2009-03-16

服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム


 ・服従の本質
 ・束縛要因
 ・一般人が破壊的なプロセスの手先になる
 ・内気な人々が圧制を永続させる
 ・アッシュの同調実験

『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス
『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
『マインド・コントロール』岡田尊司
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

権威を知るための書籍
必読書リスト その五

 長らく絶版になっていたが遂に新訳(山形浩生訳)が出た。紙質も良く河出書房新社の気合いが十分伝わってくる。

 スタンレー・ミルグラムといえばスモールワールド現象(六次の隔たり)と服従実験が広く知られており、多数の書物や文献で引用されている。実験結果を発表したのが1963年(昭和38年)。私の生まれた年だ。それまでは低く見られていた社会心理学の地位を一気に正当な学問の領域へ引き上げた歴史的実験である。

 ポイントは二つだ。「人間はどこまで服従するのか」、そして「なぜ服従するのか」。ミルグラムは実験条件に変化をつけ、服従のメカニズムを探る。

 服従の本質というのは、人が自分を別の人間の願望実行の道具として考えるようになり、したがって自分の行動に責任をとらなくていいと考えるようになる点にある。この重要な視点の変化がその人の内部で生じたら、それに伴って服従の本質的な特徴すべてが生じる。考え方の調整、残酷な振るまいの野放図な実行、そしてその人物の体験する自己弁明などは、心理学の実験室だろうとICBM発射基地の司令室だろうと、本質的には似たものとなる。したがって、心理学実験室と他の状況との明らかなちがいを並べ立てるだけでは、この結果の一般性についての疑問は解決しない。解決には、服従の本質をとらえた状況を慎重に構築すること――つまりその人が自分自身を権威に委ねてしまい、自分自身の行動を自分が実質的に引き起こしていると考えなくなるような状況を構築すること――が必要となる。
 前向きな態度があって、強制がない限りにおいて、服従は協力的な雰囲気を持つ。実力行使の危険や罰則が脅しとして使われる場合には、服従は恐怖によってもたらされる。われわれの研究で扱う服従は、いかなる脅しもないのに自主的に行われるものに限られる。権威側はその服従を維持するにあたり、相手が自分の言うことを当然きくものだという、自身たっぷりの態度を示すにとどまる。この調査で権威が行使する力はすべて、被験者側がその権威側の持つものとして何らかの形で認知したものであり、客観的な脅威や、その被験者を左右するための物理手段の有無については一切頼っていない。(※序文)

【『服従の心理』スタンレー・ミルグラム:山形浩生〈やまがた・ひろお〉訳(河出書房新社、2008年/河出文庫、2012年/同社岸田秀訳、1975年)】

 アッシュの同調実験を手伝っていたミルグラムは、同調を服従に発展させるアイディアを思いついた。それは単純だったが極めて効果的な実験法だった。一般市民が見ず知らずの他人に対して、どこまで苦痛を与えることが可能なのか。被験者は教師役に配された。生徒役と実験者はサクラである。服従実験を知らない人は以下のページを参照されよ――

ミルグラム実験
消費を強制される社会/『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード

 読み物としても十分堪能できる。まるで映画のシナリオのようだ。被験者との生々しいやり取りが緊張感に満ちている。

 多分、魔女狩りもナチスもルワンダも、虐殺に加わった殆どの人々は「普通の人」であったことだろう。日本の官僚にしても同様だ。なぜ人は権威に従ってしまうのか、権威に従うことがどのような利益と不利益を生むのか、そして権威とは何なのか――多くの問題に巣食う心理的メカニズムを本書は見事に解明している。立派な教科書たり得る作品だ。



・生産性の追及が小さな犠牲を生む/『知的好奇心』波多野誼余夫、稲垣佳世子
恐怖で支配する社会/『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ
リビア軍に捕らえられた反乱軍の男の証言
修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく/『一九八四年』ジョージ・オーウェル
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
エホバの証人による折檻死事件/『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広

2009-03-08

少年兵は自分が殺した死体の上に座って食事をした/『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア


『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二

 ・少年兵は自分が殺した死体の上に座って食事をした
 ・かくして少年兵は生まれる
 ・ナイフで切り裂いたような足の裏
 ・逃げ惑う少年の悟りの如き諦観
 ・ドラッグ漬けにされる少年兵
 ・少年兵−捕虜を殺す競争

