2018-09-27

身体感覚の喪失体験/『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保


 ・自閉症児を「わかる」努力
 ・自閉症は「間(あいだ)の病」
 ・人の批判は自己紹介だ
 ・身体感覚の喪失体験

『生命の大陸 生と死の文学的考察』小林勝
『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』品川裕香
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハッドン
『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

「私は混沌とした融合しそうな世界から、私を私自身として浮かび上がらそうとした。しかし、それは徒労であった。一瞬気力が失せた時、私は世界に融合した。あたかも流れてとけ込むようであった。世界にとけ込みながら私は発病したと思った。私はどうなるのだろうか。私と密な関係にあるみんなに、何も残せないままで消える。私はうつろいでいて、やがて、無になった。そして無であることすらも消えてしまった。
 無限なのか瞬時なのか、時の流れが感じられない。そこに消えていた私が、私というものになって点のように生まれてきた。私というものが流れに添(ママ)ってモコモコと肥大化してきた。私というものができ上がったようである。私があるのは分かるのだが、私がいるのが分からない。私は私の所在を突き止めようと、必死にもがいた。
 私がどこにも位置しないで、暗黒の中で浮遊し漂っていた。意識だけがあり、その意識が不安定というものでつくられていた。不安定であるというその意識は鮮明であった。鮮明であるがゆえに、とどまることのできる位置を必要としていた。
 私は遊離していた。暗黒に浮かんでいるようであった。不安とか恐怖とは異なる、ネガティブな感情が生まれてきた。やがて私とネガティブな感情とが分離した。分離してもそれはいずれもが私であった。私は細分化していくのであった……。
 私の体が椅子のようなものに座っていた。座っているというよりも置かれているようであった。思いという感じだけが何とか伝わってきた。体がまったく力の入らない状態で、椅子にボッテリとへばりついていた。そこでは再び考えることができた。私はどうなったのだろう。私は死ぬのだろうか。そうだ、私は死につつあるのだ……これは確信であった。ここで少し記憶を辿ることができた。時間を意識することがわずかだができたのだ。私には妻も子どももいるのだ。いいのだろうか、私、30歳、そう私は30歳なのだ、これからなのに、これからなのに、これからなのに……。
 私は私の全体の輪郭を感じとることができた。それは感覚の輪郭であった。薄ぼんやりと外の世界が、私に伝わってきた。そこでは世界が断片化されていた。断片のひとつひとつが、見え隠れしていた。やがてすべての断片が寄り集まって、それが一枚の大きな世界になった。紙をクシャクシャにしたようなものが動いた。そいつが私に覆いかぶさってくるようだ。そいつは人らしかった。平面的ではるが、2カ所が大きくへこんでいた。
 何かが私の中に入ってきた。それは声だった。私はうつろであった。世界にものがぽつぽつ浮かんできた。それらは平坦な世界から、浮かび上がってきて、三次元の形状を持つのであった。人の顔の輪郭がはっきりしてきた。左手に強い痛みを感じた。点滴の針があらぬところに刺さっていた。私ははっきりと背中を感じた。それはまぎれもない私の背中であった。
 私に覆いかぶさっていたのは私の友人だった。大きくへこんでいた2カ所は彼の目と口であった。〈気がつきましたか〉と友人が声をかけてくれた。ようやく麻酔からさめることができたのだ。とてつもなく長い苦痛であった。夢なのか、思考なのか、幻覚なのか、幻想なのか区別がまったくつかなかった」

 これは、手術を受けた患者が、麻酔から醒めた時の様子を語ってくれたものです。

【『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保〈さかき・たもつ〉(PHP新書、2001年)】

 リツイートされて思い出した一冊。こうした抜き書きが数千もあり、画像保存したページは数万にも及ぶ。増え続ける情報がもはや自分の処理能力をはるかに超えている。縁に触れて時に応じて引き出してゆく他ない。

 存在とは空間と時間における目方であることがよくわかる。患者の言葉は期せずして生誕と死滅の様相を描き出す。それがまるで宇宙創生のようにすら思える。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーの眠りと覚醒の周期が宇宙の生成と消滅を示していると考えられた。

 発想を少し変えてみよう。認知症や狂気を我々が恐れるのは「自我の部分的な死」を意味するためだ。渡辺哲夫は狂気から生と死を浮かび上がらせた(『死と狂気 死者の発見』1991年)。

 ルールや常識が生の躍動を抑制する。阻害といってもよい。現代人は獣性を抑えることで野性をも失ったのだろう。スポーツに魅了されるのはそこに野性の輝きが横溢(おういつ)しているからだ。狂気は解き放たれた右脳の野性である。特に統合失調症の言動は二分心(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ、2005年)時代の人間を髣髴(ほうふつ)とさせる。

 探し続けた関連テキストを今やっと見つけた。小一時間ほどを要した。疲れ切ったので次回紹介する。

自閉症の子どもたち―心は本当に閉ざされているのか (PHP新書)
酒木 保
PHP研究所
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