・『お坊さんはなぜ領収書を出さないのか』大村大次郎 2012年
・『税務署員だけのヒミツの節税術 あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】』大村大次郎 2012年
・『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎 2015年
・『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎 2015年
・『お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が古代~現代にガサ入れ』大村大次郎 2016年
・『お金の流れで探る現代権力史 「世界の今」が驚くほどよくわかる』大村大次郎
・徳川幕府の経済力
・『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎 2018年
・『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎
・『脱税の世界史』大村大次郎 2019年
・日本の近代史を学ぶ
薩摩藩と長州藩は、関ヶ原で敵についた外様大名として、江戸時代を通じて幕府からいじめ抜かれた。江戸から遠く離れているため参勤交代で莫大な費用が掛かる上、たびたび幕府から「天下普請」(てんかぶしん)と言われる幕府関係の城の整備や治水事業などを押し付けられた。両藩とも一時期は、財政破綻(はたん)寸前にまで追い詰められた。
が、この過酷な環境は、逆に早期の財政再建のきっかけになり、両藩は諸藩に先駆けて、産業振興にいそしみ米穀経済から脱することになった。
【『お金で読み解く明治維新 薩摩、長州の倒幕資金のひみつ』大村大次郎〈おおむら・おおじろう〉(ビジネス社、2018年)】
関ヶ原の戦い(1600年)から戊辰戦争(1868年:明治元年~1869年)までは250年以上を経ている。恨みというものはつくづく恐ろしい。戦争や虐殺の傷は歴史に長く留(とど)まる。民族の相違を簡単に乗り越えることが難しいのも歴史的理由によるものなのだろう。
米穀経済とは米本位性である。商品の流通が活発になれば自ずと貨幣経済にシフトする。
江戸時代というのは、徳川幕府が経済的には優位になるシステムになっていた。
あまり顧みられることはないが、実は江戸徳川幕府というのは、日本の歴代の武家政権の中では、【断トツで大きい経済力】を持っていた。
江戸幕府は、約400万石の直轄領を有していた。親藩(徳川家一門)の領地を含めると800万石近くもあり、当時の日本の領土の25%に達していた。
これは封建制度としては、かなり広い領地だといえる。
鎌倉幕府は関東の数か国から十数か国を有していたにすぎず、せいぜい200~300万石である。室町幕府はそれよりさらに少なかったと見られている。そして豊臣政権にいたっては、家臣だった徳川家康よりも直轄領は小さかったのだ。豊臣政権は、全国の主な鉱山や港湾を支配下に置いていたため、総合的な経済力では徳川家康を上回っていたが、それでも、家康に対して圧倒的な差があったわけではない。
このように武家政権の中では、江戸幕府がとびぬけて直轄領が広いのである。直轄領が広いということは、兵動員力の大きさにもつながる。つまりは軍事力が大きいということである。
封建制度と聞くと前時代的なニュアンスで受け止める人が多いだろうが実は違う。近代化の前段階として欠くべからざる制度なのだ。世界でも封建社会が成立したのは西欧と日本だけだ(『自然観と科学思想』倉前盛通)。
部族社会→封建制度→近代国家の流れは、経済および軍事のシステム化が進行した歴史である。戦後の日本が歪(いびつ)な形をしているのは軍事をなげうって経済一辺倒で発展してきたためだ。吉田茂の深慮遠謀(『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行)は理解できるが、高度経済成長の豊かさを享受する中で独立の機運は一向に訪れなかった。政治家と国民の目を覚まさせるべく立ち上がったのが三島由紀夫であったが、命懸けのメッセージも嘲笑されただけで終わった。
近代戦争は兵器を必要とする。その兵器を買う経済力が国家の威信を決めるといっても過言ではない。たった一度の戦争に敗れただけでこの国は国民の生命と財産を守ることもあきらめた。北朝鮮による拉致被害、東日本大震災における政治の迷走、二転三転する新型コロナ対策などを見れば一目瞭然だ。日本は国家の体(てい)をなしていない。
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