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2012-07-05

不正確なNHKの原発報道


2012-06-30

大飯原発再稼働反対デモ 各紙朝刊1面記事比率


2012-06-15

『週刊新潮』と『週刊文春』の共同歩調

2012-06-10

情報サイトAlter Info ユダヤロビーの圧力で断罪


「フランスはニュースが自由な国ではないですか?」
「フランスでメディアがイランやロシアよりも自由だとは思いません」

2012-04-24

シリア ディルエルゾル(プロパガンダ創作チャンネル)の撮影現場

動画の最後に写っているマイクにこの衛星テレビ局の名前が読める。ディルエルゾル=プロパガンダの殿堂。このテレビ局は偽情報を作りアルジャジーラなどの偏向チャンネルに送­る役割を果たしている。後方の人々は“民間人”を演じ一斉に叫ぶために撮影監督の指示を待っている。カメラの前では幻の敵に向かって発砲する“叛徒”と指示を与える“上官”。


◎シリア危機 アルジャジーラ情報捏造の現場

2011-12-10

ジャーナリストの拘束数、昨年比20%増 NPOまとめ


 国際非営利団体のジャーナリスト保護委員会(CPJ)は8日、世界各地で投獄されているジャーナリストの数は前年比で20%以上増加し、179人に上ったとする報告を発表した。中東と北アフリカの国々で行われた取り締まりが増加の主因だという。

 CPJのまとめによると、今年12月1日時点で投獄されている記者や編集者、フォトジャーナリストの数は総計179人にのぼる。2010年の12月1日は145人だった。

 国別の内訳ではイランが最多の42人を拘留しており、CPJは2年以上前に行われた大統領選以降、報道関係者に対する圧迫が始まったとしている。次いでアフリカのエリトリアで28人、中国で27人が拘留されていた。

 中東および北アフリカ地域であわせて77人のジャーナリストが拘留されており、全体の45%を占めた。

CNN 2011-12-08

拘束される記者激増 中国はワースト3位

2011-10-23

日本のマスコミは政治家や経営者と同じ目線


 日本にいる海外メディアの記者たちは、電車やバスで移動して、その間に市井の人々と話したり、街の広告から情報を得たりと、一般の人と同じ目線で動き、考え、取材活動に活かしている。
 ところが、日本のマスコミの場合、ハイヤーを使ったりしているから、政治家や経営者などと同じ目線になりがちになる。そして、次第に向こう側(権力側)の世界に入っていることに気づかなくなり、いつのまにか同化してしまう。

【『ジャーナリズム崩壊』上杉隆(幻冬舎新書、2008年)】

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

2011-10-22

9.11テロに関する仏ネオコンのプロパガンダ


 9.11テロの政府陰謀説を否定するため放送局ARTEが放映したプロパガンダ・ドキュメンタリーの分析。




グレゴリウス15世(ローマ教皇)

布教聖省
1622年、全世界の宣教活動を指導するために創設された教皇庁の行政機関。教皇グレゴリウス15世の命により正式に発足、「プロパカンダ」とも呼ばれ、1649年の資料では、26宣教団と300名以上の宣教師を指導。

VII 近代世界のキリスト教 2

福音宣教省
PNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)
“米帝国論”のシンクタンク アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)
モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

 アメリカにおいてシンクタンクが作るのは政策というよりも「政治レベルの教義」であることがよく理解できる。

プロパガンダ[新版]プロパガンダ教本精神分析学入門 (中公文庫)群衆心理 (講談社学術文庫)

戦争プロパガンダ 10の法則プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜くメディアとプロパガンダ

2011-07-29

必要なのは万人が賛成するスローガン


 必要なのは、誰も反対しようとしないスローガン、誰もが賛成するスローガンなのだ。それが何を意味しているのか、誰も知らない。

【『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー:鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(集英社新書、2003年)】

メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

2011-07-14

世界全体が巨大なテレビ・スタジオになっている


 私が言いたいのは、今や世界全体が巨大なテレビ・スタジオになっているということだ。

【『おテレビ様と日本人』林秀彦(成甲書房、2009年)】

おテレビ様と日本人

2011-06-26

戦後の娯楽は映画からテレビに/『ナベプロ帝国の興亡』軍司貞則


 軍司貞則の本を読もうと思い立ち、取り敢えず入手しやすいものを選んだ。ナベプロの創業者・渡辺晋〈わたなべ・しん〉の一代記。芸能界から見た戦後の経済史として読むことも可能で、更にビジネス手法まで学べる。

