2014-02-05

黒人奴隷の生と死/『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 ・黒人奴隷の生と死

『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

キリスト教を知るための書籍

黒い怒り』(※W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳、未來社、1973年)をもう一度引用してみよう。
「アメリカは、黒人は劣等であり、雑草刈りと水汲みのために生まれているとの仮説を身につけた生活様式、アメリカは民族精神、あるいは国民生活様式を築き上げたのである。この国土への新移民(もし白人ならば)はただちに歓迎され、豊富に与えられるもののなかには、彼らが優越感をもって対処することのできる黒人がある、というわけである。彼らは黒人を嫌い、けなし、また虐待し、搾取するように求められたのである。ヨーロッパ人にとって、この国が何と気前よく見えたであろうかは容易に想像し得るのである。即ち、罪を身代りに負う者がすでに備えつけられている国であったのである」
 この点まで理解できれば、われわれはもう一歩先へ進まなければならない。奴隷制度がそのように白人にも黒人にも、その後長い傷を与え続けている以上、奴隷制度そのものを、もっと実態に即して理解しなければならないだろう。それも、奴隷制度の存続をめぐる政治的対立とか、奴隷制度の経済的効用とかいったものではもちろんない。一個の人間が奴隷制度のなかで生まれ、奴隷として働かされ、まだ奴隷制度が全盛だった頃に死んでいったことの意味を、もっと理解しなければいけなのである。

【『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要〈さるや・かなめ〉(河出書房新社、1975年『生活の世界歴史 9 新大陸に生きる』/河出文庫、1992年)以下同】

 岸田秀が紹介していた一冊。『ものぐさ精神分析』か『続 ものぐさ精神分析』か『歴史を精神分析する』のどれかだったと思う。岸田の唯幻論は不思議なもので若くて純粋な時に読むと反発をしたくなるが、複雑な中年期だとストンと腑に落ちる。

 近代史の鍵を握るのは金融とアメリカ建国である。これが私の持論だ。

何が魔女狩りを終わらせたのか?

 特に第二次世界大戦以降の世界を理解するためにはアメリカの成り立ちを知る必要がある。稀釈されてはいるがキリスト教→プロテスタンティズム→プラグマティズムが先進国ルールといってよい。そしてアメリカはサブプライムショック(2007年)とリーマンショック(2008年)で深刻なダメージを受け、9.11テロ以降、以前にも増して暴力的な本性を世界中で露呈している。

 アメリカはインディアンから奪い、そして殺し、黒人の労働力で成り立った国だ。彼らが正義を声高に叫ぶのは歴史の後ろめたさを払拭するためである。彼らの論理によればアメリカの残虐非道はすべて正義の名のもとに正当化し得る。もちろん広島・長崎への原爆投下についても。それが証拠にアメリカは日本の被爆者に対して一度たりとも謝罪をしていない。

 奴隷制度は何も合衆国だけの占有物ではない、という反論もあるだろう。たしかに中南米のたいていの国にそれはあったし、ヨーロッパ諸国の多くも無関係ではなかった。しかし国内の奴隷所有勢力が奴隷を開放しようとする勢力と国論を二分して対立し、足かけ5年、両方あわせて60万人の人命を犠牲にするような大戦争に突入した国は、世界のなかでただアメリカ合衆国あるのみである。

南北戦争
南北戦争の原因
アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史

 リンカーン自身が奴隷解放者であったわけではない。リンカーンはイギリスの南部支援を防ぐ目的で奴隷制度廃止を訴えたのだ。単なる政治カードであったことは、その後も黒人差別が続いた事実から明らかであろう。有名無実だ。また具体的には黒人を北部の兵隊とする目論見もあった。

