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2018-06-01

『竹山道雄著作集』(全8巻)と『竹山道雄セレクション』(全4巻)の比較


 新旧全集の比較。重複していないテキストの目次を記す。尚、旧全集は「研究余録 ~全集目次総覧~」を、新全集は「藤原書店」を参照した。ざっと検索しただけで厳密ではない。片山・三谷の追悼文は多分同じものか。



『竹山道雄著作集』全8巻(福武書店、1983年)

第2巻 イタリアめぐり/南仏紀行/スイスにて/中世のおもかげ/オランダの訪問/ベナレスのあたり/と飛

第3巻 智識人の裏切り?/憑かれた人々/空地/終戦の頃のこと/旧制一高の外国人学生たち/学生事件の見聞と感想/門を入らない人々

第4巻 川西瑞夫君の追憶/二十歳のエチュード/三谷先生の追憶/麻生先生のこと/岩元禎先生/鶴林寺をたずねて/矢内原さんの私が接した面/木村健康さん 安倍能成先生のこと/一つの秘話/最後の儒者/亡き神西清君のこと/堀辰雄君と私/片山敏彦さんの死

第5巻 ベルリンにて/消えてゆく炎

第6巻 独逸的人間/ゲーテに於ける自然と倫理/『ファウスト』の夜の場とニーチェ/老いたるロッテの悩み/ベッチーネ・フォン・アルニムのこと/ワグナーの弟子/イプセンの願望/不滅の風景画/デダルスの翼/シュプランガーのこと/神韻縹渺

第7巻 ビルマの竪琴/白磁の杯

第8巻 古都遍歴―奈良/作庭の歴史的系統の概略/竜安寺石庭/詩仙堂/古都は警戒する/日本の肖像芸術



『竹山道雄セレクション』全4巻(藤原書店、2016年)

I 国体とは/昭和史と東京裁判/春望/台湾から見た中共/時流のファナチズム

II 『ツァラトストラかく語りき』(全3巻)訳者あとがき/ユダヤ人焚殺とキリスト教/一神教だけが高級宗教ではない/ソ連地区からの難民/ソビエト見聞

III 北京日記/フランス滞在/若いゲーテの転向/ソウルを訪れて/鎌倉礼讃/タイレのこと/暗示芸術――日本の美感1/構成芸術――日本の美感2/賀茂神社の方へ/日本文化の位置

IV 砧/亡き母を憶う/寄寓/きずあと/主役としての近代/焼跡の審問官/ものの考え方について――演繹ではなく本質直観を/自分の亡魂/むかしの合理主義/歴史と信仰の解明を/ビルマから東パキスタンへ――二つの会議に参加して/キリスト教への提言――説得力に欠けはしないか/人権のため人権侵害/文化自由会議に出席して/片山敏彦さんのこと/亡き三谷先生のこと/私の八月十五日/私の戦争文学/明治百年と戦後二十年/突然の死――帰るべきところに帰る覚悟/オランダ通信/甘い態度は捨てよ――大学の存亡かけ戦う時/鎌倉・人工の浸食/めぐりあい/死ぬ前の支度/新聞連載コラム(『東京新聞』1961年、『読売新聞』夕刊1966~67年、『サンケイ新聞』1965~66年)

2018-05-20

文学者の本領/『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄

 ・文学者の本領
 ・ナチスという現象を神学から読み解く必要性
 ・人間としての責任

『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

キリスト教を知るための書籍
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 いつの世にも残虐な事件はあった。戦争が長びいて生活が苦しくなれば、人心は荒廃してモラルは低下する。軍隊が戦闘の後に殺気をおびたまま都会を占領したり、ことに敗けて逃げるような際には、むざんなことがおこる。人々は正気を失っているのだから、その心理を正常の標準から律することはできない。こうしたことは、人間のすべてが確実な向上をつづけているという楽天的な信仰を裏切って幻滅をあたえるものではあっても、とくに異常不可解とはいえない。非人道は原則としては否定されているのだけれども、一時の錯乱に対して規制の力が及ばなかったのである。
 ところが、ナチスの焚殺やソ連の裁判や中国の洗脳などは、国家がその目標を遂行するためにやったことである。それを行った人々は、かれらとしてはよき良心をもって行った。ある歴史の必然的実現のごときものが確信されて、そのための努力であった。犠牲者たちは歴史の進行を阻む悪であるとて、抹殺された。一種の消毒だった。かれらはもはや人間として認められなかった。抽象的理念の前に人間が消えうせた。
 国家がその世界観にしたがって、最高の首脳が国策として決定して、公的の機関が行ったことだった。(「妄想とその犠牲」)