 昭和30年代生まれであれば、幼い頃に観たテレビ番組の記憶が蘇ることだろう。シャボン玉ホリデーなど。

 戦後の娯楽といえば映画が王者の座に君臨していた。日常の情報は新聞とラジオが支えていた。そこへテレビが台頭してくる。

 NHKの関係者から「すさまじい勢いで受信契約世帯が増えている」という話をきいていた。昭和33年のNHK受信契約世帯は100万世帯だったが、1年後には500万世帯に迫る勢いだという。すごい伸び率である。こんな伸びを示しているものが他にあるだろうか。
 それに輪をかけるように、34年2月に東芝がカラーテレビ第1号を完成させていた。カラーテレビはまだまだぜいたく品で1台52万円だが、各方面から問い合わせが多いという。さらにソニーが昭和35年4月に向けてオールトランジスターテレビを発売するという噂も聞いていた。小売価格は6万9800円だという。
 確実にテレビは普及する。
 白黒(モノクロ)からカラーになり、サイズも自由になる、と渡辺晋は予測した。

【『ナベプロ帝国の興亡』軍司貞則〈ぐんじ・さだのり〉(文藝春秋、1992年/文春文庫、1995年)以下同】

 これは街頭テレビ(1953年/昭和28年)の影響が大きかった。力道山が白人レスラーをやっつける姿を見て、敗戦に打ちひしがれていた日本国民は狂喜した。ま、一種の敗者復活戦みたいなものだったのだろう。

 そして映画の斜陽が始まったのは1960年(昭和35年)であった。

 映画は確実にテレビに喰われ始めていた。劇場へ行く観客が減っているのだ。全盛期の昭和33年に年間11億2700万人を数えた映画館入場者数は、36年には8億6300万人へと激減していた。
 戦後、映画は娯楽の王者であり、テレビ創成期も映画俳優はテレビを「電気紙芝居」と蔑んで絶対にブラウン管には登場しなかった。ところが昭和37年にはNHKの受信契約世帯は1000万台を突破し、4月からTBS系で始まったアメリカのテレビ映画「ベン・ケーシー」が視聴率50パーセントを超えるという事態が生じる。徐々にではあるが「テレビ」と「映画」の関係の逆転現象が起こり始めていた。
 晋と美佐はそれに気づいていた。

 1958年から翌年にかけてミッチー・ブームが吹き荒れる。皇太子の御成婚(1959年)をひと目見ようと、人々はテレビを買い求めた。そして東京オリンピック(1964年)でテレビは全国のお茶の間に備えられた。

日本映画産業統計:過去データ一覧表

 入場者数を見ると1959年をピークに、1960年はほぼ横ばいだが1961年から激減している。この数字からテレビの普及率が窺えよう。

 ナベプロは創業期のテレビ局をバックアップしながら、その一方で落ち目となった映画界に触手を伸ばした。そして計算通り、クレージーキャッツの映画作品を次々と大ヒットさせる。

 大宅壮一が一億総白痴化といったのは『週刊東京』1957年2月2日号でのこと。まだまだテレビが蔑まれていた時代であった。

 テレビというパンドラの匣(はこ)は、広告代理店が企業を統治するメディア情況を生んだ。視聴者はコントロールされる対象に貶(おとし)められた。今となっては単なる世論誘導の道具にすぎない。

 先ほど以下のツイートが流れてきた。

1.もっと使わせろ、2.捨てさせろ、3.無駄使いさせろ、4.季節を忘れさせろ、5.贈り物をさせろ、6.組み合わせで買わせろ、7.きっかけを投じろ、8.流行遅れにさせろ、9.気安く買わせろ、10.混乱をつくり出せ【電通「戦略十訓」】(@take23asn

 完全に統治者の言葉づかいとなっている。ジョージ・オーウェルが描いた『一九八四年』の世界が現実化している。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル