2008-11-01

「環境帝国主義」とは?/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人


『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・環境・野生動物保護団体の欺瞞
 ・環境ファッショ、環境帝国主義、環境植民地主義
 ・「環境帝国主義」とは?
 ・環境帝国主義の本家アメリカは国内法で外国を制裁する
 ・グリーンピースへの寄付金は動物保護のために使われていない
 ・反捕鯨キャンペーンは日本人へのレイシズムの現れ
 ・有色人捕鯨国だけを攻撃する実態

『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その二

 世界経済が自由競争で成り立っていると思ったら大間違いだ。実は、「不公平」というルールで運用されているからだ。欧米列強は、発展途上国が絶対に発展できない仕組みを既に作り上げてしまった。

 梅崎義人が糾弾しているのは、環境や動物愛護をテコにして、貿易すら自由にさせない欧米の悪辣(あくらつ)な手口である。昨今、声高に主張されている「環境問題」も全く同じ異臭を放っている。

 環境帝国主義とは、一般的には環境問題に関する自己の主張を相手に強要する行為を指すが、ここでは次のように定義しておく。
「自国以外に生息する動・植物の利用を、自国の法律または国際条約によって一方的に禁止しようとする考え方並びにその行動」
 このようなことが実際にあり得るだろうか。いぶかる人々も多いと思うが、環境帝国主義は堂々と罷り通っている。
 アメリカには「海産哺乳動物保護法と「絶滅に瀕した動植物保護法」という二つの国内法がある。いずれも1970年代の初めに制定されている。前者は、クジラを初め、オットセイ、イルカ、アシカ、アザラシ、トドなどすべての海洋哺乳類の保護を決めた法律で、殺すことはもちろん、虐待やいじめることも禁止している。更にその製品の輸入までも禁じられている。例えば、クジラのベーコンやアザラシの毛皮はアメリカ国内には持ち込めない。そして、後者の「絶滅に瀕した動植物保護法は、絶滅の恐れのある動植物の利用だけでなく、その生息、繁殖地の開発あるいは利用までも禁じている。
 信じられないことだが、アメリカのこの二つの国内法は、全世界を対象にしている。「海産哺乳動物保護法」に基づき、アメリカは国際捕鯨委員会(IWC)の場で全面禁止を実現した。同法はニクソン大統領時代の72年に制定されたが、このアメリカ大統領は「私はこの法律の効果を世界中に広めたい」と署名時に語っている。
「絶滅に瀕した動植物保護法」で、保護すべき動物としてリストアップされている種は全体で900にのぼるが、そのうちの600が、なんとアメリカ以外に生息する動物である。

【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】

 農耕民族にジャーナリズムは育たない、というのが私の持論である。なぜなら、真実を報じたところで立ち上がる民衆は一人もいないためだ。立ち上がったとしても、直ぐに座り込んでしまうことだろう。これを繰り返せばヒンズースクワットとなる。真実に目覚めて、自分の足を一歩前に出すことが、我が国では「村八分」を意味するのだ。

 かような背景もあって、日本のジャーナリズムは権力者のスポークスマンとなり、メッセンジャーとなり、アナウンサーと化している現状を呈している。

 そんな中にあって、梅崎義人が著した本書には、紛れもなく「ペンの力」が横溢(おういつ)している。ジャーナリストの仕事とは、「世界が置かれた状況を読み解く作業」と言ってよい。

2008-10-31

唯脳論宣言/『唯脳論』養老孟司


『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ

 ・唯脳論宣言
 ・脳と心
 ・睡眠は「休み」ではない
 ・構造(身体)と機能(心)は「脳において」分離する
 ・知覚系の原理は「濾過」

『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 もっと早く読んでおくべきだった、というのが率直な感想だ。そうすれば、『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』に辿り着くのも、これほど時間がかからなかったはずだ。

