2016-02-06
辨野義己、武田知弘、他
12冊挫折、2冊読了。
『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』有馬哲夫(文春新書、2013年)/有馬哲夫の文章には面白味がない。
『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫〈こだま・よしお〉(広済堂出版、1974年)/今ひとつ乗れなかった。びっくりしたのだが林房雄が巻末に「児玉誉士夫小論」を寄せている。
『戊辰戦争の史料学』箱石大〈はこいし・ひろし〉編(勉誠出版、2013年)/会津・庄内両藩がプロイセンに蝦夷地もしくは日本の西海岸にある領地を売ろうとしていた。最新資料による研究所だが、史料学なので読み物としての魅力は皆無である。
『からくり民主主義』高橋秀実(新潮文庫、2009年)/ただのエッセイとは思わなかった。解説は村上春樹。
『つかめないもの』ジョーン・トリフソン:古閑博丈〈こが・ひろたけ〉訳(覚醒ブックス、2015年)/非二元(ノン・デュアル)を調べようと思ったのだが、つかみどころのない文章で放り投げてしまった。帯にある著者の顔写真も好きになれず。
『アフリカの日々 やし酒飲み(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集1-8)』イサク・ディネセン、エイモス・チュツオーラ:横山貞子、土屋哲〈つちや・さとる〉訳(河出書房新社、2008年)/どちらも有名な小説だが、どうも乗れず。『やし酒飲み』は再読するかも。
『図書館のプロが教える〈調べるコツ〉 誰でも使えるレファレンス・サービス事例集』浅野高史編、かながわレファレンス探検隊(柏書房、2006年)/期待外れ。Googleの方が強力だ。
『覚書 幕末の水戸藩』山川菊栄〈やまかわ・きくえ〉(岩波文庫、1991年)/左翼ぶりを遺憾なく発揮している。冒頭で「生瀬の乱」を紹介している。参照→『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
『忘れたことと忘れさせられたこと』江藤淳(文藝春秋、1979年/文春文庫、1996年)/どうも江藤の文章が肌に合わない。三島由紀夫の自決を「軍隊ごっこ」「病気」と評したことと関係しているのかもしれぬ。
『新心理学講座 4 宗教と信仰の心理学』小口偉一〈おぐち・いいち〉編(河出書房、1956年)/戦後の新宗教各団体をスケッチしたような代物で、「心理学」を名乗るほどの高みに至っていない。本書では匿名になっているが池田大作と小泉隆の入信動機が紹介されている。
『創価学会 その思想と行動』佐木秋夫、小口偉一〈おぐち・いいち〉(青木書店、1957年)/そこそこ誠実さはあるものの、如何せん左翼傾向が顕著で鼻白んでしまう。
『オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より』岡田斗司夫〈おかだ・としお〉 FREEex(幻冬舎新書、2012年)/朝日新聞の週末別冊版「be」(ビー)に掲載された「悩みのるつぼ」を解説した本。昨今、岡田のゲス振りがネット上で露見しているが、やはりこの人は頭がよい。伝説と化した「父親が大嫌いです」との相談が冒頭で紹介されている。ただ、この人の文体についてゆけず。若者向けの芸風なのだろうが、軽薄な文体が鋭さを淡くしてしまっている。更に人生相談の種明かし的な姿勢は共感よりも嫌悪感を抱く人が多いのではないか。
『あなたを天才にするスマートノート』岡田斗司夫(文藝春秋、2011年)/今まで読んできたノート本ではピカ一である。早速今日から実践している。私の場合はスマート(賢明)よりもセンス(感覚)を重んじる。右ページに記録をつけ、左ページは空けておく。若い人なら5行日記から始めるのがよかろう。
15冊目『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘〈たけだ・ともひろ〉(祥伝社新書、2009年)/何とナチスドイツは高福祉国家であった。「必読書」入り。『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』、『ファストフードが世界を食いつくす』の後に読むのがよい。学術書ではないこともあって言いわけが目立つのが唯一の難点だ。
16冊目『大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌』辨野義己〈べんの・よしみ〉(幻冬舎新書、2012年)/腸内細菌入門。わかりやすい文章が頭のよさを窺わせる。便秘気味の女性は必読のこと。ウンコは黒いほど健康状態が悪く、黄色っぽいのがいいそうだよ。あと水に沈むのもよくないらしい。「大便をデザインする」という言葉に痺れる(笑)。
靖國神社/『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
・靖國神社
・『大空のサムライ』坂井三郎
・『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
・『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
・『今日われ生きてあり』神坂次郎
・『月光の夏』毛利恒之
・『神風』ベルナール・ミロー