『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー

必読書リスト その二

 レヴェリアン・ルラングァは被害者の立場からルワンダ大虐殺を書いた。イシメール・ベアは被害者であり加害者でもあった。シエラレオネ――世界で最も寿命が短い国。12歳で戦乱に巻き込まれた少年は何を見て、何をしたのか――

 弾薬と食べ物のある小さな町を襲いに行く途中だった。そのコーヒー農園を出てすぐ、廃墟となった村のすぐそばのサッカー場で、別の武装集団と鉢合わせした。敵方の最後の一人が地に倒れるまで、ぼくらは撃ちまくった。そしてハイタッチを交わしながら、死体のほうに歩いていった。向こうの集団も、ぼくらと同じように幼い少年ばかりだったが、そんなことはどうでもよかった。やつらの弾薬を奪い、その死体を尻に敷いて、やつらが持ち歩いていた糧食を食べはじめた。あたり一面、死体から流れ出た血の海だ。

【『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア:忠平美幸〈ただひら・みゆき〉訳(河出書房新社、2008年)】

 イシメール・ベアは政府軍に参加していた。そこには何がしかの大義名分がありそうなものだが、読み進むうちに大差のないことが明らかになる。政府軍も反乱軍も少年達を薬物漬けにして、殺人へと駆り立てた。

 血まみれの死体は、生きているうちからモノと変わらなかった。憎悪は人間を単なる標的にする。そして暴力が感覚を麻痺させる。

 彼等は誤った政治のもとで、誤った教育を受けたとも言える。子供は教えられれば、英知を発揮することも可能だし、殺人マシーンと化すことも可能なのだ。

 それにしても、西欧の植民地として散々蹂躙されたアフリカの傷は深い。キリスト教に巣食う差別主義の恐ろしさを改めて思い知らされる。

2009-03-07

読書という営み/『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬


 20代半ばで読んだ。私は感覚的・感情的・条件反射的な性質が強いこともあって、カルチャーショックを受けた。澤瀉久敬(おもだか・ひさゆき)を「先生」と呼びたくなったほどだ。

 そこに何が書かれているかを要約できなければ、本を読んだことにはならないとした上でこう綴る――

 ラスキンは読書を鶴嘴(つるはし)をふるって金礦(きんこう)を求めゆく坑夫になぞらえております。そして、奥にある金礦に達するためには、外側にある固い鉱石を打ちくだかなければならないと申しております。ともかく、文字という固い、不動なものをつき貫(ぬ)いて、その奥にある動的な、というよりも燃えていると言ったほうがいいと思われる思想そのものをとらえねばならないのです。もしここでさらに別の比喩をもってまいりますなら、書物を読むとは、火山の上に噴き出しているエネルギーそのものを知ることであります。

【『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉(文藝春秋新社、1961年『「自分で考える」ということ 理性の窓をあけよう』改題角川文庫、1963年/角川文庫、1981年、増補版/第三文明レグルス文庫、1991年)】

「言葉ではなく意図を、そして意図よりも思想に触れよ」というのだ。私は恥ずかしさを覚える。精神がフリチン状態になったような気分だ。真に正しい意見には人を恥じ入らせる作用がある。

「著者の魂を鷲づかみにして、それを自分の魂に取り入れよ」――澤瀉久敬の轟くような声が私には聞こえる。

2009-03-06

人間は偶然を物語化する/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

必読書リスト その五

 これはランダムウォーク理論といっていいだろう。ランダムとは無作為という意味で、ランダムウォークとは酔っ払いの千鳥足のこと――

 人は、偶然によるできごとがどのようなものであるかについて、間違った直観をもっていることが心理学者によって明らかにされている。たとえば、投げ上げたコインの裏表の出方は、一般に考えられているよりも裏や表が連続しやすい。そこで、裏表が交互に出やすいものだという直観に比べて、真にランダムな系列は、連続が起こりすぎているように見えることになる。コインの表が4回も5回も6回も連続して出ると、コインの裏表がランダムに出ていないように感じてしまう。しかし、コインを20回投げたとき、表が4回連続して出る確率は50%であり、5回連続することも25%の確立で起こりうる。表が6回連続する確率も10%はある。平均的なバスケットボールの選手は、ほぼ50%のショット成功率なので、1試合の間に20本のショットを試みるとすれば(実際、多くの選手はこれくらいショットを試みる)、あたかも「波に乗った」かのように、4本連続や、5本連続、あるいは6本連続でショットを決めるようなことは偶然でも充分起こりうることなのである。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子〈もり・ひでこ〉訳(新曜社、1993年)】

