2015-03-03
本物の歌/「おばぁ」下地勇
@taka0316y7さんのツイートで下地勇〈しもじ・いさむ〉を知った。タイプは全く異なるが「本物の歌」という点では新井英一〈あらい・えいいち〉に伍すると思う。和製フォルクローレというよりも、宮古フォークとストレートに表現すべきかもしれない。どの芸術においても本物は単独のジャンルとして際立つ。下地の声は笛の音を思わせる。甘いマスクなのでもっと人気が出ていい。「おばぁ」は古謝美佐子〈こじゃ・みさこ〉の「童神」(わらびがみ)に匹敵する名曲だ。
2015-02-01
高血圧にプーアル茶
・高血圧にプーアル茶
・『日本茶の基本』
緑茶、ウーロン茶、紅茶に共通するものは何かご存じだろうか? 答え――茶の葉。実は同じ素材。初めて知った時は面食らったものだ。異なる製法でこれほど別々の顔になるのだから凄いものだ。緑茶が不発酵茶でウーロン茶が半発酵茶、紅茶が完全発酵茶となる。
・サントリー:お客様センター
数日前に黒茶(後発酵茶)なるものを知った。プーアル茶が代表選手のようだ。「ミネラル濃度が極めて高く、血圧が下がり、血液循環がよくなる」とある。これを試さない手はない。数年前から血圧が高くなり、何とかしなくてはと思っていたところだ。渡りに船とはこのこと。
アマゾンで52包入り397円という品を見つけた。早速、昨日から飲んでいるが私の口にはよく合う。ウーロン茶や麦茶よりいい。素人からすれば番茶っぽい味で、色が黒いせいかコクを感じる。ま、安いので香りはない。
コーヒーを減らすべく、紅茶とココアを買ったのだが既に人にあげてしまった。私は極度の面倒臭がり屋で一定の価値を認めない行為は徹底して避ける。紅茶を飲まくなったのはティーバックの始末が煩わしかったためで、ココアに至っては開封する前に「こねる時間がもったいない」と判断を下した。そんな私でもこれなら愛飲してゆける。現時点で血圧云々は二の次である。口に合うのだから体にいいに決まっている。
脂っこい料理やお菓子を食べた時に試すとよい。私の言葉にひれ伏すことだろう。
2015-01-10
ドラマ『パーソン・オブ・インタレスト 犯罪予知ユニット』は神の物語
ジム・カヴィーゼルといえば『アイ・アム・デビッド』や『パッション』が思い出されるが、よもやこんな二枚目だったとは。しかもアクションまでこなしている。男振りがよすぎてミス・キャストだと思う。声もあまりよくない。
テロを阻止するための「マシン」がありとあらゆる国民を監視する。犯罪に巻き込まれそうな人を孤独な億万長者かつ天才プログラマーのハロルド・フィンチ(マイケル・エマーソン)が元CIAエージェント、ジョン・リース(ジム・カヴィーゼル)の助力を得て救うという筋書き。「パーソン・オブ・インタレスト」は直訳すると「興味の人」か。つまり彼らに「関心を寄せられた人」は助けられるわけだ。
監視という全知と救うという全能が「神の物語」であることを雄弁に物語る。
脚本の文学性が高く、映像も工夫が施され、スピーディーなテンポでドラマは進行する。構成が完璧すぎてヤマに欠けるほどだ。
『24 -TWENTY FOUR-』ほどの熱狂はなく、『Life 真実へのパズル』よりも中毒性は劣るが、手堅くまとまった好作品だ。「シーズン1」がamazonだとDVD6枚組で818円なのでレンタルするより安い。
ジム・カヴィーゼルは表情に乏しく、やたらと悲しそうな顔をする悪い癖がある。演技力は今ひとつ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 1月 15
「パーソン・オブ・インタレスト 犯罪予知ユニット」シーズン2はまるでダメ。話にならん。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 1月 15
2014-01-13
まざまざと蘇る記憶/「メロディー」玉置浩二
昔は何とも思わなかった歌が、突然心を揺さぶることがある。
例えばJ-WALKの「何も言えなくて…夏」。ヒットした当時は鼻にもかけなかった。ところが数年前に聴いた時、「時がいつか 二人をまた/初めて会った あの日のように導くのなら」というワンフレーズに私の心は激しい反応を示した。