【『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉編(藤原書店、2016年)】

「妄想とその犠牲」は『文藝春秋』1957年11月号、1958年1~4月号に掲載された。経済企画庁が「もはや戦後ではない」と経済白書の結びに書いたのが1956年(昭和31年)のこと。竹山は戦前において東大の前身である一高の教授を務めながら翻訳家として知られた。戦後、『ビルマの竪琴』で毎日出版文化賞を受賞してから精力的に評論を発表するようになる。決して時代に流されず、時代を上から見下ろす視点をもち、自分の立つ位置を揺るがせにすることがなかった。

 私は50代で竹山を知ったのだが、その衝撃を一言で申せば「これほどの日本人がいたのか」ということに尽きる。無論、竹山は英雄タイプの人物ではない。だからこそ尚更深い感興を覚えるのだ。昨今は「文学者」といえば他人を嘲(あざけ)る言葉として用いられることが多い。だが激動の時代を生きた竹山の言葉に触れれば、文学者の本領を理解することができる。その思索の深さは認知科学をも志向し、キリスト教やキリスト世界に対する批判の鋭さはリチャード・ドーキンスも比ではない。

 竹山道雄についてはいくらでも書きたいことがあるのだが、書こうとすれば自分の語彙(ごい)の貧しさが先立ってしまう。私にとっては保守とか自由主義者とかいうよりも、古きよき日本人の善良さを体現した人物である。

昭和の精神史』(1956年)を発表した後でキリスト教世界に迫ったのも、極めて良識的な順序といえよう。

 ナチスによるホロコーストを社会主義国の悪行として並べるのも日本人ならではの視点だろう。西洋世界では歴史的事実としてのナチ・ホロコーストがザ・ホロコーストとして絶対視され神聖化されている(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

西洋一神教の世界 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第2巻〕
竹山 道雄
藤原書店
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2018-04-04

自由の限界/『見て,感じて,考える』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘

 ・自由の限界

『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

 自由と平和を実現するために、現実の中において、はたして自由と平和が絶対的なもの無制約のものでありうるのだろうか? もしそれに限界があるとすればそれは、どういうところにあるのだろうか?(「門を入らない人々 ――現在の一つの精神的状況について――」)

【『見て,感じて,考える』竹山道雄(創文社、1953年)以下同】

 タイトルについては『見て感じて考える』、『見て・感じて・考える』などがあるが、扉ページのものを採用した(表紙はフランス語)。佐渡出張で二度読んだ。私が生まれる10年前(昭和28年)に刊行された古い本で旧漢字表記だが読み進むと不思議に慣れるものだ。尚、引用箇所は漢字変換が面倒なので新字体に変えた(促音の「っ」は「つ」のママ)。

 私にとって竹山道雄は「近代の穴」を埋める指南役である。時代の激変といっても日々の生活の連続を生きる人々には小さな変化の積み重ねとしか感じ取れない。歴史を鳥瞰すれば数世紀に及ぶ中世が数十年で近代に変貌するわけだが、人の一生において数十年は緩慢な時間となる。まして近代後に生まれた人々が中世を想像することは難しいだろう。新しい時代は古い常識を否定する。つまり人間の集団的意識が一変するわけだ。そこに見落とされるものが生まれる。

「歴史は進歩する」という思い込みが「進歩した歴史は正しい」との単純な答えを導き出す。結局、文明の発達と混同しているだけなのだが、進歩史観の根っこはキリスト教からヘーゲル-マルクスに渡る伝統があって、その深さは我々の想像を超える。進んだ歴史は古い過去をあっさりと否定して、吟味を欠いた精神は軽々と未来に向かって走り出す。