 インディアンを虐殺し、黒人をリンチして木に吊るし、そして自国民同士が殺戮(さつりく)を行うことでアメリカはアメリカとなった。アメリカの暴虐はナチスの比ではない。

アメリカ合衆国の戦争犯罪

 次はどの国の人々が殺されるのだろうか? それが有色人種であることだけは確かだろう。


2014-02-04

言語的な存在/『触発する言葉 言語・権力・行為体』ジュディス・バトラー


 言葉で傷つけられたと主張するとき、わたしたちは何を語っているのか。行為(エイジェンシー)の元凶は言葉であり、人を傷つける力だと言って、自分たちを、中傷が投げつけられる対象の位置におく。言葉がはたらく――言葉が自分に攻撃的にはたらく――と主張するが、その主張がなされる次元は、言語のさらなる段階であり、そのまえの段階で発動された力をくい止めようとするものである。ということは存在――どんな検閲行為によっても事前に緩めることができない拘束状態におかれている存在――ということになる。
 では、かりにわたしたちが言語的な存在でなければ、つまり存在するために言語を必要とするような存在でなければ、言葉によって中傷されることはなくなるのだろうか。言語に対して被傷性をもっているということは、言語の語彙のなかでわたしたちが構築されているゆえの、当然の帰結ではないか。わたしたちが言語によって形成されているなら、その言語の形成力は、どんな言葉を使うかをわたしたちが決定するまえに存在しており、またわたしたちの決定を条件づけてもいる。つまり言語は、いわばその先行力によって、そもそもの初めから、わたしたちを侮辱していると言える。

【『触発する言葉 言語・権力・行為体』ジュディス・バトラー:竹村和子訳(岩波書店、2004年)】

 人間は物語を生きる動物である。社会は物語を必要とする。歴史は物語そのものだ。我々はルール、道徳、感情、理性、知性を物語から学ぶ。というよりは物語からしか学ぶことができない。こうして人間は「語られるべき存在」となった。続いて書字が記録という文化を生む。人間は「歴史的(時間的)存在」と化した。

 ヒトの脳が大型化したのは240万年前といわれる(『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠)。


 昨夜このあたりを検索しまくっているうちに時間切れとなってしまった。ま、よくあることだ。私は検索しはじめると止まらなくなる癖があるのだ。

 色々調べたのだが、やはり私の直観では脳の大型化と言語の獲得は同時であったように思われる。適者生存が進化の理(ことわり)であるならば、ヒトには何らかの強い淘汰圧が掛かったのだろう。そして言語の獲得が社会を形成したはずだ。脳は神経の、言語は音声の、そして社会は人のネットワークである。つまり脳の大型化はそのまま広範な社会ネットワークにつながる。

 言語の起源については諸説あるが、ジュリアン・レインズは右脳から神の指示語が発したとしている(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』)。

 ま、わかりやすく申せば、卑弥呼みたいなのが突然登場して、人々がそのお告げやら物語に賛同すれば、社会の価値観は共有されるわけだ。

 話を元に戻そう。社会の中で生きる我々は「言語的な存在」であることを回避できない。まず名前という記号があり、性格があり過去があり仕事があり趣味があるわけだが、これらは言葉でしか表現し得ない。私は短気であるが、万人の前で短気を発揮しているわけではない。見知らぬ人の前では誰もが無性格な存在なのだ。

 では反対側から考えてみよう。私という人間を言葉で表現し尽くすことは可能だろうか? 無理に決まっている。例えば私の顔を言葉であなたに伝えることはほぼ不可能である。すなわち「言語的な存在」とは言葉の範疇(はんちゅう)に押し込められた存在なのだ。その意味で確かに言語は「わたしたちを侮辱している」。

 社会というのはおかしなもので個性を発揮する必要に迫られる。例えば蝉を見た時、そこに個性は感じない。蝉という種(しゅ)を感じるだけだ。蝉の側から見ればヒトもそんなものだろう。だが我々は他人と同じであることに耐えられない。私は他の誰とも異なり、かけがえのない存在であることを力説し、願わくは私を重んじるよう説得する。そのために学歴を積み重ね、身体能力を磨くのだ。ってことはだよ、社会ってのは最初っからヒエラルキーを形成していることになる。

