2012-10-17
2012-10-16
常識を疑え/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
・『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ
・等身大のブッダ
・常識を疑え
・布施の精神
・無我
・『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
・『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
・『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
・『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
・『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬
・『自分を許せば、ラクになる ブッダが教えてくれた心の守り方』草薙龍瞬
・ブッダの教えを学ぶ
・必読書リスト その五
スヴァスティは黙って両手でその人の左手をおし抱きながら、思いきっていままで自分を悩ませていたことを口にした。「私がこのように触れたら、あなたさまが穢れるのではないでしょうか」
その人は高らかに笑って、首を振った。「そんなことはありません。きみも私も同じ人間なのだから。きみは私を穢すことなんかできないんです。人が言うことを信じてはいけない」
【『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン:池田久代訳(春秋社、2008年)】
『小説ブッダ』は不可触賤民(ふかしょくせんみん)であるスヴァスティ少年の目を通して描かれる。ブッダが放つ人格の香気に吸い寄せられ、スヴァスティとブッダの人生が交錯する。
少年の悩みは深刻なものだった。以下にそれを示す。
・不可触民=アウトカースト/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
・不可触民の少女になされた仕打ち/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男
・両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
ついでにもう一つ紹介しよう。
女、子供を含めた11人の不可触民家族と仲間は、村のボスの家へ引き立てられた。家の前の広場には薪(まき)が山と積まれていた。
ギャングたちが人びとを追い回している一方、村のカーストヒンズーは処刑の用意をせっせと整えていたのである。
処刑は残酷極まるものだった。
新聞などでは、11人全員射殺し、ケロシン(灯油)を浴びせ、薪にほうりこんで黒焦げにしたとあったが、それは事実ではない。実際はもっとひどいやり方で殺したのだが、余りにもむごたらしいので書くのをひかえたのだろう。
ラジャン氏はそういい、彼の下(もと)に届いた報告を次のように語った。
11歳になる少年を除いた大人10人は、男も女も、全員生きたまま手足を切断され、燃え盛る薪の山の中へ一人ずつ、順番に投げこまれた。もがき苦しんで転げ落ちるものは直ぐ焔(ほのお)の中へほうりこまれた。
少年は生きたまま火中へ投じられ、数回にわたり焔の中から這(は)い出し、村人に許しを乞うたが、その都度火中に投じられ、遂に絶命した。
芋虫となって焔の中を転げ回る人びとをクルミ(※シュードラ〈農民〉カースト)の女たちは長い棒で、ローストチキンを焙(あぶ)るように、屍体が黒焦げになり、識別不能になるまで丹念に転がした。
これが真相です。ラジャン氏は暗い笑みを唇の端に浮かべていった。
「この事件も、警察がかんでいるのです。いつだって、不可触民虐殺の背後にはカーストヒンズーと“警察”がいるのです」
ラジャン氏は語り継いだ。
「ギャング共は朝の6時頃村へ乗りこんできたのです。間もなく不可触民の一人が8キロ離れたところにある警察署へ急を知らせました。その頃は雨季前で、道が通じていたのです。
ギャングの襲撃を知らせにきた農夫に、署長はなんといったと思います。
“500ルピー出せ。そしたら今直ぐにでも助けにいってやる”といったのです。
署長の脇には、街の大ボスが椅子にふんぞり返り、署長と顔を見合わせニヤニヤしていた、とその農夫は証言しています」
【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/光文社知恵の森文庫、2000年)】
「差別」という価値観が有する凄まじい暴力性の一端が窺える。日本における穢多(えた)、非人(ひにん)、被差別部落、朝鮮人も同じ構図だ。ハンセン病(癩病〈らいびょう〉)患者を見よ。日本社会が1000年以上にわたって持ち続けてきた差別意識には一片の正当性もなかったではないか。
余談が過ぎた。蓮華は泥の中から咲き、ブッダはカースト制度の中から誕生した。「きみも私も同じ人間なのだから」という一言には時代を揺り動かすほどの重みがある。
「きみは私を穢すことなんかできないんです」――言い換えるならば、バラモン(ブラフミン)やクシャトリヤは「穢(けが)れやすい」連中なのだ。掃き溜めに鶴、インドにブッダである。ブッダの優しい言葉の背景には辛辣(しんらつ)なまでの厳しさが聳(そび)えている。
「人が言うことを信じてはいけない」――常識は常識であるというだけで誰一人疑おうともしない。科学的な思考・合理的な精神に生きよ、との教えに少年の蒙(もう)は啓(ひら)かれたことだろう。わずか二言でブッダはインド社会の迷妄を鮮やかに斬り捨て、少年の悩みを断ち切ってみせた。ブッダとは「目覚めた人」の謂(いい)である。目覚めた人はまた、人々を目覚めさせる人でもあった。
スヴァスティ少年はブッダに付き従い、やがて弟子の一人となる。挿入された一つひとつのエピソードは南伝パーリ語経典や阿含経を中心に膨大な経典に散らばる断片的記述を収集したもので、創作は抑えられている。
・日常の重力=サンカーラ(パーリ語)、サンスカーラ(サンスクリット語)/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
2012-10-15
リリアン・R・リーバー、長谷川集平、塔和子
1冊挫折、1冊中断、3冊読了。
『数学は相対論を語る』リリアン・R・リーバー、ヒュー・グレイ・リーバー絵:水谷淳訳(ソフトバンククリエイティブ、2012年)/数式についてゆけず。
『ブッダの〈気づき〉の瞑想』ティク・ナット・ハン:山端法玄〈やまはた・ほうげん〉、島田啓介訳(野草社、2011年)/四念処経(しねんじょきょう)=「四種の〈気づき〉を確立する経典」の原文と解説。重要な内容と判断し、岩波文庫中村訳の後で読むことにした。
55冊目『トリゴラス』長谷川集平(文研出版、2007年)/少年時代の「力への憧れ」を描いた怪獣モノ。絵のタッチは非常によいのだが、如何せんトリゴラスがゴジラに似すぎている。最後に少女の名をつぶやくことで、トリゴラスは結果的に性衝動から生まれた妄想となる。これをどう読むかで評価は分かれることだろう。私は物語性が浅くなったと思う。
56冊目『トリゴラスの逆襲』長谷川集平(文研出版、2010年)/前作が彼岸を目指したのに対して、続作は彼岸から此岸を向いている。紙質も変わっており、こちらはツルツルした紙だ。タッチと色を活かすには前作の紙の方がよかったと思う。両方とも大人向けの絵本だと感じた。尚、余談ではあるが『はせがわくんきらいや』には大人の男性が出てこなかったので、トリゴラスにお父さんが登場して大いに安心させられた。
57冊目『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子〈とう・かずこ〉(角川学芸出版、2007年)/「13歳でハンセン病を発病、14歳で小さな島の療養所に隔離された苛酷な現実も、塔和子の豊かな命の泉を涸らすことはできなかった」と表紙見返しにある。言葉がやわらかい。だが、生を見据える眼差しには厳格さが光っている。随筆の「浦島記」に胸を突かれる。「いっぺん社会へ出てみたいなー」といった一言が実現した話だ。罪を犯したわけでもないのに、社会から爪弾きにされた人々がついこの間まで存在したのだ。私なら最短距離でテロリストになっていたことだろう。そんな怒りを諌めるように塔和子の言葉は静かに響く。
2012-10-14
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