 今読んでも、そこそこ面白い。ということは、1989年の刊行当時であれば、怒涛の衝撃を与えたことだろう。岸田秀の唯幻論は、幻想というパターンの繰り返しになっているが、養老孟司は身体という即物的なものに拠(よ)っているため、割り切り方が明快だ。

 では、歴史的ともいえる唯脳論宣言の件(くだり)を紹介しよう――

 われわれの社会では言語が交換され、物財、つまり物やお金が交換される。それが可能であるのは脳の機能による。脳の視覚系は、光すなわちある波長範囲の電磁波を捕え、それを信号化して送る。聴覚系は、音波すなわち空気の振動を捕え、それを信号化して送る。始めは電磁波と音波という、およそ無関係なものが、脳内の信号系ではなぜか等価交換され、言語が生じる。つまり、われわれは言語を聞くことも、読むことも同じようにできるのである。脳がそうした性質を持つことから、われわれがなぜお金を使うことができるかが、なんとなく理解できる。お金は脳の信号によく似たものだからである。お金を媒介にして、本来はまったく無関係なものが交換される。それが不思議でないのは(じつはきわめて不思議だが)、何よりもまず、脳の中にお金の流通に類似した、つまりそれと相似な過程がもともと存在するからであろう。自分の内部にあるものが外に出ても、それは仕方がないというものである。
 ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場を、唯脳論と呼ぼう。

【『唯脳論』養老孟司(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】

 今村仁司の『貨幣とは何だろうか』を読んでいたので、この主張はスッと頭に入った。お金という代物は、それ自体に価値があるわけではなく社会の決め事に過ぎない。その意味では幻想と言ってよい。等価交換というルールがなくなったり、世界が飢饉に襲われるようなことがあれば、直ちに理解できることだろう。その時、人類は再び物々交換を始めるのだ。

 私は以前から、お金に付与された意味や仕組みがどうしても理解できなかった。しかし、この箇所を読んで心から納得できた。動物と比べてヒトの社会が複雑なのも、これまた脳の為せる業(わざ)であろう。脳神経のネットワークが、そのまま社会のネットワーク化に結びつく。で、我々は「手足のように働かされている」ってわけだ(笑)。

 私がインターネットを始めたのが、ちょうど10年前のこと。当時、掲示板で何度となく話題に上った『唯脳論』であったが、私は『唯幻論(『ものぐさ精神分析』)』と、唯字論とも言うべき石川九楊(『逆耳の言 日本とはどういう国か』)を読んで、頭がパンクしそうになってしまったのだ。読んでは考え、また読んでは考えを繰り返しているうちに、二日酔いのように気持ちが悪くなった覚えがある。必死に抵抗しようと試みるのだが、イソギンチャクにからめ取られた小魚のようになっていた。

 だが、今なら理解できる。また、脳科学が証明しつつある。

 時代をリードする思想は、中々凡人(→私のことね)には理解されない。それどころか、反発を招くことだって珍しくない。ともすると我々は、中世における宗教裁判なんかを嘲笑う癖があるが、現代にだって思想の呪縛は存在する。自由に考えることは難しい。先入観に気づくのはもっと難しい。

 養老孟司は、「社会は暗黙のうちに脳化を目指す」とも指摘している。そうであれば、世界はネットワークで結ばれ、一つの意思で動かされる時が訪れる。それが、平和な時代となるか、『1984年』のようになるかはわからない。



『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
宗教と言語/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ルワンダは、ベルギーの植民地だった1930年代にカソリック国となっていた(『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ)。映画『ホテル・ルワンダ』にも、白人男女の聖職者が登場していた。神の僕(しもべ)は、大虐殺を前にして戦おうとすらしなかった。そうだ。全ては神の思し召しなのだ。いかなる悲惨な結末が待っていようとも、キリスト教思想ではそれが「神の意志」とされる。神様のジャンケンはいつも後出しなのだ。

