ふさわ)しいシステムとは思えない。

 古代ギリシアを羨ましく思うのは私が不自由な証拠なのだろう。キリスト教が世界に広まったのもギリシア精神を取り入れたトマス・アクィナスの成果といえそうだ。

 その古代ギリシアも古代ローマに敗れ、勝った古代ローマもやがて亡んだ。歴史の有為転変を実感するには人生は短すぎる。ゆえに歴史を生きることは難しい。だから歴史は自覚すべきものであると私は考える。日本史・世界史の中に我が身を置けばそれが次のメタ思考となる。些末(さまつ)な事柄が過ぎゆく日常にあっても高次に生きることは可能だ。

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