わかっている。ただ単に自分の経験と歌詞が偶然マッチしただけであることは。だがメロディーが感情を増幅してやまない。
この歌もそうだ。
あの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
メロディー 泣きながら
ぼくたちは 幸せを 見つめてたよ
確かにそうだった。あの頃は……。胸を刺す痛み。取り返しのつかない悔い。今流れる別々の時間。
数々の場面がフラッシュバックしては消え去る。思い出されるのは楽しいことばかりだ。
ありがとう。ごめん。またな。
2013-07-10
TVドラマ「HEROES」に見るキリスト教の影響
アメリカのテレビ番組「HEROES」にタイムトラベルができる日本人超能力者が登場する。彼は何度も何度も過去を修正するために時間旅行を続ける。これが輪廻の正体だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) June 22, 2013
「HEROES」のピーター役が目を惹く。トム・ハンクスによく似ている。
— 小野不一 (@fuitsuono) June 22, 2013
「HEROES」がつまらないのは、新自由主義的にストーリーが際限なく膨張しているため。5~6人でシナリオを書いているのかもね。
— 小野不一 (@fuitsuono) June 22, 2013
「HEROES season.3」の出来が酷い。似たような能力者を登場させ、善と悪を入れ替えるという離れ業。更に過去と未来を行き来しすぎてわけがわからなくなる。結果的にストーリーを焼き直しただけの六道輪廻で終わっている。
— 小野不一 (@fuitsuono) June 25, 2013
「HEROES」はseason.4 ep 02まで見たが、もう限界だな。支離滅裂すぎて頭がおかしくなってくる。
— 小野不一 (@fuitsuono) June 29, 2013
「HEROES」はキリスト教のパロディだな。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 1, 2013
で、結局見ました。最後まで。この文章を書くためにね。
私がこのドラマを見た目的はアメリカ社会におけるスピリチュアリズムの影響を探ることであった。直ぐに気づいたのは超能力者を見る眼差しが日米で異なる事実であった。日本の場合は2ちゃんねらーがよく書く「ネ申」は人間を超越して神に近づく意味であると思われるが、アメリカの場合は明らかに「神の使い」すなわち天使的要素が強い。つまり神と超能力者の間に働くベクトルが正反対なのだ。
これがわかるとドラマは俄然キリスト教臭さを増す。カンパニーが教会で、サイラーは悪魔だ。クレアの父ノア・ベネット(※方舟建造者と同じ名前)は教会の忠実な僕(しもべ)。ネイサンとピーター兄弟はカインとアベル。ファイナル・シーズンに登場するカーニバルはジプシーを思わせるが位置的にはユダヤ人だろう。主役級の能力者(※ドラマ中で超能力者という言葉は使用されていない)であるピーターとクレアはイエス役を務める。
日本人からするとドラマは終始、支離滅裂な展開となっている。もちろんキリスト教の支離滅裂ぶりに起因するものだ。物語は破綻をきたし、結局打ち切りとなったようだ。
超能力への憧れ自体がアメリカ社会の行き詰まりを示している可能性は高い。経済的困窮が続くと人は英雄を待望するようになるものだ。
・HEROES / ヒーローズ
2013-07-09
2013-07-04
もっと口を開いて歌え/「世界の終わりに」KOKIA
2012-09-02
クリスティン・アスビョルンセン / Kristin Asbjørnsen
ボーカルが耳に届くや否や、そのまま胸に染み込んできた。クリスティン・アスビョルンセン(ノルウェー)の声はニーナ・シモンと同じバイブレーションを放っている。オペラの声量は神を目指して直進するが滋味に乏しい。一方、クリスティン・アスビョルンセンやニーナ・シモンは喉を唸(うな)らせることで陰影の豊かさを歌い上げる。
・クリスティン・アスビョルンセン MP3
2012-08-02
狼の咆哮/「清河への道」新井英一