 竹山はそこに「待った」を掛けた。時代は変わっても、人間はそう簡単に変わるものではないと。私は『見て,感じて,考える』と。

 敗戦後の生活は困窮を極めた。竹山とて例外ではなかったことだろう。その中にあって彼は「自由」を模索した。自由の意味を問い、自由のあり方を追求し、自由な精神に生きようと格闘した。

 われわれはいかなる場合においても無抵抗でいることはできない。不寛容に対しては、不寛容でなくてはならない。近代の自由ははげしい闘いによつてようやく獲得された。言論の拘束に対して抗議することは、この不寛容のあらわれである。

 平和が漣(さざなみ)であるのに対して戦争は高波となって人々を押し流す。平和な時に人々は勝手気ままでバラバラだが、一旦戦争に向かい始めると人々は団結し声高な主張を述べ、激しい行動に及ぶ。人間は社会的動物であるゆえ周囲の行動に釣られて動くことが珍しくない。一人が動き出せば赤信号でも横断歩道を渡ってしまうことがある。災害時に避難するしないといった行動も周囲の影響が大きい。

「不寛容」という言葉の背景には旧日本軍の暴走やナチスによるホロコーストがある。

 自由それ自体を守るためにはきびしくなくてはならない。この不寛容は寛容の一属性であり、それを成立させるために不可欠のものである。そして、このためにとられる不寛容の手段は、自由にためには正しいはたらきをする。けだし、自由とは努力してつくりだしてゆくべきものであつて、何の限界もない消極的な受容ではないからである。

 無制限の自由は必ず堕落へと向かい、強権政治を生む温床となる。日本もドイツもその道を歩んだ。竹山の眼は自由の限界をひたと見つめた。深き問いは60年を経た現在にあっても古びることなく、むしろ現代をも照らす光明となっている。

見て感じて考える (1953年)
竹山 道雄
創文社
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2018-03-27

言うべきことを言い書くべきことを書いた教養人/『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘


『昭和の精神史』竹山道雄

 ・言うべきことを言い書くべきことを書いた教養人
 ・志村五郎「竹山を今日論ずる人がないことを私は惜しむ」

『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

 竹山道雄(1903-84)は、昭和前期は旧制第一高等学校のドイツ語教師であったが、敗戦後は『ビルマの竪琴』の著者として知られた。しかしそれ以上に日本の戦後の論壇では一大知識人として群を抜く存在感があった。左翼陣営からは「危険な思想家」とレッテルを貼られたが、その立場ははっきりしていた。語の根源的な意味における自由主義である。1936(昭和11)年の二・二六事件の後に軍部批判の文章を書くという反軍国主義であり、1940(昭和15)年にナチス・ドイツの非人間性を『思想』誌上で弾劾し、そしてそれと同じように敗戦後は、反共産主義・反人民民主主義で一貫していた。戦前戦後を通してその反専制主義の立場を変えることはなく、本人にゆらぎはなかった。日本の軍部も、ドイツのヒトラーのナチズムも、ソ連や東ドイツの共産主義体制も、中国のそれも批判した。その信条は自由を守るということで一貫しており、そのために昭和30年代・40年代を通しては、雑誌『自由』によって日本が世界の自由主義陣営に留まることの是(ぜ)を主張した。豊かな外国体験と知見に恵まれた文化人の竹山は、当代日本の自由主義論壇の雄で、この存外守り通すことの難しい立場を「時流に反して」守り通した。その洗練された文章には非常な魅力があり、論壇の寵児と呼ばれたこともあり、少なからぬ愛読者や支持者もあったと私は考えている。

【『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉(藤原書店、2013年)】

 平川祐弘は竹山の教え子であり娘婿でもある。身贔屓(みびいき)とならぬよう努めているのは確かだが、思い出の甘い味が筆を滑らせたような箇所がいくつか見受けられた。例えば上記テキストに「ナチス・ドイツの非人間性を――弾劾し」とあるが、私には「穏当な批判」としか感じられなかった(『独逸・新しき中世?』)。

 竹山が政治的にはリベラル志向であったことは確かだが彼は「主義者」ではなかった。オールド・リベラルに位置づけられるのはやむを得ないが、決して政治的メッセージを目的にした文章を書くことがなかった。つかみどころのない大きさがあり「作家」「評論家」という肩書きも相応(ふさわ)しいとは思えない。一言でいえば「教養人」となろうか。