・『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス
・『保守も知らない靖国神社』小林よしのり
・日本の近代史を学ぶ
海軍大尉 植村 眞久 命
神風特別攻撃隊大和隊
昭和19年10月26日 比島海域にて戦死
東京都出身 立教大学卒 25歳
素子といふ名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人なるやうにと思つて、お父様が考へたのです。私は、お前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのを見届けたいのですが、若(も)しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなつて、父に會(あ)ひたい時は九段へいらつしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前を幸せ者と思ひます。(中略)
お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。
昭和19年9月吉日 父
植村素子へ
追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、御父様が戴いて自分の飛行機に御守り様として乗せてをります。だから素子は父様といつも一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。
【『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集(産経新聞出版、2010年)】
植村眞久少尉と素子さん。 pic.twitter.com/XCweWb1Crd
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 11月 26
靖國神社で販売されている『英霊の言乃葉』の第1~9輯(しゅう)の選集。産経新聞出版社が小林に選者を依頼したという。その経緯については小林の「まえがき」に詳しい。戦時中の遺書といえば『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』(日本戦没学生記念会編、1949年)が有名だが、CIE(GHQの民間情報局)の検閲が施されていることが判明した(日本経済新聞 1982年8月22日/戦後の風潮)。
靖國に祀(まつ)られた英霊は神に位置づけられるため名前の末尾に命(みこと)が付く。名前「のみこと」と読む。数詞は「柱」(はしら)。ペリー来航(1853年)以降の戦没者などが祀(まつ)られていることから「日本近代化の犠牲者」と見ることもできよう。ただし祀られているのは政府軍側の人物に限られる。私は靖國神社を否定する気は毛頭ないが、ひとつだけすっきりしないのは「政府軍側」と天皇陛下の整合性である。具体的には戊辰戦争における会津藩を逆賊と位置づける歴史には加担できない。
植村が娘に宛てた遺書は老境を思わせるほどの風格がある。我が子にキラキラネームをつけるような現代の馬鹿親とは何が違うのか? それはやはり「責任感」であろう。子の幸福を思う心の深さが異なるのだ。
私が胸を打たれたのは「お前が大きくなつて、父に會(あ)ひたい時は九段へいらつしゃい」との一言であった。九段とは靖國神社である。若き特攻隊員たちは「靖國で会おう」と口々に約し合いながら大空へ飛び立った。その聖地ともいうべき靖國が現在では政争の具とされている。
敗戦から29年後に復員した小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉は「天皇陛下万歳」と叫んだ。帰国後、検査入院を経て真っ先に靖國を参拝し、皇居を遥拝した。また政府からの見舞金100万円と義援金の全てを靖國神社に奉納している。マスコミは狂ったように「軍国主義の亡霊」と書き立てた。日本は変わってしまった。変わってしまった日本に耐えられなくなった小野田はブラジルへ去った(『たった一人の30年戦争』小野田寛郎、1995年)。
植村の戦死から22年後の'67(S42)、愛児であった娘の素子は父と同じ立教大学を卒業。 同年4月に父が手紙で約束したことを果たすため、靖国神社にて鎮まる父の御霊に自分の成長を報告し、母親や家族、友人、父の戦友達が見守るなか、文金高島田に振袖姿で日本舞踊「桜変奏曲」を奉納した。 素子は「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」と言葉少なに語ったという。
【歴史が眠る多磨霊園:植村眞久】
死して尚、親の想いが子を育む。人の一念は時を超えるのだ。
尚、靖国神社公式サイトの「靖国神社について > 今月の社頭掲示」では平成20年(2008年)以降のものが紹介されている。
国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選
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小林よしのり 責任編集
産経新聞出版
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2016-02-04