「これが歌だ。これこそが本物の歌だ」――一瞬にしてそう感じた。明くる日、私はCDショップへと猛ダッシュした。狼のような咆哮、出自を辿る歌詞、ギターのリフレインがまるで六道輪廻を思わせた。CDに収録されているのは1曲のみ。まさしく超重量級だった。大地を踏みしめる脚力がなければ、聴くこと自体に耐えられない。何度も聴いていると耳の底で地鳴りが起こった。新井英一〈あらい・えいいち〉は決して器用な歌い手ではない。他のCDも買ったが、曲調があまりに泥臭くて数回しか聴かなかった。「新井英一は日本のウラジミール・ヴィソツキーである」と私は密かに確信した。タイトルは「清河(チョンハー)への道」と読む。レコード大賞で何か賞を獲得したはずだ。
2012-06-15
「シャボン玉石けん」を推す
・食べても安心な石鹸「シャボン玉石けん」
amazonよりも本社サイトの会員価格の方が安いのだが、いかんせん送料が高い。だから一番賢明な方法は、本社サイトで会員登録をして無料サンプルをせしめた上で、改めてamazonで注文するのがよい。
石鹸は香料を使っていないため、初めのうちは油っぽい匂いが少々気になる。しかし慣れればどうってことはない。尚、この石鹸は洗髪もできる。文字通り一石二鳥の石鹸だ。
2012-03-05
野口健が戦ってきたもの
野口健〈のぐち・けん〉と佐々木かをりの対談を読んだ。
◎佐々木かをり対談 win-win 第59回 野口健さん
32ページに渡る記事が一冊の読書に等しいほど面白い。まず野口の言葉は率直で嘘や飾りがない。開けっ広げな性格が窺える。twitterで紹介するだけではもったいないので覚え書きを残しておこう。
まずは、8000m級の山々がアルピニストの内臓にダメージを与えることに驚かされた。心臓の弁が閉まらなくなる、腸に穴が空く、肝機能低下……。
今日、以下のニュースを偶然見つけた。
実はこの日記が気になり検索したところ、「植村直己さんの最後の日記」のページがヒットした。
私は唸(うな)った。死を目の当たりにしてきた野口の直観にたじろいだ。同じ世界に身を置いた者同士でなければ不可能なコミュニケーションが成立していたからだ。「この『何がなんでも』っていう言葉は素人が使う言葉なんです」と言い切るには一つや二つくらいの修羅場を経たくらいでは無理だ。
あるテレビ番組で野口は、エベレスト山頂付近では文字通り屍(しかばね)を踏み越えて進んだ経験を語っていた。また石原慎太郎との対談では、エベレスト登頂直後にパートナーの最期を看取ったことを紹介していた。
8000mという死線を超えた者だけにわかる世界がきっとある。そこは生きること自体が「有り難い」世界なのだ。
心の余裕とか精神のゆとりと書くと、いかにも陳腐だ。しかし山を思いやれない人々が、他者を思いやれないのは当然だ。漢字では「思い遣り」と書く。「思い」を「遣(つか)わす」ことが本義であろう。周囲からの厳しさがエゴの温床となる場合があるという指摘は頷ける。
野口は最初のエベレストアタックに失敗。帰国後の記者会見で「いやあ、登頂できなかったのも辛かったけどね、エベレストに日本のゴミがあって、日本は三流とか、日本を否定された。あれも辛かったなあ」と漏らした。これをマスコミが大きく報じた。日本山岳会が野口に猛烈な圧力をかける。尊敬していた登山家の先輩からは「ゴミを見なかったことにしろ」と告げられる。そして日本山岳会の最高責任者であった橋本龍太郎との対決にまで漕ぎ着ける。
組織の力学はリンチであり、いじめであることが明らかだ。私の場合、暴力性で乗り切ってきたが、野口は強い精神力と果敢な行動力で乗り越えている。中々できることではない。
富士山のゴミ拾いでは完全な政治問題にコミットしている。そして散々自分を叩いてきたメディアを今度は逆に利用する。
やり方が聡明だ。鮮やかである。そんな野口が育った家庭環境についても述べられている。実にユニークな父親だ。日本人外交官とエジプト人女性の間に生まれ、世界を渡り歩いてきた彼ならではの独立した気風から学ぶことは多い。
◎公式サイト
◎石原慎太郎と野口健 遺骨収集活動
◎『僕の名前は。 アルピニスト野口健の青春』一志治夫
◎野口健は日本航空を利用しない
◎佐々木かをり対談 win-win 第59回 野口健さん
32ページに渡る記事が一冊の読書に等しいほど面白い。まず野口の言葉は率直で嘘や飾りがない。開けっ広げな性格が窺える。twitterで紹介するだけではもったいないので覚え書きを残しておこう。
