2016-02-14
富田公彦、他
2冊挫折、1冊読了。
『悪政・銃声・乱世 児玉誉士夫自伝』児玉誉士夫〈こだま・よしお〉(広済堂出版、1974年/弘文堂、1961年『悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録』改題)/びっくりするほど文章が巧みだ。『大東亜戦争肯定論』で知った。林房雄が「まえがき」を書いている。20代、30代の人にはおすすめできる。昭和初期の世相を知るには絶好のテキストである。
『脳科学は人格を変えられるか?』エレーヌ・フォックス:森内薫訳(文藝春秋、2014年)/「アフェクティブ・マインドセット(心の姿勢)」というキーワードがよくない。楽観主義と悲観主義の相違を検証した内容だが、著者は心理学者・神経科学者のため「脳科学」を謳うタイトルに疑問あり。原題にはない。タイトルの違和感が文章をまったりしたものにしてしまう。「楽観主義と悲観主義の新しい科学」と直訳するのが正解だろう。各トピックは興味深いのだが、文章に切れがない。
20冊目『なぜ専門家の為替予想は外れるのか』富田公彦(ぱる出版、2015年)/富田は31年間プロディーラーを務めた人物。現在は中西健治参議院議員(みんな→自民公認予定)の政策秘書をしている。文体が剽軽(ひょうきん)すぎて2ちゃんねらーっぽいのがご愛嬌。腰を抜かしそうになったのだが、為替ディーラーの間ではテクニカル分析は使われていないという。今世紀初頭に絶滅したそうだ。ぶったまげた。また通貨にまつわる情報の殆どがデタラメかつインチキであることを2ちゃんねらー並みの口の悪さで罵倒している。ま、それでも私としてはチャーチストの道を歩むわけだが。
ユニーク極まりない努力/『大空のサムライ』坂井三郎
・『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
・ユニーク極まりない努力
・『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
・『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
・『今日われ生きてあり』神坂次郎
・『月光の夏』毛利恒之
・『神風』ベルナール・ミロー
・『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス
・日本の近代史を学ぶ
そして最後には、私は昼間の星を探しはじめた。これはなかなかむずかしいことであった。発明や発見は、現状を否定するところから生まれるといわれるが、これをやりとげるには、いろいろな段階を経なければならなかった。
子供のころ歌った童謡に、一番星見つけた、二番星見つけた、という歌詞があるが、私はまず日の暮れに、その一番星を1秒でも早く見つける練習、また、明け方には、最後まで消え残る星を追ってみた。そのうえ簡単な星座の勉強をして、昼間、頭の上にくる星の中でどの星が一番明るかを調べた。そして、毎日のように頭の真上の大空を見つめたものである。
大空のすみきった11月のある日の午後、私は飛行場の芝草の上にあお向けに寝て、大体見当をつけておいた一点を、長い時間見つづけていたことがある。寝たのは頭がぐらぐらしないようにするためだが、30分ほど青空の一点を見つづけても何も見えないので、あきらめて立ち上がろうとして両眼を横に動かした瞬間、白いケシ粒のようなものが、ちらっと見えたような気がした。おやっ、と思ってよく見ると、星があった。私は思わず「見えた!」と叫び声をあげた。
【『大空のサムライ』坂井三郎(講談社+α文庫、2001年/光人社NF文庫、2003年/講談社、1992年『坂井三郎 空戦記録』改題)】
弛まぬ努力によって坂井の視力は2.5となる。マサイ族並みの視力である。まだ戦闘機にレーダーがない時代である。目の良さが生と死を分けた。坂井はただの一度も敵から先に発見されたことがないという。日中の星探しはアメリカに嫁いだ娘を通して孫も行っている。
坂井はユニークな発想で次々と新たな訓練を生み出す。トンボやハエを素手でつかむ練習、逆立ち15分、息を止める稽古2分30秒などなど。いずれも戦闘機技術に直結したものである。天才とは独創の異名か。
坂井三郎は毀誉褒貶(きよほうへん)の多い人である。本書にも若干の脚色があるようだ。それでも「米軍が恐れた男」である事実は動かない。サカイの名は敵にまで知られていた。戦後になって戦った相手と邂逅(かいこう)する場面が忘れ難い。緊張の面持ちで臨むも、一旦打ち解けてしまえばスポーツ選手のように互いの健闘を称(たた)え合う。空の男には乾(かわ)いた爽やかさがある。
幾多の戦闘をくぐり抜けてきた坂井もついに負傷する。大事に大事にしてきた眼までやられてしまう。坂井は飛行機を降りた。一度復活したがやはりダメだった。
経験した者にしかわからない戦場の生々しさが伝わってくる。歴史の現場は何という迫力に満ちていることか。
尚、講談社+α文庫は2分冊で光人社NF文庫は1冊となっている。続篇以降を読みたい人は光人社版がよかろう。
2016-02-12
佐伯啓思
1冊読了。
19冊目『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思〈さえき・けいし〉(幻冬舎新書、2008年)/再読。三島由紀夫の死によって浮かび上がる日本社会の問題と、9.11テロが突きつけた国際社会の問題が重なって見える。三島が死んで(1970年)右翼が滅び、連合赤軍事件(あさま山荘事件〈1972年〉と山岳ベース事件〈1971-72年〉)で左翼が亡んだと考えてよさそうだ。その後、進歩的文化人はサヨクに姿を変え、バブルが崩壊した1990年代になってようやく保守が台頭する。
2016-02-10
別宮暖朗、兵頭二十八
1冊読了。
18冊目『大東亜戦争の謎を解く 第二次大戦の基礎知識・常識』別宮暖朗〈べつみや・だんろう〉、兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(光人社、2006年/光人社NF文庫、2012年)/別宮・兵頭本は初めて読む。メインは別宮で兵頭が加筆。微に入り細を穿(うが)つ視線で歴史の精確を期す。兵頭本にも共通するが「大東亜戦争は侵略戦争」「天皇陛下に戦争責任はない」との主張。読み物としては面白味がなく、ある程度の知識が求められる。今までどうもすっきりしなかった靖國神社の問題が初めてストンと腑に落ちた。霊璽簿主義の不合理を突き、しかも戦後これが崩れ、天皇陛下の裁可なしで陸軍省・海軍省の役人と宮司の独断で霊璽簿への追記が可能になった。更に我が国には無名戦士の墓がなく固定廟堂(びょうどう)が存在しない、との指摘には肝を消した。
2016-02-09
『サハラに死す 上温湯隆の一生』が文庫化
前人未踏の熱砂の海に単身で挑み、志半ばで青春の幕を閉じた幻の名著 サハラ砂漠は古くから交易路が発達し、主にトアレグ族によるキャラバンが盛んだった。だがそれは主に縦断であり、横断は達成されていなかった。上温湯隆〈かみおんゆ・たかし〉は、1973年1月25日、モーリタニアの首都ヌアクショットを出発、1頭のラクダのみを連れ、ガイドなしという挑戦だった。しかし、マリでそのラクダが死亡して中断、ナイジェリアのラゴスで時事通信社ラゴス支局に身を寄せ、体力の回復と資金調達に当たる。4月、横断再開のためラクダを購入してラゴスを出発、メナカよりの手紙を最後に消息を絶ってしまう。そのとき発見された手記を元に長尾三郎が構成を担当し、『サハラに死す』が出版された。当時、大きな反響を呼び、若者からは「バイブル」とまで言われた。
・『サハラに死す 上温湯隆の一生』長尾三郎編
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