・オールド・リベラリズムの真髄
・竹山道雄の唯物史観批判
・擬似相関
・新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる
・『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
・『見て,感じて,考える』竹山道雄
・『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
・『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
・『ビルマの竪琴』竹山道雄
・『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
・『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
・『歴史的意識について』竹山道雄
・『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
・『精神のあとをたずねて』竹山道雄
・『時流に反して』竹山道雄
・『みじかい命』竹山道雄
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
新しい動きは、しばしば古い衣裳(いしょう)をつけてあらわれる。人間は歴史から離脱することはできない。いまだ自分の表現様式をもっていない動向は、みずからに形をあたえようとして、過去に判型を求める。ルネサンスも古代ギリシアがそのまま再生したのではなく、中世末のあたらしい力があの形によって開花したものだった。フランス革命のときにもローマ風がはやった。
天皇崇拝は、「理想的な天皇はわが上代にかくおわしたはずである」と幻視されたものだった。あのような性格の天皇は歴史的事実ではなく、明治以来につくられたものでもなかった。水戸学の天皇には、重臣・政党・財閥・官僚・軍閥を罰し、くるしんでいる農民労働者階級を救うというような機能はなかった。水戸学以来……という起源による説明では、あの動きを解明することができるとは思われない。
【『昭和の精神史』竹山道雄(新潮叢書、1956年)/講談社学術文庫、1985年/中公クラシックス、2011年/藤原書店、2016年】
「それにしても、何故ああいうことになったのだろう?」(オールド・リベラリズムの真髄)――日本の近代史がわかりにくいのは二・二六事件~大東亜戦争敗北の流れが解明されていないためだ。もちろん国家元首である昭和天皇に戦争責任が「ない」とは言い難い。かといって全責任を負わせることもできない。
責任の所在を曖昧にするのが日本の文化なのかもしれない。リーダーの決定よりも談合を好む民族的エートス(気風)があるように思う。官僚支配は藤原不比等〈ふじわらのふひと〉以来の伝統だ(『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛)。
二・二六事件は尊皇社会主義的な色彩が濃かった。しかもその動きを容認した軍高官が少なくなかった。秩父宮でさえ青年将校たちに同情的であった。あのとき昭和天皇の果断がなければ社会の混乱は度を深めたことだろう。皇道派の青年将校は天皇陛下の逆鱗(げきりん)に触れた時点で目的が潰(つい)えた。
安部公房が「本物の異端は、たぶん、道化の衣裳でやってくる」と書いている(『内なる辺境』安部公房)。一流の思考はどこか似通っている。
昭和の精神史 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第1巻〕
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竹山 道雄
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