 では実際に、ルワンダの聖職者はどのように振る舞ったのか。こうだ――

(※ジェノサイドが始まった直後)私たちの羊飼いは子羊を見捨てた。さっさと逃げてしまった。子供を連れて行くことさえしないで、私には、両司祭が私たちを見捨てた事実を理解することも受け入れることできなかった。二人は小型バスに乗る前に、誰にともなくこう言った。
「お互いに愛し合いなさい」
「自分の敵を赦(ゆる)してあげなさい」
 自らの隣人に殺されようとしているその時の状況にふさわしい言葉ではあったが、それは私たちを取り囲んでいるフツ族に言うべきだろう。
 司祭の一人はベルギーに避難した後、こうもらしたという。「地獄にはもう悪魔はいない。悪魔は今、全員ルワンダにいる」と。神に仕える者が、迷える子羊たちを荒れ狂うサタンの手に引き渡すとは、感心なことだ!
 ある修道女もトラックに乗る前に、周りに殺到してきた人々に向かって「幸運を祈ります!」と言っていた。ありがとう、修道女様。確かに幸運が来れば言うことなしなのだが。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)】

 大鉈(おおなた)でこれから殺される人々に向かって放たれた言葉である。何たる偽善か。草葉の陰でイエス様も泣いていたことだろう。彼等がことあるごとに説いてきた「愛」の真実がここに現われている。結局は「自分の命が惜しい」だけに過ぎない。ツチ族を殺戮したフツ族よりも、こいつらの方が悪魔に見える。で、彼等は安全な場所へ移動してから、ルワンダを心配してみせたに違いない。

 思想や信条というのは、口で語るためのものではない。いざという時に、その人の生き方を問うような形で試されるものだ。生きざま以外に思想など存在しない。聖職者の説く神様はルワンダにはいなかったようだ。多分、アフリカ大陸のどこを探してもいないだろうし、世界を歩き回っても見つけることはできないことだろう。一体全体どこにいるのだろう? エ、「天」? ケッ、ふざけんじゃないよ。それじゃあ、屋根の上で日向ぼっこをしている猫と変わりがない。本当に神がいるのであれば、飢餓で死ぬ人々がこれほど存在するわけがない。

 修道女は自らが幸運という名のトラックに乗りながら、間もなく殺される人々の幸運を祈った。もし、殺されたツチ族のために彼女が涙を流したとすれば、そんな涙にいかほどの意味があるというのだろうか?

2008-10-26

ポーカーにおける確率とエントロピー/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 トール・ノーレットランダーシュは、実に巧みな表現で科学の世界を明かしてくれる。前回紹介した「ボルツマン」もそうだが、簡にして要を得た言葉がスッと頭に入ってくる。「通る・脳烈人乱打手」という名前を進呈したい。

 で、今回はこれまた絶妙な比喩で、マクロとミクロ、そしてエントロピーを説明している。

 ポーカーは格好の例となる。トランプが一組あるとしよう。買ったときには、そのトランプは非常に特殊なマクロ状態にある。一枚一枚のカードがマークと数に従って並んでいる。このマクロ状態に呼応するミクロ状態は、たった一つしかない。工場から出荷されたときの順で全部のカードが並んでいるというミクロ状態だ。しかし、ゲームを始める前にカードを切らなければならない。順番がばらばらになっても、マクロ状態は相変わらず一つしかない(切ったトランプというマクロ状態だ)が、このマクロ状態に呼応するミクロ状態は数限りなくある。カードを切ると、じつに様々な順番になるが、私たちにはとてもそれを全部表現するだけのエネルギーはない。だから、たんに、切ったトランプと言う。
 ポーカーを始めるときには、一人一人のプレーヤーに5枚のカード、いわゆる「手(持ち札)」が配られる。すると、今度はこの手が、プレーヤーが関心を向けるマクロ状態となる。5枚の組み合わせは多種多様だ。たとえば、数は連続していないが、5枚全部が同じマークという組み合わせ(フラッシュ)のように、似たもの同士のカードから成るマクロ状態もある。また、同じマークではないが、数が連続している組み合わせ(ストレート)というマクロ状態もある。ストレートには何通りもあるが、極端に多いわけではない。ストレートでない組み合わせのほうが、はるかに多い。(中略)
 確率とエントロピーには明らかに関係がある。ある「手」を作れるカードの数が多いほど、そういう手を配られる確率が高くなる。だから、「弱い手」(エントロピーの多い手)になりやすく、「強い手」(呼応するミクロ状態の数がとても少ないマクロ状態)は、なかなかできない。ポーカーの目的は、誰が最も低いエントロピーのマクロ状態を持っているかを決めることだ。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「ポーカーの目的は、誰が最も低いエントロピーのマクロ状態を持っているかを決めることだ」――凄いよね。「これぞ科学的思考だ!」ってな感じ。麻雀や花札も同様だ。ただし、雀卓であなたが厳(おごそ)かにこの言葉を叫んだとしても、誰一人耳を貸さないことだろう。