プロ野球界の腐敗/『賭けるゆえに我あり』森巣博
・天才博徒の悟り/『無境界の人』森巣博
・ギャンブラーという生き方
・プロ野球界の腐敗
・『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
・『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
・『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六
十数年以上も昔の話だ。読売ジャイアンツが、まだオーストラリアのクイーンズランド州で、シーズン前のキャンプをはっていた頃だった。(中略)
その時、ゴールドコーストのカシノで、わたしが裏目張りを仕掛けようとした相手は、二人ともやくざ風だった。とりわけ、ごつい肩から直接頭が生えている歳(とし)上の男の風貌は、まるで「その筋(スジ)の人」のものである。きっと背中には、高価な絵が描かれているのであろう。でも、それも気にしない。
じつは、裏目張りを仕掛けだす以前のこの二人の会話から、わたしは多くを学んでいた。
たとえば、阪神タイガースが好調なシーズンは、関西の諸組織のシノギが厳しくなる、とか。野球賭博でハンディを切る人は、ひとシーズンで5000万円を超す報酬を胴元から得ることもある、とか。ハンディ師も、元を辿れば、結局ある一人の人物に行き着く、とか。その人物とは、いまは亡き往年の名選手Aである、とか。
博奕打ちなんて荒(すさ)んだ生活をしている、とお考えでしょう。とんでもない。博奕打ちは、日々是学習。バカラ勝負卓にも、新しい知識がごろごろと転がっているものなのだ。
毎日がお勉強。笑わないで下さい。と書きながら、自分で吹き出してしまった。
日本のプロ野球に関するさまざまで貴重な裏知識を提供してくれた二人組だったが、勝負となれば、また別だ。感謝しつつも、わたしは全力を傾け、二人組を叩こうと試みる。
【『賭けるゆえに我あり』森巣博〈もりす・ひろし〉(徳間書店、2009年/扶桑社、2015年)】
読んだ瞬間に清原と元木の顔が浮かんだ。「やんけ」という大阪弁も出てくる。二人は岸和田出身だ(『愚連 岸和田のカオルちゃん』中場利一)。もちろん確証はない。
「ハンディを切る」の意味がわからないので調べた。
「この数字こそが、野球賭博で最も重要となる『ハンデ』です。例えば巨人-横浜なら、大半の人は巨人が勝つと思うでしょうし、実際そうなることが多いから、胴元が実力差のあるカードの度に損をしてしまう。それを防ぐために片方に賭けが集中しないようにする仕組みです」
当然ながら弱いと見られる側にハンデが加点される。
例えばAチームからBチームに1.2のハンデが出たとする(A 1.2→B)。このハンデの数字と、試合の得点差によって動く金額が決まる。
点差からハンデを引いた結果、1点以上の差がついていれば文句なく勝ちとなるが、1点未満になった場合は、その小数点以下の数字に従って配当金が割り引きして支払われる。
客がA勝利に10万円を張った場合で考えてみよう。Aが3点差で勝った場合、3-1.2=1.8となり、1点以上の差がつくので客は10万円の丸勝ちになる。Aが2点差で勝った場合は、2-1.2で0.8の勝ち。Aに張った客の勝ちになるが、儲けは賭け金の80%の8万円に減額される。
同じ理屈で、Aが1点差の勝利なら、1-1.2でマイナス0.2。客は負けになるが、負け金額は20%の2万円で済む。試合が引き分け、または負けなら、全額の10万円を取られてしまうことになる。
【野球賭博のハンデ 弱者に張っても勝てると思える絶妙な設定】
清原ほどではなくとも、長く球界のブランドを保ってきた巨人の選手にも黒い人脈が群がってきた。清原と時同じく99年には当時コーチだった篠塚利夫(改名後は和典)が、タニマチだった暴力団関係者の“車庫飛ばし”に深くかかわっていた疑惑が報じられ、また清原の盟友・桑田真澄も巨人のチームメイトと共に博徒系暴力団として知られる酒梅組の大幹部とクラブで遊ぶ写真をスッパ抜かれ、野球賭博への関与疑惑が囁かれた。
「野球賭博のハンデを切るためにも、連中はあらゆる手段を使って選手に食い込んでいる。選手の後見人と称して一緒に酒を飲みながら、いろんな情報を得るのは、昔からの常套手段」(スポーツライター)
【暴力団から一流企業社長まで、芸能人、スポーツ選手“裏の後見人”の素顔】
清原が覚醒剤所持容疑で逮捕された。『週刊文春』が疑惑を報じたのは2014年の3月のこと。逮捕が遅れたのは警察の匙(さじ)加減によるものなのか。メディアは「汚れた英雄」を叩くのが大好きだ。落差が大きければ大きいほど大衆は昂奮する。英雄への依存を省みることのない大衆は、「なぜ?」を連発するメディアに釘付けとなる。ご苦労なことだ。ツイッターの方がはるかに軽妙である。
清原、檻ックスへ入団。
— こましー (@comac13) 2016, 2月 2
さすが清原、塁にたまったベッキーやSMAP、野々村らを返す走者一掃のタイムリーヒットや。
— 音ノ木坂 現役のガチ兄さん (@otonokigachi) 2016, 2月 2
清原逮捕で思い出したけど、事あるごとにつけ「アニメやゲームに熱中する人間はゲーム脳なので犯罪者予備軍」で「スポーツで爽やかな汗を流している人間は、心が清らか」のような類の御高説を垂れてる人達は、今日も元気だろうか。
— アカハナ7 (@akahana7) 2016, 2月 2