 人間は単調さに耐えられない。変化を好むのが人間の性分だ。例えばこんなことはないだろうか。信号待ちでウインカーを点灯する。カチッカチッとメトロノームのように規則正しい音が鳴る。すると、その音から微妙にずらしたリズムでハンドルを指で弾く。こうして独創的な音楽が誕生する。私の指が単調なリズムを破壊したのだ。

 株価のチャートを見てみよう。これは日経平均の9ヶ月間にわたる日足チャートだ。昨年8月上旬に底を打って揉み合いが続いている。2本の移動平均線を超えれば反転しそうだ。株価は上がるか下がるかのどちらかである。とすると、損得の確率は1/2となる(横ばい、手数料は無視して考える)。つまり、コインの裏表と確率的には一緒なのだ。もっとわかりやすく言おう。コインを放って出た裏表の結果を1と計算してチャートにすれば、株価と同じような山と谷ができるってわけだよ。コインを投げる回数はまったく問題ではない。1日1回だって構わない。それでも、チャートの山が形成される。

 人間は物語なしで生きてゆけない。不幸にも幸福にも物語がある。目に見えない運や不運で説明し、他人の実力を羨み、自分の非力を嘆き、昔よりも今の方がいいとか悪いとか言い募る。

 翻って、動物には固有の人生が存在するのだろうか? あまり考えたことがない。「我が家の犬は幸せだ」と思っている飼い主は多いだろうが、それは一方的な幻想に過ぎない。

 大数の法則が恐ろしいのは、「人間の人生なんて、それほど変わるもんじゃないよ」と我々をたしなめているからだろう。

 それでも人は「自分だけの物語」を生きる。人間は、平均を個性に変える天才だ。



必然という物語/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人

2009-02-26

豊かな生命力は深い矛盾から生まれる/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男


 ・豊かな生命力は深い矛盾から生まれる
 ・家族の目の前で首を斬り落とされる不可触民
 ・不可触民の少女になされた仕打ち
 ・ガンジーはヒンズー教徒としてカースト制度を肯定

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ
『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム

 山際素男を初めて読んだが、この人は文章に独特の臭みがある。漬け物や演歌と似た匂いだ。漢字表記や送り仮名までが匂いを放っている。

 だが、これは名文――

 生命というものは、矛盾(むじゅん)そのものを一瞬一瞬、あわやというところで乗り越え、乗り越え損(そこ)ない、といった際(きわ)どい運動の非連続的連続のくり返しの中に存在するものであろう。
 だから、生命力が豊かだということは、より深い矛盾の中から生れてくるなにものかでなくてはなるまい。

【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/知恵の森文庫、2000年)】

 一読後、再びこの文章を目にすると「そいつあ奇麗事が過ぎるんじゃないか?」と思わざるを得ない。多分、インドの豊穣な精神を表現したものだろう。しかしながら、インドが抱えてきたのはカースト制度という「桁外れの矛盾」であった。

 暴力の社会階層化、差別の無限システム――これがカースト制度だ。インドは非暴力の国であり、核を保有する国家でもある。そして中国同様、文化・宗教・言語すら統一されていない巨大な国だ。大き過ぎる危うさを抱えているといってよい。

 山際の文章に何となくイライラさせられるのは、「矛盾を肯定するものわかりのよさ」を感じてしまうためだ。所詮、傍観者であり、旅行者の視線を脱しきれていない。苦悩に喘ぐ人々に寄り添い、同苦し、何らかの行動を起こそうという覚悟が微塵もない。「本を書くためにやってきました」以上である。

 読みながら何度となく、「山際よ、インドの土になれ! 日本に帰ってくるな!」と私は叫んだ。だが私の声は届かない。だって、30年前に出版された本だもんね。

 差別は人を殺す。ルワンダの大量虐殺もそうだった。人類は21世紀になっても尚、差別することをやめようとはしない。きっと差別せざるを得ない遺伝情報があるのだろう。問題は、自由競争のスタート地点で既に厳然たる差別があることだ。