 カードを何万回切っても、買った時のように数字とマークが順番で並ぶことはあり得ない。これが不可逆性を意味する。カードはどんどんバラバラになってゆく。これが拡散。熱エネルギーは一方向に拡散する。

 当然ではあるが、この後で「マックスウェルの魔物」「ゼノンのパラドックス」にも触れている。

2008-10-25

エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 私は本書のことを、「現代の経典」に位置すべき作品だ、と書いた。付箋を挟んだページを読み直し、膨大なテキストを書写したが、あながち間違っていないことが確認できた。そこで、がっぷり四つで取り組むことを決意した。こうした行動は過去に何度か試行されているが、その試行のいずれもが錯誤で終わっていることを明言しておく(『千日の瑠璃』→止まったまま、『ホロコースト産業  同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』→進行中、『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』→まだ端緒)。だが、時を逸してはなるまい。

 では一時限目は、エントロピーから始めよう。

 私は20代の頃に、都筑卓司著『マックスウェルの悪魔 確率から物理学へ』(ブルーバックス、1970年)を読んで以来、エントロピーを誤解し続けてきた。その意味で私にとっては悪書中の悪書といってよい。科学者の仕事は、科学的知識を散りばめて自分の信念を表明することである。そこに、思い込みや勘違い、はたまた誤謬(ごびゅう)や嘘が入り込む余地が大いにあるのだ。科学者だって「にんげんだもの みつを」だ。すなわち、科学者の一部、あるいは大半が「トンデモ野郎」ということだ(←言い過ぎだ)。

 早速、エントロピーを学ぼう。以下のページを読めば十分だ。

「エントロピー」=「乱雑さ具合」ではない

 これでも難しいという人は、次に挙げるテキストをマスターしてから臨んだほうがいいだろう。ニュートンからアインシュタインまでの流れ、そして量子力学&宇宙論、更に脳科学は、世界を読み解く上でどうしても不可欠となる。

『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦
『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二

 で、ボルツマンだ――

 ボルツマンの発想は単純そのものだった。彼は、いわゆる〈巨視的(マクロ)状態〉と〈微視的(ミクロ)状態〉、つまり、物質の巨大な集合体の属性と、その物質の個々の構成要素の属性を区別したのだ。マクロ状態とは、温度、圧力、体積などだ。ミクロ状態とは、個々の構成要素の振る舞いの正確な記述から成る。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 科学の世界も政治に支配されていることが、よくわかるだろう。人間が集まれば、必ず欲望と功名心と利害というパラメータが働く。そして、真理を証明する者は葬られるのだ。歴史は繰り返す。巡る因果は糸車、だ。

「神は細部に宿る」ことをボルツマンは立証した。だが、神はボルツマンを助けなかった。そんな神様があなたや私を助けるわけがないわな。



宗教とは何か?
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
無我/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