 当初、「穏やかな批判者」と題したのだが、どうもしっくりこなかった。竹山は確かに批判したのだが「批判者」ではない。むしろ、「言うべきことを言い書くべきことを書いた教養人」と呼ぶのが適切だろう。

『昭和の精神史』と本書および『見て,感じて,考える』は佐渡出張で、『西洋一神教の世界』は新潟出張で読んだ。仕事ではあったが私の精神は竹山道雄を旅した。幼い頃から散々本を読んできたにもかかわらず、これほど大きな人物を見逃していたということは、やはり百田尚樹が言うように「朝日新聞によって抹殺された」というのが事実であったのだろう。更にその温厚な人柄や、ダンディを絵に描いたような風采、学生や外国人との人間交流は、日本人の美質を示しているように感じられた。

2018-03-14

新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる/『昭和の精神史』竹山道雄


 ・オールド・リベラリズムの真髄
 ・竹山道雄の唯物史観批判
 ・擬似相関
 ・新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 新しい動きは、しばしば古い衣裳(いしょう)をつけてあらわれる。人間は歴史から離脱することはできない。いまだ自分の表現様式をもっていない動向は、みずからに形をあたえようとして、過去に判型を求める。ルネサンスも古代ギリシアがそのまま再生したのではなく、中世末のあたらしい力があの形によって開花したものだった。フランス革命のときにもローマ風がはやった。
 天皇崇拝は、「理想的な天皇はわが上代にかくおわしたはずである」と幻視されたものだった。あのような性格の天皇は歴史的事実ではなく、明治以来につくられたものでもなかった。水戸学の天皇には、重臣・政党・財閥・官僚・軍閥を罰し、くるしんでいる農民労働者階級を救うというような機能はなかった。水戸学以来……という起源による説明では、あの動きを解明することができるとは思われない。

【『昭和の精神史』竹山道雄(新潮叢書、1956年)/講談社学術文庫、1985年/中公クラシックス、2011年/藤原書店、2016年】

「それにしても、何故ああいうことになったのだろう?」(オールド・リベラリズムの真髄)――日本の近代史がわかりにくいのは二・二六事件~大東亜戦争敗北の流れが解明されていないためだ。もちろん国家元首である昭和天皇に戦争責任が「ない」とは言い難い。かといって全責任を負わせることもできない。

 責任の所在を曖昧にするのが日本の文化なのかもしれない。リーダーの決定よりも談合を好む民族的エートス(気風)があるように思う。官僚支配は藤原不比等〈ふじわらのふひと〉以来の伝統だ(『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛)。

 二・二六事件は尊皇社会主義的な色彩が濃かった。しかもその動きを容認した軍高官が少なくなかった。秩父宮でさえ青年将校たちに同情的であった。あのとき昭和天皇の果断がなければ社会の混乱は度を深めたことだろう。皇道派の青年将校は天皇陛下の逆鱗(げきりん)に触れた時点で目的が潰(つい)えた。

 安部公房が「本物の異端は、たぶん、道化の衣裳でやってくる」と書いている(『内なる辺境』安部公房)。一流の思考はどこか似通っている。

昭和の精神史 (中公クラシックス)
竹山 道雄
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昭和の精神史 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第1巻〕
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2018-03-12

擬似相関/『昭和の精神史』竹山道雄


 ・オールド・リベラリズムの真髄
 ・竹山道雄の唯物史観批判
 ・擬似相関
 ・新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 鶏(にわとり)が鳴くときに太陽が登(ママ)る、だから鶏が鳴くのが太陽が登る原因である……というふうに、時を同じくしておこった現象を結びつけて因果欲望を満足させることは、ともすると人がおかしやすいあやまりである。
 昭和のはじめに左翼運動が弾圧された。そして、「その一方に1930年前後は、エロ・グロ・ナンセンスといわれる、頽廃(たいはい)をきわめた愚民政策が系統的に行なわれた」
 このようにファシズムの進行とエロ・グロ風潮とを結びつけるのは、鶏と太陽を結びつけるようなものであろう。むしろ、あの風潮が、それへの反撥(はんぱつ)としてファッショを煽(あお)った一つの因であったのであろう。