「飯島愛の付き人は?」
— 暦(RTする暇あったら寝ろ) (@quirk00) 2016, 2月 3
「ASKAの元運転手だね」
「今その運転手は?」
「清原の運転手をしてるね」
「もひとつ質問いいかな」
「覚せい剤はどのルートで回った?」
「……君のような勘のいいガキは嫌いだよ」 pic.twitter.com/QKQHEevngm
野球賭博が伝統的に行われているとすれば、カネで釣られたり、あるいは脅されたりして、インチキをする選手も少なからずいることだろう。純粋な運に賭ける博奕(ばくち)でイカサマがまかり通っているのだから、資本主義の自由競争が絵に描いた餅であることが知れよう。「相手を騙すこと」は脳の最も高次な機能なのである。
2016-01-31
アメリカ兵の眼に映った神風特攻隊/『國破れてマッカーサー』西鋭夫
・『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
・『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
・『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
・憲法9条に埋葬された日本人の誇り
・アメリカ兵の眼に映った神風特攻隊
・『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
・『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
・日本の近代史を学ぶ
だが、時折、一機だけが幾(いく)ら機関銃を浴びせても落ちない。銃弾の波間を潜(くぐ)り、近づいてはきては逃げ、そしてまた突っこんでくる。日の丸の鉢巻が見える。祖国のために死を覚悟し、己(おのれ)の誇りと勇気に支えられ、横殴りの嵐のような機関銃の弾雨(だんう)を見事な操縦技術で避け、航空母艦に体当たりし撃沈しようとする恐るべき敵に、水兵たちは、深い畏敬と凍りつくような恐怖とが入り交じった「感動」に似た感情を持つ。命を懸けた死闘が続く。ついに、神風は燃料が尽き、突っ込(ママ)んでくる。その時、撃ち落とす。その瞬間、どっと大歓声が湧(ママ)き上がる。その直後、耳が裂けるような轟音(ごうおん)を発していた甲板上がシーンとした静寂に覆われる。
水兵たちはその素晴らしい敵日本人に、「なぜ落ちたのだ!?」「なぜ死んだのだ!?」「これだけ見事に闘ったのだから、引き分けにして帰ってくれればよかったのに!!」と言う。
アメリカ水兵たちの感情は、愛国心に燃えた一人の勇敢な戦士が、同じ心をも(ママ)って闘った戦士に感じる真(まこと)の「人間性」であろう。それは、悲惨な戦争の美化ではなく、激戦の後、生き残った者たちが心の奥深く感じる戦争への虚(むな)しさだ。あの静寂は、生きるため、殺さなければならない人間の性(さが)への「鎮魂の黙禱(もくとう)」であったのだ。
【『國破れてマッカーサー』西鋭夫〈にし・としお〉(中央公論社、1998年/中公文庫、2005年)】
重い証言である。なぜなら神風特攻隊が突撃する現実の姿を日本人は誰も知らなかったのだから。米軍が撮影していなければ、あの壮絶な勇姿は永久に日の目を見ることはなかったに違いない。
当然のことではあるが軍隊の指揮系統は命令というスタイルで維持される。そこに疑問を挟む余地はない。敗戦後、特攻は愚行であり、無駄死にと嘲笑された。米兵ですら目を瞠(みは)ったその最期を、同胞である日本人が小馬鹿にしたのだ。軍国主義という言葉が世の中を席巻し、戦前は忌むべき歴史とされた。
高度経済成長を迎えた頃、既に右翼は暴力団紛(まが)いの徒党を指すようになり、愛国心という言葉は彼らの看板文句であった。大音量で流される軍歌は人々から嫌悪され、街宣が大衆の心をつかむことはなかった。左翼も右翼も暴力の尖鋭化によって国民から見放された。
愛する祖国を守ろうとした先人を愚弄(ぐろう)した瞬間から、この国は国家という枠組みが融解したのだろう。敗戦という精神的真空状態の中で日本人は大事なものを見失った。忘れてはならないことを忘れた。そこへマッカーサーが東京裁判史観という価値観を吹き込んだ。日本人は日本人であることを恥じた。
吉田茂は国体を守ることと引き換えに全てをGHQに差し出した。吉田は経済復興を最優先課題とし、軍備は米軍に肩代わりさせた。やがてその流れは朝鮮特需~高度成長~バブル景気へと引き継がれる。それでも日本人の精神性は変わらなかった。アメリカの核の傘の下でぬくぬくと平和を享受し続けた。朝鮮が分断され、ベトナムが戦火にさらされ、チベットが侵略され、ウイグルが弾圧されても、この国は平和である。なんと愚かな錯覚か。
林房雄
1冊読了。
14冊目『大東亜戦争肯定論』(中公文庫、2014年/番町書房:正編、1964年、続編、1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)/歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れて マッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。
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