まずは、8000m級の山々がアルピニストの内臓にダメージを与えることに驚かされた。心臓の弁が閉まらなくなる、腸に穴が空く、肝機能低下……。
で、酸欠になると、肝機能が低下するわけです、脳が鈍るんで。だから登山家の人は血が汚いんですよ、みんな。ドロドロしちゃって。で、血が汚いところから病気っていうのは生まれてくるんで、病院に行ったら僕の血は汚すぎてね、人には輸血できないって言うんですよ。見てわかるくらい、他の人と違うんです。
今日、以下のニュースを偶然見つけた。
雑記帳:植村直己さん「最後の日記」 出身地で展示
北米マッキンリー山で84年に消息を絶った冒険家、植村直己さん(当時43歳)の「最後の日記」が出身地・兵庫県豊岡市の植村直己冒険館でパネル展示されている。
捜索隊がマッキンリーの雪洞内で見つけた。84年2月1~6日の日付がある。ノート16ページに、雪をかき分けて登る様子や凍ったトナカイの肉を食べる食事が克明に記されている。展示は13日まで。
「孤独を感じない」「何が何でも登るぞ」とも書いていた。冒険館は「日記は色あせていっても、植村のチャレンジ精神はあれから28年たっても色あせていない」。
【毎日jp 2012-03-05】
実はこの日記が気になり検索したところ、「植村直己さんの最後の日記」のページがヒットした。
私は唸(うな)った。死を目の当たりにしてきた野口の直観にたじろいだ。同じ世界に身を置いた者同士でなければ不可能なコミュニケーションが成立していたからだ。「この『何がなんでも』っていう言葉は素人が使う言葉なんです」と言い切るには一つや二つくらいの修羅場を経たくらいでは無理だ。
あるテレビ番組で野口は、エベレスト山頂付近では文字通り屍(しかばね)を踏み越えて進んだ経験を語っていた。また石原慎太郎との対談では、エベレスト登頂直後にパートナーの最期を看取ったことを紹介していた。
8000mという死線を超えた者だけにわかる世界がきっとある。そこは生きること自体が「有り難い」世界なのだ。
長年ヒマラヤに行っていつも見てるんですが、ゴミを捨てる隊ってあるんです。ゴミを捨てる隊と遭難者を出す隊がね、重なってくるんですよ。
だから、今、韓国隊、中国隊、ロシア隊がぼろぼろですよ。失敗したらたたかれるから、絶対に帰れないって、危なくても突っ込んで死んでしまう。そういう隊は、ほかに気も回らないから、ゴミも出す。ほかの隊に比べて余裕がないからゴミも多いんです。
心の余裕とか精神のゆとりと書くと、いかにも陳腐だ。しかし山を思いやれない人々が、他者を思いやれないのは当然だ。漢字では「思い遣り」と書く。「思い」を「遣(つか)わす」ことが本義であろう。周囲からの厳しさがエゴの温床となる場合があるという指摘は頷ける。
野口は最初のエベレストアタックに失敗。帰国後の記者会見で「いやあ、登頂できなかったのも辛かったけどね、エベレストに日本のゴミがあって、日本は三流とか、日本を否定された。あれも辛かったなあ」と漏らした。これをマスコミが大きく報じた。日本山岳会が野口に猛烈な圧力をかける。尊敬していた登山家の先輩からは「ゴミを見なかったことにしろ」と告げられる。そして日本山岳会の最高責任者であった橋本龍太郎との対決にまで漕ぎ着ける。
組織の力学はリンチであり、いじめであることが明らかだ。私の場合、暴力性で乗り切ってきたが、野口は強い精神力と果敢な行動力で乗り越えている。中々できることではない。
富士山のゴミ拾いでは完全な政治問題にコミットしている。そして散々自分を叩いてきたメディアを今度は逆に利用する。
バラエティに出る時は条件として、「富士山の話ができるなら出ますよ」って言ったら、全部OKだったんですよね。
やり方が聡明だ。鮮やかである。そんな野口が育った家庭環境についても述べられている。実にユニークな父親だ。日本人外交官とエジプト人女性の間に生まれ、世界を渡り歩いてきた彼ならではの独立した気風から学ぶことは多い。
◎公式サイト
◎石原慎太郎と野口健 遺骨収集活動
◎『僕の名前は。 アルピニスト野口健の青春』一志治夫
◎野口健は日本航空を利用しない
2012-01-23
Cildo Meireles作「Fontes」は日蓮へのオマージュか?
