2020-01-07
民の声/『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・桑の木は神木
・民の声
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
「生れつき姓があるということは、人の上に立ってゆくように定められていることなのだ。人の上に立つには――」
と、ことばを切った摯は、足もとに目をおとし、
「たとえば、ここに植える菽(まめ)のいうことが、ききとれるようになることだ。天の気も地の気も、その葉や茎にうつり、やがて結びあって実となる。いくら故実(こじつ)を識(し)っても、名なし草にひとしい民の、声なき声を聴きとる耳はそだたぬ。【まめ】に教えてもらうがよい」
【『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(海越出版社、1990年/文春文庫、1993年)以下同】
摯〈し〉は伊尹〈いいん〉の諱(いみな)である。豆から学んだ人にメンデル(1822-1884年)がいる。
伊尹は一階の料理人から宰相(さいしょう)にまで登りつめた人物である。湯王〈とうおう/天乙〉を助け、夏の桀〈けつ〉王を討って天下を平定。こうして殷(いん/商)が建国される。
民と農こそ国家の基(もとい)であろう。次に防衛がくる。農業革命によってホモ・サピエンスは定住し、やがて都市が生まれた。食糧を他国に依存する日本は定住の基盤を失ってしまったように見える。
「湯のことではない。汝がどうするかだ」
そう問われた摯はさらにしずまった声貌(せいぼう)で、
「人民の声に従うだけです」
「また、それか。遁辞(とんじ)をかまえるな。民草(たみくさ)に声なぞあろうか。強い風に靡(なび)くにすぎぬ」
「わたしには聞えます」
と、摯はなぜか哀しげに眉をよせた。
民衆が「自然の一部だった」(『歴史とは何か』E・H・カー)とすれば伊尹が聴いた「民の声」とは政治的要求ではなく、苦悩や呻吟(しんぎん)、溜息や悲鳴と考えられる。民情に思いを寄せるのが政治の出発点であり、庶民を圧迫すれば国は必ず滅びる。現在、中国や北朝鮮はたまたアラブ諸国で残酷非道な政治が行われているが、これを支えているのは情報統制である。人々の移動や交流あるいはインターネットの促進によって情報が行き交うようになれば一人が立ち上がり、二人、三人、百人と続いてゆくことだろう。
ただし民草が「強い風に靡(なび)く」のもまた事実である。自由を望むのも民衆だが、支配を求めるのもまた民衆なのだ。全体主義やファシズム・ナチズムは形を変えて生き延びることだろう。
2020-01-06
桑の木は神木/『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・桑の木は神木
・民の声
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
このころ、桑の木は神木で、「桑からなにが生れるか」と問われた者の十人中十人が、「日」(じつ)すなわち「太陽」とこたえたであろう。つまり太陽の数とは無限ではなく、十個あると考えられ、その一個ずつが、毎朝桑木から生れて、天に昇ると信じられていた。したがって、桑木とは太陽を生む木であり、そこから生れた児とは太陽でなくてなんであろう。
【『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(海越出版社、1990年/文春文庫、1993年)】
八王子を桑都(そうと)という。江戸期から養蚕業・絹織物業が盛んであったためだ。更に古くは「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」と西行が詠んだ。桑が神木とはにわかに信じ難かった。それは私が低い桑しか知らないためだった。
日本最大の桑の巨木「薄根の大クワ」群馬県の里山に立つ養蚕の御神木 | 群馬県 | LINEトラベルjp 旅行ガイド https://t.co/J6aziNCjHR pic.twitter.com/ZLTrPnHmuY
— 小野不一 (@fuitsuono) January 6, 2020
こりゃ神木だな、確かに。また日本を扶桑国(ふそうこく)とも称した。鎌倉時代の日蓮も「扶桑国をば日本国と申す」(「諌暁八幡抄」〈かんぎょうはちまんしょう〉)と書いている。更に雷除けの「くわばら、くわばら」という呪文も「桑原」に因(ちな)むものだ。
「子供の時分、下の部屋で布団に入ると2階の部屋からワサワサと音が聞こえたものだ」という話を何度か耳にしたことがある。蚕(かいこ)が桑の葉を食(は)む音だ。幕末から明治にかけて八王子~横浜間には「絹の道」が存在した(八王子のシルクロード~幕末から明治期に賑わった「絹の道」を歩く)。
八王子駅近くの甲州街道沿いに荒井呉服店がある。ユーミンの実家だ。
巧妙な脅し文句/『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易
・『「捨てる!」技術』 辰巳渚
・『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵
・巧妙な脅し文句
・『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易
・『たった1分で人生が変わる片づけの習慣 実践編』小松易
・『大丈夫!すべて思い通り。 一瞬で現実が変わる無意識のつかいかた』Honami
・『人生を掃除する人しない人』桜井章一、鍵山秀三郎
・『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』佐々木典士
・『手ぶらで生きる。 見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法』ミニマリストしぶ
片づけられないと生活だけでなく、心も体もうまくいかずに「詰まって」しまうのです。
玄関が片づいていなければ、新しい出会いやチャンスに恵まれません。
キッチンが片づいていなければ、余計な出費が多くなり食生活も安定しません。
仕事場が片づいていなければ、残業が多いわりに良い仕事ができません。
本棚が片づいていなければ、本当に欲しい情報がすぐに得られません……。
片づけられないせいでうまくいっていない人生は、どんどん「負のスパイラル」に陥ります。その結果、さらに仕事や生活で失敗が続いたりします。
【『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』原作:小松易〈こまつ・やすし〉、脚本:青木健生、マンガ:小田ピンチ(KADOKAWA、2015年)】
それは、ない。ただし人生が順調でない人はこの言葉を真に受けてしまうことだろう。巧妙な脅し文句である。
「コミック版」となっているが、マンガ+テキストなので活字が苦手な人はこちらを読むといいだろう。マンガの出来栄えは決してよくないが、内容はしっかりと踏襲している。
ブッダの弟子で最も愚かなチューラパンタカ(周梨槃特)は拭き掃除で悟りを開いた。
掃除という単純作業には、目の前のことだけに打ち込むという美点がある。最小限の努力で最大限の成果を得られる、進み続けるべき正道だ。
【『あなたに不利な証拠として』ローリー・リン・ドラモンド:駒月雅子訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2006年/ハヤカワ文庫、2008年】
乱雑な部屋は風の通りが悪い。これが気に影響を与えることは理解できよう。神道のお祓(はら)いも埃(ほこり)のように積み重なった罪や穢(けが)れを払う営みだ。汚れは穢れに通じる。
掃除をすれば気持ちがいい。これは真理である。気持ちがいいから掃除をするのだ。それでいい。
文脈
肚(はら)の底からジワジワとせり上がってくる妙な感覚がある。衝撃ではない。むしろ鳥肌が立つような感覚に近い。文章の順番すなわち文脈が変わるだけで物語が逆転するのだ。言葉の魔術と言ってよい。あるいは詐術か。教科書や経典を重んじる人物はよくよく吟味すべき広告である。
あけましておめでとうございます
— 西武・そごう (@seibusogo_jp) January 1, 2020
本年も西武・そごうをよろしくお願いいたします
2020年西武・そごうからのメッセージ✨
「さ、ひっくり返そう」
幕内最小の力士 炎鵬の逆転劇スペシャルムービーはこちらhttps://t.co/EiuPq0b0VI#わたしは私 #西武 #そごう #炎鵬 #相撲 #ひっくり返そう pic.twitter.com/l4y7vHI4Qg
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