【『昭和の精神史』竹山道雄(新潮叢書、1956年)/講談社学術文庫、1985年/中公クラシックス、2011年/藤原書店、2016年】

 相関関係を因果関係と勘違いすることを擬似相関という。

 薬の効力を調べる場合、「使った、治った、効いた」という「三た」式思考法は危険なのだ。

【『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎〈あんざい・いくろう〉(講談社ブルーバックス、2002年)】

「祈った、かなった、幸せになった」というのが宗教の「三た」式思考法であろう。「見た」という経験を重んじれば幽霊や宇宙人の存在は正当化し得る。それゆえ「科学者は、体験談を証拠とはみなさない」(『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー)。

 尚、後段の「社会的頽廃がファシズムの温床となった」という指摘は、竹山自身がナチス台頭前夜のドイツに留学した経験に基づいており、戦時中(1940年〈昭和15年〉)にナチス・ドイツの非人間性を批判した論文を発表(雑誌『思想』)している。

 竹山の著作はいずれも近代の変化を確かな目で捉えている。例えば固定電話が普及したのは1970年代に入ってからのこと(固定電話の歴史)であるが、それ以前は手紙でやり取りするか、直接訪ねるしか方法がなかった。相手が不在であれば当然「待つ」他ない。つまり現代と比べると驚くほどの時間的コストがかかったわけである。こうしたところに想像が及ばないと変化のダイナミズムを見失ってしまうだろう。

昭和の精神史 (中公クラシックス)
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2018-03-10

竹山道雄の唯物史観批判/『昭和の精神史』竹山道雄


 ・オールド・リベラリズムの真髄
 ・竹山道雄の唯物史観批判
 ・擬似相関
 ・新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 歴史を解釈するときに、まずある大前提となる原理をたてて、そこから下へ下へと具体的現象の説明に及ぶ行き方は、あやまりである。歴史を、ある先験的な原理の図式的な展開として、論理の操作によってひろげてゆくことはできない。このような「上からの演繹(えんえき)」は、かならずまちがった結論へと導く。事実につきあたるとそれを歪(ゆが)めてしまう。事実をこの図式に合致したものとして理解すべく、都合のいいもののみをとりあげて都合のわるいものは棄てる。そして、「かくあるはずである。故に、かくある。もしそうでない事実があるなら、それは非科学的であるから、事実の方がまちがっている」という。

【『昭和の精神史』竹山道雄(新潮叢書、1956年)/講談社学術文庫、1985年/中公クラシックス、2011年/藤原書店、2016年】

 ここに批判されているような上からの御託宣による歴史解釈が平然として横行するのが、昭和30年代、40年代の日本の学界、言論界だったのである。歴史学はもはや人文の学などではなく、ついに社会科学として「世界史の基本法則」を把握するに至った。もし明治日本の、昭和日本の歴史がこの「基本法則」に合致しないならば、それは事実としての歴史のほうが間違っている、歪んでいるのだ、といった議論が学界の指導者たちによってしきりに説かれていたのである。

【「昭和日本への反時代的証言」芳賀徹〈はが・とおる〉(中公クラシックス版)】

「唯物史観なんて俺には関係ないや」と考える人が大半だろう。ところがどっこい大有りなのだ。江戸時代暗黒論がそれだ。歴史は進歩するゆえ近代以前はどうしようもないクソみたいな時代でなければならないのだよ。(『お江戸でござる』杉浦日向子監修を参照のこと)

 また大正デモクラシー(マルクス主義者信夫清三郎〈しのぶ・せいざぶろう〉の造語、1954年)~社会主義ブーム~五・一五事件二・二六事件~大東亜戦争という流れの中で、尊皇の精神に彩られた和製社会主義ともいうべき潮流とコミンテルンの指示で動く第五列の画策が交錯した。日本の近代史が曖昧な輪郭をしているのは社会主義の影響が解明されていないためだ。首相を務めた近衛文麿の評価すら定まっていない(『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子、2006年/『近衛文麿「黙」して死す すりかえられた戦争責任』鳥居民、2007年)。

 戦後教育は唯物史観に染まったといっても過言ではない。「進歩を説く」のが知識人の証とされた。共産党員はGHQによって獄から放たれ、大学生は一気に左傾化した。朝鮮特需~高度経済成長を背景に暴力革命の嵐が吹き抜けた。