ブラジルのアーティストCildo Meireles作「Fontes」。名前はスィウド・メイレリスと読むようだ。私は衝撃を受けた。どう見ても日蓮へのオマージュにしか見えない。
日蓮は文字マンダラによって縁起的宇宙観を表現した。世界観というよりは宇宙観というべきだろう。その縦軸は久遠(くおん)から現在(鎌倉時代)に至る。そしてあらゆる生命状態の衆生が法に照らされた尊極(そんごく)の姿を示している。
これに対してスィウド・メイレリスは、時間と空間が崩壊した宇宙の姿を表現しているように見える。崩壊というよりは、むしろ時空を超越した宇宙を表したのかもしれない。
スケール(物差し)が意味をなさず、時間がバラバラと崩れ落ちる。極大か極小か。はたまた無限か瞬間か。私の目にはプランク時間以下の世界が見える。
「言葉も数字も及ばぬ現在性」を見事に描き切ったといえよう。更に塔のようなものまで現れる。これぞ宝塔だ。天晴(あっぱれ)。
・Cildo Meireles
・ATSUGI「プレーンストッキングの逆襲」パンスト コマーシャル ・あらゆる事象が記号化される事態/『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール
2012-01-08
物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・ブッダの教えを学ぶ
・悟りとは
・物語の本質
・権威を知るための書籍
・情報とアルゴリズム
・世界史の教科書
・日本の近代史を学ぶ
・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
・時間論
・身体革命
・ミステリ&SF
・必読書リスト
氏家〈うじけ〉さんのツイートで青木勇気というライターの存在を知った。
「フラットに読まれるべきものが先に結論付けられてはいないか、このことを問いたいだけだ。そして、その問いに答えられないものは、決して確からしいとは言えない」。多数派か少数派かによって変わる“確からしさ”について - 青木勇気 #BLOGOS http://t.co/FIACdi6W
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2012, 1月 7
・多数派か少数派かによって変わる“確からしさ”について | アゴラ 言論プラットフォーム
BLOGOSは私の趣味に合わないため殆ど見ることがない。何て言うんでしょうな。インチキ臭い(笑)。多分、編集方針がないためだろう。雑多というよりは、まとまりを欠いているというべきか。
早速、本人のブログを読んだ。
・Write Between The Lines.
先の記事もそうだがとにかく文章がいい。読んでいて気持ちがよくなってくる。その上、箴言力(コピーライティングのセンス)があるのだから侮れない。
で、注目に値する記事を発見した。
・「物語」とは何であるか
私の専門分野だ(ニヤリ)。ケチをつけようと思えばどんな角度からもつけることが可能だ(笑)。しかし、私が「物語」に気づいたのは4年前のことである。青木は私より一回り以上も若い。ならば援護射撃をすべきだろう。
私が「物語」を悟ったのは、上杉隆著『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』を読んだことに始まる。それ以前から「思想とは物語である」という持論があったのだが、上杉を通して「物語を編む」営みに初めて気づいた。
私は文筆家ではなく古本屋のため、ここはやはり読書の水先案内としておこう。
その頃、私が吹聴していた「物語論」は、岸田唯幻論の幻想とは違った。世界の構造・結構としての物語性であった。生きることが物語なのではない。我々は物語を生きるのだ。
・唯幻論の衝撃/『ものぐさ精神分析』岸田秀
森達也の『A』はカメラの位置をオウム信者側にしただけで物語を反転させてみせた。
・森達也インタビュー
その意味で私の小さな思いつきが完全な形で表現されたのが、野家啓一〈のえ・けいいち〉著『物語の哲学』であった。
・「理想的年代記」は物語を紡げない/『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』野家啓一
もうね、ぐうの音も出なかったよ。当時は野家啓一が神様に思えたほどだ。きちんと書評を書いていないので一両日中にアップする予定。
ここからが私の本領を発揮する地点だ。まずは歴史。理想的年代記が物語を紡げないのであれば、物語を編むのは歴史家の仕事となる。つまり歴史トピックの取捨選択に物語性が込められているのだ。ここでわかるように物語性の本質とは「因果関係」(=起承転結)である。
そこでまず世界史という物語の枠組みを知る必要がある。
・世界史は中国世界と地中海世界から誕生した/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘
次に歴史という概念を学ぶ。
・読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
・歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
本気で勉強するなら、ここで野家本を再読するのが望ましい。
で、先ほど申し上げた因果関係を木っ端微塵に粉砕するのがこれ。
・歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン
ここからの急降下はジェットコースター級となる。諸君、振り落とされるなよ(笑)。
まずは岸田唯幻論を踏まえた上で脳機能を知っておこう。
・唯脳論宣言/『唯脳論』養老孟司
で、「負の物語」ともいうべき迷信・誤信について書かれたのが以下。
・怨霊の祟り/『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎
・誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
人類が創作した最大の物語は「神」であろう。
・脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
ここで振り出しに戻って物語を見つめる。
・必然という物語/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー
次は変化球になってしまうが、「相関関係=因果関係ではない」ことを学ぶのに欠かせない。
・相関関係=因果関係ではない/『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
医療や製薬会社を取り巻く「業界の物語」と置き換えることも可能だ。
そろそろ最終コーナーに差し掛かる。
・比較トラップ/『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
更に加速しよう。ラストスパートだ。
・エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・視覚の謎を解く一書/『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン
・宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
・『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
これで大体、「物語の本質」は征服できる。あとは止(とど)めの2冊だ。
・服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
・現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル
物語の正体は確証バイアスであり、確証バイアスから宗教が生まれた。一言で書いてしまうと身も蓋もないように思えるだろうがそうではない。人間の「錯覚できる能力」が物語を紡ぎ出すのだ。
ゆえに困難や危機が訪れるたびに「人類の物語」を更新してゆくことが正しい。個人においても同様である。
ただし真の宗教性に立てば「物語=主役としての自我」から離れることが唯一の道となる。神という創造物は人類にとっての自我も同然であって、それ自体が物語にすぎない。今のところ真の宗教性として認められるのはブッダの初期経典とクリシュナムルティのみである。
最後に青木の著作を紹介しておく。彼の勁草(けいそう)を思わせる柔らかな感性に期待したい。
・物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
・物語
・虐待による睡眠障害/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
・『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
2011-09-28
合理的な思考と関係性の構築/「民主主義における正義」武田邦彦 2011年9月27日
3.11以降、武田邦彦(中部大学)は毎日のようにホームページを更新し、次々とテレビやインターネット放送に出演し、国会や政治家の勉強会にも招かれている。これだけでも十分尊敬に値するのだが、この人が凄いのは「学問への信頼」という姿勢であり、政治性や損得を退け、学問に照らした合理性を堂々と語っている一点にある。
明朗でいつもニコニコしている。明快な語り口で淀むところがない。更に該博な知識と絶妙な比喩で問題の本質を炙(あぶ)り出す。
原子力行政や事故対応などについて声を上げた学者は少ないながら他にもいた。彼らは学問の底力を満天下に示したといってよい。