 だからこそ語れば語るほど自分がいかがわしい存在となってゆくのだ。

 それゆえ、真実は「語る」ことと「騙る」ことの間にある、と言うべきであろう。

【『物語の哲学』野家啓一】

 うっかり本音を漏らすことを「語るに落ちる」というが、語ることには落とす力が秘められているような気がする。

「私は私だ」という物語から離れる。自己実現などという欺瞞を見抜き、私は何者でもなくただ単に生きる存在であり死にゆく存在である事実を自覚する。これを諸法無我とは申すなり。

触発する言葉―言語・権力・行為体


ブリコラージュ@川内川前叢茅辺

2014-02-02

ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺/『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂


ソンミ村虐殺事件
・ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺

 長いテキストであるがどうか慎重に読んでいただきたい。区切ろうと思ったが、やはりそのまま紹介した方がいいと判断した。

 ボディ・カウントという言葉がある。殺したベトナム人の数である。米軍の戦果を示す統計的数字である。ある者は、ヘリコプターの胴体に、ベトナム人の帽子をあらわす三角の長い列を、ていねいに書込んで行く。ある者は、ジープのラジオ・アンテナに、切取った耳を、多数串ざしにする。ある人間集団を、虫けらのように殺戮し得るためには、まずその人間達が、虫けらでしかないことを自らに説得する必要があろう。米兵達は、嫌悪と侮蔑をこめて「よいグーク(ベトナム人)は死んだ奴だけ」(Only good gook is a dead one)という。アメリカのインディアン達は、この言葉が Only good Indian is a dead one という、シェリダン将軍の言葉に、遠く呼応することを、苦渋の中で確認する。彼等もかつて「虫けら」であった。そして、現在、彼等が、もはや虫けらとは見なされていないという確証はない。
 1864年11月、ブラック・ケトルと、ホワイト・アンテロープに率いられた約700人のシャイエン・インディアンの集団は講和の意図をもって、コロラドのフォート・リオンにおもむいたが、フォートの白人達は、シャイエンの接近を嫌い、その北40マイルのサンド・クリークの河床で沙汰を待つことを示唆した。ブラック・ケトルは、そのキャンプが、白人に対して、敵意を持たぬことを示すために、自分のテントのまえに大きなアメリカ国旗をかかげ、人々には、白人側からの攻撃のおそれのないことを説いた。これが、二人の指導者の状況判断であった。
 そのインディアンのキャンプに対して、11月29日払暁、シビングトン大佐の指揮する約750の米兵が突如としておそいかかり、老若男女を問わず、殺りくした。攻撃を前に、シビングトンは、「大きな奴も小さいのも全部殺して、スカルプせよ。シラミの卵はシラミになるからな(Nits make lices)」と将兵に告げた。ここで、スカルプとは、動詞としては、頭髪のついた頭皮の一部をはぎ取ることを意味し、名詞としてはボディ・カウント用の軽便確実な証拠としてのその頭皮、あるいはスラング的には、戦勝記念品一般を意味する。インディアン討伐に初参加の若い兵士達も多く、彼等にとって、後日の武勇談のトロフィーが必要でもあったろう。兵士達は、その指揮官の期待をはるかに上まわる、異常な熱狂をもってインディアンにおそいかかったのであった。
 しかし、インディアンの抵抗もまた熾烈をきわめた。全く絶望的な状況のもとで、彼等は鬼神のごとく反撃した。ホワイト・アンテロープは、直ちに自己の状況判断が甘すぎたことを覚ったが、武器をとることを否み、撤退のすすめに応ぜず、傲然と腕を組んで、松の木のように立ちつくし、朗々と「死の歌」を歌いつづけた。「悠久の大地山岳にあらざれば、ものなべてやがて死す」一発の銃弾が、老酋長の魂を大空の極みへ送った。抵抗は、払暁から夕刻にまでおよんだ。その終焉をたしかめてから、兵士達は、トロフィーを求めて、累々たるインディアンの死体に殺到した。ホワイト・アンテロープのなきがらを、彼等はあらそって切りきざんだ。スカルプはもちろん、耳、鼻、指も切りとられた。睾丸部を切りとった兵士は、煙草入れにするのだと叫んだ。それらの行為は女、子供にもおよんだ。女陰を切りとって帽子につける者もいた。乳房をボールのように投げ合う兵士もいた。大人達の死体の山からはい出た3歳くらいの童子は、たちまち射撃の腕前をきそう、好個の標的とは(ママ)なった。シビングトンは、その赫々たる戦果を誇らかに報告した。「今早朝、わが部隊は、戦闘員900ないし1000を含むシャイエン族の一群を攻撃し、その400ないし500をせんめつした」実際の死者総数は遂に確立されることがなかった。もっとも確かと思われる推定によれば、キャンプにあったインディアンの総数は約700、そのうち200人が戦闘員たり得る男子であり、他は老人、婦女子、幼児であった。その6~7割が惨殺されたのである。デンバー市民は、兵士達を英雄として歓呼のうちにむかえ、兵士達はそれぞれに持ちかえったトロフィーを誇示した。
 サンド・クリークの惨劇の再現を、我我(ママ)は、1969年製作の映画『ソルジャー・ブルー』に見ることが出来る。もし、記述の信ぴょう性をたしかめたければ、700ページにのぼる、米国議会の同事件調査報告書をひもとくこともできる。