 竹山道雄の唯物史観批判はそのままヘーゲルやキリスト教にも向けられるべきものであろう。原理主義(ファンダメンタリズム)は必ず教条主義となり人間を裁断する。プロクルステスのベッドのように。この洞察が『見て,感じて,考える』では認知科学の領域にまで迫ろうとしている。昨今では「文学」という言葉は理系からの悪口と化した感があり、科学的根拠のないポエム(たわ言)みたいな文脈で使われるが、真の文学は人間と社会の深層を見抜くものであることが理解できる。

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2018-03-09

オールド・リベラリズムの真髄/『昭和の精神史』竹山道雄


 ・オールド・リベラリズムの真髄
 ・竹山道雄の唯物史観批判
 ・擬似相関
 ・新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 近頃『太平洋戦争』という記録映画を見た。マキン、タラワをはじめとして硫黄島などの凄惨(せいさん)な場面や、レイテ湾で特攻隊がつぎつぎと海に落ちてゆくありさまを目のあたりにして、自分の3人の従弟やそのほかの知人たちはあのようにして死んでいったのか――と、感慨がふかかった。そして、「それにしても、何故ああいうことになったのだろう?」という、いつも胸にひそんでいる疑念が頭をもたげるのを抑えかねた。これが納得のいくまでは、まだ戦争の後始末がすんでいないような気がする。

【『昭和の精神史』竹山道雄(新潮叢書、1956年)/講談社学術文庫、1985年/中公クラシックス、2011年/藤原書店、2016年】

『昭和の精神史』は、もと「十年の後に」と題して雑誌『心』に昭和30(1955)年8月から12月にかけて連載された。『心』は和辻哲郎津田左右吉武者小路実篤小泉信三安倍能成ら、いわゆる「オールド・リベラリスト」が結集して、昭和23(1948)年に創刊した同人誌で、戦後の左翼的原論の流行に抵抗しようとする保守派知識人の発表機関であった。竹山氏はそのなかでもおそらくもっとも若い同人の一人であったろう。

【「昭和日本への反時代的証言」芳賀徹〈はが・とおる〉(中公クラシックス版)】

 百田尚樹のツイートが本書を読む契機となった。


 戦後の保守論客といえば小林秀雄竹山道雄福田恆存の名が直ぐに浮かぶが、竹山は保守で括りきれない人物で、やはりリベラリストと呼ぶのが相応(ふさわ)しい。

 現実を直視する眼差し、過激に走らぬ温厚な思考、伝統の重みを軽んじない所作、時流の変化に「待った」をかける慎重さ――どの文章にもこうした姿勢や態度が見られ、オールド・リベラリズムの真髄を仰ぐような思いに駆られた。小林秀雄のような騒がしさが竹山には微塵もない。激動の時代にあっても自分の歩調を決して変えることのなかった人だ。更に学者の分を弁えていて妙な精神論を吹き込むようないかがわしさもない。刺激に慣れすぎていると竹山の文章は何となく物足りなく感じてしまうが、それは自分が抑制を知らぬことを晒(さら)しているのだ。

「それにしても、何故ああいうことになったのだろう?」――国民が朝鮮特需(1950-55年)に沸き、知識人が声高に進歩を叫んでコミュニズムに走る中で、戦争に敗れてから「十年の後に」発した問いの重みが私の手足にのしかかる。それは決して無責任なものではなく、歴史の高波を生きてきた人間が歴史の意味合いを探る真剣な営みであった。大東亜戦争はそれほどわかりにくい戦争であった。日本の近代史に関する書物を100冊以上読んできた私も全く同じ感を抱いている。

 同じく敗戦を直視した人物に三島由紀夫がいる。三島は行動し、敗れ、自決した。高度経済成長に酔う人々は彼を嘲笑した。この時日本は本当の意味で亡んだのだろう。林房雄は『大東亜戦争肯定論』でペリー提督率いる黒船襲来(1953年)から大東亜戦争敗戦(1945年)までを「東亜百年戦争」と名づけたが、そのピリオドを打ったのが三島その人であった。

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乾極と湿極の地政学/『新・悪の論理』倉前盛通