そして私は思った。「その他大勢の学者連中は何をしているのだろうか?」と。国内で大惨事が起こっている時に、通常通りのカリキュラムをこなしているのだろうか? 立ち上がる学者や教育者はあまりにも少なかった。つまり「学問は死んだ」のだ。
いかなる分野の学問であろうと、東日本大震災に結びつけ、東電原発事故を問うことは可能であろう。それすら怠っている職業教師は教壇から降りるべきだ。
武田に至っては近頃、音声のメッセージまで発信している。「伝えずにはいられない」という思いが、彼を駆り立てているのだろう。武田こそ「先生」と呼ばれるのに相応(ふさわ)しい大人であると思う。
【「技術者の倫理」という講義で】「何が正義なのか?」「自分が正しいと考えるものは正しいわけではない」「正しいというのは、神様が決めるか、偉人が決めるか、相手が決めるか、法律で決めるか――主にはこの四つで定まっていると考えてよい」
遵法(じゅんぽう)精神を明らかにすることで科学者・技術者としての分際を弁える姿勢を教えている。その謙虚さが政治家は元より、政治家を選ぶ国民にまで突きつけられるのだ。
一見すると単純な原理を示しているようでありながら、正義と民主主義というテーマは哲学・宗教の領域に踏み込むものである。
この国の最大の不幸は、国家を運営する政治家や官僚、そして大企業が「正しさ=利権」という価値観から脱却できないところにある。これほどの犠牲を払いながら、目を覚ますことなく旧態依然とした判断しかできないのだ。
反原発を口にすると、「じゃあ電気はどうするんだ? 代替案を出せ」などという馬鹿者がいるが、原発導入が国民の相違に基づくものでない以上、それを考えるのは政治家の仕事だ。
もしも現行法で東京電力を潰せないとすれば、法律に不備があるとしか言い用がない。贈収賄、独占禁止法、私有地における電柱問題、意図的な高額メニューの設定など、突っつくところはいくらでもあると思う。
・武田邦彦【動画】
2011-09-13
歌が生まれる場所
・このストリートミュージシャンがすごい
いやあ、これは凄い。世界各地のストリートミュージシャンが紹介されているが実に楽しい。目の前にいる人に楽しんでもらおうという心意気が、コマーシャリズムとは無縁の豊穣さを伝える。
ただ歌わずにいられない、リズムを掻き鳴らさずにはいられないといった衝動が聴く者の何かを揺さぶる。河原乞食や大道芸との言葉が示すように、本来の芸能は何もないところから誕生した。
彼らにとって教則本や技術は関係ない。ひたすら陽気に音を楽しむだけだ。その自由な魂に心を打たれる。
私は見た。歌が生まれる場所を。
果たして我々の生活には電気信号以外の音楽が存在するだろうか? 何か大きなものをテクノロジーに奪われたような気がしてくる。
パキスタンの少年の歌は日本の節回しとよく似ていて驚かされた。
2011-09-11
去りゆく季節への哀感/「夏の終わり」SION
・歌詞
好きなものについて書くのは中々難しい。ともすると「ただ好きなんだ」となってしまいがちだ。批評には一定の距離感が求められる。その意味で私が書く書評やレビューは感情に走り過ぎるきらいがある。
SIONは以前から知っていたが、胸に突き刺さるようになったのは「同じ列車に乗ることはない」(『住人 Jyunin』収録)という曲を聴いてからのことだ。
同じ頃からTha Blue Herbも聴くようになった。両者に共通するのは岩をも砕くような振動の力だ。私は耳をひねり上げられているような心情になるのが常だ。
八王子では昨日からツクツクボウシが鳴き始めた。去りゆく夏を「つくづく惜しい」と告げるかのように。
この曲に耳を傾けながら、「ああ、俺の人生の夏も終わったのか」と不意打ちを食らった。48歳にもなれば正真正銘の中年である。あと10年もすれば初老の領域だ。気づかぬうちに肉体は衰え、かつてできたことが段々とできなくなってゆくのだろう。
風の色が変わる瞬間がある。そこで初めて我々は季節の変化を知る。人生の春秋にもそんな時が訪れる。
五行思想では青春の後に朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)と続く。
冬は死の季節だ。そして老境を錦秋の如く迎える人はあまりにも少ない。美しく老いることは至難の業(わざ)だ。そもそも「老い」という言葉自体が醜さを示している。我々は花に目を奪われて木の全体を見ることがない。
中年期になると自分の周りで死者が増える。親は順序からいって当たり前だが、先輩や友人が亡くなることも珍しくない。烈風に耐え抜くだけの体力がなければ無気力の穴に陥る。
時は移ろい、去りゆく季節と訪れる季節の間に現在がある。我が生命に去来するリズムが反響して人生の彩りを決める。
アフマド・シャー・マスードは48歳で死んだ。周囲が思うほど彼に悔恨はなかったことだろう。完全燃焼しながら生きている人物は何ものにも執着することがないからだ。
・SION
2011-08-21
シンメトリー的因果応報
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