【『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂(朝日選書、1974年)】

 鍵括弧の後に句点がないのもそのままとした。ボディ・カウントとのキーワードで鮮やかにベトナム戦争とインディアン虐殺をつなげている。どうやらこの文章の構成そのものが『ソルジャー・ブルー』に準じているようだ。

映画『ソルジャー・ブルー』を歴史する : 『私の歴史夜話』


『ソルジャー・ブルー』(Soldier Blue)は、『野のユリ』で知られるラルフ・ネルソン監督の1970年公開の映画。同年12月に公開された『小さな巨人』とともに、西部劇の転換点に位置する作品である。米国史の暗部を提示することで、1960年代のベトナム戦争でのソンミ村事件へのアンチテーゼを掲げた映画だとも云われている。また、これ以降ネイティブ・アメリカンを単純な悪役として表現することがなくなった。

Wikipedia

 以下のページも参照せよ。

ソルジャー・ブルー①サンドクリークの大虐殺の史実 - 西部劇が好き!!ジョン・ウェイン 私のヒーローインディアン書庫
モルモン教/教義への疑問点/その3/迫害の一部

 ベトナム戦争で定着した「ボディカウント」(死者数)という言葉も、こうした数値への盲信を如実に反映するものである。

文化は変えられるのか? - Civic Experience

 私は本書を再び手に取った。どうしても読まざるを得なくなった。藤永茂は量子化学を専攻する物理化学者だ。彼はなぜインディアンについて書いたのか。書かずにいられなかった理由を私は知りたい。


(ブラック・ケトル)

「2014年はサンドクリーク虐殺の150周年」(ノースウェスタン大学、創設者のサンドクリーク虐殺への関わりを調査/アイヌ遺骨調査 - AINU POLICY WATCH)であった。私は死後の存在を否定する立場であるが、シャイアン族の怨念が吹き荒れることを切に願うものである。


(サンドクリーク/画像クリックで拡大)

 メイフラワー号でアメリカへと渡ったピルグリム・ファーザーズたちが示したのは、信教の自由を求める情熱がいとも簡単に暴力へと相転移する事実であった。元々宗教という宗教は常識や社会通念を破壊する力を秘めている。

 アメリカインディアンの社会は、完全合議制民主主義であり、「首長」や「族長」のような権力者は存在しない。白人が「指導者」だと思っている「酋長」(チーフ)は、実際には「調停者」であって、「部族を率いる」ような権限は持っていない。インディアンは「大いなる神秘」のもと、すべてを「聖なるパイプ」とともに合議で決定するのであって、個人の意思で部族が方針を決定するというような社会システムではない。

 しかし白人たちは、インディアンとの条約交渉の際に、「酋長」を「代表」、「指導者」だと勘違いして、彼らと盟約することによって全部族員を従わせようとした。

Wikipedia

『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム

 インディアンは平和でかつ民主的であった。だから殺されたのだ。ここに救い難い人間の矛盾が存在する。自然の摂理は適者生存である。獰猛(どうもう)で狡猾な種ほど生存率が高まる。アメリカを封じ込めるほどの知恵者が現れない限り、我々の世界が救われることはないだろう。

アメリカ・インディアン悲史 (朝日選書 21)
藤永 茂
朝日新聞出版
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2014-02-01

ソンミ村虐殺事件/『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂


・ソンミ村虐殺事件
ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 美しい朝であった。1968年3月16日午前8時、南ベトナム、ソンミの小村落に近い稲田に着陸した、一群のヘリコプターからおり立った約80人の米軍兵士は、何らの抵抗も受けることなく村落に入り、その総人口700人ほどのうち、450人を虐殺した。すべては老人、婦女子、幼児であり、若い男はほとんど見当(ママ)なかった。捕獲した火器は小銃3挺であった。
 カリー中尉ひきいる最初の2小隊が村落の南部の小さい広場に入って行ったとき、村落の間にまだパニックの気配はなかった。朝餉の時であり、家の前に火をしつらえてその用意をしている家庭がいくらも見えた。数十人の村民たちは、何の抵抗も示さず、米兵の強いるままに広場に集ったが、やがて米兵が無造作にM16ライフル銃弾を打ちこみはじめると、女たちはむなしくも、子供たちを身でかばいつつ「ノー・ベトコン、ノー・ベトコン」と叫びながら、くずおれて死んで行った。他の一群は、灌漑用の溝の中に追い集められ、銃撃を浴びた。あるいは、村はずれのたんぼ道で折り重なって死んで行った。米兵のある者は、家の中の人々に、外からたっぷり銃撃を浴びせ、そのあと家屋に火を放った。牛を殺し、つみ上った死体の下にうずもれて、たまたま死をまぬがれる者もいた。一人の女が、死体の山の中から、まだ生きている赤ん坊を掘り出しているのを見つけた米兵の一人は、まず女を銃殺し、次に赤ん坊を殺した。至近距離からの銃弾は、その女の背が空中に飛び散るほどに強力であった。また、他の米兵は、弟と思われる子供をかばいつつ逃げようとする少年を、あぜ道にとらえ、腕前もたしかに射殺した。少年をたおれつつも、なお弟をかばう風にして死んだ。これらの事実を、我我は参加者の直接の証言によって知る。従軍カメラマンによる多数のカラー写真の中に少年の高貴な死を見ることもできる。

【『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂(朝日選書、1974年)以下同】

 入力しながら胸が悪くなった。ソンミ村虐殺事件である。「少年の高貴な死」は英語版のWikipediaに掲載されている(3枚目)。

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 インディアンを虐殺したアメリカ人のDNAは確かに受け継がれているのだろう。狩猟というよりは金魚すくいも同然だ。ひょっとすると面白半分にやったのかもしれない。彼らはこれを「南ベトナム解放民族戦線のゲリラ部隊との戦い」と偽って報告した。死人に口なしというわけだ。しかしアメリカにはまだジャーナリズムが生き残っていた。

 こんなことは米兵からすれば朝飯前だ。彼らの残虐さには限度がない。

米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン

 かような国が世界の保安官として君臨しているのだから平和になるわけがない。もしも私が米兵であったなら、迷うことなく祖国に対して自爆テロを行う。アメリカはいつの日か必ず滅びゆくことだろう。インディアンを虐殺した時点で国家の命運は決している。

 しかし、ソンミは、アメリカの歴史における、孤立した特異点では決してない。動かし難い伝統の延長線上にそれはある。



ソ連によるアフガニスタン侵攻の現実/『国家の崩壊』佐藤優、宮崎学
残酷極まりないキリスト教/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル

2014-01-31

橋下市長発言要旨「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」


橋下市長発言要旨「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」(1/6ページ) - MSN産経west


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